悪夢の後
春樹が意識を取り戻した時そこは暗闇だった。まるで水中にいるような浮遊感を纏いながらだんだんと沈んでいっている。
深く深く落ちていく。意識が水に満たされ、下へ下へとただ落ちていく感覚。思考は流れ、感情は泡になり上へとあがる。
「…あれは……?」
ふと、暗闇の中に一つの光が見えた。次第に視界がはっきりし正体をとらえる。
それは紅く燃える炎だった。
暗闇を照らす唯一の光。何もない世界を彩る。
それはまるで_
「__っ!」
瞬間、炎が一気に大きくなる。見ている景色が一瞬で紅く染まる。勢いを増しながらこちらに迫ってくる。頭の中で危険だと認識すると、必死に逃れようと体を動かす。しかし、体が鉛のように重く、思うように動かない。そうしている間も炎は勢いは止まらない。…………ダメだっ…炎に飲み込まれる。
「馬鹿め。不用意に一人で近づくな」
体が炎に飲み込まれかけた寸前、何者かに腕を捕まれる感触があった。次の瞬間、腕がちぎれんばかりに強く引かれ、体は後方へと投げ飛ばされた。
「あああああぁぁああっ!」
凄まじい叫びと共に春樹は起き上がる。振り上がる面からは汗が飛び散る。
起き上がりきる直前頭に衝撃を受ける。
「…っいて」
鈍い痛みにおでこを擦る。
「随分寝相が悪いみたいね」
聞き覚えのある声を耳にし、春樹は顔を上げる。
「白う…ってうわっ!」
顔の近さに驚き、慌てて身を引く。
目の前には声の主。白梅柚利乃がこちらの顔を窺っていた。
「なっ、なんだよ」
「寝汗がすごかったから拭こうしただけよ。そしたら、急に起き上がってきて」
そう言われ、春樹は視線を落とす。柚利乃の手にはハンカチがあった。
「そうだった、のか。…悪かったな」
額を擦った手を見る。確かにじわりと手のひらが湿っていた。
「毎晩そんな感じなら病院行った方がいいわよ。___っというかここ病院だけど」
「病院…?」
改めて辺りを見渡す。見慣れぬ壁や天井、ベットの上にいる自分。
「はる兄、女の子に暴力なんてサイテー」
横から聞こえた声に春樹は眉根を上げる。
その声のした方をゆっくりと振り返る。
「奈津菜…」
隣のベッドからジト目で睨み付けている奈津菜がいた。
怪我をした足を天井から吊るされた状態であった。
「もう…心配したんだよ。はる兄、私が目覚めてからも全然起き___えっ何?どうしたの!?」
胸を押さえながら、春樹は嗚咽をこぼす。目頭が熱くなり、視界が歪む。
安堵の思いが大粒の涙となり、頬伝ってシーツの上にこぼれ落ちた。
「よかった…。本当に、無事でよかった」
「急に泣かないでよ。びっくりするじゃん」
予想外の反応に奈津菜は困惑してあわあわとしている。
…よかった。いつもの明るい奈津菜だ。
「私何か飲み物買ってくるわね。須藤くん、お茶でいいかしら?」
手に持っていたタオルを棚に置き、柚利乃は聞く。
「…あっ…あぁ」
涙を拭い顔を上げる。
病室の外へ向かう柚利乃を春樹は見送る。背中を目が追っていた時、不意に棚に置かれていた花瓶が目に入る。
その花瓶にささってのは綺麗な白い花だった。
「白い…花」
はっとし、脳裏に蘇る。_______あの日の柚利乃とザープの戦いの光景が。
「っ!白梅!」
「?」
ドアに触れる直前で呼び止められ、柚利乃は振り返る。
聞きたいことがある。あの日、聞きそびれた事。その答えを___
「…_ぁ」
だが、できない。言葉にしようとすると喉の奥で引っ掛かりうまく出てこない。
「…何?」
沈黙に耐えかねて、柚利乃が聞き返す。
「___っ」
少しの間の後、春樹は口を開いた。
「…こいつの分もお願いできるか?」
ぎこちない笑みを浮かべながら、親指で奈津菜を指す。
「…えぇ、わかったわ」
春樹の様子に少し違和感を感じつつも、柚利乃はそのまま部屋を出ていった。
少しして柚利乃は手にペットボトルのお茶を二本を持って戻って来た。
