雪花と朝顔_2
「杏奈さん、ポイントに到着しました」
インカムの指示のもと、柚利乃はマップに示された場所にたどり着いた。どうやらここは公園のようだ。広い園内は奥側に遊具が置かれており、入り口から中心にかけて固い地面が広がっていた。その中央に鎮座する一匹のザープ。見た目からしてモデルは猫のようだ。体のところどころに先ほどと同じ紫の朝顔の花が咲いている。
「確認できる生体反応はそれだけだ。周りに一般人もいねぇ。後は好きにしろ」
「了解です」
通信が切れる。一人になった柚利乃は「はぁ…」とため息をつく。
「一日に二回も出動なんて、今日は大変ね」
こういう日はあまりないのだが、たまにあると少し不機嫌になる。夜中に呼び出された時は特に。
「夕方に夜香木。夜に朝顔。本当名前なんてお構いなしね」
あまり大きな声で言うと映像用のドローンに音声を拾われてしまうので小声で愚痴をこぼす。
一度深呼吸をし、邪念を払う。
緩めていた集中を戻し、白鷹を構える、
「さ、始めましょうか」
「……」
椅子から垂れる足を見つめ、痛くない方の足をプラプラと揺らす。
背負われるまま追従すると、いつの間にか春樹のバイト先のコンビニに来ていた。
そして、奈津菜は事務所で一人待たされていた。
ここの事務所は商品の倉庫と一体化しており、意外と広々とした部屋になっている。どちらかと言えば、倉庫の一角を事務所として使っているみたいな感じだ。
「…………遅い」
来て早々、事務所の椅子に座らされた後、「取ってくる」と言って春樹は出ていってしまった。
扉の裏で大きな音がしているが、一体何をしているのだか。
「わりぃ、待たせたな」
扉が開き、ゴロゴロと音を立てながら春樹が帰ってきた。現れたのは大きな台車だった。両手で押し、奈津菜の前で止まる。
「…どうしたの?その格好」
本当は台車に反応した方がいいのだろう。だが、それよりも目に止まったのは春樹の姿だった。服のまま風呂にでも入ったみたいにYシャツが体に張りピタッと付いており髪や服の先端からポタポタと粘りけのある液体が垂れていた。
「…なんか揚げ物臭い」
鼻を摘まみ顔を歪ませる。
「はははは…」と春樹は苦笑いを浮かべる。
「いや~台車見つけたんだけど油交換のやりかけが上に乗っててさー。降ろそうとしたら転んでぶっかかっちまったよー」
深夜勤務の人たちが作業しているのは知っていたが、ベール缶自体を持つのは初めてだった。あれ結構重かったんだな。
「それはそうと、ほら乗せるぞ」
春樹が奈津菜の腰に手を伸ばす。
「ちょっ…、そんな手で触らないで。……自分で乗る」
椅子に座りながら手を伸ばし、台車に手を着く。体を半回転させ台車に座った。
「どうだ?品出しされる気分は?」
「別に…」
ここに来るまでのやり取りのせいか奈津菜の機嫌が少々悪い。まぁさっきの件については俺が悪いのだが。
「よし行くぞ」
ぐるりと方向転換し、事務所の扉の正面に立つ。そして、扉を開け、前進する。
「…ちょっ…ちょっと待って、はる兄っ!」
奈津菜の声に急ブレーキをかける。
「なんだ?早く行かないと危ないぞ」
「後ろから押すんじゃなくて、その…………前から引っ張って」
「いや、それだと後ろ足が引っ掛かって動きづら_」
気づくと春樹の服の裾を奈津菜が掴んでいた。その手は少しだけ震えている。
ふと、ここに来るまでの道のりを思い出す。道中、ずっと春樹の背中に顔を伏せたままだった気がする。特にザープの死骸の横を通る時は…………。
「…ちょっと待ってろ」
そう言うと春樹は一人、事務室の奥へと戻っていく。ドリンク売場の冷蔵庫の裏側、ウォークの扉を空け、中に入る。中でごそごそしていると何か持って戻ってきた。
「ほらよ」
促されるまま、奈津菜それを受け取る。
手の上に置かれたのはシュークリームだった。
「いいの?もらっちゃって」
「廃棄だ。気にすんな。それ食ってる内にゲートなんて着いちまうよ」
笑みを浮かべ、そっと奈津菜の頭を撫でる。
「はる兄…」
少しだけ頬を赤らめ、袋をぎゅっと握る。
「せめて、手を拭いてから撫でてくれない?ベタベタする」
「は、はい…。すいません」
袋を開け、シュークリームを食べる。
「だからはる兄はモテないんだよ。…………ふふ…っ」
大事そうに少しずつ一口一口クリームをしっかりと味わうように。
さっきまで暗い顔をしていた奈津菜に少し笑顔が戻った気がした。
「よし、じゃあ今度そこ行くぞっ!」
もう一度、台車を方向転換させ後ろに向ける。やはりこの運び方はやりづらいが、ま、今回だけはわがままを聞いてやろう。
二人が事務所を出ようとした時、入り口の自動ドアが開く。店内に入店のSEが鳴った。
「あっいらっしゃいま…せ」
入り口に目をやり挨拶をした時、春樹の動きが止まる。
号令してからなかなか動き出さない春樹に奈津菜は違和感を覚える。
「ん?はる兄、行くんじゃない…の?」
春樹の背中から顔を出し前を見る。そして、言葉を失う。
食べかけのシュークリームが手からこぼれ落ちる。
訪れた客が招かれざる、なんとも迷惑な客だったからだ。
そうだ、出禁。こいつを今すぐ問答無用で出禁にするべきだろう。なぜなら、その客が先ほど見た鶏のザープにそっくりだったからだ。
「イヤァァァアアアアアーーーッ!」
台車を思いっきり押し、全力で事務所に戻る。
「なんでさっきのがいるのっ!ザープ倒してくれたんじゃなかったのっ!?」
「俺にもわかんねーよっ!」
少しでも扉から離れようと奥へ奥へと逃げる。だが、すぐに壁に衝突する。
ここで大きなミスをしたことに気づく。この部屋の出入口は今来た扉しか無い。
少しして事務所の扉が吹き飛び、反対側の壁に叩きつけられる。ザープの蔓が室内に侵入する。
蔓が編み上がっていき、しだいに鶏の顔が浮かび上がる。
「……はぁ………ぁ…あぉ…」
目の色を失い、奈津菜は身を震わせる。完全にパニック状態だ。
「…っ!」
考えろ。このまま何もしなければ、確実に死ぬ。何か、何か手はないのか?首を振り、自問の答えを探す。右の壁に小さな出窓があった。……ダメだ。制服のロッカーよりも高い位置にある。自分一人なら行けるかも入れないが、奈津菜を背負ってなんて到底無理だ。
事務所内に増える蔓が思考を焦らせる。
ザープの黒い眼が選択を迫るように押し寄せる。どうする?どうするっ?どうするっ!?
