11 Les Prospérités du vice
すこし暴力描写があります。
カフェ(パブ)の隅の角には、木箱が積み上げられている。それを椅子にして、少年たちは淀みのようにたまっている。ぎらぎらした目を光らせて、入店する者を見落とさないようにする。新顔や、生意気な顔には逐一チェックを入れる。ただし大人にはかかわらない。それがルールだ。彼らは、この周辺の同世代の生神をまとめあげる少年団であった。
いちばん高い場所に座る少年が、重々しく口を開いた。黒い肌のせいで、暗がりにとけ込こんでしまっている。目だけは煌々と光る。まるで、獲物を狙う野生のジャガー。
「見ない顔だな」
彼の今のターゲットは、小奇麗な格好の少年二人組。それはまさしく、彼岸と夢野だった。彼らはまったく、この場所に馴染んではいなかった。のんびりと珈琲を啜って談笑している。見たところ、黒猫は連れていない。烏一匹だけだ。この街を丸腰同然で歩くとは、なめられたものである。
「ボス。あいつら、中央地区から来たみたいです」
床に近いところに座る、下っ端の少年は“ボス”を見上げて囁いた。
「道理で。間抜けなツラだと思ったんだよ。特に、あのド派手な赤い髪の奴、」
ボスの斜め下に座るショートカットの少女が、膝の上の黒猫を撫でながら微笑んだ。雪の精のように白い印象だ。白金の髪と、白磁の肌をもっている。
「中央地区のガキって、働かなくてもお勉強させてもらえるらしいわよ。しかも、最上級の先生のもとで。配給される生命力もたっぷりだって聞くし。だから、あの子たち、あんな見た目でもあたしたちよりずうっと長く生きてるはずよ」
もったりと粘つくような口調だ。
「でもあのナリだ。ガキであることには変わりない。俺の言いたいことは分かるな」
白い肌の少女は唇を尖らせ、のんびりと首をかしげている。
「さあ。わかんなあい」
彼女がくすくすと笑った瞬間、少年の裸足が素早く動いた。さっとななめ後ろに引かれたかと思うと、少女の顔に向かって突き出された。彼のつま先が、少女の鼻にクリーンヒットする。ゴヅッ、という、骨と骨・肉と肉が衝突する厭な音。めり込んだつま先で、顔を歪ませられる少女。
そのあとは、少女のくぐもったうめき声と木箱が崩れ落ちる音、肉体が床に叩きつけられる音、木箱が破損する音。破れた麻袋から飛び出た珈琲豆が床に散る音。グラスが割れる音。店内は一瞬、騒然となる。少女の膝に乗っていた使い魔はすとんと床に着地する。主人が攻撃を受けても、すました顔をして、自分だけは難を逃れている。
誰もその一角に寄りつかないし、助けにも動かない。常連らしい連中は次々に店から出て行く。若人だけでなく大人連中も。子どもが大人にかかわらないように、大人も子どもにかかわらない。領分が違うのだ。
しかし問題の夢野と彼岸は、面白げな顔で成り行きを見守っている。珈琲を飲みのみ、芝居の一幕でも見ているような顔つきだ。
「ああ、ああ。みっともねえな」
伸びている彼女に向かってボスの少年はペッと唾を吐きかけたが、的を外れて彼女のわき腹と腕の間にぴちゃりと落ちた。店にいるすべての者の視線は、彼に集まる。
「間抜けは嫌いだ。お前たちは、俺が何を言いたかったのかわかるよな」
据わった目で子分たちを一匹一匹にらみ付けた。理不尽な暴力は彼らを震え上がらせるし、有無を言わせず従わせるのにもってこいのパフォーマンスだった。
「おいおいおい。まさか。三度言わすなよ」
子分たちはくるりと体を転換させた。一斉に、夢野と彼岸を見据える。注目は、今度は黒髪と赤髪の少年に注がれた。状況が飲み込めていない彼岸は、間抜けな声をあげてあたりを見回すしかできない。夢野は何も言わず、口に含んだ珈琲を飲み込んだ。ごくり、という喉の音が厭に大きかった。彼岸よりは的確にこの状況を理解できているつもりだ。じりじりと、少年たちは間合いを詰めてくる。夢野は彼岸の制服の裾をくいと引っ張って後ずさりした。
「彼岸、逃げよう」
「それは無理だ。逃げられるもんなら、とっくにおれは逃げている」
小声で彼は答えた。“小物の”彼岸が言うのだから、本当なのだろう。血の気が引くのだが、彼岸はその口に場違いな笑みを浮かべた。その表情のまま、やい、とボスに向かって睨みをきかせた。
「おい、サル山の大将。喧嘩がしたいなら、お前もこいよ。おれは、高みの見物されるのがいちばん嫌いなんだよ」
「ばか! 何言ってるんだ。頼むから彼岸は黙っていてくれよ」
