00 夢野家のお正月
暇だ……
と呟く音は、まるで死体のように畳に横たわっていた。長い黒髪はまとまりなく方々に広がり、どこぞの幽霊のような有様だった。
ややあって、不本意そうにモゾリと顔を上げる音。
テレビは正月特番が続いている。何度も聞いた漫才や体を張った企画が、紋切り型の感動と予定調和の笑いを押し売りしてきていた。
どこへ行くでもなく家で過ごしていた三が日は、ずっとテレビが点けっぱなしだった。おかげで、この時期の鬱陶しいコマーシャルの歌も宣伝文句もすっかり耳が覚えてしまった。
しかし、先ほどから、覚えたフレーズや聞きなれた音楽がきりの悪いところで途切れ、また別の音が次々と耳に入ってくる。その繰り返しだった。宿題に意識を向けているつもりでも、こう頻繁にリズムを変えられては苛立ちが募る。
「音。そんなにちょこちょこと局を変えないでください。気が散る」
「仕方ないだろう、暇なのだもの」
眉根を寄せて不機嫌そうな音は、こたつから上半身だけを出して頬杖をついていた。もう片方の手で、ピッピと何度もリモコンのボタンを押している。
「さっきから何度それをいうんです。散歩にでも行ってきたらどうです」
「厭だ。近所の子どもに出くわしたら、ひどい目にあった」
音は先刻、暇をもてあまして外に出て行ったが、顔にマルバツの墨を付けて逃げ帰ってきた。夢野に借りている振袖も、土まみれにしてくる有様であった。いまどき一体どの世界の子どもが顔に墨で落書きなどするというのか。タイムマシンにでも乗ってきたのか。
「商店街はどこも閉め切っているし、学校も開いていない」
黒は、柱に打ち付けられている商店街の名入りのカレンダーを見上げた。祝日は赤い字になっている。旧暦についての一言メモと、生活の知恵コラムが載っているお得感満載の一品だ。
「三が日でしたから、仕様ありません。もう四日でしょう、どこかはもう営業を始めていますよ」
「アイスでも買いに行くべきか……」
「行ってらっしゃい。コンビニは年中無休、24時間営業ですから」
音は体を横倒しにした。
「風情のないことを言うな。人間様になってみると、正月はべらぼうにつまらないものなのだな」
これが正月の風情なのだ、と諭そうと口を開けたが、また閉じる。人間一年生に言ってわかるものでもない。何度も経験しないとわからないことであるし、それに何より、音があと何度正月を迎えられるか、知れないからだ。
どんなに音を大事そうな素振りを見せようと、どうせ夢野は夢野だ。猫可愛がりのねっちこい笑みの下で夢野が考えていることなど、昔から変わらない。
つとその一瞬、黒は、道端の石を見るような目になって音を見下ろした。
「……猫になってコタツの中で丸まっていればいいのでは?」
「時間感覚がもう猫のそれじゃない。お前だってずっと人の姿のままだろう」
「僕は貴女と違って、暇じゃあありませんから。貴女も学校の宿題は終わりましたか?目立たないようにそこそこの学力をつけることは、大事ですよ」
黒はみっちりやり込んだ宿題ノートを彼女に見せつけた。教科書だって年々変わる。新しいことを仕入れなければならないことだってあるのだ。学校において落ちこぼれて変な目立ち方をすることがないよう、努力は惜しまなかった。教師のおせっかいを受けるくらいならば、手のかからない優等生でいるほうがまだいい。暇だ暇だと嘆いている彼女は、果たして冬休みの宿題を終えているのか。
今度は彼女の方が路傍の石を見る目になってあんぐり口を開けた。
「つまらないな……」
音はまたしても繰り返していた。
「つまらないとは贅沢な悩みです、音」
ずうっと黙って聞いていた夢野は、新聞をめくりながら穏やかに言う。
その夢野の指がふと止まる。
「おや」
