⑲奇跡の種
白と灰と赤に覆われた空間で、しばし彼らは倦怠からくる沈黙に身を投げ出していた。
動ける者は無言で怪我人の治療にいそしみ、あるいは事切れた同胞の亡骸に寄りそって涙を流した。
なぐさめにもならないことではあるが、亡くなった者たちは皆、赤鬼の強烈な一撃によって絶命していた。
あまりにも圧倒的な暴力は、彼らに苦しむ間もあたえず命を奪い去ったのだ。
生き残っている者たちが比較的軽傷であるのも、その一撃をまぬがれたからに他ならない。
奴隷としての運命から解き放たれた青鬼たちは、この日はじめて〝勝利〟という輝かしい栄誉の裏にある現実の重みを知った。
その中にあってひとりだけ、他とは違う苦しみにさいなまれている者がいた。
自らの傷を適当に処置した東雲は、甲板の隅でうずくまっているレイラの姿に違和感を覚えた。
彼女は一見怪我らしい怪我をしていない。
しかし苦悶の表情を浮かべた顔は死人のように白く、過呼吸を起こしている。
「おい、どうした?」
そばへ寄って肩を揺らせば、その身体がぎょっとするほど熱を持っているのがわかった。
己を抱きしめるようにまわされた手が、強く背中に食い込み、爪に血が滲んでいる。
異変を感じ取り、何人かの青鬼たちも集まってきた。
彼らはレイラの様子を目にするや、ハッと痛ましげに息を飲んだ。
なにか心当たりがある様子である。
ひとりの女性が顔をこわばらせながら、そっとレイラのかたらわに膝をつき、静かに声をかけながら衣服をめくりあげた。
白く細い背中があらわになり、悲痛なざわめきが湧きおこった。
「……なんてことだ」
雪のような柔肌に、禍々しい刻印が浮きあがっている。
艦隊の帆にひるがえっていた鬼の国の国章と同じ模様が、溶岩のように赤く熱を発しながら、彼女の肉をじくじくと腐らせていた。
「咎人の刺青だ」
誰かが呆然と呟いた。
それはここにいる青鬼たち全員が、一度は受け入れようとした奴隷の末路であった。
怪訝な表情を浮かべる東雲に、トトが険しい面持ちで説明した。
咎人の刺青とは、重罪を犯した奴隷に刻まれる、肉体と魂を永久に束縛する刻印である。
この証を身に受けたが最後、本国の命令に逆らえば刺青が激痛を生むようになり、反抗すればするほど焼けただれ、最終的には骨まで達し、死にいたるのだ。
なぜレイラがこの刺青を背負っているのかはわからないが、症状は深刻である。
――原因は明らかだった。
彼女は、捕らえられた青鬼たちを救うため、赤鬼の悲願である海図を奪い、あまつさえ計画を放棄しろと脅迫したのである。
本国への反抗の度合いが刺青の呪詛を高めるというならば、これほど罪深い行為もない。
青鬼たちは言葉を失った。
彼女の行動によって命を長らえたというのに、彼らには少女を救うすべがないのだ。
「あきらめてはなりませんぞ!」
トトが、祖父の手帳をめくって言いつのった。
「西大陸には驚くべき効能の良薬が、数多くあると聞きます!」
まるで自分に言い聞かせるように、憔悴したレイラへ話しかける。
「カルディアという植物があるのです。どんな古傷もたちどころに癒し、その者が生まれたままの姿へ蘇らせる、奇跡のような花が」
夢のような話を、トトは必死で語った。
たとえその話が真であったとしても、彼女が西大陸へ辿り着くまで持ち堪えられるはずもない。
そうとわかっていながら、トトはありえない夢にすがった。
もうこれ以上、勝利の果てに失われる犠牲など、見たくはなかったのだ。
優しいネズミの大粒の涙に、レイラはかすかに笑った。
なにもかもあきらめたような、空虚な笑みであった。
「自業、自得よ……。私が、やりたいように、やったの……。だから、悔いはないわ……」
東雲は眉をしかめた。
彼女は相変わらず嘘が下手だった。
それに、あきらめる必要などどこにもない。
東雲はトトが広げる図面に視線を落とした。
白い幽霊のような五枚の花弁と、ひしゃげた葉。
――なんの因果であろうか、それは彼がこの世界で最初に目覚めた場所にあったものだった。
ならばと、腰帯から光り輝く最後のひと粒を摘まみ出す。
「その植物ってのは、種でもいいのか?」
「ええ、むしろ種にこそもっとも多い効能が、そう、ちょうどそのような、タネ……、え?」
ぽかん、と誰もが口を開けて固まった。
あまりにも唐突に彼らの前へ差し出されたそれは、まぎれもなく手帳の一ページに描かれた図説と相違ない。
「嘘……」
真っ先に否定へ走ったのは、救おうとした張本人であった。
彼女だけでなく、あまたの視線が紙面と実物とを往復し、それでも信じられずに絶句している。
確かにあまりにも出来過ぎた展開であるが、あるものはあるのだ。
東雲はしびれを切らして、種をレイラの口内へ強引にねじ込んだ。
「とにかく食え」
効果のほどはすでに実証されている。
彼こそ、その生き証人である。
これは憶測だが、蜩や他の亡者たちがそうであったように、東雲もまたこの世界へ堕ちた当初は黒いヘドロの化物だったのだろう。
そして偶然、砦の地下にあったこの種を取り込み、今の肉体を得た。
そう考えればすべての辻褄があう。
とはいえ、それが真実かどうかは定かではないし、青鬼の少女にも同じ効力が現れるとは限らない。
もしかするとヘドロののっぺらぼうになったり、突発的におかしな行動をとるようになるかもしれないが、どのみちこのままなにもしなければ彼女は死ぬのだ。
数秒、未知への懐疑に躊躇していたレイラであったが、最終的に東雲と同じ結論に達したようだった。
意を決して彼女は種を呑みこんだ。
青鬼たちは祈るような想いで、痛ましい刻印が少女の背中から消えるのを待った。
しばらくはなんの変化もあらわれなかった。
しかし段々と彼女の呼吸がゆるやかになり、腐りきった果実のようであった肌が健康的な色を取り戻していく。
歓声があがった。
奇跡だと、我が事のように涙を浮かべる者さえいた。
だがしかし、その声は急速にしぼんでいった。
レイラは一命をとりとめた。
しかしそのかわりに、美しい銀白の髪は、刻印の熱が移ったかのごとく燃えるような緋色を宿した。
――少女は、混じり者であった。




