第10章「非日常・大通り」
僕がボコボコにされた翌日の朝。
今日は休日なので起きるのがいつも遅めになってしまった。
一応できる事は進んでやっているが阿形と吽形の方が要領良いので僕は正直いらない子扱いなのだった。
目覚まし時計は午前8時を指している。
故郷に居た頃は11時とか12時に起床なんて普通だったのにここに来てから生活リズムがすっかり良くなった。
一応机の中にしまっている本を確かめる。
折目が付いていた。
黙って引き出しを閉めた。
見なかった事にしよう。
僕はカーテンと窓を開き、黒い着物に黒いコートという組み合わせで部屋を出た。
脱衣所で洗顔し、台所へ向かう。
誰もいない。
どうやら各々何かやっているようだ。
祀は日課の礼拝だろうか。
阿形と吽形は……多分雑用か、ゲームだろう。
2人で仲良くパーティーゲームとかしてそうだ。
何か寂しい、と思いつつ僕はテーブルの上でラップに掛けられている朝食を頂く。
今回は豆腐ハンバーグとわかめの味噌汁とほうれんそうのおひたしだった。
冷めているが十分美味しい。
食器を洗い、暇だったのでテレビを点ける。
高さは65インチはあるだろう。
正直ここまでの大きさにする必要はあったのだろうか甚だ疑問だ。
やっていたのは情報番組だった。
ニュースとバラエティを合わせたような感じの。
ヤラセとかで割と有名な番組だったが他に面白い番組はなかったのでそのままにする。
『臨時ニュースです、先日、朧想街で判明した殺人事件の被害者の身元が山本健蔵さんだと判明されました』
僕は画面に目を凝らす。
現場映像に映っているのはあの路地裏だった。
どうやら死んでいた人はこの人らしい。
山本健蔵は朧想街において大きな力を持つ人物の一人だ。市議という立場でありながら政府、芸能界など多くの人物と繋がりを持っている人で発言力もある。
そんな人が死んだという事は朧想街にとっては割と大きい衝撃だと言えよう。
やはり警察は組織や能力者、妖魔達の犯行だとみて捜査しているようだ。
他にもキャスターが言うには似たような事件は朧想街において何件も報告されており、同一人物の犯行としているとのこと。
やはりあの男が犯人なのだろうか。
警察に言うべきかどうしようかと考える。
確証はないが一応こちらも被害を受けた訳だし。
あ、傷とかないし証明のしようがないじゃん。
あとあの男の外見なんて何にもわからないし。
僕はテレビの電源をオフにして居間を出る。
そうして祀が居るであろう本殿に向かった。
しかし扉には南京錠が掛かっていた。
どうやらここには居ないらしい。
ならどこに居るんだろう。
僕は首を傾げる。
特に用がある訳ではないが挨拶くらいしておかないと。
僕は本殿の周囲を回り、目につく場所を探したものの居ない。
出掛けているんだろうか。
僕は頭を掻きつつ周囲を見回す。
と、鎮守の森の中に紅白がちらっと見えた。
そこに向かうと案の定祀が注連縄で囲まれた神木の下で何かしている。
彼女の前には石碑があり、どうやらそれを見ているようだ。
「夜行さん、おはようございます」
「おはよう祀」
僕の気配に気付いた祀が挨拶する。
「その石碑は?」
「これは要石のようなものですよ」
「要石って……地震とか抑えつけている霊石だっけ」
「はい。これは地脈のエネルギーをコントロールしているんです」
僕は再び石碑を見る。
表面に何か刻まれているが何と書かれているのかわからない。
「この地域は昔から地脈で栄えていたのですがその分地脈の暴走による災害も度々起きていました。古文書によると天変地異レベルのものまであったようです」
「凄いんだな……」
僕はちょっと慄く。
祀は続ける。
「それで地脈を制御する為にこの石碑が作られ、この天光神社が建てられました。以来地脈の暴走による被害は生じていません」
「じゃあ仮にその石碑が破壊されたりしたらどうなるの?」
僕がそう訊くと祀は当り前のように言う。
「多分――日本が滅びますね」
唖然とした。
「要石はエネルギーを消しているのではなく文字通り抑えつけているんです。万が一この要石が抜かれたり破壊されたり動かされたら今まで抑えられていたエネルギーが一気に放出されます」
「文字通り重要な石なんだ……」
「その通りです。冗談でもいじらないでください」
笑えなかった。
ひとまず目的を達成した僕は続いて阿形と吽形の所へ向かう。
2人は一緒の部屋を使用しておりどれだけ仲が良いか伺えるだろう。
そういえばどういう関係なんだろうか、と思いつつ2人の部屋の扉に手を掛けた。
しかしその寸前、
「くぅ……ん、ひぃん……」
「にゃふふ……ここかにゃ? ここが良いんかにゃ?」
「駄目……わん、それ以上したら私……」
「これで終わりにゃん……」
ななな、なんだこれは!?
