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第5話 胸に炎を宿して

 あれまで苦労したのは何だったのだろうか。

 汗を振りまき、煌びやかな装飾品を鳴らし、真っ赤な衣装をはためかせる。そのどれか一つが起こるたびに、


 ワアアアアアアアア――ッ!!


 と大歓声が上がり続けた。

 色鮮やかな舞台花が飾られたステージの前には、見渡す限り、人、人、人。押し合いへし合い、一目でも〈舞姫〉を拝まんと、首を伸ばし、跳びはね続けた。

 その最前列・特等席には貴人と思われる絢爛な白装束に包んだ男が三人。周りには過剰かと思えるほどの兵士が控えている。……が、誰も周囲に気を配る余裕などなく、ただただ正面の踊り子に魅入るばかりである。

 歓声で音楽は聞こえない。しかし〈舞姫〉の耳にはしっかりと聞こえており、盛り立て役の踊り子たちに指示を出せば、寸分違わない踊りを作り上げる。


 ――やはり踊りは最高に楽しい


 興に乗り、気がつけば。

 舞台上の踊り子たち全員は天を仰ぎ、両手を掲げていたのであった。


 類を見ない踊りに、ユーリは大歓声に向かって満面の笑みを浮かべて応えた。

 対する盛り立て役の踊り子たち、大舞台を踊りきったことに感涙し、顔をくちゃくちゃにして手を振り続ける。そして舞台袖に戻れば、いよいよ堰を切った。

 ユーリは柏手(かしわで)を打ち、これからお酌よ、冗談めかして言えば、彼女らは涙を流しながら「はい」と頷く。その姿が少しおかしかった。


 ◇


 そこにファルファがやって来たのはすぐのこと。


「ユーリ。アンタには、特別な席に着いてもらいたいんだ」


 そっと耳打ちすると、少し声のトーンを落とし、


「もし誘われたら……絶対に断っちゃいけないよ」


 悄然としたユーリの顔から目を逸らしながら、ファルファは背を押した。

 今ではその意味も分かる。

 踊り子は酌をしてチップを得て、必要とあれば店外に出て享楽に耽る――いつかは断れぬ御仁が来るだろうと思っていたが、いざ迎えてみると身体が強張った。


(やっぱり、あの貴人かしら……)


 その予想は当たっていた。

 指示された席・丸いテーブルに白装束に身を包む、三人の若い男たち。

 左端は痩身で黒い長髪。顔立ちは美しくありながら男らしい。甘い言葉をかけられれば女はたちまち魅了されてしまうだろう顔立ちだ。

 中央は頑強な短い黒髪。おじさんを彷彿とさせる大きな身体であるが、違うところは全身が筋肉で覆われ、祭りにそぐわない大きなハンマーを二つ、背中に差している。

 最後、右端の最後は――


「あら?」


 ユーリは既視感を覚えた。

 前髪を眉くらいの位置で切りそろえ、他の二人と違って少年から青年への過渡期のような男、


(どこかで会ったかしら……?)


 いや、それは既視感ではないのかもしれない。

 向こうも同じことを考えているのか、じっと見つめられる。

 誰かしら、と胸の中で首を傾げながらテーブルの前へと立つ。


「お初にお目にかかります――」


 ユーリが丁寧におじぎをしたその時、


「きゃっ!?」

「がっはっはっ! お前が気に入ったぞぉっ!」


 いつの間に後ろに回っていたのか。頑強な男がユーリの肩を掴み、ぐいと引き寄せていた。

 逃げられぬと思わせる猛禽類のような手であるが、その大きな身体には僅かに安心感も覚えてしまう。


「品のない行動は控えろ。ランダル」


 長髪の男は静かに、酒を傾けながら言う。

 冷淡さが感じられる声であった。


「おいおい、兄貴だって見とれていただろう。あれか、後で自分のものにしようって魂胆かあ?」

「ふっ、それもいいかもしれんな」

「よっしゃあっ、そうなりゃ決闘だ決闘! 今回は負けねえぞ!」


 背中に両腕を回し、ハンマーの柄を握るランダルと呼ばれた男。

 それに長髪の男は動じず、右端に座っていた男に涼しげな目を向けた。


「――シャイン。ランダルがお前と決闘したいそうだ」

「ぼ、僕!?」

「おいおいー……シャインが相手だと、本気出せねえよお……」


 途端に力の無い声となり、肩を掴む手もふっと和らいだ。

 兄弟仲がいいらしい。

 水を向けられたシャインと呼ばれた男は慌て、チラリとユーリを見ては目を伏せる。その挙動にどこか引っかかるものを覚えたその時、突然、頭に夕暮れの光景が浮かび上がる。あっ、と声を上げれば、長髪の男は不敵に唇を引いた。


