第99話 顛末。(三人称)
「おい、縛り過ぎじゃ。この上抵抗はせぬし、『体』を痛めるぞ」
衛兵隊本部、貴賓室。
その部屋の真ん中に、トキーチロがいる。
後ろ手に縛られ、全身を半透明の鎖で巻かれ、さらに床には魔法陣。
徹頭徹尾、捕縛のための魔法である。
「それに、もう『合図』があったのでな。儂の仕事は、終わりよ」
イセコの脳を乗っ取った疑似人格は、そう言って可笑しそうに笑っている。
「おう、そうであった……ナハコといったな、お主。この娘の持ち込んだ背嚢に、ポーションが入れてある……疑うならば使わずともよいが、中身は上物よ……儂に蹴られた獣人の小僧と、あのムークに使ってやれ」
「……貴様、何を考えている」
予想外の言葉に、ナハコが声に苛立ちを滲ませた。
「ふん、元よりこういう筋書きであった……ということよ。ゲニーチロが戻り次第理由を聞くがいい」
こき、と首を回すトキーチロ。
「まあ、お主らの好きにせよ……儂にはもう時間がないのでな」
周囲の黒子や、マーヤとミーヤは油断なく武器を構えて動かない。
ムークとターロは、現在別室で治療中である。
「かかか、最後の最後に面白い小僧に出会えたのう……おう、そうじゃ。あやつは稀におる、魔石を生命力に変換できる特殊体質よ。背嚢に入れてある魔石もくれてやれ」
「なに!?【魔素転換者】か!?」
その単語に、ナハコが驚愕した。
「儂もこの長い人生で2人ほどにしかお目にかかったことがないわい……長生きはするもんじゃな。さて……知っておろうが、この娘にはなんの咎も責もない。ゆめゆめ、処刑なぞしてはならぬぞ」
「言われずとも、わかっている!」
怒鳴るようなその声に、トキーチロはまた笑った。
「かかか、本体と接触できれば情報の共有もできようが……それも……無理、か……残念、至、極」
その声が、か細く不明瞭になってゆく。
「……手間を、かけた、のう……こむ、すめ……」
それを最後に、トキーチロの首が前にがくりと垂れた。
それきり、呼吸音しか出ていない。
「……『枯れた』か」
精神洗脳魔法、【種】
その影響下から被害者が脱したことを、そう呼ぶ。
「うあ……あ、ああ」
そして、しばし。
項垂れたままのトキーチロが、否、イセコが呻く。
「イセコ!」
「ナハコ……もう、大丈、夫。縛を解いて……」
そう言うイセコに近付き、ナハコが頭に手を当てて魔力を流す。
「……うむ、完全に『枯れて』いるな……イセコ、死んでは駄目よ」
「……こんな屈辱……嫌よ!お願いナハコ!死なせて!死なせてェ!!」
唯一自由になる首を振り回し、泣き叫ぶイセコ。
それに、誰も答えることはなかった。
・・☆・・
同時刻、城門を攻めていた虫人たちが一斉に抵抗をやめた。
何かの罠か……と、訝しむ衛兵たちの前で、彼らは手に持った武器を地面に落とす。
そして、ローブすら脱ぎ捨てて全裸になり、それぞれの指揮官は異口同音にこう言った。
『降伏する』と。
・・☆・・
「トキーチロ!何故だ!何故最後の交錯で刀を外した!!」
【鎮魂の館】前。
地面に仰向けで転がったトキーチロに、ゲニーチロが吠えていた。
「ふふ、ようやく気付きよったか……詰めが甘いのは、相も変わらず、よのう……」
トキーチロの胸には、大きく焼けた貫通痕。
出血はないが、到底助かるような傷ではない。
「お主……何を考えておる……?」
「ふはは、まあ、待て……もうじき、じゃ」
「何……!?」
りいん、と涼やかな音が周囲に響く。
彼らの後方。
最初に囲い、ゲニーチロの【ハゼタチ】で残らず足を斬り飛ばされた黒子たち。
その中から、『五体満足の』黒子が立ち上がって歩いてくる。
歩きながら、頭巾を剥いだ。
「お主は……!!」
その顔に見覚えがあったのか、ゲニーチロが動きを止めた。
頭巾を剥いだ虫人は、真っ直ぐトキーチロの横まで歩いてきて……跪いた。
「……じじさま」
光沢のある黄金色の髪を揺らした、女の虫人。
その目は、涙で潤んでいた。
「苦労を……かける、のう、カルコ」
「いいえ……お勤め、ご苦労様でございました。後のことは、ワタクシにお任せくださいませ……」
その虫人……カルコは、大きな目から涙をこぼした。
「まさ、か。まさかトキーチロ、お主は……!!」
