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第3話 宮廷の舞踏会(2)

 ユーリの願い叶ったのは、それから一週間後のこと。夏虫の音が賑やぐ日であった。

 パルティーンの軍列はロレンスを先頭に。その中に、今にも倒れそうなほど汗だくになっているボブの姿を見つけると、ユーリは窓から大きく手を振った。


「おじさーんっ」


 おじさんも気付いて手を振り返してくれたけれど、暑くてたまらなくなったのか、隊列から一人、二人と離れ始めたのに併せ、軍服のまま近くの川に飛び込んでいた。

 あっと声をあげた直後――大きな身体が水面に浮かび、ぷかぷか流れ戻されてゆく。また戻って来なきゃいけないのに、と思うと、堪らず噴き出してしまう。

 でも何ともなさそうでよかった。

 ぐんぐん離れてゆくおじさんを眺めていると、突然、背後から短い悲鳴がした。


「みゅ、ミュレイア様ッ、その恰好は何ですか!?」

「ふぇ?」


 踊り子の衣装姿のユーリに、世話役の侍女頭が目を剥いていた。


「そ、そのようなはしたない恰好はお止め下さい! お召し物が、ドレスが用意されていたはずです!」

「ええぇ、あのドレス……?」


 ユーリは少し嫌そうに言う。

 ベッドの上に目を向ければ、浅葱色のドレスがそこにある。

 綺麗かつ豪奢でいて、落ち着いた雰囲気がある。織匠の手によるものだ、とすぐに分かったものの、ヒラヒラとして動きにくそうなのだ。それに見るからにお腹が苦しい。

 何より、ユーリにとって踊りの恰好と言えば、ミラより賜った衣装である。


「これじゃ、ダメ?」

「手打ちを覚悟で申し上げます。ダメでございます! 品位を疑われてしまいます!」


 そこまで言われなければならないのか、と思いながらも、確かに兄や義姉となるメアリー王女の評価を落とすことは避けねばならない。不承不承に着ていた衣装を脱ぎ、用意されていたドレスを手に取った。

 しかし、あまり気乗りしない。


 本来、主賓側はパートナーを連れて披露するのが習わしと言うが、あいにくユーリにはそのような者がいないため、一人で会場へと向かっていた。

 渋々着替えたとは言え、〈舞姫〉であるユーリは浅葱色のドレスを着こなし、しゃなりと身のこなし方まで掴んでいる。案内役の者の後について歩く様は、まさに姫と呼ぶに相応しい。


「ミュレイア姫の御入室です!」


 賑わっていた会場は風が吹き抜ける青田の如く、円柱形の大広間の中は、さぁっと静まっていった。

 そしてその後、徐々に感嘆の声が沸き起こりだす。


「おお……」

「これは何ともお美しい」


 “女の顔”で主賓席へ。その途中、立派な礼装に身を包んだ大人が子供に耳打ちする姿が見える。

 目に入れまいとしても、視界の端でチラチラして少し鬱陶しい。心の中がもやもやするのを感じながら席につく。

 それを見計らったかのように、僅かな間を置いて、


「ロレンス王子とメアリー王女の御入室です!」


 直後――ユーリは目を剥いていた。

 大臣らしき者が告げるや、まるで突風が吹き付けたかのような喝采が起こったのである。

 まず目に飛び込んできたのはメアリー王女。赤に金色の飾り帯をふんだんにあしらわれたドレス姿。

 次に兄。軍服・ぴっちりとした青のサービスドレス姿。更には純白のマントを片側にかけ、それを金色の肩紐で留めている。ボタンもまた金色だ。

 二人はキラキラと輝き、あちこちで焚かれた明るいランプの光を欲しいままにしていた。


(すごく綺麗……)


 羨望の念を押しのけ、そう感じていた。

 負けじと踊りで目立ってやろうと思ったけれど、仲良しな二人の姿を見て、止めた。あまりに愚かな行いだ。


(でも、何だろう。この場所、あまり楽しくならない……)


