覚醒_3
「___」
手応えがない。先ほど腹を殴った時の固い感触ではない。柔らかい感触だ。数秒遅れて視覚で理解する。
ザープは春樹の攻撃を左の手のひらで防いでいた。そして、春樹が殴ったのはその肉球に当たる部分。周りにはいくつもの小さな果実が___。
「_っ!」
膨張した皮が裂ける。
瞬間、夜目に慣れてきたはずの視界が真っ暗になる。
顔面を走る激痛と共に春樹の体は後方へ飛ばされる。種の弾丸が顔に直撃した。一つ一つには先ほどのような威力はないが、それでも春樹の体を引き剥がすには十分だった。
空中で無防備になった春樹に左下からザープの強烈な一撃が襲う。
「…がはっ!」
建物から飛び出し、道路に体が転がる。
落下時に頭を打ち、脳が揺れる。頭の中で除夜の鐘が連打されているかのよう視界が白飛びし、目からは涙が溢れる。
重く落ちてくる目蓋を必死に押し上げ、どうにか半開きの状態を保つ。
ぼやけた視界の中で緑の塊が大きくなっていく。
柱を引きずりながら壊れた劇場の中から体を出し、ザープは春樹に近づく。
ダメだ、よく見えない。体が鉛になったかの様に重い。_あぁ不味い、身動きがとれない。
春樹の数歩前で立ち止まり、ザープは柱を掲げる。
「………ご…。…………けぇ…。ぅ…………ぇ」
しかし、体の感覚がまだ取り戻せない。柱の一撃、二度は無理だ。耐えられない。
地面に横たわる春樹にザープは右腕を大きく振るった。
その時、ザープに肩に一閃。斬撃が襲い、右肩が宙を舞う。
遅れてきた衝撃で腕と別れるようにザープは横に吹き飛んだ。
「はぁ…。はぁ…。___くっ」
ようやく落ち着き、春樹は体を起き上がらせる。まだ少しくらくらするが、このくらいなら大丈夫だ。涙を拭い、顔を上げる。改めてザープを見る。右肩から先を綺麗に斬り落とされていた。そして、本体と逆方向に柱に刺さった二本の右腕が転がっていた。
「…………柚利乃か?」
このタイミングで助けてくれるなんてさすがと言わざるを得ない。
少しして、ザープが立ち上がる。
襲ってくるのかとみがまえたが、そうではなかった。ゆらゆらと体を揺らしながらザープは春樹から離れていく。
「_っ!てめぇ、逃げる気かっ!」
決してザープの歩くスピードが早いわけではない。春樹の足なら追い付ける。
そう思い走り出そうとした時、視界がぐらつき景色が二重になる。
頭を押さえその場で顔をうつむかせる。
少し回復したと思ったが、まだ立って動けるほどではなかったか…。その場で佇立する。
こうしている間にもどんどんザープは春樹から離れていっている。
息を荒げながら根性で顔を上げ、前を見る。
やがて、ザープは足を止める。そこにあったのは種だ。熊のザープが放ったものではない。ザープの本体から放たれた方の巨大な種だ。
左手を添えながら無我夢中でかぶりつく。車ほどの大きさもあろうその種がみるみるうちに消えていく。春樹の体が落ち着いた時にはザープは種を既に全て食べ終わってしまっていた。その直後、変化が起きる。
残った左腕が腕が肥大化していく。縦へ縦へと伸びていき、それは本体の倍以上もの巨大な腕へとなった。横のビルに高さが並ぶ。
月を掴むようにその腕を掲げる。
暗闇が春樹の体に覆い被さる。
「でっ…でけぇ………」
屹立する腕に思わず、口から溢れた。
圧倒的な迫力に息を呑む。
震える足。脈打つ鼓動。
巨大な腕を前にして春樹は____笑ていた。
「さぁ、決着といこうじゃねーかっ!」
足を一歩前に出し、構える。
「燃えろ。紅椿っ!」
腕を引き拳に力を込める、全身の力が拳に集約されていく。先ほどの拳を包むほどの炎とは異なり、腕へと伸びていく。そして炎は腕を覆い、背を越しさらに大きくなっていく。警報の赤い光で照らされた街をより濃い紅が塗り潰す。いつしかその炎はザープの腕と張り合えるほどの大きなものとなった。
