第88話 暗闘・虫人。(三人称視点)
「う~、飲んだし食ったぜぇ!おい!四軒目行くぞ~!!」
「祭さまさま!鎮魂の巫女さまさまだ~あ!!」
「お~い!あっちでラグーシの酒が出てるぜ~!」
「おほ~!飲むっきゃねえな!!」
鎮魂祭、8日目。
日はとうに地へ沈み、夜も更けた。
しかしガラハリの街は、まるで真昼のような賑わいだった。
「あの踊り子の腰つきたまんねえ……嫁っ子にしてえなあ!」
「オラはあのリュート弾きがええだ!見ろやあの乳!尻!」
魔石を燃料とする街灯が煌々と闇を払い、空には同じく魔石で光るバルーンが浮かぶ。
そこかしこで酒や料理の屋台が出ており、広場では遠方からの行商の姿もあった。
他にも馬車で移動する楽団、吟遊詩人の集団、少し奥まった所では伴奏に合わせて煽情的な踊りを披露する異国の踊り子。
「オニイサーン、どう?遊んでかなぁい?」
「え、えれえ別嬪だ……あ、あの、ボク、いやオレ、経験ないんだけんど……」
「あらぁ!あらあらぁ!アタシでいいならどんとこいだよォ!!」
「うわ、うわわわ~!?」
歓楽街ではほとんど裸同然の格好をした美しい女や男たちが客に媚びを売る。
来る鎮魂の儀へ向けて、祭は連日盛り上がりを加速させていった。
この乱痴気騒ぎは、不浄を祓うための儀式の一つでもある。
大気に【生命力】のエネルギーを放出し、鎮魂をより容易にするためだ。
ガラハリの中心に封じられている邪竜。
いまだに不浄な魔力を吐き出し続けるそれに対抗するもの……それは人が持つ『嬉しい』や『楽しい』といったプラスの感情から生まれる、微小な魔力なのである。
12か国で行われる鎮魂の儀。
そのどれもが、場所は違えど同じような陽気な祭なのだ。
――その陽気な闇の中に、似つかわしくない影が一つ。
乱痴気騒ぎが続く街の路地や広場。
そこから離れた……屋根の上。
そこを、音もなく走る影があった。
頭からつま先までを覆うローブ。
風に翻るそのローブの中が男なのか女なのか、それはわからない。
その影は【東街】から【北街】へと至る城門へ向かって走っている。
一般的な冒険者の全力疾走を超える速度で走っているが、音は一切しない。
かなりの速度で踏みしめている屋根の瓦が割れる様子も、ない。
何らかの魔法を使用しているのであろう。
そんな影は疾走を続け、祭の空気を切り裂いて城門へと向かう。
祭中、【北街】以外の城門は開け放たれており自由に移動ができる。
だが、鎮魂の要となる【北街】への城門は別だ。
衛兵は普段の倍以上の数が交代しながら詰めている上、傭兵や冒険者の姿もある。
ごろつきまがいではなく、仕事の実績によって評価された一定以上の水準を持つ者たちだ。
「……」
影は屋根を走り続け、城門から続く高い壁へ辿り着いた。
しばし呼吸を整えると……そのローブから腕を出す。
虫人らしい甲冑のような腕には、鋭い湾曲した爪を有する手があった。
「……」
上を見つめ、その影は壁面にその爪を引っ掛けて登り始めた。
地上を早歩きするほどの速度で、淀みなく。
壁面を砕き、破片を落下させることもなく……するすると。
「おい聞いたかよ、隊長のこと」
ぴたり、と影が動きを止めた。
壁の最上部から声が響く。
「聞いた聞いた、アレだろ?最近街に来たって凄腕の虫人と寝たっていう……」
「え、それじゃねえよ!?っていうか隊長お盛んだなあ……俺もお願いしたら相手してくれねえかなあ」
若い男の衛兵が2人、松明片手に巡回をしているのだ。
彼らはこんな所に賊が来るはずがないとばかりに、下世話な話に花を咲かせている。
「素手の訓練で勝てたらいつでも跨ってやるって言ってるじゃんか。頑張れよ」
「いや無理だろ。あの人片手で岩砕けるんだぞ、魔法抜きで……っと、なんだ?」
衛兵の1人が何かに気付いたのか、松明を虚空へ向ける。
「どうした?」
「いや、今向こうで何かが動いたような……オイ!」
松明の照らす先で、布のようなものが動く。
それを見たもう1人は今までの態度を変え、すぐさま片手で持っていた槍を構え……
「『全き盾よ、あれ』」
『魔導壁』という名の魔法を唱え、盾を展開させた。
これは、ガラハリの衛兵が必ず使える防御用の魔法だ。
「動くな!少しでも動けば殺す!!」
2人の視線の先にある、人が入ったような大きさの黒い布。
それに向け、油断なく槍を構えてじりじりと距離を詰めている。
「武器を捨て、腹ばいにな――」
2つの、重い音。
「っか……」「な、に……」
2人の衛兵は、目を見開いてうつぶせに倒れ込んだ。
その兜の後頭部には、ヒビが入っている。
「……」
倒れた衛兵たちが槍を向けていたのとは、逆方向。
彼らの背後から、影が現われた。
その手には、鎖に繋がれた丸い金属球がある。
あれで、壁に貼り付きながら衛兵の後頭部を殴打したのだろう。
彼らが先ほど見た布らしきものは、幻惑の魔法だったようだ。
