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起立! 気をつけ! 礼! 着席!
──水橋明里(10歳 小学生)
初恋の相手は高校の先輩で、地元では名の知れたヤンキーだった。
ワルな男が好きだなんて昭和とか一昔前の話でしょ。なんて今になって思い返せば思うけど、あの時の私は、その危険な匂いにくらくらしてしまうような古い価値観の女の子だった。先輩は顔立ちが良かったということもあって、私と同じように想いを寄せている女の子は多かったし、半グレの組織と関わりがあるという噂も、その熱をさらに強くするだけだった。
だけど、私は学校でも目立たない地味な存在だったから、そんな先輩とお近づきになれるわけがなかった。だからこそ、当時の私は妄想の世界へとのめり込んでいった。半グレ組織の若きエースとなっていた先輩が、下っ端どもに絡まれている私の元へ颯爽と現れ、私を助けてくれる。同じ高校だという偶然で、先輩と私は急接近し、私は毎日の喧嘩に心身ともに疲れている先輩を癒す、女神となった。それから、先輩が敵対する組織によって殺害されたリーダーの仇を取るために、港の倉庫で決闘を行い、先輩は劇的な勝利を収める。勝利を導いた先輩は組織の新しいリーダーとなり、私は先輩の彼女として、みんなからは姉御と言われるようになるのだった。
「姉御!とうとう、あいつらの尻尾を捕まえてやりましたよ。下っ端の中の下っ端ですが、レッドスネークの構成員で、詐欺の受け子をしていた奴を一人、生捕りにできたんです!」
組長室に入ってきた若い構成員が腰と頭を下げ、興奮した口調で報告した。私は高級黒革の椅子にもたれかかり、意味深に頷く。
「とりあえず、その捕まえたやつを誰にもバレない場所に監禁しておきなさい。それと同時に、そいつの身元についても調べ上げておくこと。脅迫のネタにつかえるかもしれないからね」
私ではなく、私の横に立っていた清水さんが彼に命令する。構成員が威勢よく返事をし、部屋を出ていく。清水さんは手に持っていたタバコを一吸いし、机の上に置かれていた灰皿にタバコの吸い殻を落とした。構成員の足音が聞こえなくなってから、私は清水さんに話しかける。
「清水さんってタバコ吸うんだ」
「はい、元彼の影響で」
「元彼が喫煙者だったの?」
「いえ、救いようのないマゾ気質で、プレイとして根性焼きをして欲しいってせがまれてたんです」
私はため息をつき、部屋の中を見渡した。私の後ろの壁には『公序良俗』と書かれた掛け軸がかけられ、床には虎の毛皮で作られた絨毯が敷かれている。手の届く範囲には日本刀が置かれていて、派手な装飾が施された柄が照明の光を反射して鈍く光っている。
「まさか、高校時代の妄想が一部実現するなんてね」
私たちが車で轢いたのは、半グレ集団組織、クレイジーマングースの構成員だった。その後、ここの事務所に連れてこられたり、以前に銀行で出会ったおじさんがこの半グレ集団のバックにいることがわかったり、資金不足で存立の危機となっていたこの集団のパトロンになることが決まったり、クレイジーマングースのトップが敵対する組織であるレッドスネークに殺害されたり、清水さんの立ち回りでいつの間にか私を中心に組織内に派閥が出来上がったり、そんな色んな出来事を経て、私は今この半グレ集団、クレイジーマングースのトップに登り詰めていた。
「妄想って何の妄想ですか?」
「高校の頃ね、地元でも有名なヤンキーの先輩がいたの。東高校の無敗の孤狼なんて、言われてたんだけど、私はその危険な匂いがする先輩に片想いしていて、色んな妄想してたの。先輩と私が付き合ったり、先輩がここみたいな半グレ組織のトップになって、私はその姉御になったりみたいな」
「死ぬ前に一度会っておきたいのであれば、探してみますか? お金はいくらでもあるんですから、探偵なんて掃いて捨てるほど雇えますよ」
「会いたい気持ちもないわけではないけど、初恋の思い出は大事に取っておきたいの」
そのタイミングで清水さんの携帯が鳴る。清水さんが電話に出て、会話を続けながら私に視線を送ってくる。
「何の電話?」
「詐欺の受け子の身元を調べ上げたそうです。うちの構成員の中にそいつを知ってる奴がいたらしくて、すぐにわかったそうです。ちなみになんですが、水橋さんが先ほど言っていた初恋の方の名前って何ですか?」
一体なんでそんなこと聞きたいのよ。私はそう言いながら、記憶をたどり、初恋の先輩の名前を伝えた。すると清水さんは納得したように頷き、電話で一言、二言話を続けて、電話を切った。
「水橋さん、初恋の相手に会ってみます?」
訳がわからないままでいる私に、清水さんが言葉を続ける。
「今生捕りにされている奴ですが、どうやら水橋さんが昔憧れていた先輩と同一人物みたいなんです」