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黒猫少年少女  作者: 黒檀
第二章 Le Rouge et le Noir
33/51

6 Emile ou de l'éducation


 ガシャンと陶器が割れる音のあと、机を激しくたたきつける音が響く。


「なんで俺の言うことがきけないんだよ、この欠陥品!」


 椅子が蹴り飛ばされたのだろう、それが壁に衝突する音。

 このかんしゃくが聞こえていないはずはないのだが、窓を拭く金髪小僧はフンフンと鼻歌交じり。


「おまえ、俺を怒らせたくてわざと反抗してるんじゃないだろうな」


 ところが、背後に広がるちょっとしたカオスと身を震わせているキルシュとを目にして、金髪小僧はアナログな掃除の手を止めた。やれやれ、と彼は軽いためいきをつく。

 激昂した金髪の少年・オルが、ハンコのような物体を床に叩きつける。

 彼の席(だったところ)の真向かいには、俯いて涙をこらえている少女・キルシュが座る。机の下の拳は、スカートをぎゅっと握り締めていた。親か兄に怒られる娘(か妹)のようにみえなくもないが、オルの雰囲気は「愛ある兄」からはかけ離れていた。そこに愛など微塵もはさまっていないに違いない。それでも、暴力をふるわれてはいない様子なので、ひとまず胸をなでおろす。 

   

 それは昨晩のこと。

 キルシュの使い魔である「ノワール」は突然倒れた。……と言っても、それ自体はそんなにめずらしいことではない。「ノワールはもともとあまり丈夫な方ではない」と「訓練局」や「研究所」から聞いていた通り、この使い魔はしょっちゅう倒れたり寝込んだりした。だけど、今回の件については過労が原因だ。

 ノワールはヒトの姿でいることが苦手だと判明した。

 キルシュと契約してからというもの、ノワールはヒトの姿を保ち続けた。その心と体への負荷と我慢と疲労から、限界がやってきたとか。人間の姿のほうがしっくりくる金髪小僧にとっては、ノワールの体質は不思議でしかなかった。ヒトの姿でいることを強いられる「訓練局」では、さぞ苦しかったことだろう。ひとまずキルシュの(血付きの)口付けでノワールは猫の姿に戻り、今は休息している。

 黒猫ははじめ、自ら変身をすることができない。生神の血の力でもって、受動的に変身することしかできないのだ。それでは不便、と開発されたのが「カプセル」だ。主人の血を原料のそれは、使い魔の意思で使用が可能だ。ただ、訓練をすれば主人の力が無くとも変身ができるようになる。ノワールの場合、それは死ぬまで不可能そうに見えた。

  それを呆れた視線でもって受け止めたオルは、黒猫の変身を自在化する(おなじみの)カプセルを発注させようと思いたった。カプセルを作るにはなによりもまず血液を必要とするので、キルシュに「献血」を求めたのだが……、その交渉が上手くいかず、オルが短気を起こしたというのが今の状態だ。


「金髪小僧、出かける準備はできているんだろうな」


 登校時間だと急かす主人。キルシュのことはもういいとでも言いたげだ。


「はあ。それより、キル嬢の血ィは結局採らんのですか? ノワール坊ちゃん、毎度毎度ぶっ倒れよったら面倒ですわ。どーせボクが世話するけん、」


 金髪小僧は天井におもてをむける。ノワールが寝込んでうんうん唸っている、上階の部屋のあたりだ。オルはまだ医療魔術を会得していないし、「研究所」の医療部に診せもしないので、ひたすら回復を祈るだけだ。

 主人はぴくっと肩をあげて、ゆっくり振り向いた。案の定、最高に不愉快そうな表情がはりついている。金髪小僧は、笑顔ながらも自分の顔が青ざめていくような気がした。そして、前言を撤回した。


「おまえは余計なことを考えなくていいんだよ、このバカ。……あいつは、自分のワガママのせいでノワールがこれからもしんどい思をするってことに気付くべきなんだ」


 言葉どおりノワールを心配しているわけではないことを、金髪小僧は知っている。「カプセルを作らせてやるから、あとはおまえたちだけで勝手にしろ」ということだ。ただただ、彼の主人はキルシュの世話をやきたくないのだ。なるべく自分と彼女とを関わらせない方法のために、オルは多くを考えていた。そう、オルはキルシュを疎んじている。

 ところが、こうしてたびたび問題を起こされたのでは、世話してやらないわけにはいかない。彼女はいちおう、研究所からの預かりモノなのだから。「研究所」が暗に期待しているのは、「オルによるキルシュ(たち)への世話」だ。だからこそ、ヤツらはキルシュに対してサポートらしいサポートを寄越さないし、ノワールといういささか頼りない使い魔をあてがったのだろう。オルが彼女に手を差し伸べてやらざるを得ないような環境が、研究所によって用意されてしまっていたのだ。まさに「家族」の様相をおびてきている今日この頃だった。

