サクラの木の下で
頬を風が撫でていく。
「くすぐったいっ!」
手で頬を触ると、桜の花びらが指にふれた。
ゆっくりと目を開ける。
「うわー」
一瞬、目の前がピンクに覆われた。
一面の桜吹雪だった。
そこは、立派な桜の木の下。
どうやら私は、ここで寝てしまったらしい。
桜の木は、まるで私を抱きしめるように、佇んでいる。
桜の木から目を外して、周りを見ると、少し離れた場所に、小さなお社と賽銭箱があった。
ここは、町はずれの稲荷神社の境内だ。
なんで、私はこんなところで寝てしまったんだろう?
早く家に帰らないとお父さんとお母さんに心配をかけてしまう。
起き上がろうとしたとき、軽いめまいがして、体のバランスを崩し倒れてしまった。
「きゃ」
急に、長い何かが伸びてきて私の体を支えた。
それは、白くて細い腕だった。
「大丈夫かい?」
声のした方を見上げると、そこには、優しい顔をした男の人がいた。
男性にしておくのがもったいないくらいの美しい顔立ち。
華奢だけど、しっかりした腕。
私は、つい見惚れてしまった。
「僕の顔に何か付いてる?」
一瞬で自分の顔が赤くなるのが判った。
「いえっ。何でもないです!」
咄嗟に手を振りほどいてしまった。
「こんな所に女の子一人では、危ないよ。」
柔らかくて優しい声だ、なんだか聞き惚れてしまう。
「すみません。ありがとうございました。もう、帰ります!」
早口で一気に言うと、私は彼の眼を見ないようにして駆け出した。
「僕の名前はハク!君の名は?」
ふいに名前を聞かれて、驚いて私は立ち止った。
彼の方を振り向き、
「私の名前は、サクラです。」
出来るだけ落ち着いた口調で言った。
「サクラさん、また会えるといいな。」
そう言うと、彼はお社の奥の森に消えてしまった。
私は、不思議に思いながらも家路についた。
彼は何だったのだろう?
見たことが無いけど、町の人だろうか?
また、どこかで会えるだろうか?
心のどこかで、彼との再会を待ちわびている私がいた。
私が住む町は、周りを山に囲まれた小さな町だ。
一応、電車は通っているけど、一時間に2本くらいしかこない。
コンビニもあるけど、駅前に1件あるだけだ。
観光名所や名物は特にない。
そんな田舎町だけど、私はここが好きだ。
名物は何もないって言ったけど、唯一自慢があるとすれば、あの桜の木だろう。
稲荷神社の境内にそびえ立つ桜の木は、ご神木で、樹齢は200年を超えるらしい。
私は、あの桜の木が好きだ。
私の名前の由来だってこともあるけど、あの木に触ると、なんだか落ち着く。
この町は、冬が厳しい分、ご神木の桜の木が大事にされていて、
桜の花が咲く季節になると、みんなこぞってお稲荷様にお供え物をあげに来るくらい、親しまれている。
『ハク』と名乗った謎の男の人と会ってから、一週間ほど経ったある日。
私は、学校の帰りに、町の図書館に行った。
テスト勉強をするのに、静かで落ち着けて、とても気に入っている。
本を読むのも好きだから、ここでよく借りるし、私にとっては、「第二の我が家」と言ってもいいくらいの場所だ。
「サクラちゃん、いらっしゃい。」
図書館の司書の林さんは、いつもよくしてくれる。
私の第二のお母さんみたいな人だ。
「最近、顔見せなかったじゃない。元気だった?」
「はい。私は元気です。とっても。」
「それは良かったわ。元気が一番!」
林さんは、くしゃくしゃの笑顔で笑う。
「そう言えば、最近、お手伝いに来てくれてる彼のこと紹介してなかったわね。」
そういうと、林さんが奥にいる人に向かって手招きをした。
「狐田くん!ちょっと来てくれる?紹介したい人がいるの。」
奥から、長身の男の人がやってきた。
その顔には見覚えがあった。
狐田くんと呼ばれたその人は・・・
『ハク』だった。
それから、数日後。
「・・・サクラ。」
「サクラ。」
ん、くすぐったい。
誰かに呼ばれてる・・・ハク?
