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黒猫少年少女  作者: 黒檀
第一章 夢野商会
19/51

19 菫髪小僧

 

 我々四人は、104号室の四畳半に小さく収まっていた。

 オレンジ色の裸電球の光が畳に弱い光を落とし、わびしさを強調する。家具らしい家具は何も無い。全身鏡とダンボール一箱だけだ。

 想像通り、暗くてじめついた部屋だ。しかし、隅から隅まで綺麗で、埃一つ無い。ひょっとすると、彼らがこの物件全体の掃除をしたのかもしれない。

 そこまでしたなら庭もどうにかしろ、と思う。いや、猫には好ましい環境には違いないが。

 

「弟」は腰にタオルを巻いただけの姿のままどっかと胡坐をかく。勿論、髪は濡れたままだ。透明な液体が彼の体を走り、最終的に下半身に巻かれたバスタオルに吸い込まれる。秋口の夕方には寒々しい光景だ。しかし、彼にもきっと、温度の概念は関係ない。

 他方、(ユカリ)は、肩を縮めて私と直子とを上目遣いに見る。そんな目をされたら、足蹴にしたくなる。


「……ああもう、貴様、その見苦しい上目遣いはやめろ! それから、そこの半裸! その格好で胡坐をかくな! 見たくないものが直子に見えたらどうしてくれる」


「ご、ごめんなさい!」と叫び、ユカリは顔を両手で覆った。「弟」の菫のほうは、「何がまずいのか?」とでも言わんばかりに首を捻った。


「この私の体に、そこのお嬢さんに見られて恥ずべきものなど存在しませんが」


 と、神聖そうに自分の胸に手を当てる。薄気味悪い。


「ふぐりがあるだろうが、このたわけ」


 確かに、直子の祖母の言う通り背が高く真面目そうな「イケメン」ではあるのだろうが、この言動を加味すれば見る価値の無い存在であると良く解った。既に直子も、お腹一杯といった表情だ。

 強張った空気に耐え切れなくなったのか、ユカリは腰を浮かした。

 

「ぼ、僕……部屋に戻ってるね……?」 


 お前が消える意味が解らない。お前に用があるんだが。


「待って」と、直子。

「え、……何?」


 一々、この主人はビクビクする。


「『僕の部屋』って……? まさか、空き部屋を勝手に使ってるの……?」


 彼の顔は、すぐさま青くなる。私は口を開いた。


「……言っておくが。この娘は大家の孫だぞ。ここまで案内してくれたのもこの娘だ」

「それは、……マズイですね」と、スミレが言う。


 その直後、彼は音も無く立ち上がった。ユカリを威嚇するように睨み付けている直子の背後に忍び寄る。彼女の後頭部へ、ぬっと手を差し出す。


「ちょ、お前、何する気だ、」


 私の戸惑いを歯牙にもかけず、タン、と軽い動作で手刀を振り下ろした。首筋への、実に迷いの無い一撃だった。


「おい!」


 直子は、黒目をぐるんと瞼の向こうへ押しやってしまうと、ばったりと前かがみに倒れた。

 私は駆け寄り、直子の体を仰向けに直す。彼女は白目を剥いて、すでに意識が無かった。


「お前! 何してくれるんだ!」


 スミレは馬鹿の一つ覚えのように首を傾げる。その仕草も私の神経を逆なでする。


「? だって、大家の孫に、好き放題使っているのを知られてはまずいですし……」

「だからって何も、暴力を使うな! 魔術でも何でもできただろう!」

「あ、そうですね。うっかりしてました」

「馬鹿野郎! 何なんだ、貴様らは!」


 私が叫ぶのを(私は滅多に叫ばないのだが)五月蝿そうに目を細めて見ていたスミレは、ゆるりと腕を組む。


「私は『菫髪小僧(きんはつこぞう)』、そしてそちらは主人のユカリ様だ」

「きんぱつ……? お前、頭、黒髪じゃないか」

「『菫』と書いてキン『ハ』ツと読ませます。紫の『小僧』です。髪は染めています。黒髪でなければ、ここでは浮いてしまいます」


 妙にカクカクした喋り方だ。

 ……いや、しかし? 赤い髪の天使、いたぞ? 変なところで真面目らしい。

 暗くてよく見えなかったが、確かに彼の瞳は暗い紫だった。


「ちなみに我々は、魔界の政治局から派遣された者です。夢野様との対面を希望します」


 と、姿勢を正す。ただし、タオル一丁だ。ユカリもそろそろと尻を下ろし、こくこくと頷いた。

 私は溜息をつく。この履き違えた言動の数々、生粋の魔界人(?)なのだろう。


「……解った。今から案内する。その前に、まず直子を家に送り届けけねばなるまい」

「何故?」

 

「何故」とは、何に対しての「何故」だ?


「何故家に送り届けるんです? ここに置いておけば、気が戻ったら勝手に帰るでしょう?」

「『夜道を女の子一人で歩かせるのは危険』だからだ。貴様みたいな変態に襲われる可能性がある。ここでの常識だぞ、ボンクラども」

「記憶しておきます」

「ついでに、『タオル一丁で人前に出るものではない』とも記憶しておけ」


 我々がそうして言い合っている時、突然、部屋の戸を叩く者がある。来訪者などまず無いような家にだ。二人が警戒し始めたのが解る。解るほどに、二人の纏った気配は黒く不気味だった。