 オルは研究所の妙な期待を見抜いているらしいので、「これ以上『欠陥品の俺』にかかわってやるものか」と消極的な方法で抗戦を続ける。「研究所」に自分の動向が注目されていることは百も承知、表立たずに抵抗するには、こうしたセコイ方法をとるしかない。格好悪さは覚悟の上だ。


「俺の話がわかるまでそうして不貞腐れてろ、できそこない」 


 彼の主人は、キルシュのことを「キルシュ」と呼ぶことは決してなかった。いつだって、「欠陥品」だとか「できそこない」、「おまえ」などと呼んだ。キルシュは、「キルシュ」という名前以外にも自分を表す言葉があるのだと理解してしまった。声も落とさずに投げつけられるその罵倒も、一つ残らず彼女の耳にはいる。

 金髪小僧は少し、キルシュが気の毒になる。(あくまで、少し、だ。)

 それらは確実に、悲しみとして彼女の中に落ちていっている。そうでなければ、あんなに泣きそうな顔はしないはずだ。


「……ごめんなさい」


 彼女は小さく謝罪の言葉を口にした。オルが怒れば、自分に非があるのだと思うしかない。非があると思えば、謝るしかない。

 オルは完全に向き直って、キルシュをにらみ付けた。それでも、彼女は下を向いているので彼らの視線は交わっていない。


「謝るってことの意味をわかってるのか、お前は。ごめんなさいっていうのは、己を改める意思があってはじめて成り立つ言葉なんだよ」


 ずかずかと、再びキルシュに詰め寄るオル。

 そこにきて、そろそろまずい雰囲気だと悟った。金髪小僧はオルの腕を控えめに引いて理性を留めさせようとするも、激しい力で振り払われた。「ひっこんでろ!」そうなっては金髪小僧の出る幕ではない。

 ――仕方がない。

 切り替えて、彼は割れた陶器の破片などを片しはじめた。一応、交渉の成功を願って、ハンコ型の吸血装置をさりげなく机の上に戻した。

 そのそばでオルは、彼女の前に手をついて冷え冷えとした声で続ける。


「もう一度言う。俺は、おまえの使い魔のノワールを変身させるためのカプセルを作ってやりたい、だからおまえの血が必要だ。だけど、おまえは血を採るのが厭だと言う。一体、なにをもってこんな些事を厭だとつっぱねるんだよ。ワガママだと思わないのか」


 キルシュは何も語らない。なにを考えているのかさっぱりわからなくて、オルの苛立ちはどんどん高まる。


「ノワールはまだ自分で好きに変身ができないんだよ。それに、タフじゃない。人間のままでいるのは疲れるんだ。ノワールの生命力なくして、おまえはまともに生きられやしないのに。ありとあらゆるものに生かされているだけの『物体』なんだよ」

 なにか言いたかった言葉を飲み込むように喉を動かすと、唇をきつく噛んだ。

「……譲歩しろ」


 キルシュは結局、何も言わなかった。

 オルも返事を期待していなかったようだ。彼は身を翻すと、さっさと歩き出した。「育成局」の授業が始まる時間だ。つまり、キルシュにとっても授業開始時刻が迫っているということでもあるのだが、手を引いて登校する気はないらしい。


「金髪小僧! おまえも『訓練局』に遅れるんじゃないぞ。俺に恥をかかせるなよ」


 跪いて陶器片を拾いながら、主人の言わんとしているところを改めて了解して返事した。

 ノワールもキルシュも放っておけ、ということだ。





 先に出て行ったオルに追いつき、並んだ。表情はさっぱりしていない。


「キル嬢、可哀想ですよ。……仮にも『ご自身』をあんな風に扱うて」


 主人は振り向かない。まっすぐ前を見ている。水兵服の長方形の襟が、怒らせた一歩を踏み出すたびに背で跳ねている。

 突然、低い声で疑問が放たれた。


「おまえは、あの欠陥品も『俺』だと思ってるのか」


 金髪小僧は、オルの言葉の意味をとり損ねた。そんなとき、「すんません、ようわかりません」と笑うのが彼だ。当然ながら、オルは不快そうに鋭い眼差しを向けてくる。拳が出ないだけましだった。それだけ、まじめに言っているということでもあるけれど。


「だから、あのできそこないは、俺という存在とイコールなのかって聞いてるんだよ」

「ボクにはわからん。ちゅうか、キルシュ様はフォルムがメスですよ」

 脛のあたりに蹴りが入った。ぴょん、とジャンプして素晴らしくやりすごしはしたが。

「今問題にしているのはフォルムじゃないだろ。あいつがメスだなんて、一目見れは誰でもわかる。……バカのおまえでもな」


 オルが知りたいのは、オルとキルシュの同一性ではないらしい。「オル」としてのオリジナル性を肯定してほしかっただけなのだろう。わからないとバカ正直に答えるべきではなかったようだ。