彼の小さな驚きの声に、一同注目した。何か退屈を打ち破るものが見つかったのか、という期待で音の瞳はきらめいた。
夢野は新聞の一面広告を見ていた。緑の枠ぶちの中に、走る馬の横顔がでかでかと写った写真だ。そういえば今年は午年だったな、と黒は干支を思う。
夢野はその広告をじっと見つめて思案しているようだった。
「そういえば明日は金杯ですね」
夢野は独り言のように言う。
「はあ。音と行ってきたらどうです」
なんだそんなことか、と黒は机上に視線を戻す。
「おまえにしては名案ですね、黒。行きましょう、みんなで」
「は?」
黒は勉強の手を止めた。
「何しに?」
「そりゃぁ、馬を見にですよ」
「金杯って……まさか千葉まで? 術式組むの面倒ですよ」
「そんな風情のないことしませんよ」
「じゃあどうやって。混雑した電車など絶対に御免ですよ」
「心配しなくとも。車で行くんですから」
「誰が運転するんです。都内回って正月の渋滞抜けてなんて、正気の沙汰じゃない」
「おまえ、運転でないんでしたっけ?」
「いや、できないこともないですが、もう何年もしてませんよ。車なんか使うより術式の方が早いしコストも低いですから」
「まあ、おまえが無理でも大丈夫なのですよ。というか、はなからおまえに頼もうとも思っちゃいません」
夢野は音の名を呼んだ。音はコタツから上半身だけを出し、ずりずりと床に頬をこすりつけていた。競馬や車の話は彼女にはわからなかったのだろう。
「音。クリスマスにあげたお洋服はいつでも出せますか」
音は夢野の物言いにピンときたようで、むくりと顔を上げた。
「明日はお出かけしましょう。馬を見にいくんです」
「うまか!」
音は顔を明るくして、こくこくと二度頷いた。
黒は黒で、やりかけの予習ノートをパタリと閉じて、そわそわと尻の位置を直した。
「ふうん。まあ、行く手段があるならたまには良いんじゃないですか? たまには」
馬か。
人間は好きじゃないが、馬は悪くない。
◇◆◇
黒は、スーパーへの買い物のついでに、件のボロアパートに訪れた。買い物用の籠からは、大根や葱がその長身を覗かせている。
玄関先でぼろアパートの住人その1と出くわした黒は、ユカリに会いたいのだと伝える。青白い苦学生風のその男は、学帽を目深にかぶり、とんびコートにくるまれた黒尽くめの少年をじろじろと不審そうに眺め回した。正月なのに国に帰りもせず、埃と黴の気配のするこんな城に引きこもっているくらいだ、様子がおかしいのはおあいこだ。なので気にしないことにした。
彼は背を向けると、音もなく階段をあがる。部屋の戸を叩き、ややあって菫髪小僧が顔を出すと、青年は黒のほうを指差した。
菫は、ドアの隙間から首を突き出して黒を見下ろした。その瞬間、菫の顔がぐっと不快そうに歪む。こちらとて、好きでおまえに会いにきたわけではない。だが、黒は学帽を外し恭しくお辞儀した。
青年は、自分は役目を果たしたとばかりにぬっと二階の闇の奥に消えていった。
「ユカリ様。遊びましょう」
ユカリの部屋に通された黒は、ふかふかのシャギーのカバーがかぶせられた座布団に正座していた。ちゃぶ台の上には、電気ポットのお湯で拵えられたほうじ茶が湯気を上げている。ちょっと見ない間に、かわいらしい調度品が増えている。
「……と、夢野先生が申し上げてます」
そう付け足せば、ユカリは目を輝かせて身を乗り出してくる。
「ほんと!? 夢ちゃんが!?」
ショールカラーのノルディックセーターを着て、袖口からアームウォーマーを覗かせたユカリは、人間界にとてもなじんでいるように思えた。ムートンブーツのようにもこもこしたルームシューズまでも履き、冬の装いを楽しんでいる。
「明日、もし時間がおありでしたら是非、と」
「何して遊ぶの?」
「車でお出かけしましょう、と」
