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第4話 放歌高吟の夜を経て

 その頃。ボブは宿の中にて、深く息を吐いていた。

 目の前には赤いベリージャムと、丸いパンが一つ。脂肪に張り出された肌には、大量の汗が浮かんでいた。

 近年まれに見る酷暑だ。太っていても暑さには強い自信があったのに、ここ二週間ほど食欲が湧かないくらいの暑気が襲ってくる。

 麦を煮出した茶だけを飲み干し、ふう、と息を吐いたその時、部屋に小さなノックの音がした。


「おじさんっ」

「ユーリ!?」


 ぴょこっと姿を現したのは、何と萌木色のローブを着たユーリであった。

 供回りはおらず、周囲を見渡していると、


「侍女長は外で待っているって」

「あ、ああ、そうか……」


 ほっと、安堵したボブは、はにかむユーリにここを訪ねた理由を訊ねる。

 するとユーリは少し顔を伏せ、「実は……」と舞踏会での出来事を話し始めた。

 つとつとと話す内容に、ボブは真剣な面持ちで何度も頷く。


「噂に聞いたことがあるだけだから、確たることは言えないけれど……舞踏会は女の戦場と聞くね」

「女の、戦場……?」

「そう。貴族の女性とか、男の人と出会う場は限られている。その主だったものが舞踏会。いかにいい男性を手に入れるか、また男性もいかに目当ての女性を捕まえるか決戦の場、ってね」


 難しいか、と冗談めかすボブであるが、ユーリは真剣に、顎に手をやり思案していた。


「じゃあ、踊る場所じゃないの?」

「踊りも大事だよ。女性も男性も、上手くなきゃ振り向いてもらえないから」


 きっと、ユーリが上手すぎたんだよ。

 そう続けたが、ユーリは「違う」と言いたげに首を振る。


「あの人たち、自分のことばかりで踊りはどうでもよさそうだった」

「うーん……。社交場と聞くし、どうしても色々な思惑が入り交じるんだろうね。しかし深く考えすぎることはないよ」

「私、あのお城の空気がイヤ。胸の中がもやもやするもん」


 大人の世界を感じたのだろう、とボブは考えた。

 類型的なものを好み、欲と嫉妬、足を引っ張り合う世界に住む彼らには、物事を楽しむ余裕がない。ユーリが『楽しい』と思う感情すら受けること、いや欠落している可能性があるのではないか。

 城は不自由な世界と聞いている。

 その時の損得勘定で動く者たちに囲まれ、自由を抑制されたユーリの現状は、不憫だと言う他ない。


「でも、おじさんと会えたからいいやっ」


 ボブと話したことで、ユーリはすっきりしたのだろう。

 ぴょんと腹に飛び乗ると、その肉の感触を確かめるかのように身を預けてきたのだった。


 ◇


 それから一月(ひとつき)二月(ふたつき)――。

 兄・ロレンスと王女メアリーの婚約が決まったことで、より居場所が感じられなくなったのか。ユーリは助けを求めるかのように、頻繁にボブを訪ねてくるようになっていた。


(初めて訪れた時もそうだったけれど、日を空けるたびにユーリは……)


 季節が二つ巡ろうとした時には、ユーリの顔立に成長が現れていた。

 顔から幼さが去り、元より整っていた目鼻立ちは、よりいっそう輪郭をハッキリと存在感を露わにしつつある。特に丸みと鋭角が完璧に整ったアーモンド状の眼は、流し目を送ればたちまち男を射殺(いころ)してしまいそうな、()()()を備える。肌の血色もすこぶる健康的で、艶かしさを醸している。

