特訓_2
それから一ヶ月、杏奈さんの訓練をみっちり受け、正直、開花する前に死ぬんじゃぁないかと思ったりもした。不思議なことにあの劇薬を食べると、あんなにきついトレーニングをしても筋肉痛一つしなかった。そのおかげもあって、どうにか今日までトレーニングについていくことが出来た。とは言え、今でも食べるのは苦手ではあるのだが。
「よし、今日はここまでだ」
杏奈の号令と同時に春樹は床へ転げ落ちる。
「はぁ…。はぁ…」
今日もなんとか乗り越えることができた。手足が小刻みにぷるぷると震えている。
「最初に比べたら大分体もできてきたじゃねぇか」
「そう…ですか?」
日々ついていくのに夢中で自分ではあまり自覚していなかった。
「あぁ。今腹パンしたら頭は地面に着かないかもな」
「いやそれあんま変わってなくないですか。と言うか、もう急に腹パンしないでください!」
そういうと杏奈は愉快そうに笑った。
「明日からはそろそろこっちの訓練も始める」
親指で自分の胸を指す。
それを見て身が引き締まるのを感じた。
春樹も自身の胸に手を当てる。
「花の…力…」
ここからが本題と言っても過言ではない。
「なんなら今から軽くやってみるか?」
「えっ!?いっ今からですか?」
垂れていた顔を上げる。
「そんな難しいことはしねぇよ。ちょっとさわりをやる程度だ。どうだ?やるか?」
春樹の目の前で腰を屈める。
花の力の特訓。一体どんなことをするのか、正直気になる。
「それじゃあ…はい」
「よし、決まりだな」
体を起こし、杏奈と向き合うように春樹は座る。
「そんじゃまず質問だ。お前、魂の道筋ってわかるか?」
「魂の…道筋?」
初めて聞く言葉に春樹はきょとんとする。
「そうか。ならまずはそこの説明をしねぇとな」
杏奈は床に腰をおろしあぐらをかく。
「あたしたちの体には表と裏が存在する。血液、神経、臓器、細胞。目に見えて形をなし実在してる物。これらは全て表にあるものだ。魂、精神、記憶、寿命、こう言った形のないものがある場所。それ裏にあるものだ。花はそっちにある」
身振り手振りをしながら杏奈は話を進める。
「さっき言った魂の道筋ってのは体の裏っ側で張り巡らされている血管みてぇなもんだ。そこに流れる魂のエネルギーを花に送ることによって持ち主は能力を具現化させる。とまぁ、まずは道筋を感覚的に理解しねぇとな。わからねぇのにコントロールもくそもねぇからな。おい、柚利乃」
後ろで水分補給していた柚利乃がこちらを向く。杏奈が手招きするとこちらへ戻ってくる。
「小僧に道筋を教えてやってくれ」
「道筋…。わかりました。とりあえず、流すだけで大丈夫ですか?」
「あぁそれで頼む」
杏奈が言うと柚利乃は春樹の隣に腰を下ろし、両手で春樹の手を握った。
「ちょっ…」
「動かないで」
細く息を吐くと柚利乃はそっと目を瞑った。
柚利乃の手のひんやりとした感覚が伝わってくる。雪のように白い肌とはよく言うがまさに彼女の肌ははそんな感じだった。
柚利乃の指、思ったより細い_
「痛っ!」
突然、眉間に衝撃が走る。
横で見ていた杏奈がデコピンした。
「なぁ~に赤くなってんだよ」
にまにました顔で杏奈は見る。
言われた春樹は顔を真っ赤にする。
「おいおい、手握られただけだろ~。あっ!わかった。さてはお前、ドーテーだな。そっかそっか。ドーテーには刺激が強すぎたかなー?」
「はぁああっ!?」
血液が一気に顔に集まっていく。そして、一瞬で湯で上がったように顔が赤くなる。
「うっうるせっ!べっ別に赤くなってねぇーしっ!血色いいだけだしっ!何言ってんだっ!この恋愛脳ババアっ!!!」
刹那、正面からの強い衝撃を頭が受け止める。僅かにした前後移動で脳が揺れ、外側から凄まじい圧力が頭部を襲う。
