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黒猫少年少女  作者: 黒檀
第二章 Le Rouge et le Noir
32/51

5 Le Bleu du ciel 

 



 研究所を出てすぐのことだ。

 後から出てきた上級生の「オル」が夢野のことを追い抜いていった。呆然とした表情で真正面をむき、こちらに気付いていないようだった。

 夢野が彼に声をかけるのをためらったのは、彼が幼い少女を連れていたからだ。見たことの無い少女だ。逡巡のあと、夢野は声をかけることにした。

 オルは、夢野の声にぎくりと体をこわばらせた。振り向いた彼の顔は、生気のない骸骨のよう。つやつやと誇らしげないつものオルからは想像できない変貌ぶりだ。

 思考の海に落ちているであろう彼に遠慮もせず話しかけたのは、手持ち無沙汰な感覚からかも知れない。面倒くさいことを自らしてしまった、と自分に舌打ちしたくなる夢野だった。普段だったら、積極的に話そうと思わない相手だ。彼らはそんなに仲が良くない、というか、むしろ悪い。彼岸とオルの仲がこれまた悪いからだ。


「なんか用、」


 目にくまを作ったオルは不機嫌そうに答えた。その顔を見たら、気楽な気分が一気に吹き飛んでしまった。ひどく悄然としている。話しかけておいて、実際に話題もないのも確かだ。困ったように視線はまどい、最終的に、彼が手を引いている金髪の少女に落ち着いた。


「これ、だれ。もしかして、二匹目の使い魔?」


 使い魔を二匹持っている生神も少なくない。ただし正規のルートで複数の使い魔と契約するには、煩雑な手続きと厳正な資格認定試験が課される。使い魔を持てば持つほど有利だし、力にもなるので規制が必要だ。逆に、生神自身の器がなっていないと、複数をかかえることはできない。その点、オルは未だ「育成局」の教育課程にあるし、使い魔を二匹も支配する余裕も器もないはずだ。なにしろ、彼にはすでに「金髪小僧」という使い魔がいる。


「お前、知ってるだろ」


 オルの視線がギリっとけわしくなる。少女は不思議なものをみる目で夢野を見あげる。けがれのない空色の輝きだ。オルの決め付けるような言葉に、夢野は怪訝な様子をあらわす。オルは不貞腐れたようにつぶやいた。


「どうせ、知ってるくせに。言わせて楽しいかよ」

「きみが何の話をしているのか、分からないんだけど」


 そこで、思い出した。オルは、研究所のとある研究のためにその身を差し出したのだということを。しばらく前、「12主人」の間でひとしきり話題になったことだったのに、すっかり忘れていた。

 その研究というのは、「主人存命中におけるスペア体の生存可能性について」だ。もし「主人が」死ねば、肉体ソースを一から培養して、ヒトの形を成すまで保育するのだ。その時間を待つのは、生神にとってはじれったい。その「主人」の不在の間を少しでも縮めたい思いから、現行の肉体が存命のあいだにも複製体(つまり、スペアだ)を作っておけないかという問題にとりかかった。魂がないから可能だという理論らしい。その研究の実験体として議会によって抜擢されたのが、「金の主人」であるオルだ。

 研究所は、研究事業を公開しても結果報告の義務はない。結果を知りたがる者がいないからだ。だから、夢野はその件についてまるっきり失念していた。オルがここを歩いているということは既に実験の結果が出ているということ。

 夢野の顔色の変化を見てとって、自嘲気味に口の端をあげた。


「お察しのとおり。このガキは俺の分身。しかも、失敗作だよ」


 少女には何の配慮もなく、オルは「失敗作」と告げた。


「ことごとく他のスペア体は死んだのに、コイツは生き残ったからある意味では成功かもしれないけどな。でも、瞳はこの有様だし、俺とソックリの顔なのにフォルムがメスだ。……気味が悪い」


 彼は顔をしかめて、少女の後頭部をつついた。慣性にまかせて、人形のようにぐらぐらとゆれた。


「で、どうして連れて歩いているの。失敗なら置いてくればよかったのに」


 夢野は彼女の前にしゃがんで、水色に見入っていた。瞳の中に空があるようだ。あるいは、海。


「俺もそうしたかったさ。でも、連中、実験は続行中だって言うんだから仕方ない」

「続行中?」


 夢野はオルを見あげた。顔色の悪いオルは、貧血のきざしのようにふらつき、夢野の脇に腰をおろした。大丈夫かと聞くと、大丈夫と返事がくる。


「こいつをこのまま飼え・殺すなってさ。俺の死後、コイツが機能するかどうか確かめるまでが実験だよ」

「一匹だけじゃ実験の意味がないじゃないか。比較対象がなきゃ、」

「だから、コイツはふつうに生活させて、他に生き残ったやつは研究所が保管してるんだよ。当然だろ、研究所も阿呆じゃないんだよ。そんなことでいちいちつっかかるなよ、このバカ」


