「フィクションです」とはいうけれど
小説に限らず、マンガやアニメなどでみられる「この作品はフィクションです」の文字。世界観から創作している場合はもちろんだし、現実にある場所を舞台としている場合誤解を避けるために大切な表現なのだが、それを理解した上で私はこんな自論を持っている。
すべての作品の元となる物語は、どこかに確実に存在している。
素晴らしい作品であればあるほど、「こんなに壮大な物語を人間が考えることが出来るのだろうか」と考えてしまうのだ。もしかしたら本当に0から創造できてしまう人もいるのかもしれないが、私のような普通の人間にそんな力があるとは思えない。
ではなぜ私は小説を書くことが出来るのか? それは「どこかで実際に起こった出来事を感知して拾うアンテナがある」からだと思う。
地球上、あるいは別の星、はたまた別の宇宙(いわゆる異世界、並行世界)……全ての物語は、必ずどこかに存在していて、それが偶然誰かのアンテナに引っかかり、その人の一番表現しやすい方法で作品になる。けれどもアンテナの感度やそれを表現する精度にそれぞれ違いがあり、それによって似たような世界観や人物でありながら無数の作品に発展する。そう考えると、自分の中ではとても納得がいくのだ(似たような作品、とはいえ悪意を持ったパクリは許されることではないが)。
自分はアンテナも表現精度もボロボロなので、なかなか思うように作品が作れない。だが確かにアンテナに引っかかる物語はあるので、なんとか表現の精度を上げたい次第である。
閲覧ありがとうございます。
お時間あれば、完結済みの恋愛小説「宿花に願いを乗せて」(https://ncode.syosetu.com/n6579eu/)と連載中の異世界転移小説「コンゼツォン~世界に息づく概念たち~」(https://ncode.syosetu.com/n0262ex/)も見て下さると嬉しいです。よろしくお願いします。