春樹はそれを柚利乃から受け取るとガブガブとラッパ飲みした。500mlあったペットボトルの中身をあっという間に飲み干してしまった。
「ぷはぁーー」
自分ではあまり気づいていなかったが、相当喉が渇いていたようだ。
「そういえば、紹介するよ。こいつは_」
「それには及ばないわ。自己紹介は須藤くんが寝ている間にしておいたから」
「あっそうなのか」
ペットポトルを下ろし二人を見る。確かさっき奈津菜が自分が起きてから春樹はしばらく起きなかったと言っていた。もしかしたら、知らぬ間に二人は仲良くなったのかもしれない。
「えぇ。知らなかったわ。須藤くんにこんな可愛らしい妹さんがいたなんて。」
「…え?」
「えへへ、可愛いだなんてそんな_あ、いてっ!」
飛んできたペットボトルの蓋が奈津菜のおでこを直撃する。
「しれっと嘘を着くな。嘘を」
「嘘じゃないもん!」
「いや、違うだろ!」
「違うの?」
春樹の反応に柚利乃は頭に疑問符を浮かべる。頬を膨らませる奈津菜を前に春樹は大きなため息をつく。
「ちゃんと説明する。こいつは須藤奈津菜。正確には従妹だ。妹みたいと言ったらそうかも知れんが_」
「待ってよ、はる兄!確かに最初は従妹から始まって、少し前までは自称妹だったかもしれないよ。でも、三年だよ!三年も言い続けたら国に認められて正妹に昇格だよ!」
「そんな労基みたいな制度はないっ!」
たまに出る奈津菜の厄介なところだ。妹に憧れているのか。よくわからない妄言を言う。
「え~ん。柚利乃さ~ん。はる兄がいじめる~」
駄々をこね柚利乃に抱き付く。
そんな子どもみたいな奈津菜を柚利乃はよしよしと頭を優しく撫でていた。
「ずいぶん、ユニークないも…従妹さんね」
「………仲良くしてくれると嬉しいよ」
飛ばしたキャップを拾い、空のポトルの本体に戻し、棚に置く。
「あっそうだ。飲み物代、返すよ」
「別にいいわよ。これくらい」
「いや、お前には助けてもらったお礼もあるし、こういうのはちゃんとしないと」
代金を送るため手の甲をたたき、シードを起動させる。
表示された画面を見て春樹は顔をしかめた。
「…………?」
一度落とし、再び起動する。しかし、画面も春樹の表情も変わらないままだった。
すると、何かに気づいたのか急に焦りだし、顔を青く染めさせる。さっきまでかいていた汗とは別の汗が体から噴き出す。
「どうしたの、須藤くん?」
異変に気づき柚利乃が尋ねる。
画面に触れ、自分らにも見えるように柚利乃が動かす。
「シード…………壊れた」
ネットワークエラー、英語でそう大きく書かれていた。
それを見て奈津菜は呆れ顔を浮かべる。
「だから言ったんじゃん。ちゃんとメンテナンス行かなきゃダメだって」
「ぅ…」
返す言葉もなかった。
シードは財布や身分証明などが一つに集約されている。これが使えないとなると結構きつい。
まさかこんなことになるなんて…………。
昨日までの自分を呪いたい。
先ほど飲み物を買いに行ったついでに、柚利乃が先生を呼んでくれたらしく、白衣を来た女の人が春樹のもとへとやって来た。軽い診察と体調に関しての簡単な質問にいくつか答えると直ぐに退院許可が降りた。
「意外とあっさりしてるな」
「ちゃんとした検査は須藤くんが寝ている時にやってたみたいだから。出るときはこんなものよ」
備え付けのカーテンでベッドを囲い、受け取ったバックから服を取り出す。
どうやら春樹の服はボロボロになってしまっていたらしく、着替えの服を柚利乃がどこからか持って来てくれた。本当にありがたい。
「いーなー。私もはる兄と一緒に退院したーい」
「いや、お前は無理だろ」
カーテン越しでわからないが、きっと膨れっ面を浮かべているのだろう。
「ところで須藤くん。病院を出た後、これからどうするの?」
「うーん。俺の家、今はザープの被害修復で立ち入り禁止だしなー。管理センターで普通に仮住居の申請をするよ。後シードの修理も…」
ザープの被害で家などが倒壊した場合、申請すれば家の修繕が終わるまでの間、国が管理する仮住宅に誰でも住むことができる。
