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黒猫少年少女  作者: 黒檀
第一章 夢野商会
17/51

17 来客の兆

 目覚めると、自分の尻尾が目の前にあった。いつもの風景だ。

 ぐう、と体を伸ばして力を抜く。頭だけを動かして、周囲に目を走らせる。いつもどおりの寝室。


「はて……。魔界にいたはずだったのだが」


 右に黒、そのまた右に夢野の布団があるはず。我々はいつも三人川の字で眠る。

 ただし私が起きる前には必ず黒は起きている。今日は私を起こさずに下に降りて行ったようだ。彼の布団は綺麗に片してある。

 夢野はいつものように静かな寝息を立てて寝ている。まるで少年のように邪気の無い寝顔だ。

 私は横着して猫の姿のまま行き、洗面所でようやく姿を変えた。

 台所からは米の炊ける臭いが緩やかに香ってきた。その香りに慣れると、胃が鳴くほどに素晴らしい食欲を沸き起こす。実にいつも通りの朝だった。魔界にいたことが夢であったと思うほどの。

 やがて朝食の準備が出来ると夢野を起こしに行く。それは今や黒の仕事だ。私と違って、実にスマートにやってのける。ただし、夢野の青白い胸元や頬に赤黒い引っ掻き傷が現われることも時々はある。

 こうして今日も一日が始まった。


「行ってきます」

「待て、黒。私も今行く、……行ってきます」

「二匹とも、いってらっしゃぁ〜……い」


 夢野は卓袱台に着いたまま不気味に手を振って我々を見送る。右手は箸を持ったままで、白米もお椀にこんもり残っている。彼は何時だって食事の速度はマイペースだった。食事と言わず、全てにおいてマイペースだ。

 黒は二「匹」という表現が気に食わなかったのか、神経質に眉を動かした。


「先生、今日は委員会の会議がありますので遅くなります」

「解っていますよ。お気張りなさい」


 我々が屋外に出るには、古道具屋の店側の玄関を通らなければいけない。猫の時ならば庭の四方にある抜け道から好きなように出られるのだが。

 古家具によって作られた暗く狭い通路を抜けて我々は表へ出る。

 入り口脇の金魚蜂の金魚は、いつだって表にさらされたままだ。我々三人のうち、誰もこの金魚を世話してはいない。私は少しこの小さな魚に不思議な思いを抱く。

 ところで、私は武器『陣』を買い与えられた。今日は竹刀ではなくそれを持って登校だ。

 普段は蛇のように体に沿って吸い付くように形を変えるのだが、鞘から抜くと、忽ち芯を持った強靭な刃と化す。人間界の物体の性質ではない。

 先にさっさと歩き始めている黒にようやく追いつく。


「見ろ、黒。私も刀をもらったぞ」

「よかった。これで屋上稽古も本格的に出来ます。実際に振ってみて驚くと思いますよ。なにしろ、今まで陣の動きを練習していたのですから」

「そうだな。これで私も戦えるようになるか」


 黒は立ち止まり、私の背から武器を抜き出して眺めた。その瞳は好奇心にきらめいている。


「……正直なところ、意外ですね。夢野先生が『ただの』使い魔に翠髪小僧のところの武器を買い与えるとは」

「翠髪小僧……?」

「『緑』の小僧ですよ。彼女の主人は武器製造と販売をしている」

「黒もここの武器を持っているのか?」


 ほんの一瞬だが、彼の瞳孔がかっと開いた。恐らく、心臓がどっと緊張したのだろう。しかし、その意味するところはわからないので、追求しなかった。


「……そうですよ」声は落ち着いていた。「天使たちもこれと同じ性質の武器を持ち歩いていますよ。もちろん、製造者や入手先は違いますが」

「あの赤髪阿呆双子天使もか」

「そうです。ただし、死神や生神は殺生のための武器は持ちません。彼らは戦闘をしませんからね」

「死神は見たことが無い」

「いいえ、見ているものですよ。人と同じフォルムですから気付かないでしょうが」

「ヒトとどうやって見分ける?」

「簡単ですよ。あいつらは鼻持ちならない生き物ですから」


 黒はまた醒めた目になって鼻を鳴らすと、すたすたと歩き始めた。歩きながら「鼻持ちならない」気取った眼鏡を作り出して装着する。

 私は陣の柄をきつく握り締めた。微かな安心感が其処にはあった。

 