 オルの機嫌が険悪になってきた。それにつけて夢野は、わくわくがとめられそうにない。


「よくその場で殺されなかったね、きみ。研究所がそんな長丁場を、……きみが死ぬまでを悠長に待ってくれるとは」

「本体の俺を壊して、スペア体が機能しなかったらどうするんだよ。そんなふうに、万が一失敗したら洒落にならないだろ。スペアは使えない、『金の主人』は最初から作り直しとなったら、ふんだりけったりだ、しかも、」

 夢野は頷いてオルの説明をとめた。

「わかってるよ、冗談だよ。『ぼくもそんなに阿呆じゃない』、」


 そう言い放たれたオルの瞳孔が開いた。その様を、夢野は静かな好奇心で眺めていた。オルは信じられない、というような様子で首をふる。


「お前、ほんとうに性格悪いな。ふつう、今の俺にそんな際どい冗談を言うか? 一応、俺にも情緒はあるんだけど」

「そう? きみの情緒のどの部分が傷ついたのか、ぼくには見当もつかない」


 夢野は笑った。すると、無表情だった少女もわずかに笑みを見せた。会話の意味はわかっていないにもかかわらず。


「この子、名前は? まさか、『オル』じゃないよね」

「……俺、夢野のこと、すっごい嫌いだな」


 苦虫を噛み潰したような顔。僕も嫌いだよ、と答えながらも薄ら笑いは消えなかった。


「キルシュ、だよ」ぽつり、オルは答えた。

「へえ、可愛い響きだね。この子の使い魔は?」

「あとで届けるって猫神が言ってた」

「ふうん。いいね、生まれてすぐに使い魔があてがわれるって」

「お前たちの場合は特別だろ」そうかもね、と夢野は微笑んだ。キルシュも、今度ははっきりとした笑みを浮かべた。

「それで、この子と一緒に暮らすわけ」

「そう指示されたからそうするしかない」夢野はキルシュの柔らかな頬に手をそえた。

「ほんと、オルとそっくりなんだね。まるで『妹』みたいだ」

「やめろよ。『家族』の真似事なんて、気分悪い」オルは、はき捨てるようにつぶやいた。

「家族、かあ」夢野は何かに気付いたようにまゆげをあげるので、なんだよ、とオルは低い声で聞く。

「これも実験かもしれないよ。『魔界における生神の“家庭”概念の有無、あるいは家族愛の発現可能性について』、とか」


 間髪いれずオルの平手が飛んだ。ぱあんと明るい音が響く。ヒッと小さな悲鳴が聞こえたけど、それはぶたれた夢野が発したものじゃない。キルシュの声だった。


「俺はお前が嫌いだ。何度でも言うけど、お前が嫌いだ、だいっきらいだ」


 わなわなと震える声で、ありったけの嫌悪をあらわそうとしている。厭というほどの熱意は伝わってくるが、それをぶつけられても、どうしようもない。切れた唇を舐めながら、夢野は顔を向けた。 


「ぼくもきみの事は好きじゃないよ。でも、今のは冗談じゃないよ」

「その方がもっとたちが悪いぜ。お前、どこかおかしいんじゃないのか。だからきっと、使い魔と同調できないんだ。お前こそが、研究所でいじられればいいのに、」

「知ってるの、ぼくの失態」


 夢野はきまり悪そうに立ちあがった。手をさしのべてオルをもたたせようとするが、彼はその手をはらって、自力で頑張った。生まれたての小鹿のように、頼りなく体をよろけさせてはいたが。


「知ってるも何も。第三演習場を木っ端微塵にしといてよく言うよ」


 まっすぐ立ったオルは夢野よりも上背がある。彼は夢野を見おろして、侮蔑するような調子だ。オルが自分に対してかかえているものは、嫌悪のほかにも侮蔑があるとはわかっている。それを挽回する気も、良好にしようという試みもさらさらない。オルのほうでもそれはない。他が干渉する物事ではないのだ。


