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第2話 歓楽街のある街

 一週間後、ボブとユーリは村を発つ日を迎えていた。

 冷たい風が吹く早朝にも拘わらず、村の入り口にはたくさんの人だかり――何と村人が総出し、旅立つ二人を見送りに来てくれたのである。


(これほど、想われていたなんて……)


 ボブの横で、ユーリは顔をくちゃくちゃに、嗚咽を漏らし続けた。

 流れる涙は止むことを知らず。頬を伝い、幾度も地面に滴り落ちてゆく姿に、村人たちも堪らず目を覆った。

 次なる目的地・ホートイールの街。

 ボブは限界まで膨らんだリュックを背負っているが、背にした村がなかなか小さくならないのは、決してその荷が重いからではない。


「ひ、ぐ……っ! い゛ぎだく、な゛ぁい……!」

「ユーリ。辛いだろうけど、行かなきゃ悪い人らがやって来ちゃうんだ。そうなったら、村の人たちが罰を受けてしまうよ」

「で、も゛ぉ゛……っ!」


 (かかと)に体重をかける女の子の手を、無理に引くからである。

 それでも駄々っ子のように、足を踏ん張るわけではない。行かねばならない、と頭では理解しているのだ。その物わかりのよさが、逆に不憫さを感じさせた。


『この子は聡い子だ。だけどそのせいで、感情と理性がこの子を苦しめるかもしれない』


 出発前、バーンズばあさんはボブに言い聞かせた。

 どうしても自分の足で見送りに行くと言って聞かず、ふらつく杖をついて、別れを惜しむように長い刻をかけて後を追ってきたのである。


『あの子の親代わりになれるのは、老い先短いこの婆じゃあない。ボブ、アンタしかいないんだ。だから、しっかりと、しっかりとユーリを守ってやっておくれ……!』


 涙声になったその言葉をしっかりと胸に刻み込む。

 これが今生の別れとなるだろう。どちらも悟り、固く握り合った手をいつまでも離そうとはしなかった。

 そして今は、未来に向けた小さな手を握っている。

 ボブはでっぷりとしたお腹を曲げ、別離の愁嘆にいるユーリを覗き込んだ。


「ユーリ。ガレスさんから聞いたんだけど、ホート・イールには、かつて〈舞姫〉と呼ばれていた踊り子さんがいたらしいぞ」

「え……?」


 見上げた赤い目の奥に、小さな輝きが浮かんだ。

 目指すホート・イールは、ここから北に四日ほど先にある。君主制ではあるものの、実際は周囲に暮らす多数の部族が支配している域だ、とガレスより説明を受ける。

 そしてその際、ユーリの希望となるかもしれない、興味深い話を聞いたのだった。


「あの国にはひとたび踊れば、千客万来の〈舞姫〉と呼ばれた踊り子がいたらしい。ここ何年かは名前を聞いていないみたいだけど、もしかすると何か新しい踊りや出会いとかあるかもしれないってさ」

