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アイドル志望、異世界に行く

 

「ぎぃやああああああぁっ! なんで! 起きたら! 八時過ぎてるのおおおっ!」


 と、叫びながら走る。

 ……相賀詩乃(あいがしの)は、本日より東雲学院芸能科に通う予定であった。

 しかし楽しみ過ぎて眠れず、気づけば朝の八時を過ぎていたのである。

 つまり寝坊。遅刻だ。


(ひどい、ひどい、こんな事ある!? 今日は髪の毛を巻いてコロンもつけてビシッと制服決めて、アイドルしのちゃんが爆誕するはずだったのに! 寝坊だなんて! 社会人としての信頼が得られないやつー!)


 ダッシュでバス停に走る。

 学院まではバスで三駅先。

 時間も確認済みだが、遅刻した以上調べた時間はあてにならない。

 見えたバス停の時刻表に、飛びつこうとした時。


「うぶしっ!」


 地面に落ちているパンの空袋に気づかず、盛大に踏んづけて転けた。

 ゴンっと、おでこがバス停に激突。普通に痛い。


「いったぁ! ……え? うそ、引っかかって……いや、こんなにもっさり引っかかる!? こんな事ある!?」


 その上、髪がごっそり時刻表を留めてあるネジに引っかかるという不幸。

 重なる時というのは重なるもの。

 朝寝坊した時点で、詩乃の運勢は決まっていたのかもしれない。


「いやぁ、最悪すぎるんですけどぉ……!」


 引っ張っても取れない。むしろ絡まる。

 半泣きになりつつ、必死に解こうとするがダメだ。ますます絡まって、これはもう、切るしかない。

 せっかく伸ばしてきた髪なのに。

 アイドルになるために、アルバイトで貯めたお金で整えてきたのに。

 ああ、なんて情けない。


「……はさみ、ない……」


 切れない。

 とはいえ、引っ張っても痛いだけ。

 ……詰んだ。

 バスが到着したら、運転手にかけ合って切るものを借りるしかない。

 気づいてもらえなければ、引きちぎるしかないだろうか。

 それは、とても痛そうだ。

 ガックリうなだれる。

 興奮して眠れなかった事がそもそもの発端。

 なぜ、せめて寝る努力をしなかったのか。

 なぜ、アラームを一回だけにしておいたのか。

 なぜ、なぜ、なぜ……自分を責めてる事ばかりが頭をぐるぐるする。

 責めてもどうにもならないが、今はそれしかする事がない。


「これはまた盛大に絡まってるね。こんな事あるんだ?」

「!?」


 その時、頭の上で声がした。

 ひどく耳心地の良い声で、一瞬空耳かと思ったほど。

 見上げると淡い栗色の髪のとんでもない美形が見下ろしている。


(え? いや、待って? この人、雑誌で見た事あるよ? 雑誌だけじゃなくてテレビでもブイチューブでも……)


 名前が出てこない。けれど知っている。確実に。

 そんな、名前を知っている人が自分を見下ろしているという、その非現実的な状況で回路が繋がるのが盛大に遅れた。


「切っていい?」

「え、あ、は、はい」


 彼が取り出したのはソーイングセット。

 え? 男が?

 最初はそう思ったが、では女の詩乃は?

 ソーイングセット持ってない。

 今時男の人がソーイングセットを持っていてもいいのだが、思いの外しっかりしたハサミが出てきて若干引いた。


「…………、……あ、ありがとうございます……」

「どういたしまして」


 はらりと髪が落ちる。

 が、それを見てショックを受けた。

 大事に大事に育ててきた髪が! シンメトリーになるように定期的に整えていた髪が! 右側が! パッーンと日本人形のように!


「はぎゅう……」

「その方がいいよ」

「っ!」


 引っかかっていた髪を引き抜いて容赦なく捨てていく青年。

 見上げて、改めて確認する。

 やはりそうだ。

 しかし、正直自信がない。


「あ、あの、ま、間違ってたらすみません。神野栄治(こうのえいじ)さんじゃありませんか? アイドルの……!」

「へ?」


 なかなか素っ頓狂な声で聞き返されて、「あれ?」と焦る。

 やはり人違いだったか?

