15 Critique et vérité
猫神の許可によって開かれたドアから、勢いついた人影が飛び込んできた。猫神が言ったとおり、緑の主人“アイビー”だった。鍛え抜かれた肉体は、女型フォルム特有の柔らかさが感じられない。肩をいからせてずかずかと歩くので、羽織っているだけのロングコートはうっとうしくはためくし、目深に被った鍔つき帽子さえ後ろに飛んでいきそうだ。ブーツの音を響かせて立ち止まり、猫神のいるステージをにらみ上げた。少し遅れて、使い魔の少女が並んだ。
夢野と彼岸は、そんな怒れる客人の背中ををまじまじと観察する。
「……おれたちのことは無視かよ」
いつも彼女に可愛がってもらっている彼岸は、いくぶん不満そうに頬を膨らませる。
かと思うと、アイビーに付き従っていた少女がふとこちらを向く。ぺこり、お辞儀をしてみせるのだ。主人の胸部までの高さにも満たないこの小柄な少女は、使い魔の“翠髪小僧”。ごつごつした立派な体躯の主人に対して、使い魔のほうは頼りないほど華奢だ。ミントグリーンの長い髪を二つにくくり、背丈ほどもありそうな刀を背負っている。そういえば、ではあるが、彼女たちの生業は武器にまつわることなのだ。
「やあ、久しぶり。お店のほうは、どう」
口火を切ったのは、猫神のほうだった。その質問に、なぜかアイビーは勢いをそがれた表情をした。“お店のほう”というのは、アイビーが営んでいる小さな武器屋のことだ。
「おかげさまで」
皮肉めいた笑いと一緒になって言ったのだが、急に眉間に険しいしわが寄る。
「でも、世間話をしに来たのじゃないくらい、わかってるだろう。私が言いたいのは、あなたが先刻の大会議の面子から外されていた、ってことだ」
「そうらしいね」
彼岸は夢野にささやいた。「いま、大会議があったのか?」夢野は首をかしげた。知るよしもない。
通常の大会議は会期が決まっていて、今は会期外だった。だから、もしあったとすれば臨時会ということになる。臨時会はその名の通り臨時の会議なので、突発的な案件があったときにしか開かれない。アイビーの張り詰めた雰囲気からして、何か大きなことが起こったに違いない。“突発的な”重大事件の匂いだ。その重大な会議に、古株の猫神博士が出席していないのはなぜか、と言っているのだ。だから、今の猫神の「そうらしいね」は、あらゆるものごとを受け流した・すっとぼけた返事だ。
「他人事みたいないい方だな。どうしてあんたはお構いなしなんだ。悔しくないのか」
「どうしてもなにも。構う必要なんかないじゃないか」
「無責任だ」
「ちょっと落ち着いてよ。君は、出席しなかった僕に対して腹を立てているの? それとも、僕を議員から外した議長に対して?」
猫神は作業の手を止める。椅子にしりをつけたまま椅子ごと体の向きを変えて、彼女に向き合った。彼には彼女の怒りに燃えた表情が見えているわけではないけれども。彼は億劫そうに足を組んで頬杖をついた。面倒な話が始まるぞ、という構えだ。そんな態度をとられて、アイビーがカッとなるのも仕方ない。火に油だ。
「この腰抜け白猫」
――と叫ぶと同時に、彼女はブーツで階段の手すりを蹴った。ぐわんぐわんと揺れている。アイビーはもともと、口より手足が先に出るタイプなのだ。頭で動く猫神博士とは違って。そんな正反対の彼らがここまであけすけになれるのは、縁が長いからこそだろう。それは、はたから見ているからこそわかることだ。
「無責任、と言ってる。あなたは12主人の代表者なんだ」
「君が出席することで、12主人の出席枠は埋まっているはずだ。たとえ君が武器界の代表として出席したつもりでもね。大会議の紀要にもあるじゃないか、ほかの代表とかけもちをしてもいい、とあるよ」
