白梅宅_1
病院を出てから約三十分。バスと徒歩で移動し、住宅街のど真ん中にその目的地があった。なお、バス代は白梅に借りました。後で返します。
「ただいま」
「おっ…お邪魔します」
ドアを開け二人は中へ入る。家は二階建の小さな庭のついた一軒家、内装も見た目通り。言うなれば普通の家だ。
奥から誰かの足音が聞こえてきた。
「お帰り、柚利乃」
その声と共に中年の男性が姿を現す。
「お父さん、彼がさっき電話で話した須藤くん」
柚利乃が手で示すと、柚利乃の父は春樹に顔を向けた。
「いらっしゃい、須藤くん」
「はい、お世話になります」
緊張気味に春樹は頭を下げた。
「お風呂沸かしてあるけど先に入って来るか?」
「私、後で入るからいいわ。さっきトレーニング後にシャワー浴びてきたばかりだから。須藤くん入ってきたら?」
「えっ!?あ…はい。じゃあ…、お願いします。」
そうかと柚利乃の父は言い、春樹を連れてお風呂場へと向かった。
「ふぅ~」
湯船に体を沈める。疲れた体にお湯の温かさが染み渡る。
「着替え、ここに置いとくから」
「おぅ、ありがとう」
すりガラスの向こうの柚利乃の影に春樹は答える。
一人暮らしをしてからはずっとシャワーだったので、湯船に入るのは久々である。やはり、お湯に浸かると言うものはいいものである。
「須藤くん、食べ物で食べられないものってある?」
「あぁ…うん、特に大丈夫…かな」
そろそろお腹も限界だった。
「あんまり長湯しないでね。ご飯作って待ってるから」
そう言い残すと柚利乃の影は奥へと消えていった。
「………」
一人になった春樹は「はぁ…」と大きなため息をつく。
「俺……本当にここにいていいの…かな?」
奈津菜によってなかば強引に来てしまったわけだが、本当によかったのだろうか?元は柚利乃から言ってきてくれたわけだが、急に来て迷惑ではかっただろうか?迷惑……だよな。
「…」
水滴が頬を伝って湯船に落ちる、
しだいに視界が歪んでいきお、湯で満たされていく。
重い体は湯船に沈んでいった。
「お風呂いただきました」
春樹がリビングに入った瞬間、鼻に食欲をそそる匂いが鼻に入ってきた。
「_いい匂い」
キッチンにはフライパンで何かを作っているエプロン姿の柚利乃がいた。
「上がったのね。服のサイズは……大丈夫そうね」
「うん、ありがとう。…えっと…」
入り口に立ったまま春樹は目をキョロキョロとさせる。すると、キッチン前のダイニングテーブルで座っていた柚利乃の父がそれを見かねと軽く手招きをする。
「須藤くん、こっち」
「あっはい」
春樹もそれに従った。
テーブルには既にいくつかの品が並んでいた。並びからして二ヶ所席があったが。一方はマグカップや箸などの色から女の人の物に見えたので、もう一方の席に座った。
「あの、ありがとうございます。泊めていただいて」
「_っ!あぁ別に構わないよ」
優しい笑みを返しながら柚利乃の父は答える。
「それより柚利乃から聞いたんだが、ザープに家、壊されてちゃったんだってね」
「はい、管理センターも閉まっちゃったりして、行く宛が無かったのでとても助かりました」
頭を掻きながら苦笑を浮かべる。
「確かにあそこは閉まるの早いからね。____そういえば、一緒に暮らしているご家族の方とは連絡は取ったのかい?念のため安否確認はお互いにした方がいいと思うよ」
その問いに春樹は少し逡巡する。
「…それに関しては大丈夫です。あの家には住んでいるのは俺一人だけなので」
「そうか。それならよかった」
柚利乃の父は静かにマグカップを口に運ぶ。
ほどなくして、夕食が運ばれて来た。
今日のメニューはサラダとお吸い物。そして、親子丼のようだ。
「鶏肉…」
春樹が表情をこわばませる。
「須藤くん、もしかして、鶏肉苦手だった?」
「いやいや、全然大好き大好き…」
慌てて春樹は首を振り、乾いた笑いで返す。
「さ、食べましょう」
食卓を用意し終えた柚利乃が席に着く。
「あ、白梅ちょっといいか?」
「何?」
「ん?」
柚利乃と柚利乃父が同時に顔を向ける。
「あっすみません。まぎらわしかったですよね」
「いや、こちらこそすまない」
「私のことは柚利乃でいいわよ。それなら問題ないでしょ」
「そうだな。わかったよ。ゆ…柚利乃」
今まで名字で呼んでいたので急に下の名前となるとちょっと気恥ずかしい。
「じゃあ、俺も春樹でいいよ」
「それは遠慮しとくわ」
「何でだよっ!」
まさか断られるとは思わなかった。躊躇なく言われると微妙に傷つく。
「で、どうかした?」
「えっ、あぁそうだ。俺の分の箸もらっていいか?」
「箸?_あ、ごめんなさい。いつもの癖で」
柚利乃も気づき、席を立つとキッチンに戻っていく。箸を一膳持ってくると、それを春樹に渡し、改めて食卓につく。
「では、いただきます」
各々手を合わせ食事を始める。
昨日の昼からお茶以外何も口にしていない春樹にはもう限界だった。
一番に目に止まった親子丼を手に取り、口へと運ぶ。