このままザープに食われて死ぬ。
それとも___________________助けて死ぬ。
真横にあったウォークの扉を力一杯引き、春樹は扉を開ける。
台車を乱雑に操作し、その中に突撃させる。
「きゃっ!」
その勢いに奈津菜の体はウォーク内に放り出される。
体を起こした時には既に扉が閉まっていた。
後ろで物音がし振り返るとガラス越しに春樹が連れていかれる姿が見える。
壁や物にしがみつき必死に抵抗していた。
「……待って。…まって。はっ、はる…兄。はる……にぃ……っ!」
ペットボトルを掻き分け、必死に抗うその姿に手を伸ばす。だが、その手はどんなに伸ばそうと届くことはなかった。しだいに視界が歪みだす。
春樹が連れていかれる光景をただ見ていることしかできなかった。
「生体反応のロストを確認した。お疲れ、柚利乃。こっちに帰ってこい」
「了解です。では至急現場処理班の派遣をお願いします」
柚利乃は手に持っていた白鷹を消す。
その背後には原型をとどめないほど切り刻まれたザープの身体が散乱していた。
「ふぅ…」
仕事を終え、一息着く。
戦闘で体も汚れたし、すこしだけ汗もかいた。この感じだともう一度お風呂に入らないと…かな。
そんなことを考えながら開花状態を解こうとした。
その時、インカムから杏奈の声が響く。
「待て、柚利乃!、まだ開花を解くんじゃねぇ!」
杏奈の言葉にはっとし、柚利乃は動きを止めた。
「何か…あったんですか?」
弛緩仕掛けた身が一気に引き締まる。
「悪いが残業だ。新たなザープが現れた。今、最短ルートを送る。直ぐに向かってくれ」
目の前にマップが表示された。
「了解です」
公園から飛び出し、近くの民家の屋根に飛び乗る。そこから屋根から屋根に飛び移り直線距離で現場に向かう。
「現れたのは小型のザープだ。今ドローンでそいつの姿を見ているが、おそらく、同じ花のやつだろう。お前なら問題なく対処できる。______まずいなぁ…。近くにいた一般人が狙われている。急げっ!あまり余裕はないぞ!」
「_っ!了解です」
柚利乃は蹴る足にさらに力を込めた。
獲物を捕まえたザープは体を入口へと戻していき、店の外に連れ出した。変形していた体は徐々に初めて見た時の姿に戻っていく。やっとの思いで捕まえた獲物だ。もう逃がさないように足だけに巻き付いていた蔓を全身にしっかりと絡める。
口を大きく開け、真上に獲物を掲げる。
ふと違和感に気づく。蔓がしっかりと巻き付かない。
「ラッキーだったよ。廃油が置きっぱなしになってさ」
口元を緩ませながら、春樹が独り言つ。
体に纏った油で滑らせ腕を蔓の隙間から出す。その手に持っていたのはライターだった。店の外に連れ出される際、レジ横にあった物を掴んでいた。
「お前を倒すためなら火だるまにだってなってやんよ」
親指に力を入れ、力強く叫んだ。
「食えるもんなら食ってみやがれ!このチキンヤロォォォオオ!」
親指に力を入れる。
「せめて、手を拭いてから撫でてくれる?」
ツルンッ。そんな音が聞こえた気がした。
ライターが手から滑り落ちる。
火のついていないライターがザープの口の中へと落ちる様を静かに見送る。
「…………あっやべっ」
心に灯っていた炎がすぅーと消えていく。
この時のことは後になって思う。あぁ奈津菜の言葉、ちゃんと聞いとけばよかったな…っと。
春樹の体はザープの口へと放り込まれた。
通信終了後、全力で走ったかいもあり数分で柚利乃は現場に到着するとこができた。目的地のコンビニが視界に映った時、柚利乃は目を疑った。
駐車場に標的の姿はあった。しかし、そのザープは紅い炎に包まれ、苦しそうに叫びを上げていた。
「これは、どういう、こと…?」
駐車場に降り立ち、近くへと寄る。
遠くから見ていた時に紅い光あることには気づいていた。てっきり店が火事になっているのかと思っていたのだが、まさかザープの方だったとは…。
あれだけ呻いていたザープもいつしか真っ黒のオブジェへと成り果てる。
やがて崩れ落ち、灰が風に乗り辺りに散る。そして、燃えるものが無くなったのか炎の威力もだんだんと弱まっていき、生体反応ロストの通知と共にザープは消えていった。