アッシュ_1
ガーデンの中心部には一本の大きな木がそびえ立っている。ガーデン内で一番高い建物の2倍以上の大きさがあり、ガーデンのどこにいても見失わないほどだ。
この木は人々の生活を支える木であり、このガーデンのシンボルでもある。
その大きな木のふもとには建物の郡が広がっている。
特別災害指定植物対策本部_アッシュ。
建物の郡の中心にあるそれこそがガーデンの機能の中枢であり、剪定者たちの本部である。
「あ、あのさ…」
流れ行く天井を見つめながら春樹は言う。
「俺、じ自分で歩くからそっそろそろ降ろしてくれないかな?」
「ダメよ。もう少しだから我慢して」
背中越しに柚利乃は静かに答える。
「さささ寒いんだよ。逃げないからこの鎖解いてくれ」
「そう言われたからさっきカイロ渡したでしょ」
「首に一枚貼られたぐらいで温かくなるかよ!」
「…去年のあまりがそれしかなかったから…」
「俺で在庫処分するんじゃねぇえっ!___へっくしょんっ!」
本部に着き、エントランスに入ると柚利乃に「ちょっと待ってて」と言われ、柚利乃は一人で奥に行ってしまった。
壁際に置かれた春樹は行き交う職員の人たちの視線を集めまくった。
「何あれ?」
「さぁ…?」
そんな言葉が聞こえる度に恥ずかしさでマジで死にたいと思った。
しばらくして、柚利乃がザープとの戦いの時に見た制服姿で帰ってきた。
そして現在、彼女に担がれる状態で春樹は廊下を進んでいた。横目で周囲を見ると先ほどと同様に廊下ですれ違う人たちの視線も集めているのがわかった。なので、なるべく視界に入らないように天井を見上げていた。
動きが止まる。
「ん?どうした?」
「着いたわ」
目的地である部屋の前に到着したようだ。
「須藤くん、ここからは失礼のないようにね」
「この状態で入ることが失礼だと思うぞ」
そんな春樹をよそに柚利乃は扉に手をかざす。ピピッと扉のロックが解除された音が鳴り、左右に扉が開く。
「失礼します」
二人は中へと入り、数歩歩くと柚利乃は春樹を床に置く。身なりを整え、前を向く。
「ご連絡を承り、須藤春樹を連れて参りました」
奥の席に座る男に柚利乃は報告する。
「うむ、ご苦労だった。白梅くん」
男は柚利乃に礼を言うと横の白い塊が目に入る。ジト目になり、男は聞く。
「白梅くん、私はここに連れてきてほしいと言っただけだ。わざわざ拘束しなくてもよかったのではないか?」
「いえ、こちらの説得中に逃走の恐れがありましたので」
「迷惑にならないように家を出て行こうとしただけだろ!」
「私は迷惑なんて一言も言ってないわ」
「…このやろう…っ!」
いがみ合う二人の様子に男は嘆息を漏らす。
「まぁいい。それを解いてあげなさい」
男の指示で雪の鎖が解除される。
解除された途端、春樹は「寒い寒い寒い_」と言いながら、ジャンプしたり自分の体を摩っている。
かれこれ一時間くらいは雪ミイラ状態だったため唇なんて真っ青だ。
春樹が落ち着くのを待ち、男が口を開く。
「そろそろいいかね?」
声を聞き、体を摩っていた手を止めた、春樹は顔を上げる。毅然とした眼孔。整えられた顎髭。威厳のある顔立ちをした中年の男がこちらに目線を向けていた。
「はじめまして、須藤春樹くん。私はここの本部長を務めている松平だ。よろしく」
松平が丁寧に挨拶をする。
その言葉を聞いて無意識に背筋が伸びる。本部長。つまり、このアッシュのトップ。
「須藤春樹です。よろしくお願いします」
春樹も松平に向かって一礼した。
「今、書類を準備をする。すまないが、先に隣の部屋で待っていてくれるか?」
右手を出し促す。示す先には入り口とは別の片開きの扉があった。
それに従い、二人は中へと入って行った。
部屋は中央に来客用のソファーとテーブルがあり、応接室になっていた。二人はそれに腰をかける。
黒革のソファーは見た目からして高そうだなと思っていたが、座ってみるとふかふかで想像通り座り心地が良かった。
少しして、扉が開き、松平かと思い向くと、お盆を持った女性の職員だった。乗せていたコップを三つテーブルに並べ、お茶を注ぐ。仕事が終わると職員は速やかに退出して行った。
「…」
「…」
数分、沈黙が流れる。
さっきまであんなに喋っていたのが嘘のように春樹は言葉が見つからなくなっていた。