「ごめん」

「なんでここで謝るんだよ」


「謝ってやったというのに」、オルは息を荒らげて夢野の水兵服の襟を掴んだ。あまりに強い力だったので、前につんのめりそうになる。


「べつに、演習場を壊そうと自爆でお前が死のうと俺には関係ない。謝るなら、俺の命を軽んじて、侮辱したことに対して謝れ」


 もう、ここまで刺激してしまうとまともに応対するのは面倒くさい。彼は迷いなく「ごめんなさい」と丁寧に言いながら、深々と頭をたれた。その無防備な後頭部の髪の毛の束をつかまえて、オルはすごんだ。


「おまえなんか、死んでしまえばいい」


 ため息混じりに、俯いた姿勢の夢野は呟いた。


「ねえ、オル。ぼくらの命に重みなんてないよ。それこそ、ぼくのさっきの言葉が侮辱の意味をもたないほどには軽い」

「違う! 『俺の命』を! 『お前が』! 見下したことが許せないんだ!」


 オルの罵倒を聞き流しながら、かがんだまま目線を横にずらすと、無表情のキルシュと目があう。


「きみは、オル兄さんみたいにならないでよね」


 その夢野に、オルは膝蹴りを入れた。呪詛の言葉をはきながら、狂ったように彼は蹴り続ける。くず折れた夢野を更に蹴る。彼がくぐもったうめき声を上げても、その足はとまることがない。




「オルさまぁ~!」


 そんな修羅場に、暢気な調子で叫びながら近づいてくるものがある。オルを敬称で呼ぶのだから、彼の使い魔、金髪小僧だろう。オルの夢野を蹴る足がようやくおさまった。邪魔がはいったことを残念がるような舌打ちがひとつ。

 夢野はゲホゲホと血の混じった唾を撒き散らす。それをみたキルシュが、ぎくりと体を強張らせた。じり、と一歩後退する。


「ああ、ああ。まぁた喧嘩ですか、お二方」


 金髪小僧は腰に手を当てて、呆れた調子で笑った。その彼にも、オルの拳が飛ぶ。が、慣れた金髪小僧はさっとよける。夢野と違って。


「いつもいつも遅いんだよ、お前は。今日が退局だって言ったはずだ」主人はいたく不機嫌そうだ。「お前がさっさとむかえに来ないのが悪い。……おかげで厭な奴とはちあわせた」と、地べたで芋虫のように痙攣している夢野を軽く蹴る。

「申し訳ありませんね、今日は『訓練局』で試験でして」

「そんなもの追試で受ければいいだろう。こういうときにこそ機転をきかせろよ、このバカ。お前は舌ばっかり回って頭が回らない奴だ、」


 彼は、二言目には「バカ」と罵りの言葉を口にする。口ぐせらしい。ゴホ、というくぐもった大きな咳がオルの言葉をさえぎった。金髪小僧はそこにきてようやく、夢野に意識をむける。


「夢野様、いけるん」


 金髪小僧は、主人以外にはざっくばらんだ。夢野はかすかに笑って、のぞきこんだ金髪小僧を見あげる。金髪小僧は、長い襟足の見事な金髪を持つ美少年だ。話し方が美しくさえあれば、王子様のようだったのだが。


「喧嘩じゃ、ないよ。……リンチだよ、きみの主人による、」

 

 途切れ途切れの息で、ゼイゼイと苦しそうにそれだけを伝えた。金髪小僧はウンウン、と頷いて聞いていたが最後には笑い飛ばしてしまう。


「そんなん、いつものことで。どぉせ夢野様がご主人様にヤバイ事言うたんじゃろ。気ィ使うてくださいよ、ボクのご主人様は生神のくせにナイーブじゃけ」


 彼にまともな心配を期待するほうがどうかしていた。主人に似てばかなやつ、と夢野は内心おだやかでない。


「その通りだよ。分かってるなら、そんな蛆虫と話をするなよ、金髪小僧」

 しゃがみ込んだ金髪小僧の襟首をムンズとつかんで立ちあがらせる。

「まあ、夢野様ほどの方なら寝とったら治んじゃろ。ほな、またぁ!」


 金髪小僧はひょうきんそうに手を上げるも、主人によってズルズルと引きずられていった。迎えに来ておいて主人の手を煩わせる彼は、なかなかのものだ。



 夢野は仰向けにころがって目を瞑り、痛んだからだを休ませた。風が頬をなでてすぎ去っていく。研究所前の広場は静かで、噴水の音だけがあたりに響く。そんな場所で転がっている自分は、門番にとっては奇妙な姿に見えるだろうな、と思いつつも、まだからだを律せそうになかった。