 キルシュを「俺の分身」だと見下す一方で、スペアとして存在している彼女に恐れを抱いている。スペアであることを超越し、いつか自分にとって代わらないかと。いつか自分を覆ってしまわないかと。

 主人に悟られないよう、かすかにためいきをついた。


「……オル様。お言葉ですが、どちらがオル様であるか……いいえ、どちらが『金の主人』であるかは問題ではありません。ボクらは、魔界のために生きて死ぬ、それだけのことでしょう。思い悩む必要はございません」

 言いながら、オルの文句も容易に想像がついた。

「別に、俺は思い悩んでなんかない」


 否定をすること。その時点で、無意識は悩んでいたことを認識しているのだ。

 金髪小僧のなかではそういう解釈でないにしても、単純に、強がった主人を見て微笑みを隠せそうにない。


「承知しております、オル様はお強いですから。それにボクは、貴方様が死ぬまでは、契約の限り貴方のそばにおります。それがいちばん確かな『金の主人』である『貴方』の存在証明だと思いませんか」

 オルは皮肉っぽい笑い方をした。

「おまえなんかが――他者が俺の存在証明とはな。ああ、……なんて取るに足らない物体なんだろうな、俺は」


 たしかにオルは、自分の存在について、誰よりも疑問に思っ『ていた』生神だ。夢野よりも、彼岸よりも。





 金髪小僧は「訓練局」の廊下を歩きながら、どうにかできないかと考えていた。彼の主人は「放っておく」と言ったが、最終的には面倒をみる羽目になるのだ。

 ノワールも使い魔の端くれであり、「訓練局」の授業があるのでヒトに変身しないわけにはいかない。採血を嫌がった彼女が、自らノワールに血を舐めさせることができるかどうかといえば、これまたあやしい。

 キルシュが採血をあれほどまでに嫌がるとは知らなかった。オルが吸血器具を手にして腕を出せと迫ったところ、彼女はイヤイヤと頭を振ってかたくなに拒み続けた。採血なんて、研究所にいたころから何度もやっただろうと思うのだが。

 でも、金髪小僧は直接的にキルシュの「開発」にはかかわっていないので多くを知らない。知ろうにも「研究所」が(「12小僧」とはいえ)使い魔なんかに実験の詳細を教えてくれるはずもない。知らないからこそ、主人のこころに対して貢献できることもすくない。

 あの暴力主人がキルシュに対して暴力をふるわない点については、どう考えればいいのだろうか? と二つ目の疑問にも手をつけた。こっちのほうは、簡単であるように思えた。(ごくごく単純に考えてしまえば)まがりなりにも「自分」であるものに手をあげられない。そういうことだろうか。いや、主人がそんなセンチメンタルな感覚をもつだろうか……なんて首をひねったりする。

 金髪小僧にしては、朝から難しいことを考えすぎた。さっそくわけがわからなくなって、考えるのをやめてうへへと笑った。

 ――まあ、オル様がナイーブじゃけん、ボクはどおんと構えたる。

 腕を組んで、どおんと教室の戸の前に立った。


「……あの。邪魔なんですが」


 刺々しい声が横からわりこむ。


「おお……アンタは……、」


 黒の揃いに黒の帽子、黒髪に黒の瞳。


「噂の黒髪小僧でないか!」


 嬉しそうに手を合わせて彼の肩をパンパンと叩く。が、それをピタリと止めると、教室番号と黒の顔を交互に見比べた。黒は怪訝な顔になる。


「……なにか」

「この教室、魔術演習も中級クラスじゃけど。きみは最近コッチに来よったんじゃろ? 入門クラスは?」


 純粋に、そう思っただけのことだ。彼の悪意のなさは黒にも伝わったのだろう、瞳のツンとした気配はすこし和らいだ。


「先日の試験で飛び級の許可を頂きました。なので、今日から中級クラスの仲間入りです。よろしくお願いします、先輩」

「『先輩』なんて呼ばられん! 『金ちゃん』でええが」


 彼は快活に笑った。が、すぐにビックリの顔になる。


「……って、もう中級魔術のレベルなん!? ヒヨッコが涼しィ顔してやりよるわあ」

「涼しくなんかないですよ、必死です。むしろ、熱すぎて自分でも嫌気がさしますよ。うかうかしていたら命にかかわりますからね。やられっぱなしは趣味じゃないので」


 何の話なのか、これまたさっぱりだ。

 ぶすっと顔の黒は、さっさと教室の戸を通り抜けている。


「あ、待ち! 魔術に自信ないけん教っせてぇ」


 続いて、やかましい金髪小僧が妙に嬉しそうな足どりで教室に滑り込んだ。



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