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3.知りたい、名前

 

 獣人となったあの日、意識や思考とともに前世の記憶が思い起こされ、父と母や群れ――この世界の自分から(のが)れるように逃げて……。

 その結果、同棲という言葉が正しいかわからないけれど、出会ってまだ()もない白色の獣人と一緒に暮らすことになった。


 短期間での急激な変化に頭は痛むし、まだ現実と夢を混同してしまいそうな混乱はある。でも一緒に暮らすことが決まったあと、すぐにどこかへと出かけた彼が戻ってくるまでの一人の時間で……この世界で生きていかなくてはいけない現実を理解することはできていた。


 長いようで短い時間が過ぎて……たぶん三時間くらいは経っただろうか。


 数時間ぶりに彼が戻ってきたので、私は駆け寄って「おかえりなさい」と声をかける。無意識の行動だったけれど、それが人間だったころに染み付いた癖だと思い出して……少しだけ感傷に(ひた)りそうになった。


 どうしてなのか、彼は立ち止まったままじっと私を見つめている。

 なんとなく目を合わせることができなくて彼の視線から逃げると、出るときには持っていなかったものを持っていることに気がついた。


「着るもの、()ってきた」


 (たず)ねなくても視線で気づいたのか、彼はそれを広げて見せてくれる。


 白地に少しだけ黒色のまだら模様がある、たぶん何かの獣皮じゅうひなのだろう。何の獣の皮なのかは……よく考えるとわかってしまいそうだったので考えないようにした。


「わぁ、ありがとうございます。何か着たいと思っていたので嬉しいです」


 よく見ると、狩った獲物の獣皮じゅうひにしては血が附着していないように見える。少し濡れているのでもしかしたら洗ったり、方法を知っているのなら獣皮じゅうひをなめしたりしてくれたのかもしれない。

 口数は少ないものの気遣いが十分(じゅうぶん)に感じられて……とても嬉しかった。


「大きさがわからない。体に巻いていいか?」


 けれど彼のその言葉によって、嬉しさは動揺で上書きされる。


 着るものを作ってくれようとしているのだから、サイズがわからなくてそういう発想になることは仕方がないだろう。変わらない瞳から下心がないことはわかる。でもそうだとしてもサイズを計られるのはいやだった。


「それはちょっと……自分で巻きたいです。すみません、もし大丈夫でしたら後ろを向いてもらえませんか?」


 正直に伝えると、彼はとくに抵抗もなく獣皮じゅうひを渡してくれたあとに後ろを向いた。

 群れの獣人たちは背を見せることをいやがっていた記憶があるけれど、そういえば彼は最初から私に背を見せていたことを思い出す。


 改めて他の獣人との違いを感じながら獣皮じゅうひを体に巻いていくと、内側は想像よりも生々しい感じではなく肌触りが良くて……とても暖かく着心地が良かった。


「できました」


 その言葉で振り返った彼は、私を見てわずかに口元を緩めた。


「似合う」


 たった一言、それだけだったけれど……真っ直ぐな感想を嬉しく思う。人間だったころも着た服を褒められると嬉しかったのだけど、それは今も変わっていないらしい。


「そのまま背中、向けてほしい」


 言葉に従って今度は私が背を向ける。そうするとすぐ後ろから気配を感じて、緊張からか反射的に体に力が入ってしまった。

 彼はそんな私の様子をとくに気にしていないようで、たまに獣皮じゅうひ越しに感じる手の温もりは(せわ)しなく動いている。


 たぶん動いても落ちないように固定してくれているのだろう。縫っているのか、固めているのか……どういうふうにしているのかはわからないものの段々と締まっていく感覚があり、押さえていなくても大丈夫になってきていることがわかる。


「できた」

「――凄い……。ワンピースみたい」

「きつくないか?」

「大丈夫です。ありがとうございます」


 服を着ることができている。それだけでこんなにも気持ちが軽くなるとは思わなかった。

 肩と手、それから膝から下は露出した状態のままだけど……。それでも、皮革ひかくを羽織っているだけよりは格段に安心感が増していた。


 眺めては触ってを繰り返していたとき、小さく笑う声が聞こえたことで我に返る。


「気に入ったなら、よかった」


 そう言って、目を細めながら口元を緩めた彼の表情にまた目を奪われたけれど……。見られていたことへの羞恥心と赤くなっていそうな顔を見られたくなくて、反射的にうつむいてしまった。


「どうかしたか?」

「……いえ、少し恥ずかしかっただけです」


 私の態度や言葉の意味がわからない様子の彼は、わずかに首をかしげている。


 前世の記憶があるので男性にまったく慣れていないということはないと思うのだけど――と考えたものの、たぶん記憶や経験は彼の顔の良さと真っ直ぐな言葉に対しては意味がないものだとすぐに悟った。


