第7話 荷を託して
ユーリが入った直後、ミルバールの代表としてジュラルド、ランダルが城に入る。
そしてそのまま、和睦の席に着いた。
ミルバールの国王は形骸化しつつあるのか、殆どが長男・ジュラルドの一存で、ほぼ全面降伏に近い形で締結される。
また、カトス国も賠償金を受け取る以外、要求することはしなかった。
――ミルバールの三男が、ユーリの婿に入る。
この同盟が結ばれれれば、何より協力な後ろ盾を得ることが出来る。
民の反発はあるだろう。しかし国の利益を考えれば、痛み分けとの形で手を打つのは尤もと言えた。
「民の心を支配されては、我々はどうしようもありません」
ジュラルドが苦く言えば、カトス国の王も頷く。
「国は容れ物に過ぎませんからな。支える民がひっくり返せば、我々は簡単に倒れてしまう。どのように民を納得させていいやら……」
「それこそ娯楽与えることでしょう。例えば、踊り子を呼ぶなどの」
そのような会話が続けられる中、ユーリは別室にて、姉との再会に浸っていた。
父母が討たれた無念。生き延びたことの喜び。これまでの旅路。兄との暮らし。
ボブは遅くなったことを詫びたが、むしろその両手を持ち、額を擦りつけながら石畳の上に大粒の涙を落とし続けられてしまう。
そんな女王にあらぬ姿に、ただただ恐縮し、
「それが仕事ですので」
との言葉以外、発することができなかった。
◇
ミルバールの軍が強い理由は、高い兵士の練度・多彩な指揮官の軍略は当然のこと。何より情報の収集・伝達力にあった。
ユーリが城に入ったことをパルティーンに伝え、グランス国の奪還の打ち合わせを行うまで僅か四日――それからも手紙のやり取りが迅速に行われ続け、瞬く間に連合軍がまとめられてゆくのである。
しかしパルティーンの王・ロレンスは、妹の結婚については未だに信じられないでいるらしい。ユーリこと、ミュレイア王女本人から手紙で直接伝えられても、『信じられない、間違いではないのか』と、返すばかり、とのこと。
(そりゃあ僕だって、未だに信じられないからなあ)
ボブは養生と言う形で、城の中で住まわせてもらっている。
秋が終わり、冬を迎えた時に重い風邪を引いたのだが、ユーリの看病の甲斐あって、春先には城の中を動き回れるほどまで回復した。
一日でベッドの上で過ごす日は増えたものの、それからは病気をする気配もなく、穏やかに初夏を迎えようとしていた。
(あのシャインって婿さんは、よき夫になってくれそうだ)
時おりユーリを訪ねてくるのだが、二人の初々しいその姿は、世話をする女だけでなく、姉までも口を綻ばせるほど仲睦まじい。
婿の兄二人とは違い、戦よりも詩歌や楽曲を奏でるのが好きであるようで、よく部屋の中から弦楽器の音と、ユーリの楽しい踊りが漏れ出ている。
チラりと様子を窺った時、そこには庇護されるべき少女の顔はなかった。
あとは彼に任せよう。
そう思うと、肩から本当の役目を下せた気がした。
この日。ボブはリュックを背負い、こっそりと城を出ていた。
慎重に周囲を窺いながら、城の外へ――故郷を懐かしむ女王のために作られた泉がそこにあった。
「やはり、グランス国とそっくりだ」
しみじみと池を一望し、近くの木の根元に腰を下ろした。
細く長い息を吐き、やがてリュックの中をごそごそと漁る。中はパンやソーセージなど、城の厨房から持ってきた食べ物がいっぱいに、そこから丸いパンを取り出すと、目の前にぬっと掲げた。
かつてはパンと見間違えた手も、随分と細くなって見分けもつく。
しかし、じっと見つめるだけで口へと向かわない。
仕事が終えた後にたらふく食べることが、何よりの楽しみだったと言うのに。
「まいったな」
ボブは弱ったような声を上げた。
「食べられないや……」
パンを持ったまま腹の上に置くと、細く、長い息を吐いた。
思えば、泉のほとりでパンを食べたのも、もう十年以上も前なのだ。
――おじさんが子供の頃、占い師に『十五歳まで生きられない』って言われたんだ
ボブはふと、ユーリに話した言葉を思い出す。
「ああ、そうか……」
ここで今、ようやくその意味に気付いた。
十五歳。それは自分の年齢ではなく、大事なあの子の年齢だったのだ、と。
「……ご馳走、食いっぱぐれちまうなぁ」
丸焼き鳥の甘辛ソースから食べようか。牛のスパイシー串から食べようか。いや今年はまず、タルタルソースがたっぷり乗った白身魚のフライにしよう。
瞼を閉じれば、目の前に美味しそうな料理が並ぶ。
横には赤髪の女の子が座り、花が咲いたように満面の笑みを浮かべ『おじさん、美味しいねっ』と言う。口の周りがソースだらけにしていて、そっと拭ってやる。
そしてあまりの美味しさから、その子は踊り出すのだ。
――おじさん、ありがとうっ!
ボブは、ああ、と微笑む。
それは何よりのご馳走、何よりの幸せだった。
「……」
閉じられたボブの瞼は、もう、開くことはなかった。