飛来する厄災_1
「くそ、やっぱりヒールば歩きづれぇ…」
不満を漏らしながらカツカツとブーツで足音を鳴らし、杏奈は廊下を足早に進んで行く。
いつものジャージ姿とは異なり全身はアッシュの制服のスーツスタイルであった。スラリと伸びる足は黒のタイツに包まれており、それに対になるかのように上半身は白のYシャツを身に纏っていた。Yシャツのボタンは最後まで止められておらず、胸元が大きく開けていた。本部長に何度か注意されたが、上まで留めると胸元が苦しいのでいつも無視している。
肩には訓練の時のように制服の上着は掛けており、頭の上の帽子はいつも通り健在だった。
]目的地である管制室に着き、扉が開く。
「状況はどうなっている」
管制室に入るなり、杏奈は管制員に問う。
「第十五区に出現した大型のザープは現在、商業施設の屋上から種子を撒き散らしている模様。ドローンを派遣し現場の詳しい状況を確認中です」
男の管制員が答えた。
種を撒き散らす。蒴果型のやつか。
管制室内にある正面の巨体モニターには建物の上にそびえ立つ大型のザープが映し出されていた。長い茎の先にはいくつもの黄色い花が咲いており、それと一緒にいくつかの膨れ上がった果実か確認できた。
「付近の監視カメラ及び衛生カメラの映像から該当する植物名を割り出せっ!」
「了解。データベースより検索を開始します」
男の管制員が操作し、検索を始める。
「隔離障壁は?」
「壁本体は出現済みです。上空の電磁バリア、後40秒で完了します」
隣の女の管制員が答える。
「検索結果出ました」
男の管制員が声を上げると正面のモニターに一つの花の画像が表示される。
「植物名、カタバミ。92%一致」
名前を聞き、チッと杏奈が舌打ちする。
「カタバミか…厄介なやつが出てきたな」
モニターを見ながら杏奈は苦い顔をした。
「撒き散らされた種子の数とその中でザープ化したやつはいくつだ」
「散乱した種子の数は衛星映像から推察。数は10。生態反応からザープ化した数5。いじれも中型のザープです」
顎に手を当て杏奈は思考を巡らす。
まずは本体と散らばった中型ザープの剪定だ。残りの5つの種子は優先順位は下がるが、ザープ化する恐れがあるためどのみち剪定しなければいけない。
「紫粋はどこにいる?」
「第十二区にいたため、そのまま現場に直行。現在、本体付近のビルの屋上にて待機中です」
おいおい、十二区から十五区って直線に引いても10キロ近くはあるぞ。まぁあいつの足なら10分もあれば着くか。
「聞こえてるか紫粋」
「はい」
モニターに制服を着た女性の姿が映し出される。
「お前はそのまま本体である大型ザープの剪定だ。それが終わりしだい中型の方はあたってくれ。これ以上頭数が増えると厄介だ。早急に仕留めろ」
「了解」
紫粋は短く答えると通信が切れる。
「須藤くんっ!大丈夫?」
頭を押さえながら春樹は目を開ける。
「いって…。頭ぶつけた。___一体何が起きたんだ?」
「とりあえず、外に出ましょう。須藤くん、背中押さえて」
「おぅ」
春樹に背中を預けると、柚利乃は両足の裏でドアを勢いよく蹴飛ばした。
二人は車を降り、衝撃の元である先ほどの黒い影に目をやる。
「柚利乃、あれは?」
春樹が前方を指差した。
その先には丸く大きな種が一つ。隕石が落ちたかのように地面に食い込んでいた。
「聞こえるか、柚利乃?」
インカムから杏奈の声が聞こえ、耳を押さえる。
「わかっていると思うが仕事だ。手短に説明する」
「はい」
杏奈は柚利乃に現状を説明した。
「本体は紫粋に任せる。お前は区内にばらまかれたやつの剪定をしろ。数は10。位置は今送った。一秒でも早くザープを狩れ」
「了解です」
緊張感を胸に柚利乃は答えた。
「___うしっ!」
二人との通信を終えると下段の管制員に目配りし、改めて正面を見る。
「これより対象のザープ、カタバミの剪定を開始する。総員、心してかかれ!」
「はっ!」
室内に統制のとれた声が響く。
帽子のつばを片手に持ち、深く被り直す。画面に映るザープの姿を見て杏奈は口元を緩めた。
「さぁて、庭掃除の時間だ」
「カタバミ…」
噛み締めるように柚利乃は呟く。