今までの攻撃で体の骨は絶対何本か折れている。こうして動くのはたぶん痛覚が麻痺しているからなんだろう。だが、それでいい。動くのならこの一撃に残りの全てを込める。
「でけぇもんにはでけぇもんをぶつけるってのは、100億年前から決まってんだよぉぉおお!」
ザープの巨体な腕が振り下ろされる。体にかかった影がしだいに大きくなる。
迫り来るザープの拳に全てを込た炎の拳を春樹は撃ち込む。
「〈火中〉_ほなかぁぁぁあああああ!!」
互いの全力がぶつかり合う。大地が唸り、近くにあったビルは衝撃で飛ぶ。
「くっ……………ぅ…………っ!」
重い。隕石を殴っているのかと錯覚する。気を抜けば腕が砕けてしまいそうだ。体が悲鳴を上げる。もう限界が近い。少しずつ体が後ろに押し返されている。だが_____。
「……………ぐっ!………ご………。いい加減、とっとと冬眠しやがれぇぇええっ!」
春樹の炎がさらに大きくなる。曲がりかけた肘を伸ばし、体をしっかりと前に押し出す。
「燃えろぉぉぉおおおおつ!」
ザープの体に春樹の花の力が流れ込む。溢れんばかりに流れ込んだエネルギーはザープの体を新たな血管のように全体に行き渡る。そして、それが一気に炎へと変わる。
瞬間、ザープは体が紅い炎に包まれた。緑色の体が一瞬で紅色へと塗り変わる。巨体な右腕は焼け落ち、うめき声をあげながら仰臥した。しだいにその声は小さくなっていき、ザープの身体は塵となって消えていった。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
静まり返った街中に春樹は一人佇立していた。
最後の一撃で力を使い果たした。立つのを保っているというよりその場で固まっていると言う方が正しい。
「勝っ…た」
糸が切れたように地面へ落ちるする。
開花モードで紅くなっていた髪の毛は元の髪の色に戻っていく。
体の中で花が閉じる感覚があった。これが開花の解除なのだろう。
前から落ちたため呼吸ができず、ボロボロの体を無理やり半回転させ、空を見上げる。春樹の瞳には深い夜空が映っていた。米粒よりも小さな星が数個。その真ん中に丸く大きな月があった。
ほっとしたのか口元を緩め、ケラケラと笑う。が、口の中の血が気管に入りむせる。
「あぁ…死ぬかと思った」
満足そうに笑みを浮かべながら、独り言つ。
確かに、危なかった。死んだと思った瞬間は何度もあった。心臓の音がまだうるさい。だが、込み上げてくるこの達成感が何よりも心地よかった。
「はぁ…はぁ…ははっ」
弱々しく、だが力一杯に拳を空に突き上げた。月光に照らされた傷だらけのその拳はとても誇らしく見えた。
「須藤くん!」
後ろから柚利乃の声がした。
ゆっくりと足音がこちらに近づいて来る。
「はぁ…はぁ………、どうにか勝ったぜ。ははは…。意外となんとかなるもんだな」
苦笑いを浮かべながら柚利乃の影に話しかける。
「わりぃ。動けねぇから引っ張ってもらっていいか?」
立ち上がらせてもらおうと伸ばしていた拳を広げる。
春樹の体の横に立ち、柚利乃も春樹に手を伸ばす。
しかし、柚利乃の手は春樹の手を通り過ぎる。掴んだのは胸ぐらだった。そして、そのまま強引に立ち上がらせる。
「ちょっ、おまっ、もっと優しく_」
柚利乃の顔が見えた瞬間、頬に鋭い衝撃が走る。
さっきまで騒がしかった心臓の音が一気に静まっていく。
遠くではまだ警報が鳴っていたが、彼女の手のひらが頬を打った音だけが耳の奥にまで届く。
ぼやけていた景色が今は濃くはっきりと見える。
「何ですぐに逃げなかったの…?」
「…………」
「何ですぐに逃げなかったの、って言ってるのっ!」
胸ぐらから手を離し、柚利乃は声をあらげる。
「…ぁ…ぇ…」
