2 Les Enfants Terribles
「育成局」の校舎の外装は、あまり変化しない。
人間界の建築様式、具体的にはゴシック式のとある聖堂をモデルにデザインされた外装だけど、夢野少年や彼岸少年が生まれる(生まれる、と表現すると語弊がある)ずっと前は、また別の有様だったという。時々、気まぐれのようにモデルチェンジするがそのスパンはきわめて長い。
内装はまた別次元となる。ゴシック式は天井の梁の美しさが見所なのに、その美観をのぞむことはできない。物理的な組みたてならまだしも、魔力で造形されたものにかぎれば、厳密には建築物ではないのだろう。
彼らの世界では、「外見は一軒屋だけど、玄関をくぐれば地平線が広がっていた」、なんて事態はザラだ。その常識に違うことなく、育成局の建物のなかは耳鳴りがしそうなほどの真っ白な空間で、存在感のない扉が左右につらなっているだけ。決まりの制服を着た生徒がフロアにいるのを見てようやくここが「育成局」だと判明するのであって、そうでなければ「研究所」や「訓練局」と見分けがつかない。
殊に「研究所」・「育成局」・「訓練局」は、目的を詰め込むためのもの。内部は無機質で均質。広すぎる空間には、空き室も多く存在する。目的地の位置を把握していなければ、迷って無駄に時間をくうことになる。この空間内では、派手な魔術は使用できない。
そんな育成局の校舎内、白亜の廊下をならんで歩く夢野と彼岸がいた。
夢野は、この白い世界で考えていた。
「魔界は『色』が『宗教』みたいなものだよね。……まあ、宗教という概念にピッタリ合致するものではないけど。とにかく、重要な3機関の内装が白なのって、なにか意味あるのかな。研究所に関してのあれこれは、ぼくらはまったく知らないままだね」
すこし饒舌になった夢野に、彼岸は返事をしない。先の生返事の仕返しをされている気分だ。もともと目つきの悪い彼岸は、むっつりとした表情でさらに顔をけわしくしていた。
「……夢野。猫神が来たこと、何で黙ってたんだ。のこのこ木からおりて、おれ、阿呆みたいだ」
自分の気分で話題を変えるのもおてのもの。
“おりて”でなくて“おちて”が正しい。情けない言い分だけど、彼岸の口調は威厳と怒りに満ちている。
このような事態になれっこの夢野はいつもの調子で平板に答える。
「ぼくだけ猫神先生に怒られるなんて、気に食わないから」
「はあ?」
「きみも怒られるべきだもの」
正直な夢野の返答に彼岸は一瞬だけ驚嘆したが、すぐにギロリと目を細めた。
「夢野には思いやりってやつがない」
使い魔……つまり、「黒猫」が手に入る記念すべき日になったというのに、この不穏さ。夢野が警告を発さなかったので猫神先生に驚いて無様に落下したあげく、拳骨を受けたことが屈辱でならないようだ。おまけに、猫神先生の最後の一言「アリスを呼んでこい」が親友の気分を酷く盛りさげてしまった。
でも、夢野はあまりフォローというものをしない。
「ぼくがいるところにはきみがいる。きみがいるところにはぼくがいる。隠れたところで意味がないさ。先生もばかじゃないから、それくらい察してただろうね」
この一言で、この一件の話題はおしまいにするつもりだ。彼岸はまだ何かいい足りなさそうに口を開いたが、夢野が面白がるように微笑んだのでむにゃむにゃと口を閉じた。
それで彼岸の不機嫌がおさまったわけではない。
さきほどから、周りをパタパタと走る下級生に向かって彼岸はこっそり足をだした。
彼のうさばらしの対象物に選ばれてしまった哀れな少年は、彼岸のローファーに引っかかって顔面をしたたかに床にたたきつけた。ビタン、と厭な音が響く。
「最低……」
