第3話 さよならと三兄弟
「末恐ろしいわ、この子……」
しょんぼりと小さくなるユーリの横で、マイヤがしきりに感心していた。
テーブルの上には金貨と銀貨がたくさん入った袋、そしてその中にはもう一つ、
「まさか、ピンポイントで金と通行証を持ってる奴を仕留めるなんてね」
「ですが、それとなると、持ち主はかなりの……」
ボブがおずおずと訊ねると、マイヤは頷き、「大丈夫よ」と悪辣に微笑んだ。
「気前よく女に金を渡し、後で返せなんて言うほどダサいものはないわ。それが権力者なら尚更ね。『寝た女に金を盗られた』と吹聴するのもいるけど、そこは微笑みを浮かべ、ありがたく頂戴しておくのが遊女の筋ってものよ」
だから大丈夫よ。そう言ってユーリを元気づけた。
部屋にいないことを知り、慌てふためくボブの姿。戻ってから手に感じる金貨の重みが罪悪感を与え、怖くなっていたのだ。
表情が和らいだのを見て、マイヤは言い募った。
「だけど、厄介ごとになる前に、ここを発った方がいいかもね。――ボブさん、道は分かる?」
「ええ。地図も得てますし、行商人から安全な経路を訊ねてあります」
「さっすが配達人! この先、ユーリのこと頼んだわよ」
二人の横で、ユーリは「え……」と声をあげていた。
「ユーリ。私たちはここでお別れなの」
「なん、で……」
「本当はパルティーンまで行きたかったけどね。結構ヤバい情報を耳にしすぎちゃったのよ」
情報とは蛇の如き執念を呼ぶ、恐ろしい呪いにもなる。
安全な道にするには、ここで別れるしかない。
優しく諭されたユーリは唇を噛み、目元に涙を浮かべた。
「その恰好でそんな顔してたら、ミラ姐に、怒られるよ」
そう言うマイヤの声も震えていた。
ほら、とハンカチでユーリの涙を吸い、そっと頭を撫でてやる。
ミラが遺した衣装のまま。名前を出されると、ユーリも涙をぐっと堪えた。
「初めて会ってから、半年、九ヶ月くらいか。短い間に、随分と大人の顔つきなったわね」
腰を落とし、いいこと、と両手でユーリの顔を持ち上げた。
「目的を果たし、笑顔で帰ってきなさい」
「マイヤ、姉さん……う、うぅ……」
その時は、すっかり大人の女になってるわね、とユーリを胸の中に抱きしめた。
彼女も涙を落とし、妹の頭をそっと撫でてやり、それから顔を上げてボブを真っ直ぐに見据えた。
――くれぐれも、ユーリを
ボブは無言で大きく頷き、ぐっと拳を握り絞めて応えていた。
◇
一方、この日の夜更け――。
トラムコの中心街・商業区の外れにある大きな宿屋の中では、大きく筋肉質な男が豪快に笑っていた。
「うわっはっはっはっ! お前、踊り子に有り金すべて取られただってえッ? いいぞいいぞシャインッ、さっそく遊びの醍醐味を覚えたとは、さすが俺の弟ッ! 男はそのような失敗を積み重ねてこそだッ!」
「と、取られたのではなく……!」
シャインと呼ばれたのは、先ほどの黒髪の少年であった。
筋肉質な男に食い下がるのを見て、バンバンと肩を叩く。
「なんでえ、じゃあ自分から全部差し出しちまったのか?」
「う……」
「そーか、そーかっ! ま、それくらい渡したんなら、イチモツくらいしごいてもらったろ?」
「ら、ランダル兄さん!?」
「なに? 何もせず、踊りだけ見て終わりかァ? おい、どこの踊り子だ? マーサか、いやガキすら虜にするとなりゃ、ファラか?」
ランダルと呼ばれた筋肉質の男は、今から捕まえに行かんと丸い椅子を鳴らして立ち上がった。
上半身は裸。白い動物の毛皮のジャケットを羽織る蛮族のようないでたちで、立ち上がると、巨人のように大きく濃い影をテーブルに落とした。
「ランダル。座れ」
すると、シャインの横に座っていた男・痩せ型の黒い長髪の男が、静かに告げた。
「しかしよお、ジェラルド」
「座れと言っている」
鋭い目つきで言われ、ランダルは口を結び、どすんと椅子に座った。
そしてテーブルの上に頬杖をつきながら、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「シャインを男にするため、ここに来たんだ。――なのに金だけ持ってオサラバはあんまりだぜ。いや、それも一興だがよ」
「それはお前だけだ。シャインは我々二人よりも聡く、金の使い方も知っている。それを惑わしたほどなのだから、まずここは相手を称えるべきだろう」
「まぁ、そうだけどよ……」
ランダルは顔を赤くしたシャインを見て、「まさか」と声を上げた。
「おめえ、踊り子に惚れたってのか?」
「えっ、い、いい、いや!?」
なんでえ、なんでえ、と肩に太い腕を回し、わしわしとシャインの頭を掻く。
悲鳴をあげてもがくが、上機嫌なランダルを振りほどくことは出来ない。
「惚れれば一夜の情。戦う男の生き様、ちゃんと分かってんじゃねえかよぉ! それでこそ男ってモンだ! 大人しい音楽好きの坊ちゃんかと思っていたが、お兄ちゃんは嬉しいぞーッ!」
「い、痛い、痛いよ!?」
やっと解放されたシャインの頭は、ボサボサになっていた。
ジェラルドは呆れたように息を吐くと、しかし、とシャインを見据えた。
「通行証まで渡したのは問題だな」
「う……」
「どうして渡したのだ」
詰問するような口ぶりに、ランダルは「兄貴い……」と諫めに入る。
しかし、ジェラルドは手を前にそれを抑止した。
「何か事情があったのか?」
「それは……」
シャインは包み隠さず打ち明けた。
路地を迷い、たまたま出くわした真っ赤な衣装を着た踊り子――足を止め、見入ってしまうほどの舞いだった。
ふと、頭の中に『お金と通行証を欲している』と浮かび、気がついたら金貨袋を持ち上げていたのだという。
「女の子は何も分かっていない様子でしたが、その、手をこうされて……」
筒状にした手を上下に振る。
その様を見たランダルは笑い転げたが、ジェラルドは冷静に「女の子」と繰り返す。
「年は?」
「え、えぇっと、僕と同じくらいか、少し下かも……」
ふむ、と顎に手をやり、しばらく思案に耽った。
「我々、王族用の通行証なら、関門で止められる――しかし渡して正解だったかもしれん」
「俺は止めるべきだと思うぜ。我々フォーレス三兄弟の三男・〈シャイン・ナン・フォーレス〉を手玉に取ったんだ。どんな女か拝んでみてえ」
武人を匂わせる笑みを浮かべるランダルに、ジェラルドは薄く唇を持ち上げた。
「ミルバールはこれからも進撃を続ける。それがここに心を置いてゆかぬのならば、いつか我々の敵として相まみえるであろう」