「ほんとっ?」


 聞くなりユーリの身体、体重が前に傾いた。

 ほっとした反面、ボブには一抹の不安が(わだかま)る。

 ……と言うのも、ホート・イールの別名は〈亡者の歓楽街〉。街には飲み屋や賭場、街中にはゴロツキや遊女がひしめき合う、訪れる者を丸裸にする街と名高いのである。


 ◇


 移動は山道を利用する。

 歩けるとは言え、ユーリはまだ子供の足である。冬の道なのもあり、移動の多くはボブが担いで歩く。

 四年前に比べ、ユーリの体重は格段に増えたものの、まだまだ軽い。しかし背はぐんぐんと伸びている。

こうして担いで歩けるのも今のうちだな、とボブは胸に小さな寂寥を感じていた。

 暖冬の影響か、山にも初雪は落ちていないようだ。

 ボブの肩車に楽しそうに白い息を吐いていたユーリであったが、ふいに木々の間から覗いた景観に気付くや、「うわあーっ!」と、感嘆の声をあげた。


「おっきい街ーっ!」

「おお、本当だ!」


 遠い一帯まで、四角の建物が並ぶ光景が広がる。

 川の水を引き込んでいるのだろうか。黄色の砂地の上を、鮮やかな青い河道が横断していた。


「街の三分の一が歓楽街と聞いていたけれど、こりゃ凄いな……」


 両手を広げていたユーリは、「かんらくがい?」とボブの上で首を傾げた。


「えぇっと……何と言うか、大人たちが楽しむところ?」

「じゃあ、踊りもあそこっ?」

「う、うーん……多分盛んだと思うけれど。色々な意味では」


 わあっと、無邪気な声を上げるユーリ。

 そして、はやくはやくと馬のように尻で急かすのだが、近づくにつれボブの胃は痛みを訴えた。


 ホート・イールの街――。

 砂漠の中にあるオアシスと言っても過言ではないほど、乾いた黄土色の砂が一面に広がる。

 そのためか、ナーブル村に比べると温かいように感じられた。建物は大きめに切り出した石材を積み上げたもので、触れてみると氷のように冷たい。

 ボブは巨大なアーチ門に立つ門衛に、ガレスから貰った通行証を提出した。

 由緒正しきもののためか門衛も特に怪しむ様子を見せず、隣の頭にスカーフを巻いた女の子を一瞥するだけであった。


「……」


 街の中に入るや、ユーリは口を半開きに、建物を見上げたまま立ち尽くしてしまう。

 不均一な街並みであるものの、造りは故郷・グランス国と共通しているようだ。


(もしかすると望郷の念にかられたのか……?)


 しかしそれは杞憂だったらしい。

 ユーリは振り返ると、顔に満面の笑みを浮かべて、


「おじさんっ、村とぜんぜん違うね!」


 と、言うだけ。

 これには思わず面食らってしまった。


「あ、ああ、そうだな」

「? どうしたの?」

「いや、何でもない。――さて、ガレスさんから紹介があった店に向かおう」


 故郷は記憶の奥底に封じてあるのだろうか。

 一抹の不安を残しつつ、ボブは道行く者に紹介を受けた場所を訊ね歩いた。

 その場所は〈ハルパー通り〉――武器の名前を路にあてており、先にある丸い大池に巻き付くような、鉤爪状になった広い道ゆえにそう呼ばれているようだ。

 その湾曲する手前。緩やかな坂道の中腹に、目指す店があった。


【配達屋 パール】


 掲げられたボロ看板には、シンプルにそう書かれている。

 他にも飲食店や服飾品の店が並ぶが、ボブに馴染みがありそうなのは唯一、そこだけだ。

 おそるおそる覗いてみると、中にいた店主らしき男が一人。ボブを見るなり喜色満面に駆け寄ってきた。


「おおおっ、ガレス様から紹介を受けていた人だなっ」


 茶色の髪はぼさぼさ、顔の下半分は無精髭に覆われている。

 年は二十代半ばか。体つきはしっかりしているものの、なるほど、店の外観そのままだとボブは思った。


「やあやあ、手紙では横に大きいと聞いていたが、まさかここまでとはなあ。いや驚いた! 後ろにいるお嬢ちゃんは、確か、ユーリちゃんだね?」


 街の中で運送屋をやっていること、この近辺では唯一であることなどを忙しく喋り続ける。

 それからやっと思い出したように、“パール・クロフォード”と名乗った。

 せっかちな割に抜けているのだろう。

 玄関口に預かった荷が積み上げられているのだが、【重要】と書かれた書類が、大きな荷箱の上に置かれたままになっている。

 そして案の定。これは大丈夫なのか、とボブが指差せば、


「ああそれは――ああっ、しまった!?」


 書類を持ち、二人を置いて店から飛び出す始末である。

 横で見ていたユーリも、手を横に、やれやれと首を振っていた。

 その仕草もまた踊るようで、


 ――先が思いやられるね


 と言う気持ちが、ひしひしと伝わってきた。


 ◇


 パールが戻って来たのは日暮れ前だった。

 待ちくたびれたボブとユーリは、近くの店で食事をしつつ待っていたのだが、予想していた通り目の前のことにすぐ飛びかかる性格であるようだ。早いが、間違いや寄り道が多いため、〈ネズミの配達屋〉と呼ばれている、とその店の店主は笑い話に語る。