僕の頭が処理落ちしそうになる。
この向こうでどんな魅力的……いや、けしからん事が起きているんだ。
理性は正常に働かず腕が勝手に秘密の花園への扉を開いてしまう。
僕はきつく目を閉じるように見せかけて薄目を開ける。
そこに現れたのは――
「くぅーん……また負けたわん」
「にゃははは! 私の勝ちにゃん!」
格闘ゲームをやっている光景だった。
なんだか僕ってすごい汚れてたんだなぁと自己嫌悪に陥りそうになった。
と、2人がこちらに気づいた。
「おはーにゃん、夜行」
「次は夜行もこれやろーわん」
「どれどれ……?」
取り敢えず立ち直った僕は吽形が手渡したゲームソフトのパッケージを見る。
元々アーケードの筐体でしかプレイできなかったゲームがヒットしたという事でコンシューマーゲームとして発売されたものだった。
現在まで4作程続編が発売されたと記憶している。
ストーリーを簡単に説明すると悪魔の悪戯によって無理矢理地獄に落とされた少年少女、おっさん、老人など個性溢れるキャラクター達がトーナメントをして勝者となり、天国を目指すというものだ。
アニメ化される程有名なものであり、僕も何回かプレイした事がある。
対戦が醍醐味であるゲームなのに友達とプレイした事がないので自分がどれ程の強さなのかはわからないが一応ストーリーモードのラスボス、裏ボス共にコンボキャンセルからの掴み投げで相手の行動を封殺しつつのノーダメージ勝利はした事がある。
ネットのプレイ動画を見たがどれも僕のプレイには及ばない。
吽形がどれ程の強さなのかはわからないが誘われたのなら乗ってあげるのが礼儀だろう。
元ニートを舐めるなよ。
僕と吽形はコントローラーを握り、キャラを選択して戦闘を開始する。
僕が選んだのは近接スピード型で、武器は双剣、能力はバーサクだ。
対する吽形が選んだのは遠距離パワー型で、武器はレーザーカノン、能力はライフドレイン。
スピード型に対して隙の多い上にとろいパワー型だと!? と僕は若干驚くが、きっと慣れていないのだろうと結論付けて戦闘を開始する。
パ ー テ ィ ー の は じ ま り だ
×
「参りました」
「夜行弱いわん」
負けた。
完封された。
明らかに遠距離パワー型の動きじゃなかった。
翻弄という言葉が相応しい。
こちらが一瞬で近付いてもカウンターのレーザーカノン殴りでよろけてコンボを繋げられるわ、反撃しようにもダウン時のわずかな間を攻撃発動までの時間に使われて立ちあがったところに大ダメージ。
それを何度も繰り返されて気付けば2ラウンドまで負けていた。
強すぎる。
というかこれ程強い吽形が負けるって阿形はどれだけ強いのだろうか。
「阿形、僕の仇を取ってくれ」
「任せるにゃ」
「な、またハメハメ攻撃をするかわん!?」
僕はそんな2人のやりとりを眺めつつ部屋を出た。
攻略本でも買ってみるか。
思いたったらすぐ行動。
僕は財布をコートのポケットに入れ、古本屋に向かった。
500円以内で買えれば良いが最悪ネットで我慢しよう。
という訳で早くも古本屋に到着し、攻略本コーナーに向かった。
だが、なんとなく予想していた事だったが目的の攻略本は無かった。
寧ろ前作や続編の攻略本が複数売っている。
こういう事はわりとある。
失くしたと思って新しいものを買ったら間もなく失くし物が見付かったり、店で見付けた時は買わなかったけど後になって欲しくなり、買おうと思ったら売ってなかったりとか。
僕は溜息を吐いて店を出る。
いつもなら立ち読みするが客が多いのでやめておいた。
どうやってリベンジしようか……と考えながら歩きだす。
「このバケモノがぁああ!!」
その時大通りに怒号が響いた。
なんだ、と思って僕はその人物を見る。
若い男だった。
しかしその顔は怒りによって醜く歪んでいる。
かなりご立腹のようだ。
そんな彼の前に居るのは
「雅?」
クラスメートで天邪鬼である天野雅だった。
あれ程の怒りをぶつけられているが彼は鬱陶しそうな表情をするだけだ。
肝が据わっているというか寧ろ火に油を注いでいるようにしか見えない。
やはり詐欺でもやってこんな事になったのだろうか。
それなら自業自得だが少し様子がおかしい。
「だから僕には関係ないでしょ? あんたの弟が怪我したのは僕によってじゃなくてチンピラ妖怪によってでしょ。なのに僕を責めるってお門違いにも程がありますよ」