頭が真っ白になり、春樹は二の句が継げられなかった。
震える唇を噛みしめ、柚利乃は言葉を紡ぐ。
「私たちはこの一ヶ月あなたを剪定者にするために鍛えたわけじゃない。あなたを生かすために鍛えたの。今回はたまたま運がよかっただけ。一歩でも間違えれば確実に死んでいた。何よ、たった一ヶ月特訓したぐらいで…。思い上がらないで!剪定者を甘く見ないで!」
普段、あまり感情が表に出さない彼女が歯を食いしばって大粒の涙を目に溜めていた。
「……」
俺は助けたかった。ただ恩を返したかった。傷ついた柚利乃を見て俺も力になりたい。そう思った。___いや、違う。確かに助けたい気持ちはあった。だが、それだけではなかった。ザープと戦っていたあの時。俺の頭の中にあったのは楽しさだ。新しく手に入れたこの力を使ってみたい。これを使ってあの恐ろしかったザープと戦ってみたい。その気持ちを止めることができなかった。周りのことも考えず、ただ、自分本意に。
「___」
自分の愚かさを理解する。
事実、種の弾丸を間近で受けた後、彼女が援護してくれなければ、どうなっていたかわからない。
視線を地面に移し、春樹は声を絞り出す。
「…ごめん。…俺が悪かった」
その言葉に柚利乃は小さく頷いた。
柚利乃は涙を拭うと春樹に自分の手の甲を出してきた。
「ん」
「………え?」
示している意図がわからず、春樹は呆けた顔をする。
「私は本部長から須藤くんの監視役を命じられていた。でも、あなたが暴走した時、私は止める事ができなかった。これは私の未熟さが招いた結果でもある。だから、須藤くんも私をぶつ権利があるわ」
それを聞き、慌てて春樹は手を振る。
「いやいや、今回のは俺が全面的に悪いわけで。お前に責任は_」
「…………半分自己満足よ。ほら、早く」
「……………」
困惑した表情を浮かべながら春樹は柚利乃の手を見つめる。差し出されたその手は擦り傷と切り傷が無数にあった。出血した血が乾き、流れた跡が筋となってそのまま残っていた。そんな状態の彼女に手を上げるなんてこと、春樹にはできない。
だが、真面目過ぎる彼女のことだ。こちらがいくら言おうと自分が納得しなければ引かないだろう。
「…わかった」
柚利乃の意思に春樹も覚悟を決める。
差し出された柚利乃の右手に春樹は左手を下から添える。
そして、右手を引き顔の横で構えた。
「………でも…まぁ…うん。どうせ叩くなら___」
すると、春樹は突然柚利乃の触れていた左手を持ち替え、手首を掴むと肩の高さまで掲げる。
想定外の春樹の行動に柚利乃は困惑する。
手のひらがこちらを向いた時、春樹は思いっきり自分の手のひらで柚利乃の手のひらを叩いた。
綺麗な弾ける音が響く。
「俺はこっちの方が好きかな」
春樹はにっと口を緩めませた。
「さ、帰ろぜ!」
満面の笑みで言って春樹は歩き出した。
「…………」
数秒、柚利乃は呆気にとられていた。そして、意味を理解し、叩かれた手のひらを一瞥する。それを優しく握り、柚利乃は微笑んだ。
「_そうね」
後を追うように柚利乃も歩き出した。
心なしかその返事はいつもより明るい声色だったように思えた。
「今日の晩ごはんちょっと豪華にしてほしいな。俺の開花祝いにさ」
「えぇいいわよ。でも家は燃えちゃったから外食になると思うけど。何か食べたいものある?」
「なら肉が食べたいっ!焼き肉なんてどうだ?食べ放題でさっ!あーなんか飯の話してたら腹減ってきたし今なら食べ放題で…もと…とれ…」
頭を揺らしながら、春樹は地面に崩れ落ちる。
「須藤くん!」
意識が遠くなる。忘れていた自分の重傷さ彼方から帰ってくる。
必死に名前を叫ぶ柚利乃の声が聞こえていたが、それもどんどん遠くなっていく。やがてそれも消え、意識は暗闇の中へと落ちていった。




