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第6話 最後の配達

 ユーリが婚約。ボブにとって、まさに青天の霹靂であった。

 遠くからユーリの踊りに歓を尽くしたのち、そのまま宿へと戻った。少し体調が思わしくなく、終わったら戻るようファルファに強く言われていたためだ。

 彼女はユーリの舞台を終えるとすぐ、大成功を祝う食べ物や酒などを差し入れてくれた。――しかしそれからすぐ、踊り子から『ユーリが王族とモメている』と、火急の報せを受け、飛び出したのが二時間ほど前のこと。

 その後、ユーリが戻り、頬を染めながら報告を受けたときは、心臓が止まりそうなほど驚いた。


「そうか。ユーリが結婚か」


 目頭が熱くなり、指先で摘まむように揉んだ。

 それにユーリは慌て、しどろもどろに「まだまだ先だよ」と、眼前で手を振った。


「今の国王に報告して、すべて片付いてからになるから」

「それでも早くに片付け、迎える準備をするに越したことはないだろう」


 ボブは病で重くなった身体を起こし、よっ、と立ち上がった。

 宿の中で過ごす時間が増え、頑丈だった足腰も思わずふらついてしまう。


「お、おじさん!」


 入り口に控えていたファルファも慌てて駆け寄ろうとする。


「おじさん。フォーレス兄弟がカトスまで送る手配をしてくれるの。だから、おじさんはファルファ姉さんと、ここで――」

「馬鹿言っちゃいかん」


 ボブはユーリの腋の下に手を差し入れると、ぐっと上まで持ち上げた。


「配達屋が二度も、荷を投げ捨てることなぞ出来るものか」

「おじさん、でも……」


 ボブ、とファルファは声をかけようとしたが、『手前の仕事は手前でケリとつける』と言ったのは彼女自身であり、ぐっと口を噤んでいた。

 持ち上げる腕が僅かに震えていることに気付いたユーリであったが、これを拒否しようとする意志を見せない。

 完遂する。配達屋の意地に、ただ応えようと頷くだけであった。


 ◇


 日差しは和らぎ、風に涼しさを感じる日だった。

 夏の〈大祭〉以降、ミルバール軍はカトス国の本城を抱囲するのみに留めている。しかし周辺の村々への略奪も無く、補給物資の運搬もさせるがまま。


 ――ミルバール国に大事あり。カトスとの和睦を急ぐ


 ジェラルドはあえて、カトスの偵察にそのような情報を与えた。

 そのおかげでカトス国内の警戒は緩み、のどかな秋が訪れようとしているようだ。


「ボブ。あんたが荷物になるんじゃないよ」

「あ、ああ」


 大きなリュックを背負うボブは、ファルファの圧に顎を引く。

 横には馬車と、旅の装いに身を包んだユーリが立っている。


「じゃあ、行ってまいります」

「ボブのこと、頼んだよ」

「はい!」


 かつてはユーリを頼まれた身が、今や頼まれる立場へ――。

 少し情けなく思ったものの、若者が前をゆく(ことわり)なのだと思うと、不思議とそれが誇らしくもなる。

 道脇には〈舞姫〉の旅立ちを見送らんと、人の列が出来上がっている。

 二人が乗り込んだ馬車が進み始めれば、彼らは一斉に手を振って別れの言葉を叫ぶ。ボブは後ろを振り向いてファルファを見れば、彼女は顔を覆ってうずくまっていた。


「ファルファ姉さんと結婚して、一緒に暮らしたらよかったのに」

「ば、馬鹿言っちゃいけないよ」

「ええっ、だってあれだけ甲斐甲斐しく世話してくれているのに!?」


 きっと好きなのに、と大人びた言葉を口にするユーリに、ボブは気恥ずかしくて頭を掻いた。

 恋や結婚など縁のないことだと考えていた。

 期待がなかったかと言うと嘘になる。しかし自身の身体のことなどを考えると、とても考える気にななれなかったのである。

 馬車はガラガラと音を立てる。

 これまで馬車に乗ったことは、ホート・イールの娼館を出てから二回目だ。あの時は馬四頭で引いたが、今は馬二頭で事足りている。


「やはり馬は速いなあ」

「おじさんが遅すぎるのよ」


 ふふっ、と笑い合う。

 この笑顔と何気ない時間を忘れないように、とボブは心に刻み込んでいた。


 ◇


 カトス国へは馬車で一週間足らず。

 山々はすっかり秋模様で、駅馬車や村では実りを楽しむ光景が見受けられた。


 ユーリの踊りは生きる力を与えてくれる。

 旅をしてから少し食欲が戻ったボブは、ユーリと一緒に各地の味を楽しんでいた。

 特に気に入ったのは芋だ。ただ焼いただけなのに、甘くてとろけるような舌触りが、何とも言えない味わい深いものを届けてくれる。ユーリも思わず踊ってしまったぐらいである。


