第126話 禍根を絶つ 後編 (三人称視点)
「こうしてお顔を拝見するのは、何年ぶりでありましょうか」
ルカオコが、デツーグを真っ直ぐ見つめて言い放った。
「なん、何故だ、何故……」
デツーグは、狼狽しつつそれしか言えない。
大家を背負って立つとは、とても思えぬ姿であった。
「……トキーチロのお陰ですよ、兄上様」
その名を出す時に声を詰まらせ、それでもルカオコは視線を外さない。
「トキーチロは、兄上様の目を盗んでずっと……ずうっと私の体を治療してくださいました。悟られぬように【ジェマ】からお薬を取り寄せ、時には【ログン山脈】まで行かれ……霊薬を都合してくださいました」
医療技術にも造詣が深い国と、効能が高い薬草が自生する難所の山。
当主の息のかかった配下の目を盗み、トキーチロはそれを成したのだ。
一切気取られず、ルカオコを病弱で明日をも知れぬ身だと思い込ませたまま。
「トキーチロ……おのれ、おのれ裏切者めが!」
「それをあなたが言いますか、兄上様。父上が、おじい様が……否、先祖が代々守り伝えてきたサジョンジの名に泥を塗っても!なお!!」
烈火のごとく言い切ると、ルカオコは咳き込んで体を折る。
それを、傍らの黒子がそっと支えた。
「これで、お家も立ちゆきましょう。さあ……デツーグ様、剣を取られよ」
ゲニーチロが、呟く。
「それとも、お手向かいなされますかな? それもまた、よし」
す、と前に踏み出すゲニーチロ。
「この爺の首を落とされますかな? それも結構にござる」
なんでもない、といった態度のゲニーチロ。
左手から突き出した柄だけが、何かを発露するようにかちゃりと震えた。
「見事、討ち取られた暁には……お命だけは、お助けしんぜよう。その場合、配下共にも手は出させませぬ」
デツーグの目が、テーブルの上とゲニーチロをせわしなく往復する。
「お覚悟なされませ。ことここに至っては……もはや、道は2つにござる」
ゲニーチロがまた一歩、前に進む。
「潔く首をお召しになるか、拙者を斬ってここより逐電なさるか……その、どちらかでござる」
デツーグは、一歩下がる。
「こ、このような乱暴狼藉……【神前衆】や【三法家】が黙っておらぬぞゲニーチロ!」
トルゴーンの国家運営機関、そして司法機関の名を出して狼狽するデツーグ。
だが、それをゲニーチロは切って捨てた。
「――死人は喋りませぬよ、デツーグ様」
氷のように冷たく、だが殺意が存分に込められた声で。
「それに……サジョンジは、否、貴方様はいささか敵を多く作り過ぎましたな。他家の方々にも、『当主交代もやむなし』とのお許しを頂いており申す……更に」
ゲニーチロの外套が動き、右手が出てくる。
その手には、一枚の紙が握られていた。
「そ、れは……!」
デツーグの体が震える。
ゲニーチロが薄く魔力を流すと、その紙から音が出る。
『此度のこと、万事ぬかりなく取り計らうように』
『御意……街への、被害は?』
『気にするな。獣人ばらがどうなろうと知ったことではない……よいな、確実に巫女を失脚させよ。リルコのためにもな』
『御意に、御座います』
トキーチロと、デツーグの声が響く。
「これ、この通り」
『魔導声紋紙』と呼ばれる魔法具である。
言ってみれば、音声を記録する紙製のレコーダーのようなものだ。
「しかるべき場所で調べれば、これがあなた様のお声だと知れましょうな。そして刻まれた魔導印はトキーチロめのもの、知っての通り偽造ができるようなものではない故に」
あきれるほど高価な、使い捨ての魔法具。
一度だけ音声を記録し、改ざんしようとすれば呪われるように設定されている魔法具であった。
この世界において、万物は全て固有の魔力の波動……【振動数】を持つ。
それゆえに証拠能力は、絶大である。
「トキーチロ……おのれ!たばかりおったか!全て、全てあやつの掌の上であったか!!」
「で、ありましょう。始めから、全て……あ奴はこの為に動いて御座った」
