4.火をおこしたい
シュオンが狩りへと出かけてからは少しだけ退屈だった。食べ終わってぼんやり彼を待っているだけではあまり時間が経たなかったのだ。
外に出ることはできないのなら中を見て回ろう。勝手に見るのは気が引けたけれど、何も言っていなかったのでたぶん問題ないはずだ。そもそもここで過ごしていくなら確認しておかないといけないことはたくさんある。
そう思い至って中を調べていると、この洞窟は人工的ではない部分もあるものの大半は人為的に造られていることがわかった。
外からはわからないけれど中は意外と広く……火をおこそうとしている入口付近から葉っぱなどをひいた寝る場所までの通りは緩いカーブになっていて、進めば進むほど外の景色も入口付近も見えなくなっていく。そして、奥まで進むと横広さのあるひらけた空間があった。
正方形ではない少し丸めのこの空間は、ちょうど中央に魚が数匹ほど大きめの葉っぱの上に置かれているだけで他には何もない。
わかってはいたけれど、文明のない環境に直面してしまうと……寂しさと空虚さのようなものを感じた。人間だったころの当たり前だったあの便利な環境が恋しいと思ってしまう。
でもすぐに思い直した。必要なものは造ったらよいのだと。今はまだ誰にもできなくても……私なら記憶を辿って知識に縋れば、できることはたくさんあるのだから。少しでも環境を良くすることはできるはずだ。
ひとまず、火をおこすことから始めて……そのあとは何が必要になるだろう。
そんなことを一人で考えていたら思っていたよりは早くシュオンが戻ってきた。推測だけど、たぶん二時間くらいは経ったのではないかと思う。
「おかえりなさい。外は大丈夫でしたか?」
そう声をかけると彼は頷いて答えた。
「大きいのが獲れた」
その言葉とともに見せてくれたのは、服に使った獣皮よりも大きな毛皮だった。
「たしかに大きい……毛皮ですね」
「寒いとき、これを被ればいい」
狩りへ行くと言っていたので、てっきり食料の調達に行ったのだと思っていたけれど……。
「もしかして、この毛皮のために狩りを……?」
「ああ。毛皮と肉を交換に出したかった」
「交換、ですか?」
「肉と物を交換できる場所がある。狩りはできても、俺は物の作り方はわからない。――だから交換してきた」
毛皮のあとに見せてくれたのは石を器用に磨いて作られたと思われるもので、毛皮もその鋭い石も私に必要だと用意してくれたようだ。
親切にしてもらえることを嬉しく思うとともに申し訳なさも感じてしまう。でも、正直とてもありがたかった。あるのとないのとでは気持ちも効率も変わってくる。
「ありがとうございます。助かります」
感謝を伝えると、シュオンは頷いたあとにその二つのものを手渡してくれた。
毛皮は少しだけ獣の臭いがしたけれど、毛が残っているからか服――獣皮や羽織っていた皮革よりも暖かくて実用的だった。
鋭い石のほうも、気をつけて使わないと怪我をしてしまいそうなほどの鋭さがあり、今後ものを切るときに便利で……。持ち手の部分は短いもののあるだけでありがたく、これを作った獣人だろう人物の知恵と器用さを感じられる。
獣人によっては簡単な物作りの技術や習慣はあるのだろう。期待するのは良くないけれど、悲観するほどではないのかもしれない。
「遅くなってすまない。暗くなる前に行こう」
その言葉とともにシュオンの左手が差し出された。手を繋いで行くということなのだろうか……。彼の表情を窺ってみても、変化がないためわからなかった。
ひとまず毛皮と鋭い石を邪魔にならないよう壁際に置いたあと、勘違いなら恥ずかしいなと思いながらも彼の手に右手を重ねてみる。
その判断は正しかったようで、そのまま自然と手を引かれて……私たちは歩き始めた。
手を握られたときにも思ったけれど、私よりも大きな手に包み込まれているのはなんだか落ち着かないのに温かくて離しがたい妙な気分だった。
「火をおこすには乾いた木の枝と、火口と平らな木の板……それと薪と石があると嬉しいですが、この時期でもありますか?」