「メリザンド姉さまは、私を迎えてくれるかな……」


 刻一刻と近づく再会に、ユーリの顔は強張っていた。


「迎えてくれるさ。妹なんだから」


 ボブは言うと、リュックから熊のぬいぐるみを取り出した。

 色あせ、端々がボロボロになったそれは、かつてのメイド長が託したもの。幼い頃は、これを抱かねば眠れなかったほどだ。

 兄であるロレンスに見せた時、次女が輿入れする日にプレゼントされたものだと知らされた。肌身離さず持っているように言われたのは、何と中に、逆賊の裏切りを証明する封書が忍ばされていたのである。

 これは、身の上を証明する証となる。

 そう言って渡すと、ユーリは幼い頃を思い出すかのように、ぎゅっと抱きしめた。


 ◇


 広い荒れ地のような平野。

 ここで大きな戦いが繰り広げられたのだろう。転がる岩には真新しい剣筋が残され、平穏を感じられたであろう緑の絨毯は、黒く焼けた跡が残されていた。

 道中、ミルバールの馬車は歓迎されなかったものの、公使を示す白い旗を見れば警戒を緩やかにしてそれを見送ってゆく。

 どのような結果であれ、争いが終わって欲しいのだろう。

 総指揮を執るであるランダルの軍にジュラルドが、そこに公使の馬車が加われば、誰もが期待の眼差しを寄せていた。


「このぬいぐるみを、メリザンド妃へ」


 ボブはぬいぐるみを和睦の使者へ渡す。白旗を掲げた騎兵が城へと走り出した頃、ゆっくりとユーリが馬車から降り立った。

 赤い上衣に前垂れ、脚衣。〈舞姫〉の姿に、兵士たちは色めくのを隠しきれない。

 またそれは総指揮官のランダルもであり、


「なぁ、シャインより俺の方が満足させてやれるって」


 と、しつこく後を追い回した。

 ユーリより兄弟の説明を受けていたボブは、つんと無視されるその様に筋肉も形無しだなあ、と同情してしまう。

 その間に、ミルバールの使者が城内へと入り、向こうがにわかに慌ただしくなったように感じられた。


「じゃあ、おじさん――」

「いや」


 城に向かおうとするユーリを、ぐっと持ち上げた。

 小さな悲鳴を上げ、驚きの顔でボブを見る。それにボブは優しく微笑みかけた。


「最後の配達だ」


 言うと、ユーリは小さく頷いた。

 体重と同時に力も落ちているらしく、初めて重いと感じてしまう。

 いや、現にユーリは重くなっている。

 小さな身体は記憶の中だけで、今、腕に感じているのは大人の女性だ。


「重いでしょ?」


 ユーリが震える声を抑えながら言う。


「ああ。役目以外で、初めて重いと感じた――十年もすれば当然かな」


 四歳になる少女を託され、その身体で背負って歩いてきた。

 今、それが終わるのだ。

 ふらつく身体にムチを打って、一歩一歩、ゆっくりと目の前の城に向かってゆく。


 城門との中間の場所にて、ユーリは「ここでいい」と告げ、降り立った。

 塁壁の上には沢山の兵士が居並び、その中央には王と思われる壮年の男が、鎧姿で構えている。ユーリの姿を見ると、顔だけを後ろに向け誰かを呼んだ。

 直後、栗毛をした女王と思われる女性が現れる。


「……」


 ユーリはじっと見上げている。

 やがて、女性は首を振った。


(無理もないか。知っているのはまだ二歳頃だと言うし)


 今や一人前の女の顔だ。

 変わらぬのは赤髪のみ。しかし、それだけでは断定できない。

 ユーリは数歩前に歩み出ると、左腕を水平に延ばし、右腕も腕それを追うように伸ばす。そしてそのまま、ばたばたと足を動かし始めた。


(あれは……)


 旅を始めた頃、美味しいものを食べた時によくやっていた踊りだ。

 見よう見まねの社交の踊り。大人がすれば不格好であっても、〈舞姫〉が舞えばそれも一流であるかのような舞いへと昇華する。

 そしてそれは城でもよくやっていたのだろう。女王は見た途端、飛び降りるような勢いで身を乗り出し、王を初めとした兵士に抑えられた。


 ――お久しぶりです姉さま


 塁壁の上が騒然となった


 ――私の名は、ミュレイア

 ――ミュレイア・キング・グランスです


 女王が身を乗り出しながら、「ミュレイアッ!」と叫んだ。


 ――どうか剣を納め、ミルバールと和睦を結んでください

 ――我らが戦うのは彼らではなく、真なる敵、故郷を奪った逆賊です


 女王は跪いて王へ懇願したのだろう。

 金切り声のような悲痛な声を上げたあと、城門が音をたて、ゆっくりと開かれたのである。

 ここが届け先か。

 配達屋として本懐を遂げたボブは、初めて『長い配達だった』と感じ入っていた。

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