影は周囲を見回し、増援の気配がないことを確認して息を吐いた。
「……ガラハリの精鋭といえども、この程度か。これはやりやすい」
低い、ざらざらとした男の声だ。
彼は自分に言い聞かせるようにそう呟くと、武器をローブにしまう。
一瞬足元を見、【北街】方向へ歩みを進めようとして――
「――このような良き晩に、無粋な影がいたものである」
正面に出現した、大きな影を見て動きを止めた。
北街からの明かりに浮かび上がる、逆光の影。
大きく、長い角を有した影……【大角】ゲニーチロである。
「さて、【影無し】よ。お主が――」
「――ぬぁッ!」
その言葉が終わらぬうちに、影は上空へ跳んだ。
そのまま、ローブから不可視の速度で先程の武器が飛び出す。
向かう先は、ゲニーチロの顔面。
「散ッ!!」
その途中で、先端の金属球が爆ぜる。
空中で4つの破片に分裂した鉄球が、それぞれ細い鎖に繋がれたままゲニーチロへ向かう。
顔面、喉、鳩尾、そして股間へと。
「――性急さは若さの発露、であるな」
だが、そのどれもが空を切って地面へと突き刺さった。
そこには、先程までのゲニーチロの姿はない。
掻き消すように消え去った。
「ほう」
「くぁっ!?」
影は、空中で虚空を蹴って身を翻した。
その背後から、裏拳の形で放たれる拳を躱したのだ。
「……ッ!」
二度、三度と虚空を蹴り。
影が着地する。
その視線の先には、裏拳を放った姿勢のゲニーチロ。
「ふむ、身の捌きやよし。お主、中々のものよな」
少し感心したような呟きを聞きながら、影が後方へ跳び下がる。
空中にて、小声で素早く詠唱。
「『纏いて貫け、氷点の捩じ華』!!」
空中が歪み、鋭く尖った氷の破片が生成され――無音で射出される。
その数、8。
「ふむ、見事なり」
ゲニーチロは今度は消えず、その体に全ての氷片が突き刺さった。
突き刺さった、が――
「じゃが、硬度が足りぬわ」
マントすら貫かず、氷片は砕け散って地面へと落下。
これは、一般的な金属鎧を楽に貫通する魔法である。
「化け物めッ!!」
声に怯えを滲ませ、影がさらに跳び下がる。
続いてマントから出てきたのは……クロスボウ。
「旧時代の遺物めが!成仏せい!」
漆黒のクロスボウが魔力で一瞬輝き、加速されてボルトが射出。
鏃に塗られた毒は、大型の魔物すら屠る劇毒である。
「切り札はのう」
迫るボルトに対し、ゲニーチロがマントを軽く振る。
さほどの速度とも思えぬその裾が、ボルトに触れた瞬間にそれを砕いた。
「おいそれと見せぬものである」
そのまま、マントから出たゲニーチロの手がブレた。
「っが!?っげ!?ごぐっ!?!?」
次の瞬間、影が何度も殴り付けられたように空中で震え――衛兵巡回用の通路の手すりに激突。
金属製のそれを体の形に折り曲げるほどの衝撃を受け、口から血を吐く。
薄く魔力を纏わせた拳で虚空を打ち、空気を弾丸として飛ばす。
『遠当て』と呼称される、とある魔導武術の秘奥義である。
「やれい」「ハッ!」
次の瞬間、虚空から何本もの鎖が出現。
影の両手両足に巻き付き、手すりへと固定した。
「かく、なる上――」
血を吐きながら何かを喋ろうとした影が、急に押し黙った。
否……
「おおっと、自害はさせぬよ」
口中に含んだ毒を噛み砕こうと口を開けた瞬間に、先程と同じ遠当て。
それによって影の下顎は砕け、毒を噛むどころか喋ることすら不可能となったのだ。
「衛兵隊の本部へ連れて行け、殺さぬように気を付けて尋問せよ」
「ハッ!……お頭、喋らぬ時は?」
「それであらば仕方がない。最終日まで縛り上げて転がしておくのである」
「御意!」
周囲の闇からにじみ出るように、多数の黒子が出現。
影を手早く気絶させ、止血と簡単な手当てを済ませて再度拘束。
歪んだ手すりを後に残し、夜に溶けるように消えた。
「……さて、若者たちよ。大丈夫であるか?」
消えた配下の方向を見て、倒れたままの衛兵2人に話しかけるゲニーチロ。
「うっす……いやあ、殴られるとわかってても痛いもんすね」
「ほんと、ほんと」
その声に、衛兵は立ち上がった。
ごそりと探った兜の裏から、湾曲した金属板を取り出している。
どうやら、あらかじめワザと殴られる手筈になっていたようだ。
「いつつ……これで5人目ですね、将軍。まだいそうですか?」
「あのようなものは数に入らんよ。手練れはまだまだ控えておる……明日の夜からは配下をここに立たせておこう」
砕けた氷片が付着していたマントをはたき、こぼすゲニーチロ。
「さて……やはり【影無し】は本気である、か。嘆かわしいことである……お主のような頭目がおりながら、なんという体たらくか……トキーチロよ」
「は?今何か――」
「いやあ、このような殺伐とした夜は御免である。やはり夜は美しき女人と褥を共にしてこそ、であるな」
衛兵の疑問にそう返し、ゲニーチロはいつものように呵々と笑った。
笑いながら、一瞬月を見上げた。