紙を懐にしまい、ゲニーチロが呟く。
その声には、隠しきれぬ悲しみが滲んでいた。
トキーチロは、ひたすら耐えていたのだ。
ルカオコを治療しつつ、いつの日か当主の首を挿げ替えるその日を。
自身と【影無し】の能力を自負し、その有用性からデツーグが自らを排することはないと確信しながら。
ひたすらに。
「そもそも、兄上様がサジョンジを背負って立つに相応しき方であれば……仕えるに値する方であれば、トキーチロは従ったでしょう。ですが、兄上様はそうはならなかった……そうは、ならなかったのです」
黒子に支えられ、肩を揺らしながらルカオコが言い放った。
燃え盛る程の意思を、両目に宿らせて。
「知った風な口を……妾腹めが!」
「妾腹風情にも、わかること、できることはございます。兄上様には、わかりもできもしないことが!」
「っぐ、こ、この……!」
デツーグが苦し紛れに放った言葉にも、その眼力が衰えることはなかった。
「――兄に楯突くかァ!下賤の端女ごときがッ!!」
デツーグが魔力を練る。
間髪入れずに両掌から放たれるのは、紫電を纏った魔力塊。
激怒しつつ練られたとはいえ、その保有魔力は並の魔術師を遥かに凌ぐものだった。
――それが、ゲニーチロの左裏拳によって雲散霧消した。
「――向ける、相手が違いますな」
かすかに甲を焦がしただけのゲニーチロが、低く呟く。
「それほどのお力があれば、如何様ともなりましょう……さあ、剣を抜かれよ」
後方への射線を遮り、外套を揺らすゲニーチロ。
立ち姿は自然体で、何の気負いもない。
「ぐ、う、うぅう……!」
魔法では勝ち目がない。
虫人の中でも上位に位置する程の、高密度の甲殻を有するゲニーチロ。
生半可な魔法では、それを破損させることなどできない。
そう、トキーチロのような手練れでなければ。
「……母と、娘は、どうなる」
デツーグの手が、震えながら剣へ伸びる。
ゲニーチロの言葉が真実であるなら、この剣はエンシェント種に属する竜の牙。
何の魔力を通さずとも、岩塊くらいなら楽に両断する程の切れ味がある。
それに魔力を乗せれば……ゲニーチロの甲殻とて、どうなるか。
「ご安心めされよ。ただの愚かな女どもの首を欲しがるほど、我が配下は血に飢えてござらぬ……メイヴェル様に帰依するだけのこと」
これは、俗世とのかかわりを断って寺院に籠ることを意味している。
多くはないが……トルゴーンを揺るがすほどの罪人の家族がよくされた刑罰である。
死ぬまで、俗世間には戻れない。
「……そう、か……時に、大角よ……何を払えば、儂を見逃してくれる?」
ルカオコの目に憐憫と、軽蔑の色が浮かぶ。
ここまで醜態を晒しつつ、まだ五体満足で生きながらえるつもりなのかと。
我が兄は、これほどまでに生き汚いのかと。
「――そのみしるしだけで、十分に御座る」
にべもなく切り捨てたゲニーチロ。
言葉の端に、再び殺意が滲み始め……ぎちり、と拳を握る音が響いた。
「頼む、この、この通りだ……当主も妹に譲り、隠居する。俗世には関わらず、里で死ぬまで暮らす……どうか、どうか……」
床に膝をつき、身を投げ出すデツーグ。
哀れを誘うその姿勢を冷ややかに見つつ、ゲニーチロは何か言おうとして、口を開き……一度閉じた。
そして、もう一度開く。
「……このような見下げ果てた暗愚がために、命を捨てる価値はあったのか……トキーチロ……」
僅かに震えながら放たれるその言葉に、這いつくばっていたデツーグの震えは逆に止まった。
「……なんと、ほざいた」
ぐう、と顔が上がる。
命乞いから一変、憤怒の雰囲気だった。
「見下げ果てた暗愚だと申したのよ。あなた様の所業、それ以外の何がありましょうか」
デツーグが立ち上がった。
先の発言は、彼の尊大な自尊心を大いに傷つけたようだ。
「……戦働きだけしか脳のない、成り上がり者の分際で……ようもほざきよったな」
