16 Choses vues
彼岸と夢野は、それぞれの使い魔を空に放った。
「なにか手がかりを見つけたら、すぐに報告しろよ」
彼岸は、のびのびと飛んでいく朱華に呼びかけた。彼女は一声鳴くと、どんどん遠ざかり、小さな黒点になって、やがて見えなくなる。夢野のカラスである縮緬は、朱華とはべつのほうへ向かっていった。空からの情報収集は、彼らに任せることにしたようだ。
夢野の家は、研究所などがある中心街からはすこし離れている。この建物のまわりは、広いリンゴの森。空からこの林を見下ろせば、うっそうとした緑の間を小道が走っているのが見える。ときどきぽっかり空いた空間には建物があり、その半分以上は生神が住んでいる。残りはたぶん、まだ空き家だ。
続いて、猫の姿に変わった緋髪小僧も颯爽と情報収集にむかった。いっぽう、黒髪小僧はといえば。ッ黒猫姿に変わったのはいいけれど、どっしりと尻を地面につけたままで、動く気がなさそうだ。しっぽだけは荒々しくて、不服そうにばたばたと動き回っている。夢野は、それに気づかないフリをする。
「敵襲があったってこと、黄髪小僧から聞いたのだろう。もう一度、彼から話を聞きだしてきてよ」
つとめて冷静な口調だった。さっきの言い争いは水に流してやる、ということだ。黒髪小僧はしぶしぶ腰をあげて去っていった。
黒髪小僧は、無表情で冷静かと思えば、すぐに怒って悪態をつく。それが彼の個性と言えば個性だけど、どうもそれを認めてやる気にはなれなかった。永いあいだ待って・待って・待ち続けて、ようやく黒猫が手に入ったこと自体は嬉しい。ようやくほかの同期の生神たちと肩を並べられたからだ。でも、自分の理想の使い魔像からはほど遠くて、がっかりしている。性格を矯正するのは、主の仕事じゃない、と考えるようになった。彼が変わるのを待とうと思うくらいだ。
彼岸は、慰めるように夢野の肩に手をまわし、街の中心に向かって小道を歩き出す。
「気に病むなよ。まだ短い付き合いだけど、黒髪小僧は手を抜くような奴じゃないと思うぜ」
「それは、ぼくもわかってるけど、」
夢野は小さな声で言う。彼岸は、ふきだすように笑った。
「なんだ。あいつのいいところ、少しはわかってるじゃないか。叱ってばかりじゃなくてさ、信頼しているってことを、言葉にして伝えなきゃ」
「必要ないさ。たとえぼくが褒めたとして、あいつはきっと喜ばない。『僕のことは僕が一番理解してますから』とか言うんだ」
「ばかだな。そう言われたら、殴ればいい」
「きみ、緋髪小僧のことを殴ってるの?」
夢野ははっとして彼を見た。しかし、彼はにやにやと冗談っぽい笑みを浮かべている。
「まさか。あいつはしっかり言うことを聞くからな。そうじゃなくて、腹が立ったら怒ってもいい、と言ってるんだよ。褒めたり叱ったりして、しっかり自分の意思は伝えるんだ。こんな初歩的なこともできないなんて、嘘だろう。それを怠って自分の家の中で使い魔とトラップ合戦なんて、陰気な真似はよせよ」
「いまさら引っ込みがつかない」
彼岸は立ち止まって、夢野の胸を強くたたいた。冗談の笑いは、もうない。
「おまえが、退くんだ」
夢野は言い訳をぐっと飲み込んで、親友の忠告に頷いた。すると彼は、満足そうに微笑んだ。やっぱり、彼岸は夢野の数歩先を歩いている。いつのまにか、自分たちの関係は「教える立場と教えられる立場」に収まってしまった。ついこの間まで一緒にいたずらしていた相手とは思えなくて、心のとおり、彼岸のすこし後ろを歩くのだった。
◆
待機令が出ているせいか、街に学生はまったく見当たらない。そのわりに、仕事中らしい生神や使い魔たちが、あわただしく走り回っている。未熟者を相手にしている暇はないらしく、誰に話しかけてもあしらわれるだけだ。彼らから話を聞き出すのは早々に諦めて、中枢機関である『研究所』の様子を見に行くことにする。