「今お前何つった。ババア?BBAつったかっ?あぁん?」
顔面に血管をボコボコと浮き上がらせた杏奈が顔を寄せる。
春樹の頭を掴むその右手は握力は少しずつ増していく。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!すっすみませんでしたっ!」
ギブアップを意を表して杏奈の腕をパチパチと叩く。
数秒睨み付けた後、「ふんっ」と鼻を鳴らし、後ろに振られながら春樹の頭が腕万力から解放された。
頭をぶるぶると震い、痛みを和らげる。
ふう…。危なかった。後少しで脳汁100%春樹ジュースが出来上がってしまうところだった。
「あの…続きやってもいいですか?」
二人の様子に見ながら柚利乃が言う。
「あぁ、わりぃ続けてくれ」
そう杏奈が言うと、先ほど同様に柚利乃が春樹の手を握ったまま目を閉じる。
「…」
くそっ…。変に意識してしまった。一ヶ月、二ヶ月ぐらい一緒に暮らしてるから慣れたと思っていたが、油断した。…いや、一緒に暮らしてても触れる機会なんてほぼ無くね。
「…」
今回は動揺しないよう春樹も目を閉じる。深呼吸をして心を落ち着かせる。先ほどまで騒がしかった周りの音がいつの間にか遠くなっている。無意識のうちに瞑想のような状態になっていた。
「っ!」
ふと、手元に違和感を覚える。柚利乃の手から体に何か流れてくる。触れられている手のひらから、腕へと伝わり胸の辺りまで延びていく。
「これ、は…」
春樹の反応に杏奈は口元を緩めた。
「どうだ?何か感じたか?」
「はい、何か体には流れてくるような…」
それは体に染みるように奥へと入っていく。表現し難い。熱くも冷たくもない。強いていうなら水と風の中間のような。そして、それが体の中心に向けて進んでいく。
「今、小僧の魂の道筋に柚利乃のエネルギーを送ってもらっている。お前が今感じた線状の道。それがお前の魂の道筋だ」
感じ取った線を目でなぞるように見る。一本、二本もう少しあったように思えたが、とりあえず大きく感じ取れたのはこれぐらいだ。
未知の感覚に胸が高鳴る。
「ちなみに柚利乃が本気を出したらお前はもう死んでいる」
「え?」
「なぁ?」
杏奈は柚利乃に顔を向ける。
「そうですね。体に流したエネルギーを雪の針に変えて相手を内部から串刺しにするとか」
「ひっ!」
慌てて春樹は自分の手を引っ込めた。
その反応に杏奈は愉快そうに笑っていた。
「よし、今度はお前の番だ。柚利乃、相手してやってくれ」
「はい」
柚利乃は春樹に左手を差し出した。
先程の柚利乃を真似て春樹は両手で柚利乃の手を握る。
「体の中心からさっき感じた道筋に流すイメージだ。能力を使ったことあんなら集中すればお前でもできるはずだ」
「道筋に…流す」
静かに目を閉じた。
体の中心?それって心臓から?いや、それは体の表ってやつだって言ってた。てことは、体のもっと奥にあるもの。そこからさっき感じたのと同じところに。
「…」
体の胸の辺りから何かが流れ出すのを感じた。それは肩、腕、手のひらを通り指先へと流れていった。
「っ!」
柚利乃もそれを感じ取った。春樹の指先からエネルギーが流れ込んでくる。ゆっくりとではあるが、着実に体内へと流れ込んでいく。道筋を辿り、肘の辺りに差し掛かった時、突然エネルギーが炎へと豹変した。
「熱いっ!」
差し出していた手を柚利乃は勢いよく引く。
柚利乃の声で我に帰った春樹は、はっと目を開ける。前を見ると顔を歪ませた柚利乃が先程まで春樹が握っていた手を反対の手で押さえていた。
「ご、ごめん」
「いえ、大丈夫。ちょっとびっくりしただけだから」
後ろで見ていた杏奈が近寄る。
「柚利乃、大丈夫か?」
「はい、少し雪で冷やせば大丈夫です」
自分の手を手袋の様に雪で薄く覆った。