それを後ろで聞いていた春樹は首を傾げた。
「カタバミ?なんだそりゃ?」
カタバミ、春から秋にかけて黄色い花を咲かせる植物。特徴的なのはその葉身。三枚のハート型の葉っぱの先端を中心に集めたような形をしている。その見た目は少しクローバーに似ている。果実はオクラのような形をしており、真っ直ぐ上に向いてつく。
成熟すると自ら弾け、粘着性のある種を飛ばす。
「おい、あの種。今ちょっと動いたぞ!」
巨大な種から芽が出る。茎が伸び葉がつき、みるみるうちに成長する。しかし、それは真っ直ぐ天に向かって伸びてはいかなかった。枝分かれを起こしながら体を編み込むように成長する。やがてそれは凶暴な熊の形へとなって姿を現した。
「今回のモデルは熊のようね」
大きさにして約5メートル中型のザープ。クレーターの中心でそれは鎮座していた。
「須藤くん、あなたは他の人と一緒に避難して。カタバミは種子を飛ばす朔果の植物。少しでも遠くに逃げてね」
「種…………あぁ、わかったよ。________柚利乃、お前はどうすんだ?」
ザープへと歩み出す柚利乃の背に春樹は問う。
「もちろん、仕事をするわ」
胸に手を当てると、中心から白い梅の花が姿を現す。
「開花!」
柚利乃が短く叫ぶと、体が淡く輝き、白い梅の花が舞った。
「雪花_白鷹」
顕現させた白鷹を片手で掴み、上段でかまえるとそのまま一直線に投げる。
その軌道にズレはなく、白鷹はザープの鼻の頂点に突き刺さる。痛みを感じたのかザープは体を起き上がらせ、悲鳴じみた声を上げる。
一気に距離を詰める。突き刺さった白鷹を空中で掴むと、反動をつけ地面へ急降下する。白鷹の刃が鼻を引き裂く。華麗な身のこなしで地面に着地する。
「_っ!」
着地時、体に痛みが走る。体勢が崩れそうになったが、歯を食い縛り耐えた。白鷹を正しい位置に握り直し、構える。
この一体に時間をかけてはいられない。
目の前にあったザープの足に柚利乃が水平に斬擊を放つ。雪の刃は表皮を斬りさき、細胞壁を次々と両断していく。刃が行く道を譲るかのように。
だが
「っ!」
柚利乃の動きが止まる。
刃が足の半分ほどしか入らなかった。痛みで呼吸が乱れたせいか、力の入りが甘かった。だが、そうだとしても想像していたよりも_______固い。
黒い影が柚利乃にかかる。
それに気づくも動作が間に合わない。
ザープの左前足が直撃し、向かいのビルへと柚利乃は払い飛ばされた。
「……………………」
ビル風に吹かれながら冷然とした目で街を見つめる。
一つに纏められたその長い闇色の髪が月の光を浴び煌びやかになびく。その背にはザープだったものが無惨な姿で地面に伏していた。
「こちら、紫粋。本体の剪定完了しました」
「よし、さすがだ紫粋」
インカムの奥で喜ぶ杏奈の声が聞こえた。
「次はバラまかれた奴らの処理だ。位置はシードに送る。頼んだぞ」
「了解」
通信が切れるとピピッとシードから受信した音が聞こえた。
屋上の縁に立ち、街を一望する。送られて来たマップを前で展開する。
「五…いや、六か」
そう呟き、マップを閉じる。
一歩踏み出し、体を前に倒す。髪の毛が尾を引きながら下へと消えた。
「柚利乃っ!」
春樹の叫びが木霊する。
しかし、その叫びに答える者はいなかった。
前足を振り、ザープが足についた刺を払う。
止まっていたザープが一歩一歩、歩き出す。進行に邪魔な車を鼻や前足で払い、辺りにドアやガラスの破片が散らばる。
「‥ぁ」
嘘……だろ…。柚利乃が………………、あの柚利乃があんなあっさり…。
どうする?いや、どうするったって花の力を使えない今の自分にはどうすることもできない。
「く_」
苦悶の表情を浮かべ、己の無力感を痛感する。威圧で押されるように足が後ろに下がり出す。震える体から大量の汗が吹き出す。あぁ…ダメだ。もう逃げよう。柚利乃にも逃げろって言われたし、これは俺がどうにかできる問題じゃない。
「これは…無理だ………」
諦念を胸に後ろを振り向こうとした。その途中、視界の端に何かが映り、動きを止める。恐怖のあまり見落としかけたもの。数歩先の中央分離帯の植え込みに刺さる純白の一本の雪。白鷹だ。折れた白鷹がそこにあった。