「サクラ。」
「サクラちゃん。サクラちゃん。」
ハッとして、起きると、そこには林さんがいた。
「サクラちゃん、疲れてるの?」
「ごめんなさいっ!」
「いいのよ。他に誰もいないし。」
私は、赤くなって顔を伏せた。
本を読んでいて、そのまま寝てしまったらしい。
桜の木の下の時といい、今回といい、とんだ失態だ。
「そうだ、お茶でも飲む?入れてあげる。」
「いただきます。」
こういう家庭的なところが、この図書館のいいところだ。
「狐田くんも。休憩して。」
「ありがとうございます。」
そういうと、棚の整理をしていたハクがこちらに来た。
ハクは、数週間前から、この図書館に手伝いに来ているそうだ。
どうやら、もともとこの土地の住人で、町はずれに一人で住んでいるらしい。
その前のことは、、、あまり話したがらないので、私も詮索しないようにしている。
この図書館で、ハクと再会してから、私は、前よりも頻繁に図書館に通うようになった。
ハクと話していると、面白い。
この町の歴史に詳しいみたいで、昔のことをよく話してくれる。
それにしても、掴みどころがないというか、不思議な人だ。
見た目は、20才くらいで、女性のような端整な顔立ち。
目は少し吊り上がっているけど、悪い印象はない。
色白で華奢な体型。
でもどこか力強さがある。
ついつい見惚れてしまう魅力があった。
「サクラ、高校は楽しいかい?」
「うん。友達もいるし。」
「そうか、友達か・・・。」
「ハクは、友達いないの?」
「僕は、ずっと一人だから。」
悪いことを聞いてしまったかな。
そうだ。
「ハク、私と友達になってよ。」
「サクラと?友達に?いいのかい?」
「もちろん!じゃあ、決まりね。」
ちょっと、強引だったかな?と思いながら、その日、私はハクと友達になった。
それからは、ハクといろいろなことをした。
図書館でずっと話し込んだり、コンビニで一緒にアイスを食べたり、電車に乗って隣町まで遊びに行ったり、稲荷神社の桜の下で過ごしたり。
ハクと一緒にいると楽しかった。この時間がずっと続いたらいいのに・・・そう思った。
そんなある日。
稲荷神社の桜の木の下で、いつも通り他愛のない話をしていた時だった。
ガルルルルっ
動物の唸り声がする。
鳥居の前に大きな野犬がいた。
こちらをじっと睨んでいる。
「ハクっ!」私は、思わずハクの手を握った。
ハクは、私の前に立ち上がって野犬の方を向いた。
「サクラ。あいつは、僕が引き付けるから、隙を見て逃げるんだ。」
「・・・わかった。」
ハクは、野犬の方を向いたまま、目を離さないようにして、少しずつお社の方に移動した。
野犬もそれに合わせて鳥居からお社の方に動く。
今だ。
私は鳥居の方に走った。
野犬が追ってくる気がしたけど、振り返らずに走った。
「おい、こっちだ!」
ハクが野犬を挑発する。
野犬はハクに気を取られている。
その隙に私は鳥居の外まで逃げた。
振り返ると、野犬がハクに覆いかぶさっていた。
「ハク!」
「サクラ!僕は大丈夫!早く遠くに逃げろ!」
「でもっ!」
その時、ハクの体が青白く光った。
そして、、、見る見るうちに、ハクの体が何かに変化していく。
犬のような、いや、あれは狐だ。
しかも、普通の倍以上はある大きな白狐だ。
そして、よく見れば、尾が2本ある。
昔、おばあちゃんに聞いたことがある。
稲荷神社には、狐の神様がいるって。
ハクが、狐の神様・・・!?