「シャインが通行証と有り金すべてを差し出すはずだ」

「じゅ、ジュラルド兄さん!?」


 やはり、とユーリは確信した。

 思い出すのは、かつて通行証が手に入らず、難儀していた時に出会った少年。つかの間のことであるものの、橙火に照らされた顔を見れば、当時の光景が浮かぶ。


「そ、その節はお世話になりました」

「いえこちらこそ……っ」


 互いに頭を下げ合い、そして不思議な沈黙が続く。

 気にはならない間ではあった。しかし、周りに気を配らねばならない立場を思い出し、慌ててシャインの盃に酒を注ぎ始める。

 ランダルにも「お前も呑め」と促され、差し出された盃に深紫色の酒を注いだ。

 酒はあまり呑めないが、この国の作法に則って「神に」と献杯し、つっと傾ける。


(あら、弱めの葡萄酒なのね)


 シャイン用なのだろう。

 これなら少し呑めるかもしれない、そう思って彼に目を送ると、


「え……」


 これだけで酔ったのか、と思うほど顔を真っ赤になっている。

 動揺を浮かべるユーリの姿に、ジュラルドとランダルは声を上げて笑った。


「ふふふっ、酒だけでなく女にまで酔うとはな」

「ぐわっはっはっはっ! ケツがむず痒くならあ!」


 それをきっかけとして、おのおの手酌して酒を呑み始めた。


「あれから踊りを学びたい、踊り子と聞きゃ顔を確かめ回ってなあ」

「兄さん!?」

「まあ」


 三兄弟。酒の呑み方にも性格が表れていた。

 長男だろうジュラルドは、飾り気なく。

 次男だろうランダルは、盃からタルコップへ。水のように豪快に飲む。

 そして末男だろうシャインは、静かに丁寧に口へと運ぶ。

 ユーリは相づちを打ちながら、三者三様のそれを楽しみ、合間を見ては酒を注ぎ足し続けた。


(この立ち居、もしかしたら王族の関係者かしら)


