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別に行きたい大学とか、なりたい職業とかはないです。強いていうなら、ずっと寝てても誰にも怒られない生活がしたいなぁって。
──水橋明里(17歳 高校生)
「水橋明里さん。診断の結果、あなたは百日癌であることがわかりました。すなわち、あなたの余命は今日を含めてちょうど百日です」
目の前の医者が淡々とカルテに書かれている内容を読み上げた。私は医者の言っていることがうまく飲み込めず、聞き直してみたが、もう一度聞いてもいまいち診断内容の中身が入ってこない。百日癌? 何その病気。余命百日? まだ二十代後半なのに? しかし、私の混乱をよそに、医者はまるでここにいない誰かのことについて話しているかのように説明を続けた。
「名前から大体は理解できるとは思いますが、百日癌というのは発症からちょうど百日後に活性化し、そのまま即死してしまう不治の病です。まあしかし、そんなに悪いことではないとは思いますけどね」
医者はカルテを机の上に放り投げ、丸椅子を左右に揺らしながら何でもないような口調で言葉を続ける。
「あと百日間我慢してさえいれば、痛みも苦痛もなく、こんな糞みたいな世界からころりとおさらばできるんですから」
他に質問ありますかと医者があくび混じりに尋ねてくる。放心状態のまま言葉を失っていた私を医者はちらりと一瞥し、何もないようですねと勝手に結論付ける。そのまま後ろにスタンバイしていた看護師に机上のカルテを手渡した後、「お薬を出しときますね」とまるで風邪を引いた患者に語りかけるみたいな調子で言ってきた。
「薬って、癌の薬ですか?」
「いえ、百日癌にはどんな薬も効きません。単なる、精神安定剤です。結構、おすすめですよ。私の同僚なんか、みんなこぞってこの薬を常用してますし」
「そんなの……そんなの要りません!」
医者が腹を抱えて笑い、後ろにいる看護師が気を効かせてくすくすと笑う。私はなんだかひどく馬鹿にされているような気がして、語気を荒げて言い返す。
「おっと、そうですか。薬ではなくてこちらの方が向いてますかね」
そういうと医者は足元のラックの引き出しを引き、中に入っていた一枚のチラシを取り出した。私が医者からそれを受け取って見てみると、それは最近テレビでよく取り上げられている新興宗教の勧誘チラシだった。悩める子羊をデフォルメに描いたポップな絵柄で、右下のスペースにはでかでかと、癌患者なら入信料が50%割引と明記されていた。
「ここの宗派で、うちの病院と提携している教会が近所にありましてね。紹介状を提示すれば、告解が無料で受けられるんです。水橋さんも騙されたと思って行ってみるといいですよ。その教会の神父さんはすごい人なんですから」
「どういう風にすごいんですか?」
「ものまねがすごくお上手なんです」
医者が左手にはめた腕時計を確認し、時間ですねと告げた。百日癌は薬や手術で完治したり、進行を遅らせたりできるものではない以上、定期通院する必要は全くありません。次に病院に来るのは、亡くなる時ですね。医者は事務的にそう説明した後、おじさんみんたいうめき声をあげながら椅子から立ち上がり、奥の部屋へと姿を消した。
私にはまだまだ聞きたいことがある。私が慌てて立ち上がり、医者の後を追いかけようとする。しかし、私の進路を先程の看護師が両手を広げて阻む。彼女はぱっちり二重で綺麗なアイラインが引かれた素敵な目で私をじっと見つめ、そのままどんと両手で私を押し返す。私はバランスを崩し、診察室の床へと尻もちをつく。彼女はヒールの足音を響かせながら私へと近づき、診察室の扉をガラガラと勢いよく開いた。そして、抗議の声を上げる間も無く、私は看護師に抱え起こされ、そのまま乱暴に外へと投げ出されてしまった。