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第4話 郷里に身を寄せて

 風が波打つ大地を撫で、野花の調べに蝶が踊る。

 青空との境界線には木柵が延び、その随所に鳶茶色の鎧をまとう兵士が立つ。彼らは柵の切れ間に検問所を設け、潜くぐろうとする者たちに厳しい目を向ける。

 そこを肥え太った男が一人。大きく膨らむリュックを背負い、おっかなびっくり、猫背に通り抜けようとするのを、検問兵の目が追い続けた。


「――おいお前、待て」


 男は、ボブであった。

 兵士の声に身体を大きく震わせ、その場に立ち尽くす。兵士は肩を怒らせ、ずんずん歩み寄ると、リュックを鷲づかみにした。


「待てと言っているのだ!」

「ま、待っているじゃありませんか……」

「呼んだら振り返れと言うのだ! その荷を検めさせてもらおう!」


 ボブは躊躇し、すぐには従わなかった。

 業を煮やした兵士は腕を真下に、無理やり座らせる。

 腹を庇うように渋々リュックの肩紐を外す姿に、豚が、と蔑むように荒く鼻息を吐いた。


「お前を肥え太らせるために、我々は命を賭しているのではないのだぞっ」

「痛っ!?」


 グリーブの先で背中を蹴っ飛ばされ、ボブは小さく尻を浮かせた。


「どうせ食い物ばかりだろうがな。ガキを荷物に隠し、検問を抜けようとするのも多いのだ」


 言って、顔を横に門の裏側に目を向けた。

 用意された庇つきのスペースには、男の子、女の子の親たちが不安そうに座る。先日会った伯爵が『数日拘束される』と言った通り、憔悴した者の姿まであった。

 兵士はリュックを持ち上げると、重いな、と感想を述べる。

 ずしりと底が重い感覚、そして青ざめるボブの表情。兵士は自信ありげに顔を歪めた。


「ほらな。そろそろ当たりを引いて――」


 しかし、リュックの中を覗き込むなり、兵士は仰天声を上げた。「な、何だこれは!?」


「ボロ服ばかりではないか!」

「ボロとは失礼な。私が持っていた食い物と交換したものですよ」

「やかましい! くそっ、コケにしおって――このデブが!」


 兵士は足を大きく引き、力任せに脇腹や背を蹴りつける。


「ぐ……っ」

「食うだけの、何の生産性もないクズが!」


 蔑み、罵りながら蹴りつける。

 ボブは身体を丸めて必死に耐え続た。脇からせり出した塊に腹を立てたのか、兵士は横から蹴り上げようとしたその時――


『お止めなさい!』


 背後から、憤りをたたえた女の声がした。


「先ほどから見ていれば。何の罪もない者を痛めつけるのが、グランスの兵のあり方なのですか!」


 驚くほどよく通る声であった。

 庇の下に身を寄せ合う親子も、何だと身を乗り出している。

 兵士は咎められたことよりも、面前で諫められたことが腹立たしくなったようだ。顔が真っ赤にわなわなと打ち震え始めた。


「このアマッ! お前もこのデブと同じ目に遭わせてやろうか!」


 女は冷たさを感じるほど表情を変えず、じっと兵士の目を睨みつける。

 胸ぐらを掴もうと手を動かそうとしたその時、


「――それ以上すれば、君はこの場で斬首となるよ」


 初老の男が、後ろで手を組みながら門をくぐって来た。


「オッサンが、この女のオヤジか?」

「やれやれ、グランスは兵士への教育がなっていないようだ」

「あ?」

「おまけに素養もない。これじゃグランス王の忘れ形見・ミュレイア王女が通っても気付かないね」


 兵士は動揺を隠せずにいた。

 ミュレイア王女を探していること、グランス王が屠られたことを知るのは、関係者しかいない。

 何者だ、と言いかけ、止めた。後ろから休憩所に座らされていた者たちが、すがるように寄り集まってきたのだ。


「ガレス伯爵! どうか、どうか我々の潔白を証明してください!」

「既に三日目、まるで身動き取れないんです……!」


 口々に『伯爵』と呼び、兵士はここで初めて気付いたようだ。

 恐れおののき、よろよろと後ずさりする。


「な、ま、まさか……!」

「左様。私こそが、ガレス・ダン・ウィンスロー ――王・アンドリューの叔父にして、この地域一帯を治めている者。そして君の正面にいるのが、娘のカトリーナだ」

「う……」


 すまし顔の女・カトリーナに、ずい、と一歩前に迫られ、兵士は反射的に後ずさった。


「さて、グランスの兵士諸君。我々は今後のことを考えねばならない状態にある。まずここは、ウィンスローの領内に入っている。その民を不当に拘束し、娘を恫喝、果ては土地を使わせてやっている領主を罵ったのだからね。――しかしそれだけでなく、私の友人まで痛めつけた」