 いや、しかしアイドルの勉強をしていた時に確かに覚えた。

 彼は神野栄治。

 詩乃が今日から通う予定だった、東雲学院芸能科のアイドルグループ『星光騎士団』のメンバーだったひとだ。

 だった、というのは、彼はすでに学院を卒業している——いわば学院OB。

 現在もバラエティ番組やネットチャンネルなどに時々出ている。


「ああ、そういえばその制服……東雲の芸能科?」

「は、はい! 今日からです!」

「? 九時だけど……入学式終わったの?」

「…………寝坊して遅刻しました」


 九時。九時になっていたのか。

 盛大に落ち込む。今更遅いけれど。


「ふーん。初日に遅刻するとか、向いてないから辞めたら?」

「っ!?」

「あと、俺アイドルは学生時代だけで今はモデルなんだよね。一通り調べてくれたみたいだけど詰めが甘い。人間関係で最新の情報にアップデートしてないのは致命的な時があるから、中途半端な知識ならひけらかさない方がいいしそんなに知らないなら知らないのが相手に伝わらないように上手くごまかすべきだったよね」

「え、あ……」


 ききぃ、とバスが停まる。

 栄治は言うだけ言って、バスに乗り込む。

 初対面で、先輩で、そしてプロにここまで言われて落ち込まないわけはない。

 朝から自分を責め続けていたのだから尚更だ。


(でも、ダンサーを諦めてアイドルを目指すって決めたのは、わたし……)


 ならば、とバスへと乗り込む。

 乗り込もうとした。

 背中に顔面が当たる。

 なんだ? と、顔を傾けると栄治が段差の前で固まっていた。


「降りて」

「え?」

「早く降りて。やばい」

「え?」

『ドアが閉まります』

「きゃあ!」

「っ!」


 本当にドアが閉まりそうになり、足を挟まれそうになって乗り込んだ。

 けれど乗り込んでから、栄治が「降りろ」と言った理由が分かる。

 人間が乗っていない。

 乗っていたのは、半透明なスライム状の人間。

 顔も指もなく、服も着ていない。

 でろり、と半分溶けた状態で椅子に座っている。


『発車致します。危ないのですので、吊革に掴まってください』

「待って! 降りる! 間違えたんだ!」

『発車しまーす』

「おっ——……!」


 降りる、と最後まで言う事は叶わなかった。

 詩乃も急に発車したバスの揺れで思わず転びそうになる。

 だが、そんな事よりも……。


「っ……!」


 窓の外が急に宇宙のような星空に変わった。

 半透明な人々はゆらゆらと揺れている。

 栄治が慌てたように降車ボタンを押すが、バスはすでに宇宙の中を走っていた。

 それでも一応、『次、停まりまーす』という声がバスの中に響く。


「な、なん、なん……なんですか、こ、これぇ」

「俺が知りたいよね。ほんとマジでやめて欲しい。俺は不思議案件担当じゃないんだから。このあと普通に仕事あるし」

「…………」


 ガタガタとバスが揺れる。

 まるで舗装されていない道でも走っているかのよう。

 手摺りに掴まりながら立ち上がり、窓の外を見る。

 綺麗な星空のようで、しかし音もなく不気味だ。


『次は 里球(りきゅう)〜、里球に停まりま〜す』

「「…………」」


 よく聞けば電子音のような声。

 停車して、手前のドアが開く。

 栄治と顔を見合わせ、前のドアまで行き運転席を見た。

 誰も乗っていない。


「りょ、料金は?」

『150円になります』

「「…………」」


 円でいいらしい。

 顔を見合わせ、理不尽極まりない150円を支払いつつ、栄治が「帰りはどうしたらいい?」と問う。

 すると空っぽの運転席から、『反対車線のバスをご利用ください』と告げられた。

 また、顔を見合わせた詩乃と栄治。


「どうも」

『ご乗車ありがとうございましたー』


 バスを降りる。

 すると、バスは一瞬で消えた。

 降りた先は薄桃色と青の混ざった空。

 チカチカと黄色い星の混ざった綿菓子のような雲が流れていく。


「いや、マジでないわ……俺、二時間後仕事なんですけど……」

「反対車線のバスって言ってましたけど……」

「……そもそもここ、バス停ですらなくない?」

「ですよね……」


 小丘だ。草原が広がり、目下に巨大な町が見える。

 建物は洋風。所々の家の煙突から煙が出ていた。


「ふぁ、ファンタジー?」

「いや、ほんとないわ……こういう不思議案件は社長とか(あかり)さんとか鶴城(つるぎ)の担当でしょ……なんで俺まで……」


 この不可思議な状況に困惑が止まらない。

 反対車線はおろかバス停もないのだ。

 空も町も見た事のないものばかりで、これで困惑するなというのが無理な話。

 しかも横にいるのは元アイドル人気モデル、神野栄治。


(なにこれ。どういう状況?)


 軽く吐血ものである。


「あ、あの……ど、どうしましょうか?」

「バス停を探してみるしかないでしょ。……電話はやっぱり繋がらないか……困ったな……」


 スマホを片手に舌打ち。

 どうやら本当に……。


「い、異世界? なんですか? こ、ここ……」

「みたいね。……はぁ、もうほんと最悪……」

「…………は、はは、い、異世界……って、そ、そんな……そんな事あるーーーー!?」


 詩乃の叫びは虚しく響いた。



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