「っ!」
一口食べ終えた瞬間、春樹の箸が止まった。
「ん?どうしたの?」
口に箸を入れたまま静止する姿に柚利乃が問いかける。
しかし、それに答えず、今度は急に春樹の箸が再び動きだしたかと思うと、二口、三口と勢いよくかき込まれていった。親子丼を半分ほど平らげたところで再び春樹の箸が止まる。
「なぁ柚利乃?」
重々しい口調で春樹は問いかける。
「この卵どこの高級地鶏のだ?」
「この前、近くのスーパーのタイムセールで買った普通の卵よ」
「この米どこ産のブランド米だ?」
「同じスーパーで買った広告の品よ」
「この鶏肉どこの_」
「もも肉半額」
「…………………」
「………………」
どんぶりと箸をゆっくり置いた。
「うぐっ…くっ」
気づくと春樹の目から大粒の涙が溢れだしていた。。
「ちょっ、須藤くん。大丈夫!?」
おえつを漏らしながら、残った親子丼を口の中へかき込んでいく。
「うめぇよ…。うめぇよ…。おらこんなうめぇのは初めてだ。三ツ星シェフのディナーを食べたみたいだ。食った事ないけど」
主役の鶏肉は柔らかくジューシーな仕上がり。広々とした大地で幸せに走り回っていたことが優に想像できる。卵は甘くまろやかな舌触りでそれを優しく包み込み、具材の旨味を出汁が底上げする。そして、第二の主役、白の軍勢白米。粘っこくなく甘味と艶がベストフレンド。一粒一粒がまるで生きているようだ。
「くっ…はぁ…はぁ…うぐ…」
俺は今、目の当たりにした。これが究極の_ファミリーライスっ!
中身を平らげた春樹はゆっくりと器と箸を置く。
「すまない、シェフを呼んでく_」
「いないわよ」
食い気味にいい放ち、春樹の言葉を切る。しかし、春樹は止まらなかった。立ち上がり隣に座っている柚利乃の両肩を掴む、
「シェフ、素晴らしい料理だった。これなら三ツ星も夢ではないだろう。将来店を出したら毎日行くから是非教えてくれ」
「勝手に私の夢決めないでくれる?」
柚利乃の鼻白む表情とは裏腹に春樹は泣きながら笑顔で親指を立てている。
その裏で柚利乃の父が愉快そうに笑っていた。
飲み終えたお吸い物の器を置いくと柚利乃が横目で言う。
「別に普通の食卓じゃない。これくらいで騒ぐなんて、須藤くんは普段どんな食生活送ってるのよ」
「…三食廃棄飯」
「廃人代表みたいな食事ね」
よく生きていたものだとため息をつき、柚利乃は呆れ顔を浮かべる。
「このお吸い物もうめぇー。どうやって作ったんだ?」
「インスタント」
その後、春樹は史上最大級の感謝を胸に食卓を終えた。もちろん完食で。
「この部屋、好きに使ってくれていいから」
「おぅ。ありがとう」
夕飯を終えると春樹は柚利乃に連れられ、一階の奥の和室へと案内された。
中に入り、柚利乃は押し入れを開ける。
「これ、お客さん用の布団。寒かったらかける物とかもあるから適当に使って」
と、春樹に中の布団を手渡す。
「じゃあ私、もう寝るから。何かあったら二階の角部屋に来て。そこが私の部屋だから」
「何から何まで本当にありがとうな」
柚利乃は和室から廊下に出ると、振り返る。
「それじゃお休み、須藤くん」
「おぅ、お休み」
そういって和室の襖を閉めた。
「…さて、俺も寝るか」
布団を敷き電気を消すと、寝床に就いた。
天井を仰ぎ、静寂に耳を澄ませる。
遠くで車の走る音が聞こえる。春樹が住んでいたアパートは一つ家を挟んで大通りに直面していたため、夜は少々うるさかった。
思えば、今日一日ずっと柚利乃が側にいてくれた。まぁ起きてから数えると六時間ぐらいしか経っていないのだが。一人暮らしで慣れたつもりだったが、こうして騒がしいところからふと一人に戻ると、少しだけ寂しく思えた。
静がになり、頭の片隅に追いやっていた物がいくつも浮かび上がってくる。
「さってこれからどうしたものか…」
あの戦闘で春樹の住んでいたアパートは全壊。もはや住めるような場所ではなくなってしまった。今日はどうにかなったが、いつまでもここにいるわけにはいかない。一応、ザープの被害にあった地域はガーデン側が業者を派遣し、修復することになっている。聞くところによると普通の工事よりも早いらしいので、住めるようになるまでに時間はさほどかからないと思われる。とはいえ、直るといっても外郭だけだろうし。
「家電とか買い直しだろうなぁ…」
一人暮らしかつ高校生の春樹には胃の痛い話だ。まぁ数は少ないがあの家にも思い出の品とかもあったわけだし。
「……」
暗澹とした気持ちで天井を見上げる。
明日からの生活。奈津菜のこと。不安や心配は多々ある。だが、それよりも今一番気になること。一番知りたいこと。
「……………雪」
先日の光景が脳裏に蘇る。超常現象と言える柚利乃が振るったあの力。いったいあれはなんなのだろう。
「……」
腕を挙げ、天井と体の間に自分の手のひらが視界に入る。少しの間、それを見つめて、スッと握りしめた。
「…もう、寝よう」
重力に従い、腕を落とす。
考えることを止め、春樹は深く目を閉じた。