第20話 いってらっしゃいのキス
朝の陽光が、白いカーテン越しに部屋を照らしていた。
エリスはキッチンで朝食の仕上げをしていた。焼きたてのパンの香り、温かなスープの湯気、そして小さな花瓶に活けた庭の花。
新しい生活にも、少しずつ慣れてきた。
「……ライナルト様、そろそろ朝食が冷めてしまいますよ」
エリスが声をかけると、寝室から大きなため息が聞こえた。
「……あと少しだけ、エリスと一緒にいたいんだが」
ライナルトはシャツの襟を整えながら現れた。
黒髪を軽く後ろで束ね、深い青の瞳が少しだけ眠たげだ。
けれど、エリスを見つけると一瞬で柔らかい笑顔になる。
「仕事に行く気が……出ないな」
「もう、子どものようなことを」
エリスはくすりと笑いながら、パンを皿にのせる。
ライナルトは席に着いても、どこか落ち着かない。
視線はずっとエリスの方に向いている。
「……エリス、今日も本当に可愛いな」
「またそんなことを……。もう、ライナルト様」
彼女の頬がほんのり染まる。
食後、鎧の肩紐を整えるライナルトを見つめながら、エリスは静かに立ち上がる。
「……行ってらっしゃいませ。どうか怪我のないように」
そう言って、彼女は背伸びをしてライナルトの頬にそっとキスをした。
ライナルトは一瞬、動きを止める。
そして、ゆっくりと笑う。
「……エリス、それは反則だな。もう仕事どころじゃなくなる」
「だめですよ、ちゃんと行かないと」
「わかってる。でも、早く帰る。なるべく早く」
彼は軽く額を彼女の額に合わせ、名残惜しそうに囁いた。
「……ただいまを言うまで、俺のことを考えていてくれ」
「……もちろんです」
エリスは微笑み、見送る。
その日、騎士団では——
「ライナルト隊長、やけに機嫌いいですね」
「……まぁな。家に天使がいるんでな」
カールが苦笑する。
「なるほど……甘々ですな」
「当たり前だ」
そして夕刻。
任務を終えると、ライナルトは誰よりも早く馬を走らせた。
家の扉を開けるなり、エリスが出迎える。
「おかえりなさいませ、ライナルト様」
「ただいま、エリス」
その瞬間、彼はたまらずエリスを抱きしめた。
「……やっぱり、君の顔を見ないと一日が終わらない」
「お疲れさまです。ちゃんとお仕事できましたか?」
「うん。でももう限界だ。今は君に甘えたい」
エリスは少し照れながらも、そっとライナルトの髪を撫でる。
「……いいですよ。お疲れさまです、ライナルト様」
彼はそのままエリスの肩に顔を埋め、穏やかな吐息を漏らした。
「……やっぱり、帰る場所はここしかないな」