 教室の戸を開けるなり、福島直子が飛び掛ってきた。避け損ねた私は彼女の腕にすっぽり包まれる。骨ばって見えるのにくにゃくにゃとして掴みどころの無い体だ。私の両手は空をさまよう。


「夢野さん! 淋しかったよ!」

「わわ、どうしたんだ直子!」

「だって、二日も学校休むんだもの!」


 腕からは開放されたものの、肩を掴んで揺すられた。

 二日……? 後ろで立ち往生している黒を振り返る。彼は小さく頷く。


「あれから貴女は丸一日以上寝てましたよ。貴女は二日間学校を休んだことになっています」


 恐るべし、アリスのビスケット……。


「ところで夢野くん。最近入ったウチの入居者が『土倉真倉』っていうアンティークショップを探してるんだけど、それって二人のお家だよね?」


 福島の祖母はアパートの大家だ。大学が近くにある街なので、自然にアパートやマンションは多くなる。さておき、あの店が「アンティークショップ」だと? 私は噴出しそうになる。

 一方黒は、妙な顔つきをして福島に問う。


「この時期に入居者ですか。どんな方です。学生ですか?」

「まぁ、確かに秋口に入ってくるのは珍しいよね。よく聞いてないけど、静かで真面目そうな男の人だって」

「髪の色は」


 入居者について事細かに聞いてくる黒に、直子はいささか驚いているようだ。


「そこまではちょっと……。真面目そう、って言うからには黒なんじゃないかな」

「……そうですか。では、今晩迎えに参ります」


 晩? と怪訝そうな顔を見せた彼女に、晩です。と黒はキリリと述べる。私と直子の傍をすり抜けて席へ向かった。その姿を直子は黙って見送った。彼が席に付いて本を読み始めると、彼女は私に耳打ちをした。


「夢野くんがあんなに喋ったのは初めてだよ。ちょっと可愛いかも、」


 と、くすくすと笑う。あの黒が可愛いだって? 私はまたしても噴出しそうになる。





「……ということで、体育祭の実行委員は放課後……」


 帰りのホームルームで、担任の女教師が事務的に連絡事項を読み上げている。この女は所謂「新人」らしい。その所為かどうかは解らないが、彼女はいつだって事務的だ。無闇に我々生徒に甘い顔を見せない。あくまで違う立場であるということを示しているのだろう。私はそんな簡潔なこの女が気に入っていた。時折石鹸の香りがするのも、美しい体の曲線も好きだった。

 思えば、私は人間の姿になってから大人の女というものをろくに見ていない。キルシュは子どもと言った方が良い体つきだし、大人に近いと言えばアリスだろうか。しかし、彼女もこの教師と比べれば幼く見える。魔界の人間はきっと、若くあることが好ましいのだろう。好ましい、という嗜好の問題ではなく機能の問題かもしれない。老いた姿をした者を見た事が無い。

 熱烈な視線を教卓に手を突いた教師に送っていると、相変わらず目が輝いている直子が小声で話し掛けてきた。


「ね、夢野さん、今日用事ある?」


 無いと首を振ると、直子は丁度良かったと言って笑った。白い歯が覗いた鮮やかな笑みだ。

 何か用があるのかと直子に向き直ると、日直の者の起立の号令が掛かる。私と彼女の会話は一旦打ち切られる。

「さようなら」の挨拶で傾けた頭を上げた時、私の目は微動だにしない黒の後姿を捉えた。意識的に動かないのではなく、動くのを忘れたというような卒然の硬直のように見えた。しかし、机を引いたりお喋りの声などによる教室のざわめきが爆発的になると、彼は動き出した。オートマータのように無駄なく帰りの支度をし、くるりとこちらを向く。こちら、というのも、彼は私に向かって歩き出していた。

 私を見下ろす二つの翡翠はいつものように醒め切っている。

 その色を見ているうちに、私は妙な違和感に気付く。


「……何見ているんです」

「お前が固まっていたから」


 抱いた違和感について彼に問うのはまだ早いような気がした。黒の硬質な声色が私を妙に控えめにさせる。

「まだ早い」、か。いつまでこの状況が続くのかは解らないのに、私は何故まだ先があると信じているのだろうか。――むしろ、私は何も知らなくて良い。この感覚を久しく忘れてしまっていた。唯、夢野や黒に従えば良い。それだけなのに。