「何度でも申しましょう。サジョンジの長とも思えぬその所業……先々代も、先代も……否、トキーチロにも遥かに劣る、暗愚であると」
「なんだとォ……!!」
デツーグが、剣の柄に手を伸ばす。
彼がこうまで正面から罵倒された経験は、不幸なことになかった。
なかった故に、こう『なり果てた』のだ。
「御託は、もうよい。お主も仮とは言え、当主ならば腹を括れ」
ゲニーチロの言葉に乗っていた、わずかばかりの敬意が剥がれ落ちた。
「――さっさと抜けぃ……小僧ォ!!」
ゲニーチロの大音声が響いた瞬間、デツーグが動く。
剣の柄を握って引き寄せながら、テーブルを蹴り上げる。
重く豪奢なテーブルが宙を舞うのに合わせ、魔力を練って――放つ。
テーブルはゲニーチロの上半身へ、魔法は下半身へ行く軌道。
どちらを躱しても、受けても、隙ができる。
「――るおおおおっ!!」
デツーグが、絨毯が千切れ飛ぶほどの力で床を蹴る。
狙うは、ゲニーチロの、首。
腐ってもサジョンジ当主。
その腕前もまた、並ではなかった。
テーブルが、轟音を上げてゲニーチロに衝突する。
続いて、魔力塊もまた。
「――でいやァッ!!」
空中のデツーグが放った抜き打ちが、光りの尾を引いてゲニーチロの首へ向かう。
速度も、膂力も一級品。
加えて、得物は値段など付けられないほどの業物。
一刀が、ゲニーチロの首に食い込んだ。
生々しい音が、部屋に響く。
「な……に、ぃ?」
デツーグが、声を漏らした。
信じられぬ、とでも言うように。
「――これほどの隙を与え、これほどの一振りを与え、それでも……この程度か、この程度であるか、小僧」
振り抜いた一刀は、ゲニーチロの首に食い込んだ。
――『食い込んだ』だけであった。
首の装甲に切れ目は入ったが、出血はついぞしていない。
そして大木に斧を入れたように、固く食い込んだ剣は……デツーグの手を、離れた。
「っひ、ま、まま、待て、待て……」
大きな体を縮こませ、デツーグが後ずさる。
彼我の戦力差の隔絶振りに、今更気付いたのだ。
100度戦っても、勝てるはずのない相手だと見に沁みたのだ。
もう、抵抗する気力は萎えている。
「ま――」
何度目かの、命乞いの最中。
何かを言いかけたように口を開けたまま――デツーグの首が、宙を舞った。
ゲニーチロは体を動かしたようには見えず。
ただ、一陣の風だけが激しく部屋を吹き抜けた。
「――幻魔流【シュンライ】……せめて、トキーチロの技で征け」
ゲニーチロが呟くのとほぼ同時に、首が地面に落ちた。
続いて、残った体から鮮血が迸った。
「ルカオコ様、我ら【影無し】一同……新当主様に忠誠を誓います」
覆面を脱ぎ、跪く虫人の娘。
それは、トキーチロの孫娘にして【影無し】頭領……カルコであった。
「こちらこそ、よろしくお願いします。まだ名実ともに半端者ですが……必ず、信に能う当主となることを私も誓います」
カルコを前に、ルカオコが告げる。
「ゲニーチロ様、此度は誠に……」
振り向き、デツーグの遺体を前にするゲニーチロへ言葉を続けようとしたルカオコ。
「――よき当主におなりくだされ」
その感謝の言葉を遮って、ゲニーチロが告げた。
「さすれば、どこぞの偏屈爺も浮かばれようぞ」
口中で笑い、彼はそう言った。
そして、天井を……否、それすらも越えて遥か遠くを見る。
「……姉上、義兄上をどうぞ、よろしくお頼み申します。随分と……長くお待ちでございましたなあ」
どこか泣いているように見えるその背中は少しだけ、老けたようにも見えた。
・・☆・・
サジョンジ当主、デツーグ。
晩酌中に突如昏倒し、意識を失う。
家中での懸命な治療の甲斐なく、未明に逝去。
死因は不明。
気苦労からの深酒が内臓に障ったと見られている。
葬儀は次期当主、サジョンジ・ルカオコがしめやかに執り行った。
元来病弱な彼女であったが、これも急死したノキ・トキーチロの献身により快方に向かっている。
他家からも、継承について特に異論は出ていない。
……そういうことに『なった』