私の前に、2頭の獣が対峙している。
1頭は、狂暴な野犬。もう1頭、、、いや、もう一人は、双尾の狐の姿をしたハクだ。
野犬が、先にハクに襲い掛かる。
さっと身を翻したハクは、野犬の喉元に噛みついた。
野犬は必死に逃げようとするけど、ハクの力が勝っていて逃げることが出来ない。
すると、ハクは野犬に噛みつくのを止めた。
野犬は戦意を喪失したのか、すぐに、ハクから離れて逃げてしまった。
野犬が森の中に消えるのを確認すると、ハクの体はみるみるうちに元の人間の姿に戻った。
私は、ハクに駆け寄った。
「ハクっ!」
「サクラ・・・隠していてすまない。」
「ハクは、狐の神様なのね?」
「僕は、神様なんて、立派なものじゃないよ。」
「助けてくれて、ありがとう。ハク。」
私は、ハクを抱きしめた。
そして、
「サクラ、僕らは、もう会わない方が良い。」
ハクはそう言うと、私から身を離した。
「ハクっ!なんで、そんなことを言うの?」
「人間と妖物は一緒に居ちゃいけないんだ。お互いが不幸になる。だから、もう会うことは無いだろう。。。さようなら。。。」
ハクは、そう言うと、そのまま森に消えた。
一人残された私は、ただ、泣いた。
もう、ハクには会えない。
それは、私にとって、残酷な現実だった。
それから、何日経っただろう。
図書館にもハクは来なくなった。
林さんには、あの後、退職の連絡があったらしい。
とても申し訳なさそうな声だったそうだ。
私は、そのあとも図書館に通った。
ハクのことを少しでも知る為に、稲荷神社の歴史の本も読んだ。
そこには、稲荷神社の言い伝えが書かれていた。
・・・・・・・・・・
むかしむかし。
この土地には、一匹の狐が住んでいました。
狐は、長生きして人の姿に化けることができる妖術を使えるようになりました。
ある日、狐は、美しい娘と出会い、恋をしました。
人の姿に化けて娘と会ううちに、娘と狐は恋仲になりました。
しかし、娘の恋人の正体が狐だと村人に知られてしまったのです。
狐は村人に追われ、追い詰められました。
村人が狐にとどめを刺そうとしたその時、娘が狐を庇って死んでしまいました。
それ以来、狐は二度と村人の前に姿を見せませんでした。
狐と娘を哀れんだ村人は、小さな社を建てて、狐を祀り、一本の桜の木を植えて、娘の供養をしました。
・・・・・・・・・・
きっと、この狐がハクなんだろう。
私は、ハクがどれだけ辛い思いをしたのか考えると、涙が止まらなかった。
私は、どうしても、ハクに会いたくて、稲荷神社に行ってみた。
「ハク!」
叫んでも、風の音しか返ってこない。
「ハク!もう一度会いたいよ!顔を見せて!」
返事は無かった。
「あなたが、どんな悲しい思いをしたか、昔話を読んだの!」
「ハク!人間と妖物は、きっと、分かり合えると思う。だから、出て来て!」
・・・返事は無い。
諦めかけたその時、お社から声がした。
「サクラ、すまない。僕は、愛する人をまた、失うのが怖いんだ。」
「ハク。私は絶対に死なないわ。お願い、出て来て。」
桜の木がざわめいた。つむじ風が私の体を包む。
「きゃあ!」
そして、風の中から ・・・ ハクが現れた。
「ハク!会いたかった。」
涙が溢れてくる。
「サクラ。僕も、会いたかった。」
ハクは、私を抱きしめた。
私はハクとずっと一緒に居たい。
どんな困難があったとしても。
「サクラ。僕が間違っていた。僕と一緒にいてくれないか?」
「ハク。嬉しい!」
優しい風が吹いた。
桜の木が、私達を祝福しているかのようにざわめいた。
それから数年後、、、
ハクと私は、人里離れた古民家に暮らしている。
夕食の支度をしていると、玄関から声がした。
「ただいま。」
「ハク、お帰りなさい。」
「パパ、おかえりなさい!」
私達には、これからも困難が待ち受けてると思うけど、きっと大丈夫。
ハクと、この子が居るんだもの。
<おわり>