つい気を紛らわせたくて口を開いてしまう。
「木と石はたくさんある。他はなんのことかわからない」
「あ……えっと、火口は木の樹皮を剥がして細かくしたもので、木の板は木を切ったもののことです。見つけられたらまた教えますね」
詳しくはないものの、前世――亡くなる前にテレビや小説などでサバイバルものの話が流行っていたおかげで、ある程度のサバイバル知識はある。
でも、まだ色々な物の名称が定着していないのだと思うこの世界では伝えるということが難しくて、もどかしいような……やるせない気持ちになった。
実物を見せたり実践しながら説明できたらよいのだけど、冬のこの時期に乾いた木などを集めるのは難しいだろうか……。
そんなことを考えながら歩いていると、見覚えがあるような気がする場所に辿り着いた。まだ歩いてそれほど経っていない近い場所なので、たぶん洞窟に辿り着く前にここを通ったのだと思う。
「この辺りは木が多い。草も少し生えてる」
「近くに木があるのは便利ですね。こんなにたくさんあったらしばらくは困らなさそう」
立派な木々たちを目の前にして、これほどまで自然に感謝を覚えるのは初めてだった。
シュオンから離れ、私は一番近くにあった木に近づいて上から下まで眺める。この木は幹が太めで樹皮が細かい。葉はザクザクと尖った見た目で赤褐色のような色をしていて、匂いは人間だったころに嗅いだことがある匂いがした。
家にあった木のテーブルを思い出してみるとその匂いに近い気がする。なので確実ではないもののあのテーブルと同じ木なら……。
「たぶん、杉の木かな」
「木に名前があるのか?」
「そうですね……。木によって材質が違うので、よびわけるための名前があるにはありますが……」
説明している途中で言い淀んでしまう。
他の物もそうだけど、木に名称があってもそれを知っているのも使うのも私だけなのに……この世界で使われていない名称を覚えてもらう必要はあるのだろうか。
「これはスギと言ったか?」
「はい。私は……この樹皮と葉っぱの見た目をしている木は、杉とよんでいます」
躊躇いながらもそう伝えると、シュオンは興味深そうに木を眺め始めた。
「似た木が少し歩いたところにある。あれはこの葉より丸い形で触ったら柔らかい」
「うーん、それはもしかしたら檜の木かもしれません」
「あれがヒノキで、これはスギ……。名前があるのは、わかりやすくなっていいな」
杉の葉を触りながらそう答えた彼はとくに不思議がることはなく……。むしろ、名称で区別することができる利点に気がついて納得しているようだった。
「草や石にも名前があるのか?」
「そうですね。名前がわからない草や石もありますが、特徴的なものや使い道のあるものには名前があったと思います」
「これは?」
「それはたぶん名前がわからない草――雑草だと思います」
「ざっそう……」
「簡単に言うと、食べたり何かに使ったりすることがあまりない草のことです」
雑草という意味はまた違うけれど、一番わかりやすい使い方ではあるのでそう伝えると……シュオンは手で引っこ抜いた雑草をじっと眺めた。
雑草を真剣に眺める美青年の図は、どことなく可笑しいものの何故か様になっていて微笑ましさまでもある。――たぶん視覚と聴覚で、私の言葉を頭の中に入れてくれているとわかったからなのだろう。
あまり難しく考えなくてもよいのかもしれない。彼を見ているとそう思えてきて……どうしてなのか安堵を覚える。
「たしかにこれは美味しくない」
「食べたことがあるんですか?」
「小さいころ、誰かが食べてるのを見て食べたことがある。そのときはまだ……種族で食べるものが違うことを知らなかった」
「勘違いしてしまいますよね。味覚が違うので仕方ないですが、私も誰かが美味しそうに食べていたら……美味しいのかもと思って食べてみたくなります」
ほんの数分くらいだった思うけれど、少しの間そんなふうにたわいない会話を交える穏やかな時間が流れていった。