「ルールの話じゃない」彼女は急に少年らを振り返った。「なあ、あなたは、この子たちの代表でもある。この子達の足場を守るのは、あなたの役目だろうが」
夢野はドキッとした。アイビーに指差されたからではなくて、むしろ猫神の顔に、激しい怒りの色が浮かんだからだ。ムッとする、なんて生易しい程度のものじゃない。いつも能天気そうな彼の眉間に、険しい皺が浮かんでいるのだ。たかぶっているアイビーは、彼の不穏な変化に気付いていない。彼女の怒りのボルテージが上がっていくにつれて、猫神は逆に不気味に静まり返っていく。まるでエネルギーを溜め込むように。
そしてついに、怒りにまかせてまくしたてるアイビーに対して、とうとう怒鳴ることになる。
「すこし、黙って」
アイビーはびくりと肩を震わせて口を閉じた。
夢野も彼岸も、間抜けに開いた口を閉じるしかなかった。なにしろ、彼らだって、猫神の怒鳴り声なんてほとんど聞いたことがないのだ。彼でもこんなに低い声が出せるのか、とか、そんなことを考える。
その一方で、夢野にはわからなかった。猫神が大会議に出席できなかったことなんかに、アイビーはどうしてここまで感情的になるのだろう。オトナの事情ってやつだろうか。
「夢野くんと彼岸くんは、大会議とは無縁でいるべきだというのが、彼らの“師”である僕の意思だ。たかが君の不機嫌で、彼らを“政治”に巻き込むことは許さないし、僕を動かすために引き出すのもよしてほしい。何より優先されるのは、師の意志だ」
アイビーは思いっきり項垂れ「ごめん」とつぶやくので、猫神は困ったような顔して笑った。いつもどおりの、柔らかい雰囲気にもどっている。
「会議の内容は、例の事件に関する進捗のない取り急ぎの報告会だろう?」
しぶしぶ、といった調子でアイビーは頷く。さんざんわめいた彼女自身、会議の重要性は認めていないらしい。
「そんなことだろうと予想できたよ。だから、出席する必要はなかったんだ。これからもそうだ。会議に出席しようと頑張るくらいなら、もっと具体的で、有意義なことに時間を使えばいい。たとえ僕の存在は会議で必要とされていなくても、僕の頭脳と技術は世界にとって絶対に必要だ。……絶対に」
場の誰もを信じさせる強さで、猫神は言い切った。押され気味だったアイビーは、ようやく長い息をついた。相変わらず、負けん気の強い瞳は消えてはいなかったけど。
「あなたの教育方針に干渉するようなことを言ったのは謝るし、撤回もする。でも、会議に参加してほしいと言ったことは曲げない。これは面子の問題だ」
「面子? 君、まさかそんなこと」
猫神は眉を下げて肩をすくめた。今度はチョットあざけるように笑ってもいる。
「もっともらしいことを言っていたけど、君だけの問題じゃないか。彼岸くんと夢野くんどころか、僕ですら関係ない。八つ当たりもいいところだ」
「それの何が悪い。我慢ならないんだ」歯軋りするように、低い声をひねり出す。「12主人の面子じゃない、あなたの面子が潰れてる。それをあなたが『重要性が低い』とか言い訳してうちやっていることなんか、どうでもいい。……でも、あなたの心積もりなんか、私に関係ない。あなたの言うとおり、これは私の問題だ。私は、あなたが軽んじられていることが、悔しい」
沈黙が流れた。
「さもなければ、招集状を無理やりにでも書かせてやる」
「御免だね」
べえ、と舌を出す“博士”を見て、ほんのりおかしくなる。いくら長く生きていても、幼さは決して消えないようだ。
「……ねえ、アイビー。心配しないで。誰から軽んじられても、誰よりも僕こそが僕を評価しているし、信じている。君が僕にくれる信頼よりもずっと、僕が僕を重んじる気持ちは絶対だ」