 言うと、うずくまったままのボブに目を向けた。

 兵士の顔は真っ青になっていた。


「ゆ、友人……ですか?」

「うむ。グランスと同盟を結んだ帰り、彼がいい食べ物を持っていてね。持っていた服と交換してもらったのだよ」


 ガレスは、立ちなさいと言って、ボブに手を差し伸べた。

 すっくと立ち上がったその姿に、兵士はやっと、声を絞り出すように、


「ご、ご容赦を」


 と、やっとその場に傅き、頭を垂れたのである。


「学がなくても、世知は分かるようだね。しかし、今どうするべきかは決められない。同盟を破棄する際に、この日の君たちの名と行い挙げるのが有力か。――さ、我らが民よ、家に帰ろう」


 草地の上に膝をついた兵士を背に、領主、拘束されていたウィンスローの者たち、そしてボブが歩き始める。

 そして、検問がすっかり見えなくなると、


「うわっはっはっはっはっ!」


 と、ガレスは大きく笑い出したのである。


「私の演技もなかなかのものだろう」


 これにウィンスローの者らは目を瞠り、娘のカトリーナは呆れたため息を吐く。


「まったく……。私まであのような、はしたない大声を出させて……」

「おや、いつも家ではああではないか」


 父上、とムッと頬を膨らませる娘。それに再び笑う父。

 民たちは交互に見やりながら、事情を求めた。


「それはボブを見れば分かる」


 突如――ボブのお腹から、ぷはっと飛び出した“小さな存在”に、民たちは仰天声をあげてしまう。

 出てきたのは赤い髪の女の子・ユーリであった。


「女の子一人、腹に隠していても違和感がないとは。彼こそ本物の役者だよ」

「い、いえ、ガレス伯爵のおかげです。あのまま僕の考えのままリュックに隠していれば、間違いなく見つかっていたでしょう」


 恐縮するボブに、なんのなんの、と嬉しげに笑うガレス。

 民たちに事情を説明すれば、長年敵国だったグランスの兵を出し抜けたことが小気味よかったらしく、解放された喜び、熱苦しく息苦しかったと怒る踊りを披露する小さな女の子に、全員が暖かい眼差しと笑みを向けていた。