「申請するのはいいけど管理センター、もう閉まるわよ」
柚利乃の言葉に春樹は小首を傾げる。
「いや、管理センターって確かザープの災害が起きてから二十四時間は申請受付のところは開いてるんじゃなかったか?」
警報がなったのはバイトが終わった後なので夜10時過ぎ。さっき窓を見た時、日が沈み始めていたが、まだ夕方である。時間的にも余裕があるはずだが。
「…須藤くん、ちょっとこれ見てくれる?」
「ん?なんだ?」
柚利乃に言われ春樹はカーテンから顔を出す。
「何か勘違いしているようだけど_」
柚利乃がシードを起動し、春樹にそれを見せる。
「今日は5月30日」
「…………え?」
画面の数字を目で追う。5月30日16時59分。ザープが出たのは28日の夜。つまり_
「ザープが出たのは一昨日よ」
「_______はああぁぁあああ!」
遅れて数字の意味を理解する。
日にちが丸一日春樹の中で飛んでいた。
着替え途中だった春樹は慌てて再開する。
「じゃあ急がねぇとじゃんっ!管理センター何時に閉まるんだ?」
「17時」
「一分前じゃねーかっ!」
「あっ閉まった」
「閉まったねぇぇええよぉぉおおっ!」
春樹の叫びが病院内にこだした。
「はる兄、うるさーい」
「くっそ…。これからどうすりゃいいんだよ…」
ベッドに体を放り、天井を仰ぐ。
こうなったら誰かの家に泊めてもらうか。坂井辺りに連絡する…ってバカ。だからその連絡手段がないってんだろ。じゃあ直接…ってそもそもあいつんちの場所知らねぇし。
こんなことならもう一日入院しててもよかったなぁ。
「帰るあてがないなら須藤くん、うちに来る?」
突然の柚利乃の言葉に眉根を上げる。
一瞬心が揺らぐも首を振り、体を起き上がらせる。
「嬉しいけど、それはさすがに_」
「はい!是非お願いします!」
春樹の声を塗りつぶすように横から奈津菜が元気よく返事をする。柚利乃の手を両手でがっしりと掴み、なぜだか知らないがすごく目をキラキラさせている。
「おい、奈津菜。勝手に_」
「はる兄は性格がいいのか悪いのかわからない微妙な人間ですが。一応、まともな人間ではあります」
「喧嘩売ってんのかっ!てめぇっ!」
「柚利乃さん。はる兄のことどうぞよろしくお願いします!」
「そう。わかったわ。じゃあ、家に連絡してくるわね」
「_や、白梅っ!、ちょっと…」
春樹の制止は届かず、柚利乃は病室から出ていった。
閉まる扉から目を離し、隣のやつを睨み付ける。
「足怪我してなかったら一発殴ってたぞ」
「えー意気地無しのはる兄の代わりに話を進めてあげたんだから。むしろ私に感謝してほしいくらいだよー」
なんだか知らんがめちゃくちゃドヤってる。
「はる兄、これはチャンスだよー」
「はぁ?なんの?」
「アオハルチャンスっ!はる兄についに恋人ゲットのイベントだよ!」
突然、変なことを言い出し、呆けた顔を春樹はする。
「別に白梅はそんなんじゃ_」
ふん…やれやれ、と言いたげに手のひらを広げ首を振る。
「何言ってるの。男友達ですら来なかったお見舞いにたった一人来てくれたんだよ。絶対はる兄に気があるよ」
「お前、遠回しに人望がないって言ってないか?」
春樹の言葉を無視し、奈津菜は続ける。
「それに家まで呼んでくれてるんだよ。こりゃきっと手料理を振る舞って胃袋を掴みに来てるよ」
胸の前で拳をガシッ握りしめ、ゲッチュとポーズを決める。
奈津菜の頭の中で妄想が暴走し始めている。なんだかとても楽しそうだ。
「盛り上がってるところ悪いが、白梅の顔、終始そんなつもりありませんよー、みたいな感じの顔だったぞ」
「わかってないな~はる兄は。あーゆうタイプはね。常日頃から内にデレを溜め込んでるんだよ。溜め込んで溜め込んで溜め込んで、いざって時にドカーーンって爆発させるものなのっ!」
「…はぁ…?」
その後も鼻白む春樹に反し奈津菜の妄想は膨らみ続けた。




