第8話 彼女は・・・
あの日から――ライナルトは、自分の心が静かでなくなっていることに気づいていた。
鍛錬の最中も、報告書に目を通すときも、
ふとした瞬間に脳裏をよぎるのは、薄緑の瞳をした令嬢の微笑み。
そして、その瞳に揺れる濃い茶色の髪――柔らかく肩にかかる髪の光景。
「……エリス嬢」
名前を口にしただけで、胸の奥が熱くなる。
これまで、誰かにこんな感情を抱いたことはなかった。
だからこそ、ライナルトは怖くなっていた。
自分が彼女に惹かれていると、はっきり自覚してしまったから。
(これ以上、心を乱すわけにはいかない)
そう決めて、彼は数日、図書館にも顔を出さなかった。
会わなければ、いつもの冷静さを取り戻せるはず――そう信じて。
けれど、ある日の午後。
王都の通りを歩いていたライナルトは、見覚えのある薄緑の瞳と濃い茶色の髪を見つけてしまう。
その姿は、陽の光を受けてより柔らかく輝いていた。
「……エリス嬢?」
思わず足を止める。
だが、彼女の前には、先日の図書館で見かけた若い男が立っていた。
男は何かを言い募り、エリスは困ったように眉を寄せている。
(……あの男、また)
次の瞬間、理性よりも感情が先に動いた。
ライナルトは一気に距離を詰め、エリスの前に立つ。
黒髪が光を吸い込むように影を落とし、深い青色の瞳が真っ直ぐに男を射抜く。
「――彼女に何をしている」
低く鋭い声に、男はたじろぐ。
エリスが驚いたように彼を見上げる。その薄緑の瞳が揺れる。
「い、いえ、ただ少し話を――」
「彼女は――俺のだ」
その言葉は、気づけば口からこぼれていた。
自分でも信じられないほど自然に。
周囲の喧騒が遠のくほど、エリスしか見えなかった。
男は青ざめて逃げていったが、ライナルトの鼓動はなお激しく鳴っていた。
「ら、ライナルト様……?」
エリスが小さく名を呼ぶ。その声に、はっと我に返る。
(……俺は、何を言って――)
だが、もう遅い。
口から出てしまった言葉は、もはや取り消せない。
その瞬間、彼ははっきりと理解した。
――もう、自分は彼女をただの令嬢として見られない。
伯爵の嫡男としても、騎士団員としても、心はすでに彼女に支配されていた。