 どれだけか酒が進んだ時、ジュラルドはランダルに目をやった。


「あまり馬鹿呑みするなランダル。お前はカトス攻略の途中なのだろう」


 シャインに酒を注いでいたユーリの手が止まった。

 カトス。それはユーリの姉、次女のメリザンドがいる国。そこに向かう道中、戦争が勃発、この街に足止めされてしまったのだ。


「あの……」


 シャインに呼びかけられ、ユーリはハッと我を取り戻す。

 酒を溢れさせてしまった。二人は気にせず話を続け、ユーリはテーブルを拭きながら耳だけ傾けた。


「へっ、ハタル平原で主力部隊を破ったんだ。後は城門をぶち破って終わりよ。二日酔いでも勝てらあ」

「甘く見るな。予定よりも大きく遅れ、私が援軍を送ってやっとではないか」

「うぅむ……」


 ランダルは酒の手を止めて、複雑に唸った。


「奴ら、死兵っつーのか意地でも止めようとしてなあ」

「あそこは逆賊に奪われたグランス国の娘がいる。奪還のため、仇を討つため、ここで果てられぬ意志があるのだろう。そう言う連中は最も厄介だ、攻城の際は慎重に進めろ」

「ちぇ、仕方ねえ」

「ミルバールの軍を率いるのだ、それに恥じぬ戦いを心がけろ」

「へいへい。〈フォーレス三兄弟〉に相応しい戦いをしますよ」


 ユーリは手先から冷たくなってゆくのを覚えた。

 特別席を設けられるのだ。王族との予想は正しかったが、彼らは世に名高いミルバール軍を率いる兄弟。酒場でも名高い〈フォーレス三兄弟〉なのだ。

 ユーリはテーブルを拭きながら、机に置かれている短刀を見つけていた。

 美しい彫金が施されたそれは、シャインのものだろう。持ち主は酒が回り目をしばたたかせ、注意がいっていない。


「グランスと言やあ、カトスを落としたら次はグランスと、パルティーンの同時攻撃。これ、流石にキツくねえか?」

「そのためにカトスを落とすのだ。背後の脅威が無くなれば、パルティーンもそう大きくは出られん。グランスは王冠に頭を垂れぬ者も未だ多く、内から簡単に瓦解させられる。しかし――探りによれば、パルティーンは堅く正面突破のみしかなさそうだ」

「力攻めか。上等だ、ちまちま回りくどいことするより、正面からぶちのめす方がいい」


 腕をまくり意気込むランダル。

 あまり好ましい会話ではないのか、シャインは眉を下げていた。


(この人たちが……)


 酒によるものか、身体に熱を持ってくる。


「だけどよお、女抱くくらいはいいだろ? 俺、この女、マジで抱きてえ」

「この者はまだ若いだろう。それに私ではなくシャインに聞け」


 狼狽するシャインは腕を回され、揺さぶられる。

 国と国が荒立てた波に飲まれるのか。自身の意志もなく、ただ翻弄されるだけなのか。

 否。ユーリは顔を上げた。


「私に決定権はないのでしょうか――」


 思いもせぬ言葉に、兄弟は視線を揃える。


「私とて、向かう場所を選ぶ権利があるしょう」


 恐れ知らず、淡々と述べるユーリにランダルは口を歪めた。「おもしれえ」


「ますます気に入った。しかし俺は諦めんぞ」

「私とて曲げたくはありません」

「ふん。ならば――」


 背に手を回し、二つのハンマーを手に握り構えた。


「俺は戦うしか脳がねえ。戦いが生きがいであり戦場で死ぬのが本望の男だ。この愛槌で奏でる音こそ、俺の安らぎ――お前は踊るのが人生、舞台で死ぬのが本望の女だろう?」


 ユーリは頷いた。


「踊っている時が唯一、心安らぎます」

「ならば互いの生きがいを賭けよう。俺が勝てばお前をモノにする。お前が勝てば、好きなようにしろ」


 白装束の上着を脱ぎ捨て、右手のハンマーを、だん、とテーブルに叩きつける。

 食器や酒が震えた。

 ユーリは「いいでしょう」と返事をすると、両手を前に突き出し、髪を一度振り上げる。

 周りに控える兵士は慌てたが、ジュラルドは酒瓶を一本避難させつつ、彼らを抑止した。

 残されたシャインはと言うと。ただ呆然と二人を眺めるしか出来ないようだ。


「いざ――」

「勝負といこうかあ!」


 ランダルはテーブルを打ち鳴らし始めた。

 だん、だん、だん、だん、だだん、だん、だだん――と、リズムをつけて。ユーリはそれに合わせて腰を揺さぶり、流れるような仕草で両腕を天へ、艶めかしいポーズを取る。

 力尽きれば負け。

 シャラシャラと巻き付けた金銀のアクセサリーを振り鳴らし、ユーリの腰使いはやがて激しいものへ。上半身は悶えるように揺らぐ。


(この者たちが)


 観客たちもそれに気づき、ざわめき始める。

 再び〈舞姫〉が舞っている、と知れば、見せろ見せろと声が上がる。


(私は兄さんのように国を持たない。けれど、私に任せると言ってくれた)