「…」
杏奈は春樹に目をやる。一瞬剣呑な表情を浮かべたが、パンッと手を叩き、重くなりかけた空気を払拭する。
「よし小僧、これで魂の道筋はわかっただろ?」
「はっ……はい」
「明日から本格的にやってくからな。くれぐれも一人で練習とかすんじゃねぇぞ」
その言葉を最後に今日のトレーニングは終了した。
「ふぅー疲れたー」
湯船に体を沈め、春樹は心を和ませる。
訓練後のお風呂は格別だ。疲れた体にお湯が染み渡る。
今日も今日とでボロボロになるまでしごかれた。訓練中、罵倒をあびせられたが、それでもなんとか最後までやりきった。自分で自分を誉めてやりたい。
「こんだけやってんだ。少しは筋肉ついてきたんじゃないか?」
そういって試しに右腕で力こぶを作る。
「ついている気はするなぁ。…と言うか元を覚えてないからどうなのかわかんねぇや」
独り喋りながら苦笑する。タイムリミットは迫っている。それまでに開花させなければならない。本当はもっとシリアスにならなければいけないのだろう。…………だが、なぜだろう。
「ふっ…」
なぜ、こんなにも気持ちが晴れやかなだろう。最近、毎日が充実していると感じる。緊迫感を感じ過ぎて逆におかしくなったのかもしれないな。
自嘲じみた笑みをまた浮かべた。
湯船から勢いよく立ち上がる。
「よっしゃっ!明日もまた頑張る______うぇっ!?」
「………ふぅ………」
お風呂から上がった柚利乃は自室に戻り、ベッドで横になる。疲労感をぶつけるように体を大きく広げた。連日の訓練はかなりハードなものだった。春樹が訓練し始めた日から柚利乃はいつもよりこなす量を少し増やしていた。訓練中、春樹には「余裕そうだな」と言われたことがあるが、表には出にくいだけで、訓練終わりは内心かなりきつかった。連日の訓練も然ることながら春樹の件の緊張感もあり精神的にも少しきていた。
夕食までまだ時間はあるし、このまま少し休んでいよう。
「……………」
自分の左手を見つめ、昼間のことを反芻する。
春樹にとって初めての魂の道筋の訓練。まさか、一発でできるとは思っていなかった。初心者は半月かかるといわれていし、自分の道筋を認識できるだけでもいい方だと思っていた。そして、発火。彼の様子からして、わざとやったわけではないのだろう。もちろん、柚利乃もそれに関して怒ってはいない。ただ、あのエネルギーの量。炎の威力。
「あれが無意識……………」
柚利乃がひとり考えていると、突然の下の階から大きな爆発音がした。家が一瞬大きく揺れ、飾っていた置物がいくつか倒れる。
「__っ!」
慌てて起き上がり、階段を降りる。下に着いた瞬間、熱気が柚利乃を襲う。一階の廊下は蒸気で満たされており、まるでサウナに入っているかのようだった。爆発で飛ばされたのか、洗面所の引き戸と風呂場の扉は床に倒れていた。
「………」
蒸気の奥にいるであろう人物に柚利乃は聞く。
「これはどう言うこと、須藤くん?」
「えっ………と………」
呼ばれた春樹はお風呂場から顔を出す。
目を逸らし、口ごもる。
「………………」
しかし、睨み付ける柚利乃の視線に耐えきれず、春樹は素直に答える。
「……………風呂から出ようとしたら、体から炎が出て、お風呂のお湯を蒸発させちゃった……………的な?」
後頭部を掻きながら、春樹は苦笑いする。
そんな様子に感嘆を漏らし、柚利乃は呆れ顔を浮かべる。
「その炎、もう少し自重してくれないかしら?」
「………善処します」
早くコントロールできるようになろうと春樹は思った。
「今日はもう終わるんか?」
「…………むしろこれからだよ。夜勤だからな」
椅子に足を組み、座りながらいつもの退屈そうな眼差しで舞香は端末をを見つめる。
「ふーん」と言いながら杏奈は片手に持ったマグカップでコーヒーを飲む。
