7.新しい日常と油断
あれから2週間近くが過ぎた。
この世界に来てからの俺は午前に鍛錬、午後に冒険者として平原で角兎討伐の常設依頼をこなしている。
鍛錬は初日に比べてほぼ内容が固まりつつあり、まず初めはひたすら町の璧外での走りこみ。
その際、ただ走るだけでなく魔拳闘術で魔力を使った身体強化と剛力を意識しながら走るとマラソン選手もビックリな速度で走れてスキル、魔力、体力の3つを同時に鍛錬出来る我ながら素晴らしい鍛錬法だと思っている。
剛力に関しては魔力による身体強化とは少し違い単純な腕力だけではなく筋肉そのものを強化しているスキルっぽいので脚力を強化するイメージで剛力を意識すると瞬発力も早くなる事が分かった。
だがこのパッシブ系スキルを必要以上に強化したいと意識的にスキルを使うと一時的な体の制限を外す行為に近いのか、使用後の負担がかなりある。
まあだが俺の場合、自己回復力が異常なのか一時的ですぐに治るのだが、一応戦闘時には使うなら気をつけて使わないと一時的でも隙に繋がるのでそれだけは要検討中だ。
後半の鍛錬は前半を筋力トレーニング、後半を丸太相手に撃ち込みだ。
《超健康体》の効果が異常なのか筋力と体力の伸びは明らかにおかしいと最近思っていて、筋力はユニークスキル、自己治癒の2つの効果でやった側から疲労と共に回復して行くので正直余りやった感は感じられないが一応成果は出ていて日本でも割れたことの無かった腹筋がかなりくっきりと割れて来ている。
その他の体の部位も筋肉質になっていてこのままだとゴリラにならないかと心配しているとこだ。
丸太相手の撃ち込みはそれなりに成果があり良く分からなかった魔拳の特殊スキルが特殊と言うだけあり普通のスキルとは違った魔拳士の為のスキルと言える代物だった。
分かった範囲での魔拳の効果だが、まず拳の強度が上がり丸太に思いきり撃ち込んでも拳や腕、体に負担が殆どない。
一度どのくらい強度があるのか試したかったので手甲を買ったボルグさんの店に行き協力してもらったのだが(有料)木材で出来た棍棒程度は拳で受けても痛くも痒くも無く、次に怖かったが鉄製の棍棒を受けて見たが金属音の様な音を立てて少し痣が出来て痛かったが無事だった。
かなりの強度があることが分かりこの結果なら打撃系ならそこそこ打たれ強くて、剣なんかを相手にするのはまだ怖いと言う結論になった。
ボルグさんにはお前は本当にヒューマンなのかと言われたが…。
この魔拳による強度と魔拳闘術を合わせると中々な打撃力になり一度全力全開で丸太に撃ち込んだら物凄い音を立てて、衝撃のエネルギーが貫通したかの様に丸太が後ろに弾け飛び折れた。
撃ち込んだ後、魔力を強化に多く使って一気に消費したからか疲労感が押し寄せて来たので一休みしていると流石に音が受付まで聞こえたのかルシエラさんが飛んで来たが状況を見て暫く思考停止、その後普通に怒られた。
「何これ⁉︎へし折れてるんだけど⁉︎ユウくんがやったの⁉︎どうやって⁉︎」
まあ一部抜粋で拳士のはずの俺がどうやってこの惨事を起こしたのか分からない様子で混乱していた。
ギルドの備品はいくらただの丸太でも故意に破損させてはいけません、今回は多めに見ますが次はありませんよとの事、まあ当たり前だよな気をつけよう。
俺自身ここまで威力があるのは予想外だったので恐るべきファンタジー成分の魔力である。
そんなこんなで色々あったが能力の把握及び鍛錬は順調だ。
午後の角兎討伐に関しては最近はほぼ作業と化している。
あいつらは縄張り意識が強いのか平原からは全く出てこない、その為北門、南門に通る街道や森側に来ないので特に被害は無いが町から少し離れた平原に入り侵入者を見つけると途端に敵意剥き出しでこちらに向かって来る。
だが初見では動揺していた自慢の角による刺突も、もはや余裕を持って躱し俺の横を通過しようとする角兎を手刀による線の打撃を首に撃ち込み骨を砕く。