「いやあ、すまないすまない。こんな性格なもんで、仕事が溜まる一方なんだ。ボブさんには早速、明日から働いてもらえたらと思っているんだけど、どうかな?」

「ええ、街のルールと地図を頂ければ大丈夫です」

「よし決まった! お嬢ちゃんは店番頼むぜ」


 ユーリはこくこくと頷くが、大丈夫なのかと不安そうな目を浮かべていた。


 ◇


 人さらいはいるが、裏通りに行かなきゃまぁ平気だ。

 翌日。ユーリは店の上がり(かまち)に腰掛け、足をぶらつかせながら、パールの言葉を思い出していた。

 “人さらい”については、ナーブル村で教わっている。

 おじさんと離ればなれになるのは嫌だ。だから退屈でも、言いつけを守ってじっとしていた。


「ふぁ、あ……」


 しかし暇だった。

 勝手が分からないため、借りてきた猫のように大人しくするしかないユーリであったが、次第に小さく唸りながら、不機嫌そうに土間に降り立った。

 粗く切り出した石を敷き詰めているため、表面はボコボコのザラザラ。しかしこの程度ならば、と左足をすっと前に出した。


「――♪ ――♪」


 膝を小さく曲げ、腰を沈ませながら前へ。

 追うように右足を前へ、今度は左足を左斜め前へ。次は右足――。

 村で習った踊りの基本ステップだ。

 柔らかく膝を動かす練習を繰り返す。……が、乱雑に積み上げ並べられた荷箱は、ちゃんとした一連の動きをさせてくれなかった。

 小さなものは動かせばいいが、背丈ほどの大荷物はそうもいかない。しかもそれが、広い土間のど真ん中にあるのだ。


「もうっ」


 ユーリはつま先で箱を蹴り、小さくため息を吐いた。


「ここつまんない」


 ユーリは上がり框で膝を抱えた。

 ナーブル村でいた時の方がよかった。ここは人がいっぱいで楽しそうだけど、怖そうな人もたくさん行き交う。

 火の気のない土間は、とても寒い。

 けれど、襟元・袖口に赤いラインが入った、綿入りの服が暖かかった。

 これを縫ってくれたお婆ちゃんに会いたい……。

 目元がじんわりと潤み始めたが、すぐにゴシゴシと袖で擦う。


「――そうだっ」


 ユーリはあることを思いつき、ぴょんと框から飛び降りた。


 ◇


 足運びに自分なりを動きを付け加え、荷箱の周りをくるり、くるり。

 腕が当たれば、次は当たらないように腕を上げればいい。イメージは流れる川。うねり、絶えず流れゆく水になったつもりで踊り続けた。

 気がついたら汗だくになって、ちょっと水でも飲もうと足を止めた。まさにその時――


「お嬢ちゃん、いいぞー!」

「まあまあ、何と可愛らしいこと」

「何か、川が氾濫して足止めされた気分だあな」

「お前さんもかい? 俺もそう思ったんだよ」


 玄関先で、どっと歓声が起こったのである。

 口々に感想を述べ合うそれに、ユーリは恥ずかしくなって店の中に逃げ込んだ。

 堰き止めてしまっていた人の流れは、緩やかに戻り始めてゆく。店の奥からそっと、それを確かめ、小さく息を吐いた。

 しかしその直後、


「嬢ちゃん」


 砂色のローブを着た女の人が一人、店の中に入って来たのだった。

 低いけどよく通る声に、おずおずと顔を出す。

 ある程度の読み書きは出来るものの、配達屋のそれは分からない。もうすぐ戻るから、しかし言うよりも速く、女は腰から革袋を一つ取りだし、宙に掲げていた。


「蜜柑のジュースだよ。喉渇いているだろう?」


 ユーリはごくっと喉を鳴らしたが、手は前に出なかった。

 何より、おじさんに『一人の時、知らない人から物を受け取ってはいけない』と言われている。


「あははっ、大丈夫だって。あたしは娼婦だけど、眠らせて連れ去ろうとか、そんな浅ましいこと考えてないから。いいもん見せてもらったから、そのお駄賃だよ」

「しょう、ふ?」


 首を傾げると、女の人は肩をすくめ「まだ分からないか」と苦笑した。

 しかし喉がカラカラだ。

 ほらっ、とまた勧められると今度は、ユーリの手が自然と動いていた。


「そうそう。子供は素直でなくっちゃ」


 飲み口の金具から、甘酸っぱい果汁が流れ込む。

 ほどよく薄められたそれは、汗を流し水分を欲した小さな身体を、瞬く間に(とりこ)にしてしまっていた。こくこく、こくこく、と小さな喉が上下に動くのを、砂色のローブを着た女は目を細めながら、じっと眺め続けた。


「あたしさ、川辺の街・リバーサイドの出なんだよね。あんたの踊り見て、故郷を、置いてきた妹を思い出しちゃった」


 お金なくて両親に売られた。

 街にやって来たその日から、客を取らされた。

 妹が同じ目に遭わないよう、一生懸命働いてお金を送り続けた。

 身の上話を始めるものの、ユーリに理解出来たことは『妹がいる』程度である。


 袋の中をすべて飲み干し、人心地つくと、ぶるっと身体を震わせた。

 そう言えば、服の下が汗だくだ。


「寒いのかい――って、汗かいたままじゃないか!」


 着替えようと思ったところに呼ばれたから。

 そうと言うに言えず、地面をじっと見ていると、


「風邪引ちまうよ。ほら火の所へいきな」


 背中を押され、それと一緒に(かまち)の上にあがって来たのである。

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