「うるせぇ! お前らみたいなのがいるからこうなったんだろうが!」
男は起こりすぎて最早言ってる事が支離滅裂だ。
倫理性の欠片もないがこれは良くない。
一触即発、いつ流血沙汰になってもおかしくない。
という訳で僕は2人の間に割って入った。
「2人共落ち」
「うるせぇガキがしゃしゃり出てくんな!」
殴られた。
渾身の右ストレートだった。
僕は地面に倒れる。
理不尽すぎだろ。
「ちょっ! あんた何僕の顧客に!」
「いつ僕が君の顧客になった……」
僕は一応突っ込む。
支出してもノーリターンな情報屋の客には絶対なりたくない。
「けっ! てめーら2人ともボコボコにしてやるよ!」
男は拳を握る。
これって犯罪予告にならないだろうか。
というか無抵抗の僕を殴ったのだから障害事件として裁判できるだろこれ。
取り敢えずこれ以上被害を増やすわけにはいかない。
「どうも、うちのバカがご迷惑をおかけしました」
空気が読める僕は頭を下げて雅の腕を掴み、そこから離れようとする。
「お、おう……気ぃ付けろよ」
ほっ、単純で助かった。
「おい待てよ! あんたもこいつに謝れよ!」
空気読めよバカ……
「あぁ!? てめぇこのクソガキ○×△#”!!」
最早最後あたりは日本語ではない。
僕はもうこいつどうでも良いや、とか見限りそうになる。
周囲の人に助けての視線を送るが皆見て見ぬフリ。
ちょっと、そこの一昔前の番長みたいなお兄さん、なんで目を背けるの? その逞しいリーゼントは飾りなの? 勲章でしょ?
僕は唇を噛む。
せめて誰か通報しろよ、とか思いつつどうしようか考えていると、
「喧嘩はいけないねぇ」
頼もしい声がした。
僕達と男の間に割って入るように飛び降りてきたのは
「やぁ久しぶり。夜行と雅」
「あっ、照玖じゃないか」
「照玖! 助かった……!」
烏天狗の山神照玖だった。
「はっ! 女だろうがこっちは手加減しねぇぞ!」
「ちょっと君達私の手、握っててね」
そう言うと照玖は僕達の手を取り、
空を跳んだ。
争わずに自分から身を退く、その姿勢に僕は尊敬する。
こいつにも是非見習ってほしい。
風に全身を叩かれながら僕は雅に目を向ける。
「高いの怖い高いの怖い……」
白目を剥いていた。
高所恐怖症か。
僕は嘆息する。
「それにしてもありがとう、助かったよ」
「例には及ばないさ。なんだか最近こういう妖怪と人間の諍いっていうのが多くてね。秩序を守る為にパトロールみちな事をボランティアでしてるって訳よ」
「原因は……やっぱり連続殺人事件関係?」
「多分ね。警察は術式使用の形跡や犯行を行えるほどの能力を持った人物が居ない事から妖怪の仕業だとしているけど、私達妖怪にとってはやっぱり気分が良くない訳でしょ。人間側も無関係な一般人を何人も殺されているからカリカリしてるのはわかるけどさ」
まぁあの男の怒りももっともだと言えるか。
それにしても高校生男子を腕一本で持ちながら飛行するってかなり凄い事だと思う。
かなり細身で一見華奢なように見えるがかなり力持ちのようだ。
僕は暫くの間重力に囚われていない感覚を味わう。
下を見ると朧想街ではわり有名な駅の時計塔が見えた。
高度20メートルくらいの低空飛行だ。
やはり慣れているのかかなりスレスレな場所でもスピードを出している。
そうして神社に到着すると僕と気絶している雅を下ろしてくれた。
「んじゃ私は行くけど注意しなよ。多分妖怪側も君達に突っかかってくるから」
「ありがとう、そっちも」
「はいよ、バーイ」
それだけ言って彼女はまた飛び立ってしまった。
でも元凶があの男だとしたら何の目的でこんな事をしているんだろうか。
朧想街を混乱に陥れてどうするっていうんだろうか。
僕は顔色の悪い雅を放置しつつ考える。
だけど答えは出ない。
「えっと……夜行君だっけ?」
その時後ろから話しかけられた。
この声は確か河瀬瓜という河童の娘だったか。
僕は振り返る。
そこに居たのは数人の少年少女。
見覚えがあった。
というかクラスメートだった。
「そうだけど……ええと、手前から瓜、舞子、和良、白雪、風芽、ワーミィ、アリスト、カサス、ルー、エル、蓮華、巳肇、千鶴……だよね?」
そこに居たほぼ全員が「おお……」と感嘆する。
全員の名前と顔を覚えていた事に自分でも驚きだ。
で、何故ここに皆が居るんだ?