「_っ!」
逃げようとする体が急に重くなる。頭の中に迷いが生まれた。
「___」
___それで、いいのか?
心の奥底にいる誰かがそう訴えてかけている気がした。ザープの足音が一つ聞こえる度に鼓動が一つ早くなる。
春樹の背からはまだ逃げてる人々の声が聞こえる。
震える手に力が入り、ぐしゃぐしゃに頭をかきむしる。
「_________あーもぅっ!」
逡巡の中、春樹は走り出す。
これが正しいのか。正しくないのか。正直、わからない。走っている今でさえ迷っている。だが…、それでも…。
手を伸ばし、白鷹を掴んだ。懐に抱え、車の陰に隠れる。
「冷たっ!」
反射的に手を離す。握った手のひらは赤くなっていた。忘れていたが、白鷹は雪の造形物。普段、柚利乃が平然と持っているため冷たくないのかとそんなことはなかった。こんな冷たい物を使って彼女は戦っていたのか。そんな驚きが頭に浮かぶが、すぐに振り払う。もう一度手を伸ばす。今度は袖を伸ばし、服越しに白鷹をしっかり握る。武器を持った。で、どうする?別に白鷹を持ったからと言ってあいつを倒せる一撃を放てるわけじゃない。せめて弱点とかあればいいのだが。
シードを起動し、熊.弱点、と検索する。
「顔か…」
出てきたサイトには鼻、目、眉を狙うといいと書いてあった。っていうかそもそも普通の熊と熊型のザープの弱点は同じなのか?そんな疑念が生まれた。
「いや、待て」
先ほどの柚利乃とザープの戦闘が頭によぎる。彼女が一番最初に攻撃したのは鼻だ。もし、これを狙ってやったのなら、この考えはあながち間違っていない。
この間の鶏のザープと違い、蔓を伸ばしてくるわけではない。今回の熊のザープは十分に距離をとっていれば大丈夫だろう。だが、こっちに遠距離武器はない。白鷹が折れて短くなっている分余計に近付かなければならない。
「そもそもどうやって近付くんだよ…。」
いっそのこと一か八か投げてみるか。………………いや、ダメだ。野球部や陸上部の槍投げの選手でもないのにそんなの当たるわけがない。
車の後部ガラスから前を覗き、ザープの様子を伺う。
地上から顔までの高さは約五メートル。全力でジャンプしたとしても顎を引っ掻く程度だろう。
どうにかやつの動きを止めつつ、顔に近付く方法なんて_
「______あった」
警報が鳴り響く街はいつの間にか夜の蚊帳がかかる。夕日に同化していた赤い警報ディスプレイが浮き彫りになる。
途中にあった大型のトラックは進むのに邪魔だったので鼻で飛ばした。
歩みを再開しようとした時動きが止まる。
甘い匂いが切り裂かれた鼻孔をつく。香りをなぞるように鼻を動かし根源を見つける。そこには黄金色の景色が広がっていた。はちみつだ。車のフロント部分一面にこれでもかというほど塗りたくられていた。
顔を寄せ、もう一度匂いを嗅ぎ確かめる。確かに、本物だ。警戒しつつも舌を出す。そして、一舐め。舌の中で転がしながら車を前足で押さる。続け様に二舐め三舐めと夢中になっていく。
「どうだ?お前の大好物のはちみつだぞ。……………梅干し入りだけどな」
何か雑音が聞こえた気がした。
瞬間、隠れていた車の陰から人影が飛び出す。春樹だ。両手で力強く握り締めた白鷹を振りかぶり、刃先を向ける。なるべく音を殺しながらザープに飛びかかる。
狙いは決まっている。目だ。視界を封じれば動きを制限できるはず。
「…っ!」
しかし、ザープの動きが一瞬止まる。こちらに気づいてか直前で首を捻る。狙いがどんどんずれていく。動き出した腕は止めることができず、首もとにあった大きな果実に白鷹を突き刺した。