これの繰り返しでここ最近は鍛錬の成果も出始め、かなり余裕があり先日は自己最多の23匹を記録した。
ルシエラさんも連日角兎の納品数が増えて行くので困惑していたが気を持ち直しギルドとしては稼ぎ時よと意気込んでいたので大丈夫だろう。
不思議なのは倒して次の日来ればまたどこからか来ているのかそこまで減った感じがしない事だ。
不思議ではあるが俺としてはありがたいためどうでもいい、兎肉は美味いしな。
そんな討伐依頼を順調にこなして来た成果もありお金も1900ミアも増え現在の所持金の合計は3230ミアとこの世界に来た時より増えており順調と言っていいだろう。
ちなみにこのお金は昨日ボルグさんの所でやってもらった手甲の整備代、宿の10日間宿泊延長費は抜いてある。
宿に関しては毎日俺が手土産に角兎を丸々1匹持って来るので食事代とお湯代はサービスで無しに女将がしてくれた。
俺としても兎肉が食えるので win-winではないだろうか。
今日は午前の鍛錬を少し早めに終わらせてこれから森の方へ行こうと思っている。
準備はアイテムボックスのお陰でいつでも準備万端なので西門を出て森へ向かう。
資金的に余裕が出て来たので今日は角兎ではなくゴブリン討伐を目的としている。
余りに競争相手のいないラシャーナの冒険者ギルドでは角兎でも十分に利益はあるがそれだけに今の恵まれた自身の身体能力を使うのは勿体無い気がするし、何より面白みが無い。
そんな事もあり気分転換でゴブリンは流石に舐め過ぎだと思うが気分を変えるつもりで森に向かっていた。
30分程歩くと森に着き目の前に広がる自然を眺める。
木々の幹は太く頑丈そうだ、背丈はそこまで高く無い広葉樹が立ち並んでいる。
ルシエラさんが言うには木こりたちは俺のいる場所より南の方へ行くとナーラと呼ばれる木がありそこで基本的に木の切り倒し作業をしているみたいだ。
それはさておき俺は森の中へと入って行く。
草木の匂いよりも強く感じる森林特有の腐葉土の臭気と湿り気の帯びた空気。
木がちょうど地面に光が余り届かない程度に密集しているので予想していたよりそこまで邪魔思う程の雑草の類は少ない。
森には薬草や毒草、きのこや木の実と色々と採取する事が出来る自然の宝庫だ、採取依頼は討伐依頼程は稼げない単価の低めな依頼だがこの森ならほぼ取り放題に近いだろうからそれなりに稼げるのではないだろうか。
ちなみに俺は採取依頼は諦めているが…
薬草も適当に採取して終わりというわけではなく採取の仕方があったり毒草はそもそも触るのも危険な物もある様なので一応説明は聞いたが面倒なので俺は諦める事にした。
俺が採取をしなくてもラシャーナ冒険者ギルドにはソロの冒険者たちで採取依頼専門でやっている人が居るので俺が依頼をこなさなくても問題ないだろう。
考え事をしていると前方で物音がしたので反射的に木に隠れる。
物陰に隠れ様子を見ていると140センチ程の体躯で緑色の肌髪のない頭、以上に大きなギョロギョロとした目、不揃いな歯を見せ口からグギャッ!と奇声を漏らす正にゴブリンの見た目をした生物が現れた。
あれは人型ではあるが確かに魔物だと一目瞭然なほど不潔感と不快感を感じる。
ゴブリンは簡素だが棍棒の代わりなのか太い枝を持っており、3匹いる。
初見で3匹はリスクだが悩んだ結果挑む事に決めた。
奴らは俺が来た東方向に進むのではなく南の方へ進む様に俺に背を見せる。
「ふ〜…、シッ!」
俺はタイミングを見計らって魔拳闘術と剛力で土の地面を力強く踏み込み、土が爆ぜる勢いで前に飛び出す。
5メートルはあった隙間をほぼ一足飛びで無くし、ゴブリン達は違和感を感じたのかこちらに振り返ろうとする。
俺はスピードに乗ったまま拳を固め最後尾にいたゴブリンの首目掛けて魔拳で首の部分を撃ち抜く。
ゴキィッ!