「あんたの心配なんてしてない。私を満足させろと言っているのに。……あんたは本当に、すっとぼけた厭なやつだな」
アイビーは力なく笑って、肩をすくめた。どうやら仲直りは済んだみたいだ。
恒例の(?)口論が終れば、彼らは仕事の顔になる。書類を引っ張り出したり、壁に図面を投影したり、専門的な話をし始めた。そうなると、夢野や彼岸にはほんとうに関係のない話だ。手持ち無沙汰どころか、ようやく、ほんとうに邪魔なんじゃないかと思い始める。その絶妙のタイミングで、緋髪小僧は、主人と夢野を外に出るように促した。ここから先は、彼らが聞くべき話ではないに違いない。
移動装置に踏み出したところで、夢野はあっと声を出した。先の授業中に見た“ビジョン”について猫神に質問しようと思っていたのに、忘れていた。もうしばらく時が経てば、自分もこの予兆を完全に忘れてしまうだろう。それこそが“うつろうもの”、予兆の本質なのだ。
やはりというべきか否か、研究所を出て噴水の前でのびをする彼岸の明るい笑顔を見たら、ビジョンなど、気のせいであったような気がしてしまうのだ。この彼に、どんな凶事が起これるというんだ。凶兆も跳ね飛ばすに違いない。
そんな彼岸は、好奇心に輝いた瞳でささやいた。
「大会議の臨時会が開催されるなんて、尋常じゃないな。いったい何が起こったんだろう。ちょっと、探ってみようぜ」
夢野のイエスの返事も聞かないままに、彼は使い魔の手をひいて走り出す。彼らのあいだの距離は、どんどん離れていく。彼の水兵服の襟が跳ねるのが、なんだかとても能天気だと思った。
◆
「『魔界に何が起こったのか』、ですか? 僕の聞いた話では、敵襲があったとのことですが」
なんでもないことのように、黒髪小僧は彼岸にむかって言った。先の大会議の議決のせいなのか・なんなのか、育成局と訓練局の授業はとつぜん休講になった。そのようなわけで、彼岸と緋髪小僧は夢野の自宅に集っていた。互いに知っている情報を開示しあったが、まともに事情に通じていたのは黒髪小僧だけらしい。
「敵襲があった? ばか言わないでくれよ。いつ、どこで、誰から、どんなふうに知ったのさ」
夢野はいつになく喧嘩腰だった。話の途中で茶々を入れられた黒髪小僧は、不快そうに目を細める。
「数日前の『中級魔術』でのことです。金髪小僧と黄髪小僧の立ち話を小耳に挟みました。担当教官のモレアスが病欠しているのですが、何者かから襲撃を受け怪我を負ったからだそうです。それが、おそらく敵襲であったのだろうと。そのとき、黄髪小僧が『大会議が開かれるだろう』とおっしゃいました。ですから、今回は敵襲についての会議ではないでしょうか」
相変わらず淡々とした調子で続け、四つのカップに順々にコーヒーを注いでいった。彼以外は首をかしげ、飲み物に手をつける様子がない。黒はいちいち、どうぞ、と勧めなければならなかった。
ゆらゆらと湯気を立ち上げる珈琲カップを口元まで近づけておいて、彼岸は皿にカップを戻した。その仕草が妙に芝居がかっていたので、みんなが彼のほうを注視した。
「『敵襲』って、簡単じゃないぜ。外界の連中が魔界に入ろうだなんて、どだい無理な話だ。なんせ魔界最高強度の結界に引っかかる。だから、それが破られるとしたらほんとにほんとやばい。ありえないよ」
魔界の一部の連中は、当たり前のように人間界や冥界へ出入りしているが、本来は境界と境界を行きかうのはイレギュラーなことなのだ。特別な条件が重なったり、公的な交流でなければまず無理だ。そうでなければ、世界が分かたれた意味がない。