研究所は、いつもの数十倍の門番が配置されていて、物々しい雰囲気が漂っている。噴水は凍りついたように静かで、おごそかだ。遠くから観察していると、門番は一般の生神を通さないようだった。入場しようとして門番に止められ、すごすごと引き返していく生神があとをたたない。
「……入れないのか?」彼岸はささやくように言った。
「学生には待機令が出ているからだろう」
ためしに、夢野と彼岸も研究所に入ろうとしたが、やはり門番に止められてしまう。第七商業地区の入り口を守っていた門番とは、「入れない」という意思の強さが数段違う。どうやら今、学生は、待機以外の行動もは許されていないらしい。おもしろくない彼岸は、石ころを蹴っ飛ばして門番の顔面にぶつけた。くそったれ、という罵声つきで。もちろん、門番からは何の反応もなかった。
つぎに、商業地区(中央地区の商業地区だ)に足を延ばしてみる。しかし、ほとんどの店が閉まっている。閉店作業中の店員に声をかけると、「早く帰れ」とあしらわれ、目の前でピシャンと戸が閉められた。
例にもれず、アイビーの店も閉まっていた。アイビーの店は、小さな武器屋だ。短刀がクロスした、繊細なレリーフが目印だ。今はその上にカラスが止まり、キイキイとレリーフを揺らしている。この店の使い魔だろうか。ドアの取っ手には、「閉店」と刻まれたの木片が下げられている。彼岸は、ホコリで白くなった正面扉の採光ガラスに鼻先をくっつけた。
「だれもいないぜ」そうつぶやくと、振り返って夢野を手招きをする。「アイビーのやつ、まだ研究所にいるのか」
「まだ猫神先生と何を話してるんじゃないの。なんだか深刻そうだったし」
誘われた夢野も、彼の下に膝をついて店のなかを覗いてみた。なるほど店内は真っ暗だ。見る角度によって、展示棚の商品の刃が鈍く光る。あれは、魔界・天界・人間界・冥界をつなぐ悪意の橋。これだけは、あやふやな存在感を通り越して、間違いなく互いを傷つけることができる。夢野や彼岸は、この武器をまだ手にしていない。ふつう、育成局を卒業した暁に所有することができる類のものだ。一人前の証なので、憧れではある。ただし、生神自身が使うものではなくて、使い魔に与えるものだ。
この武器が目に入らなければ、しみったれた飲み屋だと思うだろう。どっしりとしたカウンターは相変わらずで、店内は沈黙を保っていた。
「まあいいや」彼岸はどうでもよさそうに答えた。「ここで会えたとしても、『ガキは家に帰れ』って怒られただろうしな」
その時、背後から甲高い声が聞こえてきた。「閉店ですよ、お客さん」。突然のことに、心臓が跳ねた。夢野と彼岸は、数センチは飛び上がっただろう。
「ありゃりゃ。彼岸さまに夢野さまじゃあ、ありませんか」
目を丸くして振り向くと、二本の剣を抱えた少女が立っている。明るい緑の長い髪を二つにくくった、棒のように細い女の子。彼女はにっこりと笑ってお辞儀をする。アイビーの黒猫、翠髪小僧だった。そうと知れると、夢野は脱力してへたりこむ。彼女はひとりきりで立っている。
「アイビーは?」夢野はきょろきょろとあたりを警戒深く見回しながら聞いた。
「姐御は、今も研究所にいらっしゃいます」やっぱり、と彼岸は頷く。「何か御用ですか。スイでよければ承りますです」
彼女は、抱えていた刀の鞘をこちらに突き出した。ごく小さいけれど、翡翠色の石のようなものがはめ込まれている。彼女の店の品だという証拠だ。この店の手にかかった品は、必ずどこかに翡翠色の目印がある。買い物に来たわけじゃないと言うと、彼女は不思議そうに唇をとがらせた。
「お二人は出歩いていてよろしいのですか。学生には待機令が出ているはずです」
夢野と彼岸は、ふと顔を見合わせた。
「……まあ、そうなんだけどね。たぶん、だめだろうね」
「では、お帰りにならないと」
「翠髪小僧が協力してくれたら、ね」
さきほど猫神の部屋で聞いたことがほんとうなら、アイビーはすべての大会議に出席しているらしい。そして、翠髪小僧はアイビーの使い魔だ。ということは、翠髪小僧もいままでの「大会議」に出席しているかもしれない。それなら、翠髪小僧は現状を正しく把握しているんじゃないか、と期待した。彼らは、自分たちより首一つぶん以上小さい少女に詰め寄り、こそこそとささやく。