首を振り、ザープは春樹を払い飛ばした。
地面に着地し、正面顔のザープを睨み付ける。
「くそ……っ!」
隣にあった車体を拳で叩く。アイデアとしてはよかった。出るタイミングも間違ってはいないはずだ。なのになぜだっ!どうして大事な時に決めきれないっ!自分の不甲斐なさに苛立つ。
そううまくはいかない。現実を突きつけるように果実に刺さった白鷹が地面に落ちる。地面から甲高い音が聞こえた時、ザープの首もとの果実からぷつりっと布が破ける音が聞こえた。瞬間、風圧が耳を掠める。それは電車が真横を通ったときによく似ていた。
その直後、春樹の隣にあった車が爆発する。吹き飛ばされ、背中を地面に打ち付けた。
「…がはっ!」
突然の出来事に脳が状況を理解するまで時間がかかった。耳の奥で爆発の余韻がまだ残っている。
何が………………起きた?
震わせながら体を起こし、確認する。
「……は?」
衝撃的な光景に唖然とする。
先ほどまで触れていた車体から炎が上がり悶々と煙が立っていた。
燃える車体の後方、アスファルトに窪みができていた。中心にはバスケットボールほどのサイズの赤茶色の球体。その形に春樹は妙な既視感を覚えた。
疑問を抱いたとき、ふと柚利乃の言葉がよぎる。そして、気づく。
「…おい、嘘だろ‥」
その球体は一番最初に空から飛んできた種とそっくりだぅたのだ。
朔果、果実から種を飛ばす植物。
この種一つであの鉄の塊を一瞬で破壊したというのか…。
首もとを確認する。
先ほど白鷹が刺さった果実が裂けた表皮を見せながらぶら下がっていた。そして、今度は全身を見渡す。右の首もとに一つ、左前足に二つ、後ろの方はよく見えないが見える範囲内では後三つ、割れていない果実が残っていた。
「___」
生唾を飲む。
なんて威力だ…。当たれば間違いなく、体に風穴があく。
もはや、種と言うより、弾丸である。
食事を邪魔されたザープははちみつを食すのを諦め、再び進行を開始する。ほんの僅かな時間稼ぎも虚しく、柚利乃の追撃はまだ無い。
「はぁ……………はぁ……………はぁ………………」
いくら特訓をしたからといてそれはただの筋トレだ。どんなに頑張ろうと結局人の範囲までしか成長できない。怪物を相手取るには今の春樹には明らかに力が足りない。
「_っ」
右手の花錠が目に止まる。腕を上げ、胸の前に運ぶ。
春樹の炎はザープを燃やすほどの威力がある。それは鶏のザープの時に証明されている。
こうしてる間にも刻一刻とザープは近付いてくる。
_________俺しか、いない。
俺があいつに飛び付いて花の力で燃やしつくせば_
左手が花錠に伸びる。
「能力を使えれば次は間違いなく死ぬぞ」
「…っ!」
舞香の言葉が頭をよぎる。
触れる寸前で手が止まる。
左手が震える。
何もしなければどうせ死ぬ。後ろの人たちもそうだ。春樹がいなれば、今度はそっちが一人ずつ食われてくんだ。悩んでいる時間はない。
俺が犠牲になれば後ろにいる人たちは助かる。命一つで多くの人を守れる。
そうだ。俺が死ねば_
ぷつりっ。
果実が割れる音が聞こえる。
顔を上げ、前を見る。
直線上にザープの左の前足があった。その一瞬、時間が粘りつく。
果実から赤茶色の弾丸が見える。電車並のそのスピードを今さら回避する手段などなかった。果実は春樹を捉え、弾が放たれる。驚きの言葉を発する間もなかった。
反射的に右腕で顔を覆った。放たれた弾丸が春樹に直撃した。