夢野は、やれやれ、と頭をふった。暴君の気まぐれ、その原因の半分は自分にもあるので被害者には申し訳なく思う。
冷え冷えとした眼の彼岸は少年を振り向いて、乱暴な言葉をなげつける。
「ここは研究所じゃないっての。他の奴と空間を共有してることに気をはらえよ、クソガキ」
不機嫌な時の彼岸は、長く連れそった夢野でさえ黙するほどおぞましい。何も知らない一介の少年ならなおさらだろう。文句の一つでも返してやろうと目論んでいたのかもしれないが、少年は「ヒッ」と小さく敗北の悲鳴をあげた。
真っ直ぐにたっていたとしても自分たちよりも小さな彼が腰をおとしていると、さらに頼りなく見えるものだ。この少年が、震える子猫であるように思える。
「どうした!」少し遅れて、一緒に走り回っていた下級生たちがわらわらと群がりはじめた。
その中の“一羽”が、彼岸に向けて指を突きつける。
「おい! 見たぞ、あんたメモルに足をひっかけたろう」
転ばされた少年の名は「メモル」らしい。夢野らには関係がないが。
「本当かよ。上級生のクセに卑怯な奴」
「弱いものイジメだなんて格好悪いぞ」
彼らはぶうぶうと非難し始めた。空腹にわめく小鳥に似ている。
「そうだそうだ。お前、弱いからこんなことするんだろう」
「だよな。上回生のクセに、使い魔を連れていないのだもんな」
しまいには、笑いだした。彼岸は黙って後輩たちを見おろしていたが、それは最高に良くない兆候だ。雷が落ちるまえに、年少者たちを巣に帰そうと夢野は努める。
「ねえ、きみたち。ごめん。ぼくらが悪かったから、もう教室に帰った方がいいよ」
しかし、この時期の生神たちは人間の幼児期と同様、やんちゃで怖いもの知らずだ。
「今度は手下に謝らせてるぜ」
「自分で謝れよ。怖いのかよぉ!」
――ブチン。
彼岸がキレただろう。そう思って、夢野は心の中で効果音を発した。自分が「彼岸の手下だ」と軽んじられたことにも頭がくるが、そこを訂正している場合ではない。案の定、彼岸はドスンと重い一歩を踏みだした。
「クソガキども。おれの緋髪を見て怖気づかないってことは、最年少だな」
口調が完全に変わってしまっている。
「おまえなんかしらない、ばーか」
メモル少年はぎょっと目をむくと、暴言を吐いた友の口をすばやく封じた。小声で友人をたしなめると、自ら床に額を打ちつけて「スミマセンデシタ」と叫ぶ。彼の友らは唖然としてメモルの動きを見守る。
「『12主人』の彼岸さまだとは露知らず、失礼致しました。以後、廊下を走るような真似はいたしません」
メモルの謝罪を聞いた友らの表情ときたら。青のカラースプレーをふりまいたように、一瞬で彼らの顔からは血の気がひいた。さらに、くずおれるようにばたばたと膝をつく。むきだしの膝小僧が、硬い床と衝突するのもおかまいナシだ。「申し訳ありませんでした」という謝罪の大合唱だ。彼岸は仁王立ちになって、満足そうにうなずく。
「わかればいいんだよ。おれは優しいから許してやるさ。ただし、この夢野は腹黒いから。あとで呪われるからちゃんと謝っておくんだな」
と、親指をくいと曲げて、傍にたたずむ呆れ顔の夢野にすべてをなすりつける。少年たちは尻の角度をあげて、再び同じ言葉をくり返した。
彼らが顔をふせているのをいいことに、彼岸はつつ、と夢野に寄って耳打ちをする。
「こういうのも悪くないよな、」
夢野は脱力して親友をながめた。
「きみって、ほんとうに小物くさい」
本来、「12主人」だからといって「様」付けで呼ばれる必要も、畏れられる必要もない。ただ、まだものをよく知らない下級の生神は12主人に対してひれふすことがある。それは主に、しょっぱなにすり込まれる「魔界神話」によるところが大きい。逆を言えば、12主人をつけあがらせる原因にもなっている。