 踊りは楽しみなのに、あまり乗り気になれない。

 どうしてか。しばらく考えてみるも、原因が分からないまま。

 口を引き結ぶユーリを置いて、大広間には始まりを告げる雅な奏でが響き始める。

 それに合わせて向き合い手を重ねる兄とメアリー王女。

 二人を中心に、年長者や位の高そうな男女ペアが取り囲んだ。


「ふーん……」


 二人が目立つように、周りの者が小さく身体を揺らす程度にステップを踏む。

 メアリー王女はうっとりと、兄も気恥ずかしげに身体を添わせ合う。それはまるで、この世界には自分たちしかいない、と言わんばかりに。

 時々の失敗するけれど、周りがそれを隠すように動いている。

 踊るのは、ナーブル村で教わった基本のステップだ。

 私も早く踊りたいなと思っていると、頭上にすっと、影がかかったことに気付いた。


「ミュレイア王女。私と、踊って頂けませんか?」


 ユーリはきょとんと見上げ続けた。

 白と赤のかっちりとしたスーツに身を包んだ、二十代半ばかと思われる男の人だった。

 顔は格好いい方だと思う。

 やや長い金髪を撫でつけ、花のいい匂い振りまいている。その身なり・眼差しから、踊りに自身があるのだろう、と思い、ユーリは男が差し出してきたその手を取っていた。


『ライカー様よ』

『うぅっ、やはりミュレイア様を選んだかぁ……』

『ミュレイア様は踊りが好きらしいわ。彼は押し並べて踊りが上手だし、仕方ないわ』

『さあて、他の男連中はどうくるかしら』


 立ち上がる際、そのような女たちの会話が聞こえてきた。

 すると他の男たちは、


『くっ、侯爵家は仕方あるまい……!』


 主に年配の男たちが悔しく歯がみする。

 しかしユーリは、この男の人はライカーと言う名で侯爵なんだ、と思うだけだった。


(だけど、この空気は何なんだろう……)


 踊り場の端に立ち、ライカーはさっと正面を向き合うと、巧みに左手を腰の裏へと回し、右手を取った。

 ああそうだった、と思い出しながら右手を取らせる。ライカーを初めとし、周りの者は、『踊りを知らないのだろう』と言う目を向けていることに気付き、ユーリはかちんときた。――そのため、気取った男がリードしていたのは、踊りの一通りの動きを終えるまでである。


「ほ、ほう、ミュレイア様は踊りのセンスがある」

「ありがとうございます」


 冷たい物言いであったが、ライカーはそれにぐっと鍔を呑み込んだのが分かった。

 女の表情。周囲の者の顔を参考に、淑やかかつ落ち着いたものにしている。

 社交の踊りは何とも堅苦しい。

 けれど、その中にも楽しさはある。ユーリは夢中になり始めると同時に、ライカーからリードを奪い、いつの間にか、完全に主導権を握っていたのだった。


「ユーリ、素敵よ!」

「そう言えば、ユーリは踊りが好きだったな!」

「はいっ」


 いつの間にか、ロレンスとメアリーが横に。

 楽しそうな二人の言葉に、妹は満面の笑みを浮かべていた。

 しかしこの三人は気付いていなかった。主役のお株を奪い、取り巻く者たちが青ざめていることに――。


『何ということだ……』

『ライカー様が、手玉に取られてる……』

『誰か、引き離さぬか……!』


 様々な会話が聞こえ、ライカーを見ると、彼はスーツに負けないくらい蒼白になっていた。

 踊り場から出たいのだ、とその時になって分かり、導かれるまま、周囲に望まれるまま外へと出た。


「あ、ありがとうございました」


 ぜえぜえと肩で息をしながら、ライカーは礼を述べた。


「こちらこそ――」

「も、申し訳ありません。少々急用を思い出してしまいました!」


 言い終わるより前に翻り、あっという間に大広間から出て行ってしまったのである。


(何なの)


 もう、と悪態をつく。


(ま、面白くなかったからいいか)


 次を待とう。そう思って席に座ったものの、待てども待てども、踊り場に向かうのは他の女たちばかり。ユーリの下へ来るものは誰一人とておらず、周囲に目を配れば、それに気付いた男たちが一斉に目を伏せる。

 席に戻った兄に目を向けるが、メアリー王女に汗を拭ってもらっている。


 このあと結局、誰もユーリをエスコートする者は現れなかった。


 ◇


 ふてくされるユーリは、後日、理由を知る。


『ご子息に先陣を切らせなくて正解でしたな、大恥をかくところでした』

『いやはや、息子がいっていたら今頃、我々一家、首をくくっておりますぞ』

『首を取られたライカーはいい気味だ。図に乗っておったからな』


 帰りがけ、男たちがそう会話しているのを聞いたのだ。

 エスコートに来なかったのは、自分たちが恥をかくから。

 そんな小さなプライドのせいで踊れなかったことに腹立たしさを覚えていると、今度は、貴族の女たちの様子もおかしいことに気付く。


『お、ほほほ……少々急いでいるので失礼します』


 これまでとはうって変わり、みな、ユーリを避けるようにして逃げてゆくのである。

 まるで、舞踏会が楽しくなかったかのように。


(あれ?)


 部屋の中をうろうろしていたユーリは、その時、ぴたりと足を止めた。


(ミラ姐さんは『〈舞姫〉の踊りは感情が伝わる。それを念頭に置いて踊りなさい』と言っていたけれど)


 どうしてだろう? 腕を組み、考えてみる。

 しかし、身体を傾け、くの字に曲げても答えはでない。

 あの舞踏会で『楽しい』と思っていたのは、兄とメアリー王女だけに感じる。


「うーん……? ボブおじさんなら、知っているかなあ」


 外はまだまだ明るい。

 ユーリは部屋にあったフードつきのローブを手に取ると、侍女頭を呼びつけていた。

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