不意打ちでしかも魔拳で強度の上がった拳は鉄製の鈍器レベルの衝撃を与えてゴブリンは首の骨が折れ泡を吹きながら前方に倒れた
グギぁギァッ!
2匹のゴブリンはこちらに振り返ると同時に仲間が倒れる光景と俺という敵が既に間近にいる事に動揺した奇声を上げる。
俺は更に集中しており奇声を上げ動揺するゴブリン達の姿は好機にしか見えなかった。
俺は1メートルも無い距離だが油断せず魔拳闘術と剛力で脚力を強化し、右脚だけの軽い蹴りで素早く近く。
ゴブリン達は動揺している隙に相手が更に一瞬で近いて来た事に元々大きな目を更に大きくする。
俺は両足でブレーキをかけ強化を両腕に集中して下からゴブリン2匹の首を同時に掴み締め上げる。
首を絞められ持ち上げられたゴブリン達は動揺から覚め途端に暴れ出す。
だが体躯と一緒で手足もさほど長さの無いゴブリン達では俺の腕までにしか反撃出来ず、腕も俺の魔拳闘術と魔拳の強度の強化により爪を立てても歯が立たない。
段々と息が出来ず力が弱まり次第に力尽きていった。
「ふぅ…なんか疲れたわ」
戦闘が終わると一気に疲れが出て来ていた。
余りにゴブリンの見た目がキモかったため討伐した事自体に特に考えは浮かばないがこんなキモい生き物でも人型をしている為、最後の首締めは余りやらないでおこうと決めた。
一応最後の首締めは反撃がある事も考慮して自身の肉体強度がどの程度通じるかを見たかったのだが結果としては相手にならなさすぎてよく分からなく人型を嬲りながら殺している様でちょっと気持ち悪かった。
あとは角兎と違って多少なりとも知能のある魔物との戦闘は気を抜いたら危なそうなので今回の様に油断しない様にしようと思う。
「うっ…魔石取り出すのグロい…」
ゴブリンは売れる素材が魔石しかなく、その魔石は心臓の横にあると冒険者ギルドの資料に載ってたので初めて使うナイフで剥ぎ取りを行うが食える訳でもないただの死体から剥ぎ取るのは流石にグロくて気持ち悪い。
「はぁ〜終わった。もうゴブリンは極力避けよう。」
ゴブリンの血で汚れた手やナイフを手拭いで綺麗に拭き取りながら今後は必要に駆られない限りゴブリンは避ける事を決意した。
討伐自体は難しくないが処理が面倒なのに報酬も角兎を狩った方が肉が売れる為、全然高い。
角兎も一度解体をしたことあるがゴブリンと違って食用なので俺にとっては大きめの魚を捌く様な感覚で出来たがゴブリンは気持ち悪い、臭い、汚いの最悪コンボで更に追い打ちで報酬も少ないと来た。
最悪な気分だがこのまま帰ってもまだ早い為もう少し森での探索を続けようと…そう思っていると。
ドドドドドドッ!
急に俺の斜め後ろ辺りからこちらの方へ重量のある何かが駆けて来る音が聞こえた為、振り返ると既に数メートル近くに2本の牙を伸ばした巨大な猪が俺に向かって来ていた。
速度から見てあと数秒で猪のボアの突進は俺に直撃するだろう。
「くそッ!」
咄嗟に体が動き魔力を過剰に消費して魔拳闘術による全身の強化に加え魔拳で強化した腕を前に出し防御姿勢を取った。
ドガッ!
