壱
平安時代、京の都であった
神と人との知られざる恋の物語り。
櫻、舞う
さらさらと風にたゆたう
儚い桜の花弁のように
滑らかに流るる
清く麗しい御霊よ
千の時を刻んでも尚
人を慈しむ心を
其の腕に抱き続け給え
鳥の囀ずる声がどこか遠くで聞こえた。それを引き金に、沈んでいた意識が緩やかに浮上していくのがわかった。
重い瞼をゆっくりと持ち上げ、起き上がる。春先とはいえ、早朝はまだ肌寒い。単一枚では凍えてしまうだろう。
褥の上にある袿を羽織り、外の空気を吸うため障子を開けた。途端、白く耀く何かが目に入った。
あれは、雪、だろうか…
いや、違う。花弁だ。桜が舞っているのだ、己の最後を鮮やかに彩るために。まるで見たものに幸を分け与えているようだと思った。
嗚呼、余りにも美しい光景に見惚れてしまった。何処か遠くに在るような、儚くも美しい存在に。
15年の歳月を共に過ごして来て、桜を雪と見間違うことは今迄一度もなかった。だからか、ある事が頭に浮かんだ。
きっと、いや確実に彼は―――
「姫様、」
「!ああ、お前か…」
物思いに耽っていたせいで、侍女が近付いたことに気付かなかったみたいだ。私は、他の者より遥かに気配を詠むことには長けている自覚があるのだが、こんな事もあるのだな。
「こんな所に居てはお身体に障りますわ。ささ、中へ」
もう少し桜を眺めていたかったが、侍女には余り手を煩わせたくない。素直にそれに従うと侍女は言った。
「それにしても、驚きました」
侍女が指していることを正確に受け止め、そんな事もある、と意味を込めて軽く笑う。侍女は目を丸くした。おそらく、私が何故笑ったのか検討がつかなかったのだろう。だが、教えてやるつもりはない。
首を傾げながらも、侍女は火鉢の準備を素早く行う。それ以上聞くなというのが伝わったのだろう。
「ご苦労。もう、下がってよい」
仕事を終えた侍女を直ぐに下がらせる。以前はこの屋敷も賑やかであった。それが今ではたったの二人しか居ない。
本来ならば、私ひとりになる筈だったが、彼女はそれを渋った。まあ、今は彼女が居てくれる事に感謝している。本人には言わないがな。
それにしても暇である。書でも読もうか、と思い至った時、音が聴こえた。
―――しゃらん
直接頭に響く、何処か儚くも優しく暖かな、美しい鈴の音。不覚にも、久しい彼の者の来訪に胸が高鳴る。
「…のう、」
部屋の一角に目を遣る。一呼吸置いて、静かに語りかけた。
「そこに居るのであろう?」
―――桜江よ
それに応えるように、美しい鈴の音が鳴り響いた。
櫻、舞う ‐壱‐ 終