第3話 横転した馬車
手元にあるものだけが食べ物ではない。
ユーリは多少の苦みや酸味は平気なようで、山菜やキノコ、木の実や果実などを使った料理は難なく受け入れた。
となれば、ボブも料理のし甲斐があると言うもの。この日はラムラムと呼ばれるどんぐりを集めれば、女の子は「こえ、あーにー?」と期待の口で訊ねてくる。その説明をすることもまた、ボブの楽しみの一つあった。
「これはね、茹でると美味しいんだ」
ボブはそう言って、外殻を剥がしたどんぐりを茹で始めた。
そして柔らかくなった実を摺り、団子状に丸めると、粗めに砕いた木の実をまぶせる。
「ほら。これが木の実団子だ」
赤や緑など鮮やかな木の実を纏う、練色の団子が一つ。
ユーリは、わっと声をあげ、手のひら大の団子を両手で持ち、口いっぱいに囓った。
少し咀嚼するや目を細め、二口目、残りを押し込むように放り込むと、幸せそうに口を緩ませる。
すると、すっくと立ち上がり、
「――♪ ――♪」
「おっ、今日はそんなに美味かったか」
ユーリは楽しい時など、踊って感情を露わにするようだ。
くるくると回り、ステップを踏む仕草だけ。見よう見まねな宮廷の踊りであるが、踊り手の気持ちが素直に伝わってくる、見ていると心が楽しくなる踊りを披露するのである。
ボブはこれが嬉しく、今日も見られるかと期待しながら料理を作っていた。
◇
ウィンスローの国境まであと幾日か。
日暮れ近い山道を歩いていると、眼下の街道に一台の馬車が転倒しているのが見えた。
灰色髪の御者と初老の男が懸命に起こそうとするが、馬車はピクリとも動かない。
二頭の馬の内、一頭は倒れたまま。もう一頭も脚を気にした仕草を見せている。
「こりゃあいかん!」
ボブはユーリを背負い、急いで斜面を下った。
しかし黒髪の大きな巨体、伸びっぱなしの髭面である。熊か山賊と間違えたのか、馬車を起こそうとしていた男たちは、咄嗟に剣や短刀を引き抜き、構えた。
「あ、怪しいモンじゃありません!」
「あーません!」
ユーリの加勢が効いたのか、男たちはほっと安堵し、剣を納めた。
「娘が中に……ドレスの裾が挟まり、出られなくなってしまっているのだ。すまないが手を貸してもらえないだろうか」
ボブの両脇を固めるように、御者と初老の男が横に並ぶ。
初老の男は金髪の撫でつけ髪。土埃で汚れているものの、羽織る茶色の外套は質が良く、また御者の身なりもしっかり整っていることから、貴族階級の者だと考えられる。
三人は倒れた馬車に手をかけ「せーの」と声を揃えた。
「ぬッ、ぬぬぬぬぬッ!」
瞬間。両端の男たちは顔を見合わせていた。
ビクともしなかった馬車が、わずかに持ち上がり――今の二人は言葉通り、馬車に手をかけているだけなのである。
「な、何と言う力だ……!」
肥え太った男は腕を膨らませ、どんどん高くまで持ち上げる。
最後は投げるように押し上げれば、中からの小さな悲鳴と共に、馬車は本来あるべき形に戻っていた。すぐさま御者の肩を借りながら降り立ったのは、薄青色のドレスを着た美しい女性であった。
「あ、りがとうござい……ます」
彼女の額には大量の汗が浮かび、衰弱しているらしい。
急いで飲み水に塩を入れ、ユーリ用のボイベリーを彼女に与えた。すぐにはよくならないものの、険しかった表情は少し和らいだように窺えた。
「君には何と言っていいか……」
「いえいえ。困った時はお互い様です」
しかし驚いた、と身なりのいい男はボブの身体を今一度、じっくりと検める。
「肥え太った男はアテにならない、との考えを改めねばならないようだ。何か、力仕事をしているのかね?」
「ええ。祖父の代から配達屋を」
「配達屋?」
何か引っかかったように、片眉を上げた。
そして、共連れの赤髪の女の子・ユーリに目を向ける。
一見すれば親子だが、髪色がまるで違うことに気付いたらしい。
「私はこの先の国境を越えた村・ナーブルを治める者。数週間前、グランス国より女の子を攫った男を手配したい、と協力を仰がれたのだよ」
「えっ!?」
そこへ、娘の側を離れた御者が話に加わる。
事情を知らず、馬車を見ながら憤りを抑えきれぬ口ぶりでまくし立てた。
「グランスのマヌケめっ! これが新たに同盟を組んだ者への仕打ちか! あぜ道に板を埋め込んだ罠のおかげで、ガレス伯爵の馬車が壊れちまったじゃねえか!」
「これ、モッシュ」
モッシュと呼ばれた御者の言葉に、ボブは問うような目を向けた。
それに気付いたガレスと呼ばれた伯爵は、ユーリを娘のところに向かわせ、穏やかな口調で話題を継いだ。
「グランス国はウィンスローと同盟を結んだのだよ」
クーデターにより、グランス国王・女王は討たれた。
首謀者は南のバレンダ国と内通していた大臣であり、旗手をそそのかせたとのこと。街の中はかつての仲間同士が争い、最後には抗う者の血で染まった。
逆賊となった大臣はそのまま玉座に座るも、民はまるで頭を垂れないと言う。
「嫡男は落ち延び、三女まで消息不明なのだ。誰もが奪還に戻ると期待するだろう」
ユーリを見る伯爵の顔は芳しくなかった。
やはり気付いているのだ、とボブは思った。
「国境を越えるつもりかね?」
「え、ええ」
「それは危険だ。国境沿いにグランスの関門が設けられているよ」
「な……」
子を連れた者は誰であろうと、数日拘束される。
見通しが甘かった、と悔いるボブの横で、ガレスはユーリを興味深げに眺めた。
「ふむ」
気力が戻った娘の前で踊っている。
物々しい会話とは反対な、平和な光景に思わず口元を緩めていた。