 案外、ただの馬鹿ではないらしい。


 安っぽい合成木材の戸を打つ乾いた音。上方のかすりのかかったガラス窓からその頭が揺れるのが見える。

 ノックは直ぐに止んだ。その代わり、ドアノブに手を掛ける。侵入する気だ。

 喉がむずがゆくなるような音を立て、戸は開いた。暗い廊下に、人間の影がある。


「今晩は。迎えに上がりました」


 黒い影は、深くお辞儀をする。

 影が顔を上げた時、私の瞳は捕らえた。翡翠の両眼を。


「……黒?」

「……音? 何で貴女がここにいるのです」


 来訪者は黒だった。宣言通り、迎えに来たのだ。


 黒はざっと室内を見渡した。

 魔界からの来訪者の二人を通り越し、倒れている直子に視線は止る。


「……なぜ彼女がいるんです」


 呆れている、と言うよりは軽い苛立ちが含まれている。


「ああ、私をここまで案内してくれたんだ」

「……音。僕が迎えに行く、と言ったはずです。どうして余計なことをするんです」


 彼女に向けた視線を私に当て、苛立ちを隠さないままで喋った。黒はしょっちゅう負の感情を撒き散らすが、今日は異質だった。猫の姿だったら、毛が逆立っているのではないかと思うほどだ。

 彼の感情の変化に気づくようになったのは、私としては成長だった。


「それは……」


 黒に事情(直子が『イケメン』を見たがった)を説明して、理解するはずが無い。それに、確かに私の独断だった。


「……すまない」


 最終的に、謝った。

 僅かに私が頭を下げた瞬間、畳がショリ、と音を立てた。ユカリが急に足を踏み出したのだ。私を通り越して、黒に飛び掛った。


「黒ちゃああん! 何でぼくを無視するの!? 久しぶりに会ったってのに!」


 黒はキルシュに抱かれたときと同様、体を慣性のまま揺らしただけで無表情だ。頬に何度もキスの嵐を受けても、動じないで言葉を続けた。

 つまり、ユカリは無視だ。


「西陣が……つまり、ユカリ様の烏が学校に来ていたのですよ。帰りのホームルームの時です。気づきませんでしたか、教室の外にいたのを。そしてここには縮緬も来ていますよ。見えませんでしたか」


 ……烏の顔など見分けられるはずが無いだろ。

 この共同住宅の電信柱にとまっていた烏は夢野商会の縮緬と「西陣」とやら、という訳だ。世の中の烏という烏が信じられなくなりそうだ。


「ああ、そうか。邪魔したな」

「邪魔と言うより、手間だ」


 黒は時々、うっかりしたように丁寧語が消える。

 黒はユカリを引き剥がすと(一応、『ユカリ様、離れてください』と言った。)、部屋に入って直子を背負う。直子はまるで、ビニールで出来た人型のようにぐったりしている。放っておいたら液体になって解けてしまいそうだ。卒然に意識の消える瞬間、あるいは無意識の時の人間ほど、不気味なものは無い。


彼女(なおこ)は僕が家まで運びますから、音はその二人を先生のもとに連れて行ってください。事情は縮緬に伝えてもらいます」


 ここでようやく、黒は菫髪小僧に向き直った。彼の変態じみた格好には目もくれない。


「お久しぶりです、菫。相変わらず貴方は阿呆ですね。デスクワークの奴を実地に寄越すとは、政治局も阿呆が過ぎます」

「相変わらず、お前も面白みの無い奴だ。夢野様もさぞ退屈だろう」


 黒は顔をしかめて立ち上がった。直子は軽そうだった。


「我々はただのメッセンジャーだ。正式な通達は、正式な形で伝えられねばならない」


「正式な通達」? 新しい仕事の依頼か? 

 黒はしばらく口を噤んだ後、掃き捨てるように投げやりに言った。


「馬鹿げた形式主義です。人間界の真似事をしてどうするんです。では、私はもう行きます。音、任せましたよ?」


 私は慌てて頷いた。黒は我々をすり抜けて、淡々と階段を降りた。

 もし直子が黒の背中で気が付いたら、驚くだろう。あの仏頂面の(伊達)眼鏡のクラスメートが自分を運んでいる、だなんてな。 


「おい、二人とも。我々も出るぞ。そこの変態、衣類を身に付けろ」

「解っている」


 菫髪小僧は、躊躇いもせずバスタオルをストンと落として全裸になる。

 


 我々三人が庭に出たときには既に、黒は姿を消していた。さて、あいつに直子の家が分かるのだろうか。……いや、愚問だろうな。(あいつ)は何時だって完璧な仕事をする。


 庭では、四方八方から虫の声が聞こえてきて五月蝿いくらいだ。

 月はもう煌々と輝いている。赤々として不吉な月だった。月というものは時々、純潔な白を見せるかと思えば、このように不穏な姿を見せもする。ぽたりと血液が垂れてきそうなほどに潤んで痛々しい赤だった。


 月に気を取られていると、ガコン、と機械めいた音が聞こえてきた。


「音……だったよね? ね、猫になってくれる? 運ぶから!」とユカリ。


 彼が押してきたのは、例の赤いスクーターだった。更に、案外洒落た造形の車体に無理やり付けられたようなカゴには、凛々しい黒猫が入っていた。菫髪小僧だ。


「……それ、骨董品じゃないのか? そして、お前が運転するのか?」

「うん!」と、無邪気な笑みを見せたユカリ。私は血の気が引く。


「……知ってるか。これは自転車ではないし、燃料が要る。運転するには免許が要る」

「燃料? 免許? そうなの?」と、目を丸くした。しかし、すぐに笑う。


「……ま。大丈夫だよ! ささ、僕の膝に乗って道案内してよ」


 ……なあ、黒。こいつらは形式主義者なんかじゃないと思うんだが。

 私は半ば死を覚悟しながら、赤いカプセルを噛み砕いた。そいつは今日の月によく似ていた。 




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