「そういえば名前を教えてもらえませんか?」


 あからさまに話題を変えてしまったけれど、名前を知りたいのは本当だった。これから一緒に過ごしていくのなら名前を呼べないとお互いに不便だから。


「名前……? 俺の名前が知りたいのか?」


 でもまさかそんなふうに聞き返されるとは思わなくて……。彼の反応を不思議に思いながらも(うなず)いた。


「……お前ならいいか」


 その言葉の意味もわからなかったけれど彼の表情に変化はないので、たぶん深い意味はないのだろう。


「シュオン」

「シオ……、シュオン?」


 間違いそうになりながらも言い直すと、彼――シュオンは肯定するようにうなずいた。


「私は……莉叶(りと)です」


 この世界での名前の記憶はある。一瞬だけ悩んだものの、私は前世のころの名前を名乗った。


 シュオンは私の名前を小さく呟いたあと、どうしてなのか口元を手で(おお)い……私と目が合うと逸らすように目を伏せた。それはまるで照れているような様子ではあったけれど照れる要素はなかったように思うので、気のせいかもしれない。


「シュオンさんは……」

「シュオンでいい」

「……シュオンは何族ですか?」

「クマ族、だと思う」


 曖昧な言い方であることは気になったけれど、クマ族だと聞いて納得する。

 眠ってしまう前に見た白くて大きなものの正体と、洞窟で暮らしていて寒くても冬眠することなく動きまわれていることを考えると……シュオンはクマの(なか)でもたぶんシロクマ――ホッキョクグマという種類に近い獣人なのだろう。


「リトは、ウサギに近い匂いがする」

「ウサギの匂い……? 母親がウサギ族なので、それでかもしれません」


 うさぎの匂いがどんな匂いなのかわからなくて、良いのか悪いのか複雑な気持ちになった。


「種族が違うことはわかってた。――でも、違う種族で俺と同じ色は中々いない」


 その言葉を聞いて、会ってすぐのときにもそう言われたことを思い出す。そして反射的に髪を触ると、胸下まであった長さが肩上くらいまで短くなっていることに気づいた。


「あの……私の髪は、何色に見えていますか?」

「白。二日前は違う色も混ざってた」


 そう言って、どうしてなのか寝ていたところに移動したシュオンが何かを拾って戻ってくる。もうなんとなく察してしまったけれど、彼の手には……予想どおり見覚えのある白茶色の毛の(たば)があった。


 何がどうしてそうなったのだろうか。そう思いながら、ふと彼の言葉に疑問を覚える。


「……二日前?」

「ああ。三日間、リトは寝たまま起きなかった」


 衝撃的な事実に言葉を失った。昨日のことだと思っていたことがすべて三日も前のことだったなんて……。そう思ったあとで、あることに気がついてしまった。それは三日間も寝ていたのなら、寝ている私の世話をシュオンがしてくれていたのではないかということだ。


 衝撃どころの話ではない。詳しく知りたいけれど知りたくない。動揺から固まる私とは裏腹に、彼は表情も変わらず平然としていた。


「――目が覚めて、よかった」


 他意を感じない真っ直ぐなその言葉に、色々と考えてしまう自分がなんだか恥ずかしいような……いたたまれない気持ちになる。


「これはどうしたらいい?」

「あ……もしかしたら何かに使えるかもしれないので、とっておいてもいいですか?」


 シュオンは私の言葉に(うなず)いてから「ここに入れておく」と、毛の束を蓋のない小さな木箱のようなものの(なか)へと入れた。


 とっておくのはなんとなくいやではあったけれど、あれだけの量の毛があると何かを作ることできる気がする。余裕をもてたら考えてみよう。でも今はそれよりもやっぱり今の髪の様子が気になった。


「少し外に行ってきます」


 この世界にはないと思う鏡の代わりに(こお)った海の水面で自分の姿を見たくて、外へ向かおうとシュオンに声をかける。


「一緒に行く」

「ありがとうございます。でもすぐ近くなので大丈夫ですよ」

「一人で外は危ない。たまに悪い獣の匂いがする」

「悪い獣……狂獣(きょうじゅう)ですか?」

「ああ。あいつらは、無差別に襲うせいで血が混ざった独特な匂いがする」


 ついてきてもらうことが申し訳なかったけれど、その言葉を聞いてしまうと怖いので何も言えなくなった。

 狂獣、狂獣人に関することは記憶に残っている。父と母が食べられそうになったときの話や群れの仲間が何人も死んでしまった話を聞いて、幼いながら恐怖心をもっていたから。前世の記憶をもった今はなおさらだった。


「――俺のほうが強い」


 強ばっていた私の様子に気づいてなのか、そう言ったシュオンの瞳からは頼もしく思えるほどの力強さを感じる。そして言葉や態度だけではなくて、不思議と本当に強いのだろうと思えた。


「それは……とても心強いです」


 素直にそう伝えると、どうしてなのかシュオンからじっと見つめられた。


「あいつらを怖がって、俺には笑ってくれるんだな」


 その言葉がどういう意味で言われたのかわからなかったけれど、私の返答を待つことなく外へ向かって歩き始めた彼の様子から返答を必要としていないことはわかる。


 追いかけて見えた彼の横顔は怒っているようには見えなくて……むしろどことなく機嫌は良さそうに見えた。


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