 流れる水の音よりもいくらか近い場所から、カチカチと小さな音がきこえてくる。その音の発生場所は、キルシュの口だった。というか、キルシュがまだここに居たのだ。昂ぶったオルに存在を忘れられ、置いていかれてしまったようだ。彼女は蒼白な顔になって胸の前で手を組み合わせていた。カチカチという音は歯が鳴っている音で、彼女の目は血にまみれた夢野の口元に向けられている。


「もしかしてきみ、血が嫌いなの」


 夢野は口元を拭った。すると、心なしか彼女の表情が和らいだ気がする。


「だ……じょ……ぶ?」


 彼女はゆっくりと口を動かして、恐らくは「大丈夫?」と聞いてきた。気張ってごろんと寝返りを打ち、うつ伏せになる。地面に肘をついて手のひらのうえに顎を乗せた。


「大丈夫。いつものことだから。キルシュは?」


 彼女は「へいき」と頷いた。どうやら、「キルシュ」という名前と「自分自身」はすでに結びついているようだ。


「良い子だね。彼の分身とは思えないよ。きみはオルの妹、オルとは別物だ」

「いも……と、」

「そう、妹」


 夢野がキルシュの柔らかい金髪をなでたところで、彼女の背後ににゅっと白い顔があらわれた。緋色の長い髪がたれる。


「ご無事ですか、夢野様」

「……緋髪小僧」

 彼岸の使い魔、緋髪小僧だった。さあ、と血の気が引く。

「いつから居たの」


 緋髪小僧は、それに対しては何の返事もせずに夢野を助けおこした。おそらく、彼岸の許可がないから黙っているのだ。彼女は何も悪くない。ツンケンしているようで気がきくいい使い魔だった。

 少し遅れて、カンにさわるケタケタという笑い声がふりそそぐ。


「夢野、派手にやられたな」


 そう、やはり、彼岸も一緒だ。


「きみ、ぼくが血反吐をはくのを黙ってみてたわけ。趣味が悪いな」

「助けて欲しいわけじゃいならそんなことを言うなよ。こっちだって好きで見てるわけじゃないんだからな。親友がオルなんかに痛めつけられてるのは、そんなに良いながめじゃない」

「だったら見ないでよ。ぼくだって、怪我するのも痛いのも好きじゃない」

「じゃあ、なんで黙ってやられてるんだよ、」

 いつも。と言外につけ加えられているのを察する。

「ぼくを蹴るときのオルの顔が、すっごく面白いから、」

 いつも。

「おまえ、変態だよ」

 彼岸はよろける夢野に肩をかした。

「そうでもないよ」

 彼らは額をつき合わせて笑った。

「――で、このガキは何」


 彼岸は爪先でキルシュの足を蹴るので、それを夢野はたしなめる。彼岸は生き物のあつかいも乱暴なので注意がいる。


「オルの妹」

「妹ぉ?」彼岸は胡散臭そうに首をひねった。

「緋髪小僧、この子をオルの家まで届けてよ。途中で追いついたら渡せば良いし、」

「あ、おまえ、何でおれの使い魔に命令してるんだよ」

 彼は夢野のわき腹をつついた。そして、緋髪小僧の方を向く。「行って来い」と。

「了解」緋髪小僧は、キルシュの手を引いてオルの去った方向へ歩き出した。


 彼岸はいとおしそうに彼女の背を見守って、だらしない口元だ。それを面白く思ってながめていると、急に夢野にむきなおった。


「で、お前の使い魔は? 訓練局ももう授業終わってるだろ。一緒にいないのか?」

 はああ、と本日二度目の長いため息をつく。趣味の悪い奴は、もう一匹いた。

「建物の頂上を探してみてよ。そのうちのどこかで全部みてたはずだよ」

「――あ、いた。ちょっと遠いけど、訓練局の尖塔の上だ。さすがだな、お互いの位置を把握し合ってるとは」


 まさか。と夢野は乾いた笑みを浮かべる。


「よく言うじゃないか。なんとかと烏は高いところが好きだ、って。それだけのことさ」


 彼岸はぱちくりとまばたきをした。


「あいつは黒猫だろ?」


 夢野は忌々しそうに頭をふる。


「あいつは、バカなのさ」


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