「何故、黒の瞳は黒じゃないのか?」この小さな違和感は私が気にすることではないのだろう。白髪小僧の瞳が白だったこと、碧髪小僧の瞳が青だったこと。私が見たのはそれだけだ。現にノワールは瞳と髪の色が違っていたじゃないか。


「はぁ……? まあ、何でも良いですけど。とりあえず、朝も言ったように今日はこれから図書委員会の会議で帰りが遅くなります。待っていますか? 一人で帰れますか?」


 私は頭の中の問題は何処かへ押しやる。答えるために口を開くと横から直子が割り込む。


「今日は私が送るよ。いいよね、夢野くん?」


 黒は少し目を丸くする。意外な申し出だったのだろう。私も同じように驚く。


「あのな、直子。黒は別に私の御守りをしているしているわけじゃないぞ。送り迎えが必要なわけじゃない」


 むしろ、お前、直子が心配だ。

 黒は逡巡しているのだろう、顎に指を這わせる。「もう追わない」とは言っていたがあの双子天使に絡まれる事もあり得るし、それ以外も何かヘンテコな物に出くわした場合、私だけでは彼女の護衛力として不安が残る。なにしろ、最近の状況は我々を警戒させる。

 黒は一瞬窓の外を眺めると小さく頷き、直子に向き直った。


「まあ……構いません。しかし音、夕飯までにはちゃんと帰るのですよ」

「何言ってるんだお前。いくら私が阿呆でも帰宅にそんなに時間はかからない」


 私は渋い顔になる。直子はそんな我々のやり取りを見て軽やかに笑い声を上げた。

 彼女は黒をちらと見上げては目じりに皺を作る。それはとても茶目っ気があって柔和だった。こんな表情をする人間も久しく見ていないことに気付く。私の周りは腹に一物を抱えたような連中ばっかりだ。


「……夢野くん……なんだか、夢野さんのお父さんみたい」


 黒が私の父親に見える。それの何が可笑しいのか? 訳が解らないので黒を見上げると、頬を赤くして苦い顔をしている。それはこの状況説明として納得を与える反応ではなかった。

 直子はにこにこして鞄を持ち上げた。


「さ、夢野さん。夢野パパの許可は貰ったから一緒に帰ろう」


 慌てて私も鞄を掴んで立ち上がった。直子は弾むように歩き出した。素直な髪も柔らかそうに揺れる。

黒を振り向くと、窓を開けて外を眺めていた。

 ――父親。そんなもの、子猫の時分にも見た事が無い。ただ種を蒔くだけの存在だ。いずれは私もそうなるはずだった。そういう意味で、彼は「父親みたい」ではない。保護者だった。

 階段をジャンプするように危なっかしく降りて行く直子は私を振り向いた。低い位置に差し込むオレンジ色の陽光が彼女の顔を温かく染め上げる。


「ねえ、夢野さん、今からアパートに寄ってさ、例のお客さんをお店に連れて行ってあげてよ」


 例の客とは、今朝言っていた新しい入居者の青年のことだろうか。


「夢野くんは夜って言っていたけど、夜だとお店も空いてないだろうし、ホラ、『夕飯』があるでしょう?」

「いや、まあ、正論だが……知らない人間には関わるなって黒が……」


 直子はまた、空気が漏れるような音を発して噴出した。何故彼女だけが面白がるのか解らないので、いささか気分が立ってきた。彼女の目には独り一人立ち出来ない幼稚な人間として写っているのだろう。その幼稚な苛立ちからか、私はつい大胆になり、了承してしまった。

 彼女は階段を駆け上がって「ありがとう」とともに私の手を取った。さらさらして気持ちの良い手だった。


「どうして礼をを言うんだ」


 途端に彼女はじんわりと溶けるような口元になる。これは何かを企む様な時に見せる顔だ。


「夢野くんの前では言わなかったけど、その入居者の人、格好良いんだって。だから見てみたいの。それだけ。もし帰り道がその人と二人きりが嫌なら私も一緒に行くよ」


 そういう思考回路か、と私は妙に納得する。彼女の気持ちは全く解らないが断る理由もない。私と直子は、彼女の祖母の所有するアパートへ行くこととした。


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