「どこへ?」
「千葉県船橋市」
競馬ですよ、と背後に控える菫が答えた。メガネをくいっと持ち上げて、呆れた調子でため息をついた。
どこかで物が落ちる音がした。ぼろアパートは、物音がいちいち聞こえてきて住み心地が悪そうだった。
「今朝の新聞に広告がありましたからね。あの方が考えることなど、手に取るように解ります。ユカリ様に頼りあぶく銭を得ようという魂胆でしょう」
「僕はともかくおまえが夢野先生を見下すことは許されませんが、まあ、おおむね正解でしょう」
黒はしらけた調子で種明かしをした。
「ふざけた方ですよ。人の都合も考えず、前日に誘うなど」
「なにをおっしゃいますやら。あなた方がお暇なことを先生は先刻承知です」
地味に火花を散らし始めたふたりに、ユカリはおろおろとしている。
「競馬なら、府中に向かう方が道路空いてるんじゃない? 同じくらいの時間くらいで着くよ」
「明日はそちらじゃないんです」
「賭けるだけなら家でもできるでしょう。なんでわざわざ混むのに都内を通って、」
「馬を見に行くのです」
反論の菫を遮るように黒が被せる。
「ふぅん。黒ちゃん、今回は珍しく夢ちゃんに反対しないんだ」
ユカリは探るように黒の顔を覗き込む。彼は意外とポヤポヤしているくせに核心をつく。
黒は誤魔化すように咳払いをする。
「珍しい? お言葉ですね。僕はいつでも、夢野先生に忠実なしもべですが、何か」
すると、真顔だったユカリはニコッと笑い、そうだね、と肯く。
「……僕は黒猫も人間も大嫌いですが、馬は愛すべき生き物ですから。まあ、そのために一日少し遠出するのもやぶさかではないのです。それに、競走馬と僕らとは境遇が似ていますから」
「う、」
ユカリは気まずそうに顔を歪めた。
黒は、今回の夢野の我侭にも口出ししたけれど、考え直したのだった。馬という生き物は好きなのだ。
自分の意見など挟む立場ではないことは、重々承知しているが、今回は少し楽しみでもあった。
、
最後の一言が効いたのか、菫は重苦しく腕を組んで考え込んでいる。
その隙にと、黒はユカリに向き直った。
「判断はユカリ様にお任せします。とまれ僕は先生に代わってお誘いにあがっただけなのですから。色よい返事をもらって来いとまでは云われていません。貴方を慮って申し上げれば、いらっしゃったところで楽しいことがあるとは思えませんし」
ユカリはきょとんとして黒を見ていた。
「え? いくよ。どうせ僕らには君らを監視する義務があるんだから」
そういえばそうでしたね、と黒はとぼけた返事をする。片ひざを上げながら、思い出したように彼は顔を上げる。
「そうです、これから晩飯もご一緒にいかがですか。鍋でもしようかと思っているんです。人数は多いほうが好いでしょう」
黒は、そばの買い物籠をくいと持ち上げた。ユカリはやったあ、と素直に喜ぶ。
しかし、菫は一筋縄でなかった。馬鹿にするな、と黒とユカリのあいだに割り込んだ。
「待て待て待て。話を進めるな。ユカリ様をさんざいじめ倒しておき、遊びの誘い? 夕餉を共に? 面の皮が厚いにもほどがあるぞ、おまえの主人は」
はあ、と黒はためきをついた。
「どれだけ前の話をしているんですか。ユカリ様を御覧なさい。すっかり水に流し、楽しみにしてくださっているじゃあありませんか」
監視の義務と自分で言ったわりには、そわそわと嬉しそうに目が泳いでいた。そんなユカリを揺さぶるようにして菫が語気を強めた。
「ユカリ様、騙されてはいけませんよ。貴方が彼らにされたことは消えません。それに奴らはあくまで監視対象、絆されてはいけません」
高ぶった菫は黒をきっと睨みつける。