キョロキョロと周りを見回す。会話の種になりそうなものは何も見つからなかった。
とはいえそれは柚利乃も同じだった。口下手な彼女も用も無いのに会話できるほどコミュニケーション能力は高くない。こういったときに気の利いたことが言えれば、人付き合いももう少し楽なのだろうが。
気まずさを紛らわすように柚利乃はコップに口をつける。
「…少し、ぬるいわね」
コップの上に手をかざす。すると、手の中に立方体状の小さな雪が生成される。コロンッコロンッと音を立てながら二つほどコップの中へと落ちていく。
「須藤くんもいる?」
手のひらに作った雪のブロックを見せる。
一見すると角砂糖にも見える雪のブロックを春樹はジト目で返す。
「お前は俺を凍死させる気か」
鳥肌を立てた肌を擦りながら答えた。
折角、手のひらの感覚が戻ってきたというのにそんなことしたらそのうち風邪を引く。もう初夏に入ろうとしているというのにこんな極寒体験をするとは。あー寒い…っ!できるならこのお茶温めて飲みたい。
目の前のお茶を睨み付けながら松平が早く来ることを願った。
後になって思ったのだが、もしかしたらこれは柚利乃なりに見つけた会話の種だったのかも知れない。
「すまない、待たせたね」
扉が開き、今度こそ松平が入ってきた。
何かを手に持ちながら春樹たちの向かい側のソファーに腰を下ろす。
「今回は簡単な事情聴取だ。楽にしてくれて構わない」
そうは言われても、偉い人の前では誰だって緊張してしまう。
「ところで須藤くん、怪我はもう大丈夫なのかい?」
「はい、かすり傷程度だったのでもう大丈夫です」
かなり派手に動いたわりに、怪我は大したことはなかった。確かに多少はあったもののそれももう治りかけてである。
そうかと、松平は短く返した。
「まずはこれを」
松平は一枚の書類を差し出す。
春樹も体を倒し、書類の一番上の文字が目に入る。
「契約書…?」
「そうだ。簡単には言えばここで話したことは口外しないという内容だ。これにサインをしてほしい」
黒い手袋をはめた手を前に出し松平はボールペンを差し出す。
書類を自分の目でもしっかりと確認する。
文章を読んだが、確かにそれ以上のことは書かれていなかった。
「はい、わかりました」
松平からボールペンを受け取る。
手が冷えきっているからかただのボールペンでさえ温かく感じる。
ペン先を出し、名前を書く。
「…?」
ペンを紙に滑らせる。
「……?」
違和感を覚え、春樹の手が止まる。
「あの…これ、インク切れてます」
「ん?あぁ…そうだったか」
インクの出なかったペンを春樹から受け取り胸ポケットに刺さっていた別のペンを出し、春樹に渡した。
新しいペンで名前を書く。今度はしっかりと書けた。それを書き終えると、書類を回し、松平に渡した。
「では、始めるとしよう」
テーブルをダブルタップすると、上空に一枚の空間ディスプレイが表示される。いくつか手元を操作すると、春樹たちの前に一つの映像が映し出された。それは先日コンビニの前に現れたザープ映像だった。画面内では赤い炎に包まれたザープが苦しそうにうめきながら燃えている。
「まずは白梅くん。先日のザープ出現に関しての報告を頼めるかい?」
「はい」
柚利乃は先日の出撃時に起きたことを松平に話す。一体目のザープについてそして、二体目のザープについて。
「_最後に、時間差で三体目が出現し、即座に急行しました。しかし、私が駆けつけた時にはザープは炎に包まれており、その後燃え尽きると同時に生体反応もロストしました。私からは以上です」
「そうか、ご苦労」
松平は頷き、次に春樹を見る。
「君がザープと接触しているところを映像で確認した。三体目のザープを倒したのは君であってるかね?」
一瞬体を怯ませる。
少しの沈黙の後、春樹は頷いた。
「はい…そうだと…思います」
歯切れ悪く答える。
ザープに飲み込まれるところまでははっきりと覚えている。だが、それ以降の記憶は正直曖昧だ。自分が生きていて、倒したのが柚利乃でないのならきっとそうなのだろう。
「よければどうやって倒したのか、その時のことを詳しく聞かせてくれるかい?こちらの資料と照らし合わせたいんだ」
「…はい」
それから春樹は覚えている限りのことを松平に話した。緊張でつたない話し方になってしまったが最後まで誠実に聞いてくれた。見た目は怖くお堅い人だが、内心はとても優しい人なのかも知れない。
