第1話 娼婦をお届け
【グランスの兵がホート・イールの部族を刺激し、悶着を起こした】
このような噂が口々に語られ、グランス国内で大きな混乱が生じているようだ。
ボブたちはこれに乗じてホート・イールの街を離れ、ユーリの兄が潜むパルティーンへと向かうことが決定したのは、事件の悲しみも明けきれぬ、五日後の朝のことであった。
馬車は娼館の出稼ぎ馬車を使用するため、怪しまれぬようマイヤたち娼婦数名が旅に同行する。これは惜別の情に駆られるユーリを促す目的もあるらしく、馬車に乗り、出発まで実にスムーズに進んだ。
突として決まったにしては、完璧な差配である
既に打ち合わせていたのだろう。しかしどこからなのか、ボブはまるで検討がつかなかった。
「進路は西。ミルバールの南端、国境付近を掠めて通るのですか……」
馬車の中。街を出てからすぐ、ボブは地図を広げながら唸った。
ミルバール領内の国境線ぎりぎりを、十日かけて抜けねばならないのだ。
「大丈夫だって。私たちも何度か通っているから安心しなよ。――て、てか、くくっ」
マイヤは笑いを噛み殺したように、ボブを見た。
いつもの黒い丈長の服ではない。長い茶色のかつらに、あろうことか派手な女物のドレスに身を包んでいるのである。
「ま、マザーに、そ、そっく、くくく……っ!」
「い、言うんじゃないよ……!」
女たちは肩を揺らしていたが、ついに堪え切れず、腹を抱えて大きな声で笑い始めた。
あくまで娼館の使いとしての馬車のため、娼館の主であるマザー・シンクに扮して向かうこと必要があるのだ。体型が似ているだけと思っていたボブだったが、化粧をすれば二度見してしまうほど、彼女にそっくりなのだ。
それは沈んでいたユーリの顔にも、ぱっと花が咲くほど。心地悪いが、この子が笑ってくれるならば、と思うことにしていた。
ミルバールの国は欲しいまま領土を広げ、今は下三角の形をしている。
その先端・トラムコに入ろうかとした時、ボブたちの馬車を止める一団の姿があった。
「お前たちどこに行く気だ」
厚手のローブで隠れているが、グランスの兵だと分かった。その声と表情には余裕の色がなく、戸惑いが感じられる。
覗き込む兵士に対し、馬車の中央に座るボブは斜めに、横にも大きな身体でユーリを隠すように座り直す。大げさな動きであったが、兵士はその挙動よりも見た目にぎょっと目を瞠っていた。
「な、何だこのおぞましいものは……」
「後で首ハネられても知らないよ。この方は、ホート・イールで一番の娼館〈踊る猫〉の主、マザー・シンクだよ」
マイヤの自然な紹介に、ボブはすっと胸を張った。
その名前はグランスにも知れ渡っているのだろう、
「ほ、ホート・イールの……!?」
と、兵士は狼狽え、二歩ほど後ろに引き下がったのである。
その仲間も同様。いったい何の目的で、と訊ねるのが精一杯のようだ。
これにもマイヤが、得意げに顎を上げた。
「近々、大きな戦があるって聞いてね。死人が金を持っていてもしょうがないし、それを頂戴しに、その下見にきたわけ」
兵士が顎を引いた。「なかなか、商売上手なようだ」
「兵士さんたちも堪能してみる? あたしたちナカナカよー?」
マイヤは妖艶な目を向けながら、筒状にした手・小指を立てて上下に動かすと、兵士たちはごくりと鍔を呑み込んだ。
しかしここは敵地。領土を侵犯している状態で、女を味わうほどの胆力を備えていない。兵士は頭を振り、まるで犬を追い払うように手をはらった。
「ご苦労さまー」
明るい声を残して馬車は再び動き出す。
中では途端に、ふふん、と得意げな表情へと変わったマイヤに、ボブとユーリは呆気にとられていた。普段とはまるで想像もつかない姿だったからである。
「あたしだって働いて八年近くよ。男を手玉にとる術くらい心得ているわ」
「ほー……」
感心するボブの横で、ユーリは手を筒状にし、
「どうして、こうするだけで男の人を――」
「わーっ!? あんたはまだ早いっ!?」
慌てて止めに入るマイヤの姿は、普段通りのもの。
周りの女たちも、「ユーリには敵わないわね」と、その光景を微笑ましく眺めている。