「魔界神話」は、魔界原初の12のヒトが天界の神や天使と戦っては後継者を残すというアクティブで厭にご都合主義な物語だ。そこでは「小僧」たちは魔界原初12人の魂そのものだとして、「12主人」は12人の“器≒肉体”の後継者だとしている。めくるめく冒険活劇をくぐり抜けた魔界原初12のヒトから派生した(らしい)小僧と12主人は、若輩にとっては創生の英雄となってしまう。人間界の生命力を奪うという本能を応戦する程度、そんなささやかなオトギバナシに過ぎないことにこの少年らもやがて気付くのだろう。
黒猫と主人の関係性にかんして、魂を持って生神をやしなう側(黒猫)の方が「従」であるのは奇妙な事態と思うだろう。ところが魔界にとっては、魂はなくとも、生神こそが本体らしい。生命力を生産する魂という器官は、言ってみれば、憎き天界の神の生産物そのものだ。
「魔界神話」はほんとうに胡散臭い物語だけど、生神たちは真偽を問わなかった。ゼロではないけど、真偽を検証するのは彼らの強い性質でない。現象を現象として処理するのが彼らだ。数少ない真偽を問う性質のある生神は研究所の職員として収納される。適材適所。
――12主人に関して(魔界原初12のヒト起源であるかどうかの真偽はさておき)、“器≒肉体”の修復不可のレベルでの損壊をうければ、繰り返し生産されているのは事実だ。そのたびに、フォルムも性格も変わる。12主人の世代交代、それはそれは寒気がするほど無感動に行われる脱皮だ。夢野らの先代たちは戦によって肉体を損壊したらしいが、夢野らはただ、のんびりと肉体の老朽化を待つだけだろう。先の大戦で大敗した魔界には、天界や人間界に戦をしかけられるほどの力が残されていはいない。
はっきりしているのは、「小僧」の特殊性は魔界にとって間違いなくプラスだし、「12主人」は、魔界を支えるべくして存在しているということ。
「じゃあ、おれは先に猫神の研究室に行ってるから、アリスを捕まえてきてくれよ」
軽く手をあげ、颯爽ともと来た道を引き返していく彼岸。敵前逃亡というわけだ、自分だけ。
夢野もアリスが苦手だけど、あえて反論をしなかった。この喜ばしい日に、これ以上親友といさかいをおこしたくはなかった。相棒が暴君なら、自分が柔軟であることが求められる。夢野はそれを心得ていたし、夢野が心得ていることを彼岸も心得ている。だからこそたちが悪い。
「わかったよ」夢野は小さくつぶやく。
夢野の了解を聞かずとも、彼岸はすでに遠ざかっている。ああ、このどさくさにまぎれて逃げたかったんだなと、彼岸の暴挙の理由を発見する。同輩らは彼に隠れて噂している。「彼岸は小物だ」と。このときばかりは、それに同意せざるを得ないと思った。
ため息をついた夢野が踵を返し、とある扉の向こうに消えるまで、後輩たちはずっと額を床に押し付けていたそうだ。
◆
夢野が通り抜けた扉の向こう側、そこは生徒用実験室だ。(理科室のようなものである。)授業のない時間帯、アリスはだいたいここに居る。
彼女は爆発魔として、その名をとどろかせていた。
大したセンスもないのに魔術実験が大好きで、教科書のスミの「コラム」に載っている術をためしては失敗し、大小さまざまな爆発を起こしまくっている。それだけならまだいい。「魔界の神の微笑み」とでも表現すべきか、実験のすえ、意味不明な生成物を発現させることも少なくない。