急いで彼岸の口を封じたが、時すでに遅し。ボスの黒い肉体が、暗闇の奥でかすかに動く。瞬きの間に、身軽に木箱の山から飛び降りる。静かな着地は、まさに猫科のそれそのものだ。彼は上半身には何もつけていなかった。肉体の有様からして、夢野と彼岸の敗北が目に見えている。
「喧嘩? 冗談だろ。生業だよ」
素足に踏まれた床が、きし、と音をたてた。つま先だけで歩いているような動きだ。両手をばっと広げた仕草は、彼岸らをおおいに縮み上がらせた。
「……生業って、なんだ」
「おいおいおい。だから、考えない間抜けは嫌いなんだ」
彼は呆れたようにぷすっと笑った。あきらかにばかにしている。
「俺たちは、お前たちと違ってクソみたいな街で生活してる。中央地区の決めたルールなんて、この街の誰が守る? だから、ある程度は何でもありだ。何でもありってのはよ、何でもしていいと同時に、逆に何でもされちまうってことなんだよ。お前、……今叫んだ赤髪のお前だよ。お前はきっと、人が嫌がることをするくせに、逆に自分がそんな目にあうことは御免だ、ってたちだろう。俺と同じだ」
お前、と彼岸のまん前に立ちはだかり、その胸元に指を突きつけた。彼岸は黙って睨み返している。
「自分が厭な目見るのは御免なんだよ、俺も。だったら、」
じりと、一歩引き下がる前に、少年は間合いを詰めてきた。避けるまもなく、拳が飛ぶ。夢野の頬がそのスピードを空気で感じ取った。ひくり、引きつった笑みがわきあがる。
「誰にも手出しされないように、一番上に立つしかない。一番上に立つには、誰よりも豊かでなきゃいけない。豊かになるには、他のやつを狩らなきゃいけない。それが、おれの生業だ」
そばに立っていたはずの彼岸は消えて、その代わりに、ボスの少年がそこに佇んでいる。数歩うしろの床が振動して、彼岸が倒れたことを伝える。ごふ、と水っぽくて厭な咳が続いた。彼のもとへ助けに寄ることもできない。次は自分の番だ、と冷や汗が出る。
「そんな絶望的な目をするなよ、坊ちゃん。理不尽に狩ってる訳じゃない」
お前に話してるんだよ、と彼は夢野のリボンタイを引っ張った。はずみで、上半身がぐらりと揺らいだ。
「街遊びにはルールがある。お前たちより年長の奴も、よくここに来る。その後輩が、そいつらに連れられてここに来る。遊ぶルールを教わるためだ。そうやって、第七商業地区のルールは街の外の奴にも踏襲される」
夢野が目を丸くすると、ボスは底意地悪そうにニヤニヤと笑った。
「でも、お前たちはイレギュラーだ。作法を知らない奴は狩っていい。当然だろう?」
どう考えても、拳で不良少年に勝てるはずがない。喧嘩のための魔術だって思いつかない。ボスの腕がヒュッと動いた。殴られる……そう思って、夢野はとっさに顔を腕で覆った。
「夢野!」彼岸が叫ぶ。
一瞬の空白。衝撃がこない。
かわりに、拳と肉がぶつかったにしては軽い音が響いた。恐る恐る目を開けて、ガードを解く。薄暗い店内には、もうとっくに目が慣れていた。目に入ったのは、藍色の髪のはためき。目の前の光景に呆気にとられる。妙な装いの女が、ボスの拳を素手で受け止めていたのだ。頬の周りだけ長い髪が、静かに重力に従って肩につく。
「大丈夫ですか。夢野様、彼岸様」
彼女は夢野を肩越しに見て、口の端だけで微笑んだ。
「あなたは……、誰だ?」
彼女は自分を知っているらしいが、こちらは見覚えがない。見事な縫込みが施された長方形の袖は、いつも見ている気がする。まるで体を布で包んだような衣服。そして、腹の周囲を巻いて、背中で締められた大きなリボン。結い上げた髪を飾って揺れる、繊細な花と硝子の装飾品。
彼女は、汚れを払うように手を振った。それだけで、少年の拳を払い落としてしまった。その一撃が受け止められてしまっただけで、少年は戦意を喪失したように一歩引き下がる。その時だ。
「失せな、クソガキども!」
ヒステリックな金切り声が飛んできた。しかし、しゃっくりをはさみ、べろんべろんのろれつが回っていない口調になる。店主だろうか。
「ウチで狩りはァ禁止だよ。喧嘩するなら楽しく、ってェ約束だよ。ルールを守ってねえ奴が、ルールを語るんじゃないよ!」
子分たちに警戒されているので、夢野と彼岸はうかつに顔が動かせない。黙って彼らの会話に耳を傾けている。
「うるせえババア! 喧嘩じゃねえって言ってんだろ」
少年も負けじと言い返した。
「大人がガキの領分に手を出すのもルール違反だろ」
「誰を狩ろうとしてンのか、分かってるのか? この子らは『赤』と『黒』の主人だよ」
すっと、少年たちに沈黙が降りた。