 城の者も気付いているのだろう。

 念入りにケアされた赤髪も、気品と色香をたたえているのだ。


「ユーリ。向こうでも踊りの練習はしているのかい?」

「ううん。宮廷の踊りばかり」


 きっと〈艶の舞い〉は踊らせてくれないのだろう。

 宿屋の中。ユーリは踊りの型を思い出すように、ゆっくりと身体を泳がせ続ける。


 ――窮屈でつまらない


 ――〈艶の舞い〉は、はしたないから踊ってはいけない、って言われた


 ――あそこに居たくない。色んな大人が男の人と会わせようとする


 そのような不満・不服が踊りから伝わってくる。

 城暮らしには多くの制約が付きまとうもの。今のユーリはまさに“籠の中の鳥”であり、()()()を与えんとするため、更に自由を求めているのだ。

 これには身分の違いを弁えつつも『不憫だ』と思わざるを得なかった。

 そして直後、ボブは配達の仕事の最中に見つけ、考えていたことを口にしていた。


 ◇


「うわああっ!」


 フロム村の中枢広場。

 防寒用のローブを羽織るユーリは、大きく真っ白な息を吐き出していた。

 中央には建国者の彫像がそびえ、設けられた祭壇には色とりどりの献花がされている。そしてそれを取り囲むように、鮮やかな装いに身を包んだ村人が沢山集まっている。

 みな、これから始まる催しが待ちきれない、と浮かれた様子であった。


「ここっ、本当に自由に踊っていいのっ?」

「そうだよ。お城が舞踏会なら村は舞踊祭。この国を作った最初の王様を称えるために、年に一度、大きな祭りをするらしいんだ」


 祭りの始まりは、日の入りを告げる教会の鐘の音。

 厳粛な教会も、この日ばかりは民の期待に応えんとの粋を見せ、陽暮れ前よりも早く、賑やかに、そしてリズミカルに鳴らし始めたのである。


『祭りの始まりだーーっ!』


 村人たちも一斉に、歓喜の声をあげて跳ね回った。

 そして楽器の演奏が始まるや、みな思い思いの踊りを披露し始める。


「わっ、あそこに怖い仮面をつけた人らが踊ってる!」

「あれは魔除けの踊りだね。呪術的なものらしいよ」

「凄い凄いっ! 見たことのない踊りばっかりっ!」


 ユーリは見よう見まねに、彼らの踊りをし始める。

 すると――さすがは〈舞姫〉か、あっという間に自分の踊りへと昇華させると、それを見た周りの者たちが、彼女に合わせて踊り始めるではないか。


 ――みんなも踊ろうよっ!


 ユーリの気持ちが周囲へと、人から人へと伝染してゆく。

 そして瞬く間にユーリの踊りは村全体を巻き込み、


「今年の祭りは例年にないくらい楽しいぞ!」


 と、村人たちのテンションが、みるみる高まってゆくのである。


(やはり、ユーリは凄いな……)


 ボブは勝手にユーリを連れ出したわけではない。

 ロレンスへ秘密裏に手紙を送り、かつての舞踏会より大好きな踊りを封じられ、塞いでいる旨を伝え、ここで身分を隠して踊る許可をちゃんと取っている。

 城の方を眺めれば、藍色の空に小さな赤い光がいくつも浮かんでいる。

 そのどこかに兄は妹の舞台を見ているのだろうか。けっして姿が見えずとも、この賑わいを少しでも知ってくれれば、と胸の中で祈り続けた。


「っと、いかんいかん……」


 ユーリの保護者である以上、目を離してはならない。

 しかし――視線を戻した時には遅く、人の壁に阻まれユーリの姿が見えなくなっていた。


「ユーリ!? ユーリ!?」


 慌てて探したが、人を掻き分けても見当たらない。

 おい、と怒号が投げられても、すみませんと謝りながら掻き分ける。

 どっと村人たちの歓声が上がった時、ボブはそれにつられるように視線を上げた。


「ユーリ!?」


 何と献花台の上に少女・ユーリが立っていたのである。

 着ていたローブをばっと脱ぎ落とすと、ボブは更に驚愕した。

 真っ赤な上衣に、同色の前垂れ。透けたハーレムパンツ――この寒い最中、踊り子の衣装を着ていたのである。

 献花を押しのけ壇上に登ったことではなく、『風邪を引いてしまうじゃないか』とまず思ってしまっていた。


「ひゅーひゅーっ! どこの踊り子見習いだー!」

「いいぞーっ、お嬢ちゃんっ!」


 男たちが色めき、(はや)し立てる。

 ユーリはそれに応じるように両手を広げて応えると、腰を激しく左右に揺り動かし始めた。

 直後――


 ウオォォォォォォォ――ッ!


 地鳴りのような歓声が沸き上がった。 

 まだ大人へ移りかけの少女が、〈艶の舞い〉を披露する違和感をまるで与えない。かつて同行した戦場、その時の兵士の雄叫びを彷彿とさせる歓声だった。

 献花台に上がった少女を下ろさんとしたのだろう。

 離れた場所で衛兵が固まり、口を開いたまま呆然と立ち尽くしている。ボブもまた、彼らと同じである。


 ――貴族なんか大っ嫌いっ!


 抑制されてきた感情が爆発したようであった。

 これが観客に伝わり、あちこちで「そうだーっ!」と声が上がる。


「あんな威張りくさった連中なんざクソくらえ!」

「そうだそうだ! 金と権力しか興味のねえ奴らだ!」


 場は一瞬、決起に近い空気に包まれる。

 だが、


 ――言いたいことを言ってくれた


 ユーリのすっきりとした感情が伝わったため、皆は内なる不満をぶちまけただけで場は納まったようだ。


 ――みんな、踊りを楽しもうっ!


 いちだんと大きな歓声が沸き起こり、祭りはいきなり最高潮を迎えるのだった。

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