さらに彼岸の言うとおりで、魔界は、他の世界、つまり人間界や天界・冥界などから侵入されないようさらに《結界》を張っている。もしそれが破れたとなると、彼らが生まれる以前に起こったような世界と世界の衝突、大戦争が起こりうる。弱体化し縮小した今の魔界が恐れるのは、この世界の消滅だ。欲望は拡大に向かうどころか、現状維持で精いっぱいだ。
黒髪小僧も緋髪小僧も、最近この世に来たばかりなので、“世界のあたりまえ”が身に染みているわけではないのだろう。かといって黒髪小僧は、「左様ですか」としおらしく引っ込みはしなかった。
「お言葉を返すようですが。黄髪小僧は冗談みたいなしゃべり方をされますが、内容まで冗談であったようには思えません。危機意識も持っていて悪いことはないでしょうし」
「危機意識?」夢野は小ばかにした声で嗤った。「ここは人間界でもなければ、おまえはもう野良猫でもない。使い魔は黙ってろよ」
「危機意識がないばっかりに、先日、第七商業地区で痛い目にあったではないですか。もうお忘れですか」
「それとこれとは、関係ないだろ!」
もちろん、第七商業地区に出かけて騒ぎを起こしたことは周知のこととなっていた。おかげで、夢野と彼岸だけでなく、緋髪小僧と黒髪小僧も一緒に罰を受けた。それをまだ根に持っているらしい。
「ぼくや彼岸が生を受けてから、一度だって敵襲なんてなかったんだ。あるはずないだろ」
「……ご主人様。僕への対抗意識から否定するのでしたら、それは愚かなことですよ」
なんと、黒は主人を哀れんだ。夢野の白い頬は、恥からか、赤く染まっていく。自分にも非があるとはわかっていても、夢野からすれば、これは侮辱だ。
彼は乱暴にカップを置いた。あたりに中身が飛び散るが、おかまいなしで使い魔を睨みつけている。黒のほうでも、この敵意に背を向けようとはしていない。目線を外したとたんに攻撃される、とでもいわんばかりに緊迫した雰囲気だ。座の空気が固まってしまった。
まあまあまあ、と彼岸は二人の肩を叩く。似合わないのだが、ここでは彼が場を取り持つ役回りになってしまった。あの彼岸が気を使うのだ、退くしかない。
「……ともかく、よくわからないことを『あった・なかった』と、ここで言いあっていてもつまらないや」
「同感です。ですが、これはつまるつまらないの話ではありません」
夢野は最高にうんざりしたかおでため息をついた。同感です、で終ってくれればなんの問題もなかったのに。黒髪小僧はいちいち一言余計なのだ。
さらりと聞かなかったふりをしてやるほど落ち着きを取り戻してはいなかったし、なにより、軽んじられているのではないかという恐れが夢野をかたくなにした。彼岸の手前、使い魔を御しきれていないように見えてしまうのが耐えがたかった。むしろ、うまくいっている彼岸たちに引け目を感じてかたくなになり、自分の使い魔にひどくあたってしまうのだ。この幼い心が、鈍感な彼岸に見抜かれていないだけまだましだった。
「きみってやつは、口を開けば『ありません・できません・いけません』ばかり。一本道に障壁を建てられていくようで、息が詰まるよ!」
「あなたの道の先は断崖絶壁ですから、進んでも無駄ですよ。感謝してください、あなたが真っ逆さまに落ちる前に救ってさしあげているのですから」
「ほらみろ。そうやってぼくを否定する。きみは狭量なんだよ」
「ご主人様の思考が狭いからですよ」
「なんだと!」
「いい加減にしろ。どっちも同じだけばかだから心配するなよ」
彼岸は、呆れて目がトロンとなってしまっている。
「ここでの答えはカンタンじゃないか。ウチにこもっていないで、ソトの“祭り”に参加すればいい」
つまり、こう言っているのだ。「魔界の大事件とやらを、野次馬しようぜ」、と。