そう尋ねると全員顔を僅かに強張らせた。
「君もわかってると思うけど、今ちょっとこの街がヤバめなんだよね」
舞子がそう言った。
「ああ、僕もさっき照玖……烏天狗からその話を聞いたよ。で、雅がある男と言い争いになって」
「で、その男に暴行されて気絶していると?」
と、カサスが低い声音で訊ねた。
「いや、ただの高所恐怖症」
「……くだらねぇ」
カサス、全世界の高所恐怖症の方に土下座な。
「……やっぱり皆もそういうトラブルに巻き込まれたの?」
「は、はい……正しくは巻き込まれる前に逃げたというのが正しいですが……」
弱々しく言うルー。
彼女も苦労したようだ。
「私も大変だよぅ……住んでた家主さんに出て行かされるわで。もうあの家に不幸を呼ぼうかなぁ……」
可愛い顔をしてそんな事をサラっと言う和良はどこか怖かった。
「私も住処にしてる大木を危うく燃やされかけたよ! 後でその犯人の家をボヤにしたけどね」
エル、犯罪自慢して胸を張るな。
「で、皆はその騒乱を回避する為にここへやってきたのか」
「その通りだね……面倒だけどあのままだともっと面倒だから」
風芽は眠そうな目をして、やはり今日も気だるげだ。
ダルデレというやつだろうか。
「まぁ心配するな、泊めてくれとは言わん」
残念処女厨……もといアリストがそんな事を言う。
どうやら他の人もそれで良いようだ。
「取り敢えず騒乱が落ち着くまでここには居させて欲しいの。私の屋敷はエリアとハドラーが守っているから大丈夫だと思うけど、お互い屋敷と自分の身を守るのがやっとね。ここに居れば奴らも流石に来ないと思うから来たのだけれど」
と、ワーミィ。
「別にそれは良いけど……後はどうするのさ?」
「……その心配には及ばない」
白雪がぼそぼそと言う。
僕は首を傾げる。
「つまりあとは自然に溶け混むだけって事さ」
そう瓜が言った途端、妖怪組の身体が朧げに揺れる。
僕が何かを言う暇もない。
彼らはゆらゆらと陽炎のように揺らめき、すぐに消えた。
気配も無くなっている。
どうやら本当に自然に溶け混んだようだ。
純粋な妖怪はこういう事も不可能ではないだろうが……やはり直接見ると驚く。
しかし深夜までここに居る、という事は一応『存在』しているのだろう。
それでも残っているのが数人。
「そういえば君たちは妖怪でもないのになんでここに居るの?」
僕は自然、巳肇、千鶴の3人にそう尋ねる。
「あっれー? ダメかな?」
「いや、別に駄目じゃないけど……」
目をうるうるさせてこちらの顔を見詰める巳肇に僕は思わずたじろぐ。
「私たちも瓜さん達妖怪組と同じ理由。妖怪からの襲撃を避ける為よ」
「寺はちょっと気掛かりですがね……」
千鶴も自然もそれぞれ苦労しているようだ。
しかし何故だか巳肇だけはそこまで大した事のないように感じる。
「じゃあ君達は神社で匿えば良いの?」
「その心配には及ばないわ」
僕が尋ねるよりも早く千鶴と巳肇の姿が消える。
「……どこに行ったんだ?」
「おそらく両名とも能力を使って拡張した空間に入ったみたいですね」
ぼそりと蓮華が僕に教えてくれる。
「じゃあ君も?」
「ええ。術を使って隠れますよ」
と言うと彼女は制服の上着のポケットから数珠を取り出し、経文を唱える。
すると朧げではなく一瞬でその小柄な姿は消えた。
さっきまであんなに居たのにすぐに消えてしまった。
僕はなんだか寂しいと思いながら嘆息する。
そうして僕はまだ伸びている雅を見た。
こいつはどうしよう。
時計塔の鐘が12時を知らせた。