 ランダルが言う通り、“舞うだけの女”である。

 持つのはこの踊りと、かつての〈舞姫〉より賜った意志と衣装のみ。

 それだけで何ができる。

 いや、それだけで成し遂げてみせる。

 ユーリの心に、いちだんと大きな炎が宿った。


 ――お前たちが戦争をしなければ


 顛末を見届けようとしていたジュラルドの目が、大きく瞠った。


 ――私はカトスにゆくことが出来た

 ――おじさんの病気が進行する前に、そこにゆくことが出来た


 ランダルも顔を上げたが、テーブルを叩く手は緩まない。


 ――私は踊り子・ユーリ

 ――しかしこれは、おじさんにつけてもらった名前

 ――私の、いえ我が名は


 揺れるテーブルから、がしゃがしゃと食器が落ち、破片が飛び散った。

 シャインのものと思われる短刀も落ちたが、驚き、呆然としているシャインは気付いていないようだ。


 ――我が名は、ミュレイア・キング・グランス

 ――お前たちが攻めようとするカトス、そこにいる姫の妹

 ――次に攻めようとするパルティーン、そこを治める王の妹

 ――そして

 ――奪おうとする故郷・グランスへ帰ろうとする、三女であります


 ジュラルドは酒瓶を落とし、椅子を倒して立ち上がった。

 踊り子は鋭い目で、敵である三兄弟を眺めてゆく。


 ――これ以上

 ――我らの家族、大事な人を苦しめると言うのなら


 ランダルはその瞬間、テーブルを叩く手を止めハンマーをテーブルに投げた。

 肩で息を続けているのに対し、ユーリは息一つ上がっていない。


「もう終わり?」


 驚くほど涼しげな声で言うと、足下に転がる短刀を持ち上げた。

 そしてそれを正面に突き出し、三兄弟に向かって対峙する。美しい顔の中に、強い意志が宿っていた。


「……なるほど」


 絞り出すように言ったのは、ジュラルドであった。


「舞ではなく、武でくるのであればどうぞ」

「ぐっ、このアマ――」


 ランダルが再びハンマーを握り締めたが、ジュラルドが腕を掴んで止めさせた。


「兄貴!」

「逆賊に奪われたとはいえ、前におわすはグランス国の姫君だ。手を出せば宣戦布告となり、直ちにパルティーンが動く。そして何より〈舞姫〉となれば、沈黙を保っているホート・イールの部族も黙ってはおるまい」

「ぐッ……! だが、ここで始末しても誰も――」


 いや、とジュラルドは首を振った。


「今、()()()()()()


 ぐるりと周囲を見渡せば、観客はおろか近衛の兵士まで唖然としている。

 その様子からして、武人としての勘が告げたようだ。下手に動けば己の身が危ない――と。


「“炎”を叩けば火の粉が舞い、たちまちこの国を焼き尽くすぞ」

「くそォッ!」


 ハンマーを再び投げ捨て、激昂の叫びを上げるランダル。

 だが怒りはそこで終わらせ、すぐに冷静さを取り戻して兄に詰め寄る。


「ならどうすんだよ! このまま見過ごせってのか!」

「お前は勝負に負けた。彼女の好きなようにさせるしかあるまい」


 そうだろう、と訊ねられ、ユーリは顎を持ち上げた。


「ぐぅぅっ……。そうだ兄貴、こいつを嫁にしちゃどうだ! 俺にくれ、味方にすりゃ敵知らずだ!」

「お前にしては頭が回るが、それはならん。素手で炎を掴むなぞ愚かにもほどがある」


 身を焼かれるぞ、と言えば、構わねえ、と問答が続く。

 諦めきれないのだろう。このまま逃がすってのか、とランダルは食い下がった。


「味方に引き込むのは良案だ。しかしその逆、我らが味方となればいい」

「なに?」

「このミュレイア――いや、我らで〈舞姫〉のユーリと同盟を組むのだ」

「おおお、なるほどな! なら金だな、おい、ありったけの金を――!」


 衛士に呼びかけようとするのを、ジュラルドを止めた。


「火に金をくべても溶けるだけだ」

「じゃあ何を」


 一度顔を伏せ、そして顔を上げてユーリを真っ直ぐ見つめる。


「木に炎を移せば持つことは可能。王女ミュレイアよ、我が弟、シャインをそなたの婿に」


 全員が驚き、仰け反った。

 シャインやランダルだけではない。近衛や前列にいた観客たち、そこから後ろにまで流れ、瞬く間に街中が衝撃に揺らいだ。

 またユーリも目を瞠ったが、国同士の繋がりは婚姻によるものが最も強いことは知っている。王族に生まれた女として、政略結婚は避けられぬ運命(さだめ)だ。望まぬ結婚もあると理解している。

 しかし――ユーリには、デメリットは何一つ感じなかった。


「その申し出、お受け致しましょう」


 ユーリはその場で傅き、そっと頭を垂れたのである。

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