「……あいにく、俺たちはこいつらみたいな高級な教育をうけてないからな。12主人を狩っちゃいけないなんて知らなかったね。こんな腰抜けだってのも初めて知ったけどな」
「そんなのぁ、どーおだっていいんだよ。とにかくぅ、楽しい楽しい賭博のタネにならない暴力はしないで頂戴ってことよォ。娯楽にならない暴力は要らないよ! おかげで商売あがったりだ」
「知るかよ。さっさと潰れっちまえ、こんなしみったれた店」
ボスは、近くにあったテーブルを蹴り倒してしまった。たまり場にしているくせに、偉そうな振る舞いである。仲間に目配せをすると、ぞろぞろと店を出て行ってしまう。
どうやら助かったようだ。夢野はほっと肩の力を抜いた。客はほとんど消えうせてしまっている。呆然としていると、声がかかった。カウンターの内側の、赤ら顔の女店主だ。
「おい。『赤』は大丈夫かぃ」
夢野ははっとして彼岸に駆け寄った。彼岸はふるふるとオーケーサインを出している。痛そうに顔をゆがめている。でも、意識はあるようでほっとした。意外とタフだ。
「うん。大丈夫みたい」
振り返ると、店主はよどんだ瞳でじっとこちらを見ている。茶色の髪をひとくくりにして、はすっぱなドレスを着ている。まあ、それはいい。驚くのは、その女の向かい側、カウンター席についてグラスを手にしている女だ。黒い髪を片側に流し、いつもの民族衣装を身につけている。あれは紛れもなく、彼らの知人だ。
「れ、レイナじゃないか!」「レイナかよ!」
彼岸と夢野は、同時に叫んだ。
「あらあ。夢野と彼岸じゃない。奇遇ねえ」
レイナときたら、彼らに初めて気付いたような言い草だ。乾杯、の仕草でグラスをあげる。夢野は慌てて目の前の藍色の髪の女を見上げた。そうだった。この女が着ている装束は、レイナがいつも着ているような「着物」だったのだ。
「それじゃ、この女のひとは、ルイーズなのか」
考えてみれば、人の姿をした時のルイーズを見たことがなかった。店で見かけるときは、いつも黒猫姿だ。
「こんにちは、夢野様。この姿をお見せするのは初めてですね」
今度は正面からこちらをみて、にっこりと微笑んだ。結いに刺さった髪飾りの房と、顔周りの長い髪がそろって揺れる。
「助かったよ。レイナとルイーズがいなければ、きっとボコボコにされてた。……いつから見てたの」
夢野はへなへなと床に尻を着いた。椅子がないので、床に座るしかない。レイナはグラスをくいと傾けて、空にした。
「ジャアがリューシャを蹴り飛ばしたときに、あんたたちの黒髪と赤髪が見えたの」
「え、何が何を蹴り飛ばしたって?」
「ジャアとリューシャよ。ジャアはさっきのガキ大将。リューシャはそこで伸びてる女の子。ジャアはこの辺のガキ大将なのよ。厄介な子に目をつけられちゃったわね」
そう言われて、リューシャが放置されたままだということに気がついた。彼女の傍らには、黒猫が佇んでいる。彼岸はむくりと首だけを起した。苛立った様子で舌打ちをする。
「おい、使い魔。いつまでその格好でいるつもりなんだ。さっさと主人を助けてやれよ。それとも、そのざらざらとした舌でほっぺを舐めていれば回復するとでも言うのか」
「血を舐めないと変化できないんだよ。見りゃわかるだろ」
使い魔は困ったように鳴いた。驚いたのは彼岸のほうだ。
「わからないよ。おまえ、自力で変身できないのか」
「あいにくな」
「カプセルは」
黒猫は、呆れるように黙りこくったあと、尻尾をパタンと強く床に打ち付けた。
「そんなもの、作るわけないだろ。ここをどこだと思ってるんだよ」
「だったら努力しろよ。使い魔は主人を守るのが務めだろ」
彼岸は顔をしかめて体を起し、リューシャのもとへ歩いていった。ふらふらとして心もとない。
うつぶせで倒れているリューシャの体を、仰向けに抱き起こしてみる。案の定、見事に血が流れていた。口からも、鼻からも。歯は折れていたが、ひょっとしたら鼻も折れているかもしれない。でも、研究所や医療局に診せればなんてことない怪我だ。きれいに再生してもらえるだろう。ただし、彼女が医療局にかかれるかどうかは、また別の話。
彼岸は流れ出ている彼女の血を指で掬い取って、黒猫に突き出した。黒猫はちらと彼岸を疎ましく見上げたが、素直に舐めた。黒猫は、ターバンを巻いた小麦色の肌の青年へ変わった。真っ白な肌とプラチナの髪をもつリューシャとは対照的だ。彼にリューシャの体を渡した彼岸は、足に張り付いた珈琲豆を払いながら立ち上がった。
「なんでおれがこんなことしてるんだ?」
気分の悪そうな顔で、夢野の元に戻って腰を下ろした。