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あーあ、ゴジラがうちの会社ぶっ潰してくんないかなぁ
──水橋明里(25歳 OL)
病院から受け取った紹介状を握りしめ、私は例の教会へとバスを乗り継いで向かっていた。
別に宗教に救いを求めたいからとか、そこに行けば何か答えが得られるとかそういう理由ではない。せっかくの無料券だから、使わないともったいない気がしただけ。閑散としたバスに揺られ、チラシに書いてあるバス停で下車する。教会は丘の頂上にあるらしく、バス停からは坂道をただ黙々と歩き続け無ければならなかった。
人の気配のない民家の横を通り過ぎ、場違いな電話ボックスの横を通り過ぎ、一五分ほど坂道を歩いてようやく教会にたどり着く。石畳の通路を渡り、木製の扉を開け、教会の中に入る。中心を赤い絨毯が説教台へ向かって真っ直ぐに敷かれ、その両脇には何列にもわたってチャーチチェアが設置されている。両壁には色鮮やかなステンドグラスが埋め込まれ、左側から差し込む陽の光が、幾筋もの柱となって薄暗い教会内に差し込んでいた。
私はゆっくりとあたりを見渡しながら中へ進んでいく。すると、説教台の左の扉から教会の職員らしき人が現れ、「何か御用ですか」と温和な表情で尋ねてくる。
「あの……病院から紹介されて来たんですけど。この告解無料券って使えますか?」
ハンドバックに入れていたチラシを手渡す。職員は「ああ、無料で受けるやつですね」と少しだけ残念そうな表情を浮かべる。
説教台の右の扉を開け、個室の中に入る。少しだけカビ臭い個室の中央には正方形の面をした小さなテーブルがあり、その上には業務用の固定電話がぽつんと置かれていた。職員は更に奥の部屋へと入っていき、中から100メートル走のゴール付近に置いてあるような電光掲示板の小さいバージョンを取り出してくる。私の右横にそれを置き、裏に回って色々と弄り、掲示板には『10:00』というタイムが表示される。
「あの、これってどういうことですか?」
「無料券なので」
それだけ言われ、職員は私には受話器を取り、机の上のメモ用紙に書かれた番号へ電話をかけるように促す。私が言われたとおり、番号を押し、通話ボタンを押すと。それと同時に職員は横にある掲示板のボタンを押す。電光掲示板の表示が『9:59』、『9:58』と移り変わり始める。そして、ちょうど表示が『9:50』となったタイミングで電話がつながった。
「はいはい、こちら神様です。で、ユーはどういう用件で告解しに来たわけ?」
受話器越しに陽気でふざけた男性の声が聞こえてきた。私は神様と名乗った男の言葉に戸惑いながらも、病院の紹介で来たとだけ伝えた。
「あー、あの病院ね。了解、了解。だったら、話は早い。やけにユーの声の調子が暗かったから変に思ってたんだよな。迷える子羊だとしても、そんな陰気じゃあ、救ってやりたいとは到底思えないぜ。もっと面白いことを考えるべきだと思わないかい。そうだ! 景気づけに一発ものまねでも聞くかい?」
神様と名乗った男はコホンと咳をして喉の調子を整え、「あんちゅあ~ん、あんちゅあ~ん」と二回ほど電話越しに叫んだ。それから男は一人でげらげらと笑いだす。
「おいおい、こんなにクオリティが高いのに、ピクリとも笑わないてユーはどうかしてるぜ?」
「そんなこと言われても……世代じゃないので」
「それはクールじゃない言い訳だな。産まれた時代や年齢のせいにしたって何も始まらないぜ」
私はちらりと横の電光掲示板の時間を見ると、すでに会話開始から一分がたち、残り9分を切っていた。電光掲示板に身体をもたれかけていた職員が大きなあくびをするのが視界の隅でわかる。
「さっきから適当なことばっかり言ってますけど、あなたは本当に神様なんですか?」
「へいへい、ユーは神様の言うことを信じられないって言ってるのか? ひゃー、こいつはたまげたね。そんなセリフを聞いたら、ニーチェだって小便漏らしちまうぜ」
「本当に神様だったら、もっと神様っぽいこと言ってください!」
「じゃあ、ユーのような無神論者にもわかりやすいように、一つ予言をしてやろう。そうだな……もうちょっとしたら大雨が降るぜ」
私は部屋に設置され得た唯一の窓から外の天気を見る。色鮮やかな裏庭の木々の向こうには、雲ひとつない青空が広がっていた。
「こんなに晴れてるのにそんなわけないでしょ。それに、予言というよりそれって天気予報の真似事じゃないですか!」