「その豆でコーヒー、あまり飲まないでくれるか?一応私の私物なんだが」
「こまけぇことはいいじゃねぇか。後で飲んだ分、飯でも奢って返してやっからよ」
手首を軽く振り、悪びれもなく杏奈は言う。
二人が今いる休憩室内にはコーヒーメーカーの横には二つのコーヒー豆の袋がある。一つは大きな袋。これはアッシュが経費で買っているものだ。基本的には職員はこの豆を使って飲んでいる。もう一つは小さな袋。こちらは舞香が自費で買っているもので、袋には”佐伽羅”と大きく書かれている。アッシュが買っている方の豆が舞香の好みに合わず、いつからか自分用の豆を置くようになった。そうしたら杏奈は「こっちの方がうめぇな」などと言って舞香の知らないところでも勝手に使って飲んでいるらしい。彼女のせいで減りが早くて困っている。同じことを前にも言ったが、いつもこんな調子だ。
諦めたようにため息をつき、自分のマグカップのコーヒーに口をつける。
「それで彼はどうなんだ?」
「どうって、なんだよ?」
突然の話題の切り替えに杏奈はすっとんきょうな顔をする。
「須藤春樹だ。訓練の調子はどうだと聞いているんだ」
持っていたマグカップを杏奈は置くと、横に備え付けてある個包装のクッキーを取り、一口食べる。
「んー順調__って訳でもでもねぇが、まぁ悪くはねぇよ」
「そうか」と舞香は短く返す。自分から振っておいてまるで興味が無いようなテンションで言う。まぁいつものことだから気にしない。
「初めて会ったよりはだいぶましにはなったな。最初がもやしなら今は…アスパラガスぐれぇだな。でも、相変わらず口数が減らねぇ。何をやるにもいちいち文句を言う。たかだか腕立て伏せと腹筋で、やれ無理だの無茶だのってな。けっ、全く情けねぇよ」
呆れたように春樹を罵る。だが、その声はどこか楽し気であった。
「そうか。君の特訓で今だに逃げ出していないんだ。彼もそれなりの意思の強さはあるのだろうな。とは言え、彼にはリミットがある。あまり悠長にはしていられないぞ」
「わーってるよ。あたしだってあいつを死なせたい訳じゃねぇ」
「………」
一瞬、端末からこちらのに視線を向けるが、すぐに視線を戻した。
クッキーの残りを口に放り込み、杏奈は舞香を睨む。
彼女はいつも通り振る舞っているつもりだろう。だが、さっきの会話中、表情に影がかかるのを感じた。
幾度か租借した後、口の中のものを飲み込み杏奈は言う。
「なーに暗い顔してんだよ」
「…………別に。ただ夜勤の後また午後から検査で来なくちゃ行けなくて憂鬱なだけだよ」
「ふーん」
ジト目で舞香を見ながら杏奈は手にあったお菓子のゴミを捨てた。
数秒、無言の時間が流れる。
無機質な空調音だけが、室内に響く。
少しの間の後、舞香はマグカップをテーブルに置く。組んでいた足を解き、わずかに眉根を下げる。
「……………君には申し訳ないと思っている。今回の件は最初の体作りが要だ。そこが間に合わなければ全てが崩壊する。彼の命運を君に背負わせていると言っても過言ではない。私は検査結果を見てただ伝えているだけだ。彼の成長の直接的なサポートはできない。……………すまないな、杏奈。また君に_」
話し途中、横顔に向けて何か飛んでくる気配を察知する。手を上げそれを掴み取る。確認するとそれは個包装のクッキーだった。
「くだらねぇこと言ってんじゃねぇよ。腹でも減ってんのか?」
顔を上げ、クッキーが飛んできた方向に目を向ける。そこにはいつもの明るい表情をした杏奈がいた。横に置いていたマグカップを杏奈は持ち、残りのコーヒーを全て飲み干す。
「心配すんな。いつもの言ってんだろ?現場のことは現場にいるやつに任せろって。ま、どうにかするさっ!」
そういい残すと杏奈は休憩室を後にした。