「がっ……」
体験したことは無いが車に生身で思い切り衝突した様な衝撃で吹き飛び木に体を打ち付けられる。
余りの痛みに気を失いそうだったが何とか持ち堪え自身の状態を把握すると左腕が骨にヒビでも入ったのだろう、かなり激痛がしている。
それ以外にもあちこち痛みがあるが出血はしていない様だが咄嗟の身体強化をしなかったら一発あの世行きもあり得たので奇跡的な判断だったと言える。
何とか立ち上がりボアの姿を確認するとヤツは俺の倒したゴブリンで悠長に食事中だった。
俺はそんなヤツの姿を見てキレた。
「ははっ……、ぜってぇぶっ倒すっ!」
体の痛みを全て無視してボアに向かって全力の魔力強化と剛力で瞬時に接近する。
ヤツはご自慢の突進で俺を仕留めたと思っているのか完全に意識外の様子でこちらに気がつかない。
防御は一切考えずスピードに乗ったまま右拳を堅く握り、魔拳に剛力の過剰強化、怒りを乗せ相手の腹に全力で拳を打ち込んだ。
ドゴォォン‼︎
拳は深く突き刺さり奥にたどり着いた瞬間、轟音を立て内部からは軋む様な感触がしながらボアの巨体を5メートル程吹き飛ばした。
「はあ…はあ…くそイノシシが思い知ったかよ…」
ボアは何が起きたのか理解できていないのか口から血を吐きながら立ち上がろうとするが痛みでまだ上手く立ち上がれないようだ。
あの様子とさっきの感触なら確実に内臓にダメージが達していると思うのでそれなりに重傷を与えられただろう。
俺はヤツに訓練場の丸太を吹き飛ばした以上の手応えのある一撃を与えてスッキリしたはいいが体はかなり限界に近かった。
魔力を短時間で大量に消費した事でか気分が悪く無理な強化をした事で余計にあちこちが悲鳴をあげている。
特に剛力で過剰強化した右腕が指先一つでも動かせば激痛が走る状態になっていた。
正直、キレてリスク完全無視の特効が成功したは良いが既に満身創痍で立っているのが奇跡なほど、今は気を抜けば気絶しそうな位には限界だった。
ボアは俺の存在に気がつき自分に攻撃を加えたのが誰か分かったのだろう。
こちらを睨む様に目がギラつき最後の力を振り絞って吐血しながらも立ち上がった。
「おい、立てるのかよ…」
ボアが立ち上がった事に俺は内心終わったと思ったが突進が来たら全力で避けるくらいはしようと身構える。
暫く数秒か数十秒、もしくはそれ以上か命の掛かった状況の緊張感で長く感じる中、お互いに満身創痍な状態でじっと睨む。
徐にボアは頭を下げ突進で向かって来るのかと思いきやゴフッと盛大に口から吐血する。
その後ボアは巨体を支えられなくなったのか横に体を打ち付ける様に倒れ力無い鳴き声でひと鳴きしたのち、徐々に動きを止めて瞳から光が抜けていった。
「助かったのか…?」
暫く確認していたが完全に動かなくなった様で俺は全身から力が抜けて後ろに倒れる。
倒れた衝撃でかなり痛みで悶絶した後、少しづつ生き残った事と何とか倒せた事の実感に浸る。
「今回はほんとスキル様々だわ。死ぬかと思った。」
きっと俺が入れた一撃が偶々致命的な場所にダメージを与えられたのだろう、もし外れていたら再び突進攻撃で俺はお陀仏の可能性は全然あり得たのでキレて特効した事は反省しよう、ほんとに。
思っていた通りだが剛力の意識しての強化はかなり肉体にダメージを与えるので今回の様に使う場合はその後の余力を持つ様に考えて使わないと一気に形成不利になりかねない。
魔力による身体強化も魔力の扱いがまだまだ不十分な為に起こる倦怠感なのだと予想している。
色々と考えていると体の変化に気がつき立ち上がる。
俺の回復力はかなり高いが休んでいる状態だと更に高くなることにここ最近気がついた。
体の痛みは少し痛みが残る程度に収まり、左の骨折したと思われる腕は帰って安静にしてれば直ぐに治りそうな具合でユニークスキル《超健康体》と自己治癒スキルとの掛け合わせは素晴らしいとしか言いようが無いな。
ゆっくりとボアの巨体に近づき生死の確認をする。
全く動かないのでボアに触れアイテムボックスに収納するよう念じると収納出来たのでこれで一安心だろう。
収納を済ませた俺は足早に森を撤退する。
途中ゴブリンがいたが気付かれないよう迂回してやり過ごし20分も掛からない位で森を出る。
もうさっさと帰って今直ぐにでも寝たい気分になり俺はなるべく急いでラシャーナに戻る事にした。
ラシャーナの西門につき手続きを済ませてギルドによらず宿に戻る。
女将さんにお湯とタオルを渡されたので体を拭いた眠気と闘いながら頑張って獣臭やゴブリン臭を落とした。
その後は食事をして部屋に戻ると泥のように眠った。…