「なるほど。自ら火だるまになって飲み込まれた…か。なかなか無茶をするな、君は」
賞賛を交えながら呆れたように松平は言う。
「そうですね。自分でも驚いてます」
それに苦笑で返した。
「体の炎はどうやってつけたんだい?」
「えっと…ライターでつけました。引っ張られながらどうにかレジ横にあったものを掴みました」
「ライター…か」
松平は目を伏せた。
少しの間黙考し、そして口を開く。
「ところで一つ疑問なんだが…」
「はい。何ですか?」
端末を操作し、新たに一枚のディスプレイが表示された。隅には春樹の写真が載っていた。
「これは先日、君がうちの病院に運ばれてきた時のカルテだ。打撲と切り傷、その他に目立った外傷はなかったようだ」
なんだろう、少し空気が重くなったような気がする。なんとなく嫌な空気を察し、冷たい汗が額から流れる。
「先ほど火だるまになって飲み込まれたと言っていたな。君はザープの体の中。つまり、最初に見せた炎の中心にいたわけだ。とても、熱かっただろう」
「………何が言いたいん…ですか…?」
依然として松平の表情は変わっていない。だが、その言葉の節々に威圧的な物を感じていた。
「私はね、君の話を聞いて不思議に思ったんだ。あんなに激しく燃える炎の中心にいてどうして君は___火傷をしていないんだ、ってね」
その言葉に春樹の身が硬直する。
どこかほどけかけていた緊張の紐が固く結ばれる。
「………」
心臓が早鐘を打つ。
松平の黒い眼孔は全てを見透かしているかのような、一歩間違えたら飲み込まれるような、そんな恐怖を感じる。
「…運が良かった、んじゃないんですか…?」
無理に口角を上げ、ぎこちなく返す。
荒れそうな呼吸を抑え込み、平静を保つ。
「運…か」
そう呟くと手元を操作し上空に表示されたディスプレイを全て閉じる。
そして、松平は手に持った物を春樹に見せる。
「これは先ほど君が持っていたペンだ」
「………はい?」
脈絡がない言葉に春樹は呆けた顔をする。
それは始めに渡されたインクが切れていた方のペンだった。
「それが何か…?」
意図がわからず、春樹はきょとんとする。
思い当たる節が何も見つからない。
「君がこれを受け取ったとき正直私は驚いたよ」
ペンを縦に持ち松平はそれをゆっくりと自分のコップの上に運ぶ。
「私にはとても____熱くて持てない」
手を離し、コップの中にペンが落ちる。瞬間、中のお茶が沸騰し、蒸気が立ち込める。コップ内は気泡がブクブクと音を立て絶え間なく暴れる。温度に耐えきれなくなったコップは割れ、テーブルにお茶が広がる。
その水面に唖然とする春樹の顔が映し出される。
「うちの開発部には優秀な子がいてね。ペン型で高温に発熱する機械を作ってくれと頼んだら、半日で作ってくれた。今も軽く100℃は越えているよ。私もこの耐熱性の手袋がなければ触れることすらできない」
無意識にペンを持った右手を隠す。
松平は手袋を外し、まだ熱いペンを手袋でくるみ、テーブルに置く。
「このペンを持てたのも、また運…かね」
二の句が継げなかった。
目の前の焦点が合わなくなる。
「なぜこのペンを持てたのか。なぜ火傷をしていないのか。そもそも先日の炎は本当にライターでつけたものなのか_」
指を組み、足に肘を立て松平は問う。
鋭い眼差しを春樹に突き刺す。
「では、改めて聞く。あのザープを____君はどうやって倒したんだい?」
「……………」
何かに言おうと喉を絞る。しかし、松平の気迫に気圧され、思うように動かない。
無理やり口を動かすが、僅かにかすれた声が出ただけでそれ以上言葉が出て来なかった。
「……」
ここでようやく理解する。あぁそうか。これが詰みってやつか。
「……………………………ふぅー」
短く息を吐く。開いていた手を握り拳にしそれを春樹は松平に突き出す。その瞬間、柚利乃が即座に立ち上がり構えたが、松平がそれを制した。
拳を半回転させ、手のひらを上に向ける。そして、ゆっくりとその手を開いた。
手の中にあったものを見て松平は頷く。
「…そうか。やはり_」
そこにあったのは小さな炎だった。ろうそくほどの少し風が吹けば消えてしまいそうな炎がゆらゆらと揺れていた。
「これが俺の力です」