「あなた方はわかっていたんでしょう。冷たくされていた人に急に親切にされると、つい嬉しくなって都合のいい奴に成り下がってしまうユカリ様の純真さを! 人のたくらみに気付いてもなお己に課せられた役目を全うするユカリ様の馬鹿正直さを!」
「全部言ってしまうのはおやめなさいな。ユカリ様を貶めてどうするんです」
ユカリの暗い部屋にしんとした沈黙がおりた。
「ありがとう、菫。君が僕を心配してくれてるのはわかる。君が彼らを許してないことも。でもさ、僕は気にしてないし、なんでもすぐ忘れてしまうんだよ」
「お見事です。さすがユカリ先生」
黒が真面目な顔でパンパンと拍手をする。そしてフッと笑いながら菫に振り返る。
「己の主君を少しは見習い給え、石頭の使い魔風情が」
「口調を真似るな。そして使い魔風情は貴様も同じだ、腹黒め」
ひとつまた言い返したいところだが、いつまでもじゃれているわけにはいかない。黒は膝を立てた。
「……さて。では先生に報告をせねば。お電話をお借りしても構いませんか」
「さっさと帰って直接言ったらいいだろう。人の家の電話を使うな」
「まあ、まあ、菫。そんなこと言わないでよ」
ユカリは、部屋に設えたようにしてある黒電話を黒のほうへ押しやった。黒は、自宅に電話をかけ夢野に報告した。すると彼は、ユカリに代われという。ユカリは、夢野との電話をはしゃいだ様子で受け取ると、ずっと「うん、うん」と素直に頷き続けていた。
「……ところでお前。悠長に遊ぶのはいいが、緋髪小僧の件は進展あったんだろうな?」
ユカリが電話で笑い合っている傍で、菫と黒は無表情でボソボソと会話の応酬をしていた。
「そんなこと、使い魔の僕の口からは言えませんよ。先生に直接聞いてください」
「あーわかったわかった。何も進んでないんだな」
「その進捗を裏から調べて魔界に報告するのが仕事のくせに。そのためにここにいるのに、なに監視対象に聞いてるんですか。職務怠慢ですよ」
「貴様は何億年経っても私への憎まれ口をやめないな」
「僕は誰にでもこうですよ」
電話を終えると、ユカリはにっこりと菫髪小僧に向かって言った。
「車と運転手が要るんだって。ぼく、予約しに行かなくっちゃ、」
「あんたいいように丸め込まれすぎですよ!」
菫の絶叫がぼろアパートじゅうに響き渡り、うん十年と風雨に耐えてきた壁を揺らした。
「ご予約が終わったら拙宅へお越し下さい。鍋の準備をしておきますので。」
むろん、ユカリに車の手配や運転を押し付けることは、夢野と結託済みだった。
涼しい顔で言ってのけると、黒はスタコラとボロアパートを退散する。
◇◆◇
翌朝、陽も昇らぬうちに、ユカリは借りた車を運転して、「土倉真倉」の前までやって来た。昨晩鍋で顔を合わせたばかりなので、別れてから数時間しかたっていない。
というのも、正月期の大移動や初売り、初詣などで道路が混むことを予想して、早い出発だ。
車どおりのまだない道路に停まったぴかぴかのハイエースは、ひどく目立つ。
助手席から菫が、運転席からはユカリが、高い座席から軽々と降りてくる。
「おはよう〜。冬の装いだねえ」
よそ行きの羽織を身にまとった夢野。今日は珍しく、はだけた着物ではなく、マオカラーのシャツを仕込んだ書生スタイルだ。そしておなじみトンビコートに学ランの黒。ポニーテールにしてイヤーカフをかぶり、ふんわりしたロングコートを着た音。
「我々に季節があまり関係ないとはいえ、流石に多少は溶け込む努力はしますよ。逆に貴方ときたら、まるで人間だ。宵浜のアウトレットにいる若者そのものですよ。」
そう言われたユカリは、ド派手な配色のモコモコとしたフリースと、ゆったりとしたデニム、どっしりとしたスニーカーで、そこらにいる若者然としている。ポンポン付きのニット帽を小脇に抱え、グローブタイプのニット手袋をポケットに突っ込んでいる。