 ◇


 ウィンスロー国・ナーブルの郷里。

 蒼茫の山林に囲われた村は、農業を中心とし、冬場は織物と少ない酪農で過ごす。

 一帯を治めるのは、この地の国王の叔父・ガレス伯爵である。

 突然の来訪に、村人たちは慌てて(かしづ)いたものの、後を追うように現れたボブに気を取られ、頭を垂れることを忘れてしまっていた。


「ガレス様、後ろの方は……?」


 縦にも横にも大きな風体に、誰もが目を剥く。

 村は豊かな方であるものの、ここまで肥え太った者はいないらしい。それに領主の娘の側に立つ小さな女の子は――窺うような目が心地悪いのか、そっと娘の後ろに隠れた。


「彼らをしばらく、この村に置いてやってほしい」

「二人を、ですか?」


 問い直したのは、領主の前に立つ中年の男だった。

 村の長だろう。言って、チラりとボブに視線を向けた。

 目には不安が漂っている。ボブはそれに、無理からぬことだ、と思いながら視線に耐え続けた。

 村は貧困に喘いでいないが、裕福でもなさそうである。

 領主の紹介ゆえに従うしかないが、好き放題に喰らわれては堪らないのだ。

 ガレスもそれを承知しているのか、言葉の最後に「村の一員として」と添えた。


「ボブはこう見えて配達屋をしていて、力持ちだ。人の二倍、三倍は働くだろう」


 ええ、とボブは頷いた。


「この期に及んで、ただ飯にありつこうなんて考えはありません」

「うむ。――他に、何か出来ることはあるかね?」

「え? えぇっと、読み書きと算術ぐらいは……」


 途端、村人たちは驚き、ざわめいた。

 それもそのはず。読み書きを初めとした学問はまだ広く浸透しておらず、習得出来るのは中流階級、もしくは大きな店を構える商人ぐらいしかいないのだ。


「配達屋は地図を眺め、看板を読み、伝票や帳簿をつけます。それに僕の店は、代筆とその配送も担っておりましたので」


 これには村人たちの目が一変、期待に輝かせた。

 代筆を頼まねばならない場合もあるのだが、街へと足を運び、高い料金を払わねばならない。


「それならば――」


 目先の食糧とは比べものにならない、人財であると解したようだ。

 村長らしきものが恭しく頭を垂れると、遅れて村人たちも続いた。


 ガレスと別れた後、ボブは村の端にある空き家へ案内された。

 山に適応した木造の住宅で、人が離れて久しいのか、中はぶ厚い埃が堆積していた。石造りのものしか知らないユーリは、初めて見る木造住宅に興奮し、


「――♪」

「わっ、ユーリ!? 服が埃まみれになる!?」


 埃の絨毯を踏みしめ、何とそこで踊り始めたのである。

 カビと埃の臭いも新鮮なのだろう。嬉しい、楽しいとの感情が伝わってくる踊りに、止めるのを忘れ、つい見入ってしまう。


『あの子には踊りの才がある。一度、教えられる者を紹介したいと思うのだ』


 ここに来る前のこと。

 ガレス伯爵は、蝶を追い、草地の斜面を跳ねるユーリに目を向けながらそう告げた。

 思い出したボブは、『そうかもしれないな』と、確信めいたものを感じていた。


 ◇


 夜明け前、小さなベッドの中。

 ボブは夢うつつの中で、国境を越えた日のことを思い出していた。

 ガレスの娘・カトリーナに旅の話をせがまれた際、苦労話に『夜泣きやお漏らしに困らされた』と言うや、彼女は顔を真剣なものへと変えたのである。


『“赤ちゃん返り”と言うのを聞いたことがあります。私はまだ結婚していないので分からないのですが、ミュレ……いえ、ユーリちゃんは恐らく、それになっているのではありませんか?』


 本来は母親が妊娠したり、家の状況や環境が一変したりすると起こるもの。ユーリは“日常”を崩壊したショックが原因で、そうなったのではないかと見立てた。


『村人はみな温かい人たちばかりです。ユーリちゃんの心身が安定するまで、しばらく落ち着いた暮らしをした方がよいかと思います』

『そうした方がいい。落ち延びた嫡男の行方も掴めておらぬし、やみくもに動くよりそれを知ってからの方がよかろう』


 そうして、数日滞在の予定が一変、ナーブル村へ身を寄せることとなったのである。

 確か父娘の言う通り、この村は人が温かくて住みやすい。だが――


「――ボブッ、起きてるかい!」


 騒々しくドアを叩く音と、老婆の金切り声にボブは飛び起きた。

 これに、ユーリものっそりと這い起きると、上半身だけでふらふらと舞う。


 ――眠い、うるさい


 それから、こてん、と倒れると、また寝息を立て始めた。


「うむ。本当だよ……」


 直後、ドアを叩いた意味なく、一人の老婆が押し入ってくるのであった。


「ボブッ、ちょいと手伝っておくれ!」


 目の前にいるのは、隣の家に住む老婆・バーンズばあさんであった。

 息子が結婚と同時に別の村に移ったため、今は一人暮らしをしているらしい。

 七十歳を超えているとは思えないほど、口も足腰も達者だ。


「物置の扉が開かないんだよ。開けてくれないかい」

「ああ、はいはい」


 ボブは寝ぼけ眼のまま、ベッドから脚を出して立ち上がる。

 大きな木の軋みをあげ、ユーリが少し顔をしかめ。唸った。


「はいはい。ばーちゃんが側にいてやるからねえ」


 代わりにばあさんがベッド脇に腰掛け、皺だらけの手で赤い髪を撫でる。

 すると、ユーリは安心したような寝顔を浮かべた。


「夜泣きはしなくなったようだね」

「ええ。おかげさまで……」

「こんな幼い子に辛い思いをさせた連中を、あたしゃ心底許せないよ」


 村に暮らし始めてすぐのこと。

 ユーリは真夜中ちかく急に両親を恋しがり、わんわんと泣き始めた。

 これまでの夜泣きとは比べものにならない、憚ることのない泣き声に、ボブはオロオロしっぱなし。そこに駆けつけてくれのが、このバーンズばあさんであった。


『安住を感じ、張り詰めていた糸が切れたんだ』


 そう言って、泣きじゃくる幼子を優しく抱きしめ、涙を胸に受け止め続けてくれた。

 村にやって来てから約二月(ふたつき)。バーンズばあさんのおかげで、ユーリの心身は落ち着きを見せ、最近では夜泣きもすっかりなくなっていた。

 しかし老婆は、夜泣きよりも、身体の線が細いことを心配した。

 原因は携行食を食べず、木の実などしか口にしていないからなのだが、それを知った途端、


『大人でも不味いと思う携行食を、こんな子が好き好んで口にするわけないだろう! ばかたれ!』


 叱られ、ボブは大きな身体を思い切り縮ませた。

 思えば、確かにその通りだ。

 食わねば死ぬ。大人は我慢の先にあるものを想像出来るが、子供にそれを強要することは酷なもの。

 バーンズばあさんが持ってきてくれた料理や、己が『美味い』と感じる料理を出してみれば、ユーリはもりもりと食べるのである。

 その甲斐あって、今では肌の血色もよくなっていた。


(ユーリのご飯のためにも、頑張って働かなきゃな)


 家を出てすぐ隣が、バーンズばあさんの家。

 あばら屋のような隣家の裏に、今にも朽ち落ちそうな小屋があった。

 建物が傾き、そのせいで扉が開かなくなっているようだ。ボブは思い切り引くと、扉は割れるような音を立てて開いた。


(この農具は、旦那さんのものなのかな)


 主人の帰りを待つように、立て掛けられた錆びた農具が出迎える。

 中を見渡してみれば、積み上げられた雑多な荷箱。そしてその奥の隅に、埃を被った大きな機織り機が一台、ひっそりと佇んでいた。

 どうやらこの機織り機が目的だったらしい。

 バーンズばあさんに報告すると、今度はそれを外に運び出すよう指示されたのである。

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