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え、ちょっと待って。どういうこと?

それってつまり、私と付き合う前から志保とそういう関係だったってこと!?

──水橋明里(20歳 大学生)

 自宅の扉を開け、びしょ濡れになった私と清水さんが家の中へとあがりこむ。ぐちょぐちょになった靴下で家の廊下を歩くたび、気持ちの悪い音が足元から聞こえてくる。部屋の電気を点けると、散らかった私の部屋が視界に飛び込んでくる。


「銀行員ってここまで親切にしてくれるのね。お金持ちに対しては、だけど」


 疲れ切った私は濡れた服のまま、ベッドに倒れ込み、そのまま仰向けに転がりながら清水さんにそう皮肉を言った。彼女はぐるりと部屋を見渡してから、床に散らばっていた私の服を拾い上げ、あるべき場所へと一つづつ戻していっている。


「昔は田んぼのお手伝いもしていたそうですよ。うちみたいな小さな地銀からしたら、お金を別の銀行に移されちゃうとたまったもんじゃないですからね」


 彼女が面倒くさそうにそう返事をする。ふーんと私は相槌を打ちながら、先程は使えなくなっていた携帯電話を取り出す。単なる充電切れであってくれと思いながら電源ケーブルを差し込んだが、案の定反応はない。携帯を投げ出し、何日間も洗っていない枕に顔を埋める。携帯が使えないからと言って誰かに電話をかけることもないし、誰かから電話をもらうこともない。会社はもうやめたし、友達もいない。親だってすでに他界している。


 そういえば、私があと数ヶ月で死んでしまうことを誰にも伝えていない。いや、というよりも、伝えるような相手がいないというのが正しいかもしれない。その事実に気がつくと同時に。先ほど聞いた神様の言葉が頭の中で再生される。


 何を勘違いしてるか知らないけど、ユーが思ってるほど生きるってことは素晴らしいもんでも何でもないんだぜ。だからさ、まあ、なんというか、そんなシリアスになるなよ






*****






 清水さんの車に乗り込み、私達は近くのスーパーへと向かう。車内には音楽もラジオもかかってなくて、窓越しに聞こえてくる雑踏の音しか聞こえてこない。


「この車って、会社の車?」

「いえ、私の車です」

「へー、自分で買ったの?」


 私が退屈しのぎにそう尋ねると、清水さんはこちらを一切見ることもなくいいえと返事をした。


「何年も前に買ってもらったんです」

「親御さんから?」

「いえ、ガールズバーで働いていた時にいつも来ていただいていたお客さんから」


 車が青信号をゆっくりと左する。ふと窓の外を見ると、小さな子どもを連れた家族さん二人組が仲睦まじげに信号待ちをしていた。


「大学の頃、お小遣い稼ぎに新宿でガールズバーで働いていたんです。その時に週三くらいでお店に来てくれるおじいちゃんがいたんです。別に私はそのお店で一番可愛かったわけでもないのに、なぜか、その方にすごく気に入っていただけいたんです」

「ふーん、じゃあ、そのおじいちゃんがお金持ちだったわけね」

「そう思いますよね。でも、違うんです。定年退職前の貯金と年金でなんとか暮らしているようなおじいちゃんで、生活を切り詰めて、うちの店にきてくれるような方だったんです。で、お金もないもんだから、注文はいつも一番安いお酒で、一、二杯で一時間も二時間も粘るようなお客さんでした」


 車が赤信号で停まる。私が運転席の清水さんに目を向けると、彼女はバックミラーで自分の顔を覗き込み、前髪の具合を確認しているところだった。


「で、正直覚えていないんですけど、多分会話の中で車が欲しいって私が言っちゃったんでしょうね。ちょうどその頃、運転免許を取ったばかりだったし。そしたら、ある日突然、プレゼントがあるってそのお客さんから言われて、車のキーを受け取ったんです。その時の車が、この車です」

「でも、そのお客さん、あんまりお金を持ってなかったんでしょう。どうやって、そんな車なんか買ったのよ」

「後で聞いた話だと、身の回りのものを質屋に売って、それでも足りない分は借金をしたそうです」


 青信号に変わり、前の車がゆっくりと動き出す。清水さんもサイドバーを操作し、アクセルをゆっくりと踏み込んでいく。


「そのお客さんは私に車をプレゼントした二ヶ月後に自宅で孤独死しちゃったんです。身よりも近所付き合いもなかったわりには発見が早かったそうです。お葬式とかお通夜とかはなくて、生活保護葬っていうやつが行われたそうです。やっぱり、私に車をプレゼントしてくれた方だったから、そのことを知った時はすごく悲しかったし、ちょっとだけ泣きましたよ。この世界には何が足りてないと思います? 私はですね、愛を与えられる人がこの世界には圧倒的に足りないって思ってるんです」

「愛って言っても、別に物とかお金を貢ぐってのが本当の愛なわけ?」

「お金で物で愛を伝えることが悪いんじゃないですよ。愛の伝え方を一つだと決めつけてしまうのが問題であって、それをみんなに押し付けることが問題なんです。お金でしか愛を伝えられない人が別にいてもいいですし、私はそういう愛の伝え方も素敵なことだと思います」


 私は清水さんの話を聞きながら、車のシートをそっと手で撫でた。使い込まれたシートは色褪せていたけれど、そこにこの車の歴史みたいなものを感じて、私は少しだけぐっときてしまう。


「この車にそんな思い出があるとはね……。だから、何年も乗ってるし、これからも乗り続けようって思ってるってわけか」

「いえ、そろそろお金も貯まったんで、来年あたりに乗り換えようと思ってます」


 その瞬間、左側の歩道から私たちの車の前へと黒服の男が飛び出してきて、そのまま息を飲むまもなく、ドンッと車全体に衝撃が走る。そして、フロントガラスに切り取られたフレームの中で、男が華麗に宙を舞い、それからどさりと硬いコンクリートの上へと叩きつけられるのが見えた。

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