他方菫は、ドラマに出てくる刑事のような出で立ちだ。
人間の装いの参考といったら大抵テレビなので、少々仰々しいというか、普段着からはちょっとズレている。
「まあ、こっちにいるからには、それらしくしたいしね」
夢野は目を細めて珍しく微笑んだ。
「彼岸もそうだったんだろ?」
ユカリがそう問いかけると、夢野は薄っぺらな笑みになる。
「……早く行きましょう。混みますよ」
夢野家一行は、素早く二手に分かれて後部座席に乗り込んだ。
ユカリは運転席から振り返った。
「それじゃ、出かけるよ!」
ユカリは、ハンドルを握って前を向いた。
「おまえが運転しなさいよ、菫……」黒がボソリと言うと、「知らないのか? こいつ、運転好きなんだぞ」と、音が答える。
車は緩やかに加速し、国道へもスムーズに入っていった。ユカリはふんふんとご機嫌に歌を口ずさみながら、ごくごくまともに車を走らせている。
「おまえ……原付はあんなに危険な運転だったのに、車はよく扱えるんだな」音はおののいてユカリに言った。
「原付も得意なつもりなんだけどな……」ユカリは半笑いだった。
助手席の菫髪小僧は、先ほどから、ちらちらとバックミラーから最後部座席に陣取っている夢野家が気になっているようだった。
「ところで、あの……。あなた方の大荷物はいったいなんですか?」
黒と音のあいだには、藤のピクニックバックが二つ、夢野の周りには荷物が山積みになっている。車の中がさっそく部屋の中のような有様だ。
「車中おやつにドリンク、レジャーシート、合羽、オペラグラス、トランシーバー、競売新聞といったところです。ピクニックの荷物とそう変わりありません」
「一部ピクニックらしからぬものが混じっているようですけど……。夢野様がお読みになっているそれは?」
夢野は、持ち込んだうちの分厚い一冊を真剣に読みながら答えた。
「四季報ですよ。私は形から入るタイプなんです」
菫は不可解そうに首をかしげる。黒は黒で競馬新聞に目を通している。ところどころ、鉛筆での書き込みや蛍光ペンでラインがひいてある。夢野の作業の跡だった。
「付け焼刃は怪我をしますよ」
菫はバックミラー越しに夢野を睨むようにして見た。
「せっかくなので楽しみますよ、私は。統計とユカリの力で、鬼に金棒です。たんまり稼いで、夜は懐石料理で舌鼓と洒落込もうじゃあありませんか。予約も取ってあるんです。楽しみです。ねえ、ユカリ?」
それなんだけどさぁ、とユカリがそろりと口を開いた。
「夢ちゃん、それは無理なんだよ」
ユカリは落ち着いた口ぶりで云う。
「なにがですか?」
「当たり馬券を予知するなんて、僕にはできない」
夢野は石のように固まった。
「君は僕の『預言』のことを言ってるんでしょう?」
ユカリは、ため息とも笑い声ともつかないような音を出しながらハンドルを切る。
「君も『ビジョン』を見たことあるだろう。ならばわかってもらえると思うけど。人間界の馬を見たところで、彼がどうなるかなんてこと、ましてや、彼らが走るレースがどうなるかなんて、魔界の神は教えてくれないと思うんだよ」
ユカリは申し訳なさそうに言った。菫は得意そうにくいっとメガネをあげて、にやけた面で振り返る。
「ご理解いただけましたか! ユカリ様は貴方達の目論見通りにはなりませんからね! せいぜい一日一緒に楽しく遊んでくれるがいい!」
その直後、菫髪小僧の座席が思い切り蹴られた。音の足だ。そして、んがっ、と突発的な鼾が車内にとどろく。音はあっというまに大口開けて眠り込んでいた。
「……黒。昨日の鍋の具がまだ残っているんですよね」
「そういえば、そうですね」
「ですから、」
懐石はキャンセルしましょうか。
夢野は微笑んで車内を見渡した。彼の呟きに、一同いろんな意味をこめたため息をついた。