その様子を見て、しばし考え込んでいたゲニーチロが言う。
「……ふは、は。化かし合いでは、儂の、勝ちよ……」
「お主は、サジョンジを……」
そう言いかけたゲニーチロを、トキーチロが手で制す。
指の欠けた、手で。
「儂は、始めに言ったであろう……?『家に仕える』とな……家が、残れば、何でも、するが……さすがに、家を、潰すほどの……暗愚には……消えて、貰うのよ……」
その答えに、ゲニーチロが狼狽の気配を出す。
「拙者は……拙者は、それに、気付くことが、気付くことが……」
「は、は」
トキーチロが、掠れた声で笑う。
「戯けめが……【影無し】が、事を、露見させるわけが……なかろう……」
そして、大きくため息をつくトキーチロ。
彼の目は、真っ直ぐ空を見た。
「――嗚呼、ラーガリの、空も……青い、の……う……」
それきり、二度と喋ることはなかった。
「……糞爺が」
ゲニーチロが、傷付いた体で立ち上がって吐き捨てた。
「最後の最後まで、化かされたわ」
そのまま、死んだ老人が見た空を見上げて。
「――さらば友よ、いつか、また」
そう、小さく呟いた。
「……【大角】閣下。コレを」
傍らで泣いていたカルコが、懐からマジッグバッグを取り出す。
「ここに、治療薬と慰謝料が入っておりまする。此度の騒動で傷を負った皆様にお使いいただきたい……恐らく、人死には出ていないはずですので」
「……カルコ殿、そなたは……」
カルコは伏し、泣き声で続ける。
「此度の騒動、全て『現当主と影無し首領が成したこと』で御座います……我らは伏して罪を受けまする。この身、いかようにも」
「……そうである、か……」
マジッグバッグを受け取り、ゲニーチロは死んだ老人を見た。
「……頭は回る癖に、とんだ……とんだ、不器用者である」
その声は、どこか泣いているように聞こえた。
・・☆・・
「おやびん、おやびんだいじょぶ!?だいじょぶう!?」
「ムーク様のお加減はどうでやんすか!?」
衛兵隊本部。
そこのとある部屋において、医療魔法士に食って掛かるロロンとアカ。
「ご安心ください。例のポーションが良く効きました……すぐに目を覚まされるでしょう」
豊かな巻き毛をした犬の獣人が、安心させるようにそう言った。
その背後には、ベッドに寝かされて治療用の護符を全身に貼り付けられて眠るムーク。
そして――
「腕が折れたくらいで痛い痛いってなっさけないニャア!ムークなんてお腹吹き飛んだニャゾ!?」
「そう、虚弱。惰弱」
「お前らふざけんなよ……!」
その横で、仲間になじられるターロがいた。
こちらは腕の骨折を装具で固定されているだけで、ほぼ健康体である。
「だいたいよお、おめえらだって例の結界でなんにもできてねえじゃねえかよ!?俺は肉薄してあのバケモンと戦ったんだぞ!!」
「わたしはムークにポーションあげたから役に立ってる。ミーヤは面白い格好で固まってただけだけど」
「なんニャと!?アチシだって足の指全部と足首まで折れてたニャ!!あの爺さんマジでバケモンニャ~!!」
騒ぐ三人に、近付く影が一つ。
「――病人の横で騒ぐのは、ご勘弁を」
「「「ハイ」」」
1人の黒子……ナハコである。
「お風呂が沸きました。マーヤ様、ミーヤ様……薬湯ですので、よく温まってください。ターロ様は申し訳ありませんが、今日は入浴禁止です」
「「「ハイ」」」
謎の迫力に、3人は揃って大人しくなった。
「アカちゃん、上にお菓子を用意しましたよ?ロロン様も如何ですか?」
「や!アカここにいる!おやびんのとこ、いるぅ!!」
「ワダスもここにいるのす!!」
眠るムークの首に縋り付くアカと、傍らの椅子に全力でしがみつくロロン。
それを見て、ナハコは頭を下げた。
「わかりました、こちらにお食事を運ばせます……先程聞いたようにムーク様の状態は安定しております、ご安心を」
そう言って、ナハコはターロたちを伴って退室した。
「おやびぃん……」
涙目で呟くアカの声と。
「……カツドン……食ベタイ……カツカレーデモ、イイ……カツカレーウドン、デスカ?……ウヒョー!今日ハ何ノフェスティバルデス~……?」
よくわからないムークの寝言だけが、部屋に響いていた。