「協力してくれないか。おれたち、『敵襲』のことが知りたいんだ」
手がかりにぶつかった喜びで、自然、二人は浮き立つようだ。
「どこ、どこで起きたんだ? 被害の状況は? それから、守護隊の動きは? 知っていること、何でもいいから教えてくれ」
しかし、翠髪小僧はとまどった様子で首を横に振る。
「スイは会議にでとりませんから、詳しいことはわからんです」
ほんとうにわからないような表情だった。嘘をついているようにも見えない。
「でも、アイビーはきみにいろいろ話してるんじゃないかな」夢野は食い下がる。
「姐御は、スイに難しいことは教えてくれません」
「難しいことじゃないだろう」
「お仕事以外のことはぜんぶ、スイにとっては難しいことです、だって、姐御は、お仕事以外のことはスイには必要ないとおっしゃいます」
ふうむ、と小さな沈黙が下りたが、一瞬のことだ。彼岸は憐みっぽく眉をあげる。
「そういえばおまえ、訓練局に通ってないんだよな。黒髪小僧や緋髪小僧よりも古株なのに」
「時期が来れば、と姉御は言います」
「とか言ってさ、行かせないつもりだぜ、あいつ」彼岸は翠髪小僧を脅すような言い方をして、意地悪く笑った。「便利な小間使いをガッコウに預けるのは無駄だーって思ってるんだよ」
ふつう、魔界にきた黒猫は「訓練局」で教育を受ける。小僧たちも例にもれず「訓練局」の生徒になるはずなのだが、この翠髪小僧は違う。直接、主人の手足として働いている。
「べ、べつにかまやしません!」
心外だ、という調子で彼女は頬を赤くした。彼女はどうやら、訓練局に通いたくはあるようだった。しかし、アイビーの判断で今は通わせていない。それでも黒髪小僧なんかよりはずっと長くここで生きているはずだ。今更とくべつに学ぶこともなさそうだけれど。
通せんぼのように彼女の前に立ちはだかっていた彼岸と夢野は、両脇に避けた。アイビーを店のなかに通して、さよならと手を振った。
◆
収穫なし、と諦めるのはまだ早い。
彼らのほかにも、今回の事件に興味を持っている生神はいるはずだ。とくに好奇心旺盛な学生。この大騒ぎに参加させてもらえない鬱憤から、こっそり影で動き回っている可能性があった。ちょうど、今の彼岸と夢野のように。そんな連中に心当たりがある。それは、第七所業地区へちょくちょく行ってる連中だ。つまり、ユカリの住んでる集合住宅の連中のこと。この上級生の集団は、ひときわいたずら好きで有名だった。彼らだったら、きなくさい事件の詳細くらいさっさと集めて、好きに楽しんでいそうだった。
今回の訪問では、礼節をもって呼び鈴をしてみた。待機令がでているのだから、住人の学生たちはなかにいるはずだ。……秘密の通路をつかって、ここから抜け出していなければの話。前に忍び込んだときは気付かなかったけど、ここは「夜道の館」という名前があるらしい。玄関わきに、小さなプレートが立っている。どういういわれがあるかはわからないけれど。
扉が、木のきしむ音をたてながらゆっくり開いた。プレートをしげしげと眺めていた夢野と彼岸は、そのままの姿勢で、首だけを動かし、音のしたほうを見る。隙間から見えるのは、ふかふかのくせがついた紫色の髪。いまにも泣き出しそうな、頼りない顔つき。しわしわの服。まちがいなく、紫の主人、ユカリだ。夢野と彼岸は、いじめられっこをからかうような調子で彼に挨拶ををする。ユカリは、ぱっとしない表情から一変、満面の笑みを浮かべて夢野と彼岸に駆け寄った。ぱたぱたとズボンのすそが床をはたく。
「いらっしゃい、夢野くんに、彼岸くん。待機令が出てるのに、遊びに来てくれたの」
「遊びじゃないって。情報を買いに来たんだよ」
首をかしげるユカリに、事情を説明した。すると彼は、とりあえず「パヴェル」という少年に会ってくれ、と言う。ちっとも威厳のない上級生の先導で、彼らは「夜道の館」の応接室に案内された。