「おいおい、冗談はよしてくれよ。逆だよ逆。神様が天気予報の真似事をしているんじゃくてさ、天気予報が神様の真似事をしてんだよ。そこんところは声を大にして言いたいね。もともとは俺の仕事だろ、、それはって」
男がハハハと愉快そうに笑い声をあげる。私は怒りや苛立ちを通り越し、虚しい気持ちでいっぱいになってきた。もちろん、宗教に救いを求めていたわけではないが、万に一つも期待を抱いていないわけではなかった。病院から紹介されて山道を汗をだらだらかいてまで聞きたかったのは、こんな言葉だったのだろうか。
「いい加減にしてくださいよ。私だって、好きでこんなとこに来ているわけじゃないんですから……。私……あと三ヶ月ちょいで死んじゃうんですよ」
「え、何だって? 聞こえなかったからもう一回言ってくれるかい?」
「あと、三ヶ月ちょいで死んじゃうって言ったんです!!」
狭い部屋に私の叫び声が反響する。あと三ヶ月ちょいで死んじゃう。蓋をして見ないようにしていた事実が声となって音となって私の鼓膜と胸をざわつかせる。
「まあまあ、そんなカッカするなよ。そんなん言ってたってどうにかなるもんじゃないだろ?」
「そんな……他人事みたいに!」
「もっともっと広い視点から考えてみろよ。長い長い歴史から見ればさ、人間なんて生きてる時間より生きていない時間のほうがずっとずっと長いんだぜ。ただ元に戻るだけだって発想を転換させなよ。それにさ、何を勘違いしてるか知らないけど、ユーが思ってるほど生きるってことは素晴らしいもんでも何でもないんだぜ。だからさ、まあ、なんというか、そんなシリアスになるなよ」
ふざけないでください! 私がそう反論仕掛けたそのタイミングで、いつのまにか横に立っていた教会の職員が電話機を置く場所にあるボタンを人差し指で押した。ツーツーという無機質な電子音に混じって、職員が時間ですと私に伝える。私は彼から視線を外し、電光掲示板の表示を見る。掲示板はちょうど残り『3:30』であるということをチカチカと表示していた。
「別に初めから10分間だなんて説明してませんけど?」
抗議の視線を送る私に職員は呆れた表情で答える。そのまま私は告解室を追い出され、教会の外へ出た。
しかし、バス停を目指して五分ほど歩いたところで突然空に暗雲が立ち込め始め、そのまますぐにバケツを引っくり返したようなどしゃぶりの雨が振り始めた。服やバックが水に濡れ、靴に入った水が足取りを更に重くしていく。私は雨宿りをすることもせず、ただただ豪雨の中を歩き続けた。風邪を引いてしまうとか、荷物が濡れちゃうとかそういうことは考えなかったし、考えたくもなかった。少なくとも重たい身体をこうして一歩一歩前へ動かしていると、それだけで気分が紛れる。叩きつけるような豪雨が私の頭や肩を殴打するように降り注いていく。周りには誰もいない。大丈夫ですかと声をかけてくれる人も、可哀想だと同情してくれる人もいない。その事実に気がついた時、私はどうしようもなく泣きたい気分に襲われた。
下り坂を歩き続けて、ようやく、私はぽつんと佇む電話ボックスを発見した。子供の時以来使ったこともないそのボックスの中に私は倒れるようにして入り込む。床は虫の死骸と濡れた土で汚れていて、小屋の中はカビのニオイがこもっていた。私はぺたりと汚い床にお尻を尽き、ぼーっと外の景色を内側から眺めた。ボックスの外では今でも雨が降り続いていて、止む気配は一向にない。それに、座っているにも関わらず、何だか少しだけ寒気を覚えてくる。誰かを呼ばなければさすがにやばいな。私はそう思って携帯を取り出す。しかし、雨に濡れた携帯はいくらボタンをおしても反応してくれず、ただ真っ黒な画面に泣きそうな表情を浮かべた自分の顔が浮かんでいるだけ。
電話ボックスだから電話をかけることはできる。しかし、電話番号など今どき覚えていない。腕が力なくたらし、私は電話ボックスの天井を見上げた。雨と黒雲で夜のように暗くなった外の色と比較して、このボックスの中の照明はあまりにも弱々しかった。
このまま死ぬのも悪くないかもしれない。弱りきった頭からそんな考えがぽつんと思い浮かんだ瞬間、私はふとあることを思いだし、バックに入れた財布を取り出す。そして、お札とお札の間に入り込んていた一枚の名刺を取り出し、その裏に書かれた電話番号を確認する。
重たい身体を持ち上げ、十円玉硬貨を電話機に投入し、名刺の裏に書かれた電話番号を押していく。呼び出し音が数回鳴り、銀行の受付で会話を交わした清水という女性が気だるそうに電話にでる。
「ねぇ、ちょっと困ってんだけどさ。助けてくれない?」