コラムに記載されるような術は平均以上の難易度とはいえ、教科書レベルには違いない。生徒でも実現可能とされている代物であるにもかかわらず、まともにこなせないアリスは完全に研究畑の人間ではない。「むしろ肉体ばかりが研磨されているぞ」、とハタから見る彼岸は言っていた。それなのに、彼女の落ち着く先は「研究所」だと確定的だから驚きだ。
夢野が足を踏みいれた瞬間もまた、ボン、と小さな爆発音がする。続いて、こほこほ、というひかえめな咳の音。
「大丈夫、」
夢野は広い実験室内に充満し始めた煙をはらいながら彼女に話しかけた。
「誰、」彼女は苦しそうに、それだけを聞いた。
夢野はついでだと、実験室の壁を叩いて換気術を仕掛ける。煙は急速に渦巻いて消えゆき、段々とアリスの全身の輪郭がハッキリしてくる。それは彼女にとっても同じで、来訪者、夢野の姿をはっきりと現前させた。
「夢野!」実験台に手を突いた姿勢のアリスは、目を丸くした。青くて真っ直ぐな髪は、肩より少し長い程度。制服の上にはキッチリと白衣を着ているが、先ほどの爆発の名残だろう、すすけている。胸元からはみ出したリボンタイは、焦げてちぎれそうだ。
「どうしたの、こんなところに来るなんて」
「それはこっちの台詞だよ。休憩時間に独りで実験室、ってどういう趣味」
「惚れ薬を作ってたの」
彼女はにんまりと笑って、顔の脇で指をふる。惚れ薬は冗談だとしても、彼女の好意の標的は自分だとわかっている。それが、彼にとってはぞっとしない。
「冗談はおいておいて。何か用があるんでしょう」
彼女は実験机に両手をついて、地球のように真っ青な瞳を見せた。洞察力が優れているのは伝統的に「青」の主人の特色ではあるが、彼女自身聡明だ。だから、彼岸も夢野もアリスにはかなわない。それに加えて夢野が彼女を苦手とする理由は、むけられる分類不明の好意による。でも、彼岸となると話が違う。理由もなく犬猿の仲だ。彼は彼女と顔を合わせると毎度毎度喧嘩になり、しかも負かされている。「対アリス」に限らず、彼岸はどこへいっても敵が多い。
「猫神先生が、『使い魔を預かってるから、個人研究室に来い』って」
アリスも使い魔を心待ちにしていたことには違いない。両手を胸の前でぱあんとうちあわせると、花が開いたように華やかな表情を見せた。ぼけっとしていたら抱きつかれてしまいそうだと思った。逃げるように一歩後退する。
「じゃあ、ぼくは先にむかってるから、実験室をきれいにしてから来るんだよ」
これ以上会話を続けたくはなく、その上彼女と並んで研究所へ向かうのが億劫だった夢野は、そそくさと彼女に背をむけた。ふむ、とアリスが腕を組む気配がする。あからさま過ぎたかなと反省しつつ扉に手を掛ける。
「きみはいつだってつれないんだね」
言葉のもつ意味のわりに、快活な声だった。彼女は肩をすくめ、口笛を吹くときのように唇をユーモラスに尖らせた。
「そんなことないよ、」
意味もなく否定して笑う。アリスはぎゅっとけわしい顔をして、つかつかと歩みよってきた。夢野が退こうとするのを、腕をつかんで止めた。
「ああ、もう。その薄ら笑いはやめなさい」アリスは彼の頬をつねると、ニコリと笑う。「ね?」
彼女は夢野を開放するとしゃきっと向きを変え、てきぱきと片づけを始めた。夢野は逃げ出すという意図を忘れて、じっとアリスの背中を見守る。
(……薄ら笑い……、)
ぐぐっと肘を曲げて雑巾をしぼりながら、彼女は気張った声で言う。
「ねえ。いつまでもそこでぼうっとしていると、片付け終わっちゃうから。一緒に行きたくないなら、さっさと出て行きなさい」
背を向けている彼女には見えないであろうが、夢野は小さくうなずいた。
「ほんとう、アリスは面白いね。厭な意味で」
「わけわかんないよ、夢野」
夢野はかすかに口角を上げ、音もなく実験室を後にした。