第9話 意志を託して
ホート・イールの治安部隊が娼館に押しかけたのは、その直後のこと。
剣戟が繰り広げられ、悲鳴が一つ、二つ……やがて、それが治まり、多くの人の出入りが感じられた。
ボブの下に『もう出てきていいぞ』と声がしたのは、それからしばらくしてから。眩しさに細めた目に映ったのは、かつての白装束の男であった。
男の名は〈アミール・サラム・サフィール〉――ホート・イールの周辺を束ねる部族の長、実質的なこの地の支配者であった。
そして、娼館のロビーではユーリの大きな泣き声が響いた。
「うあ゛あぁぁぁぁぁぁぁん――っ!」
「ユーリ、あの子はもう、立ってるのもやっとだったのさ……。ユーリのために最後の舞台を踏ませて欲しい、踊り子として死なせて欲しい、これはミラ自ら望んだことなんだ……」
マザー・シンクの言葉に、他の娼婦たちも憚らず咽び泣く。
ユーリは最初、大きな存在が倒れた現実を受け入れず、まさか、と呆然としているだけだった。
しかし、彼女の亡骸が離れた廊下の上に置かれた時、初めて“死”を実感したらしい。目に大粒の涙が浮かぶと、身体を震わせ、大きな声をあげて泣き始めたのである。
遺体は、同じく〈黒膚病〉を患った四人の女たちの手で清められた。
大半を真っ黒に染め、顔に至っては殆どが浸食されている。腐敗臭を厭わず、慈しむような手で戸板の上に乗せる彼女らもまた、肩を震わせていた。
ミラは倒れるまで〈舞姫〉だった。
それを証明するかのように、彼女の遺体は高潔さに満ちていた。
「う゛っ、う゛ぅ……み、ら゛ねえ……」
マイヤは顔を歪めながら、奥に運ばれてゆくミラを見送る。
ユーリもまた、マザー・シンクに促され、嗚咽でしゃくりあげ続けながら師を見送っていた。
◇
「グランスの手先はすべて始末した」
顛末を見届けたアミールは、去り際、ボブの手に紙切れをそっと忍ばせた。
【パルティーン国・フロム村。合い言葉:故郷】
捕らえた兵の中に数名、前国王派の者が紛れていたと話す。
これはきっと、落ち延びたユーリの兄の居所と、接触する方法だ。
「それで、彼らは……?」
「味方は多い方がいい。彼らは捕虜として、グランスと交渉する」
「それを聞いて安心しました。しかしどうして、部族を束ねるあなたが……」
「我々は財宝に目がなくてね」
小さく肩をすくめ、口に笑みを浮かべた。
「少しばかり血気盛んであるが、〈舞姫〉を敵に回すほど愚かではない。磨けば更なる宝珠となる。それを眺める側に守るか、奪おうとして腕を落とされる愚か者になるか。この判断を誤る者は上に立てんよ」
宝珠と呼ばれたユーリは、マザー・シンクに腕を回しながら、師であったミラが消えた廊下の先をじっと見つめている。
その表情は決意めいており、涙はもう流れていない。
意志を継ぐ。充血した赤い眼は、赤黒い炎を称えているようにも見えた。
◇
翌日。ミラの葬儀がしめやかに執り行われた。
娼婦が死んだ場合、神父の御言葉もなく荷車に棺に乗せ、教会の墓地に運び込まれるのが習わしである。
しかしこの日、たまたま、かつて彼女を知る神父が店を訪れ、そしてそこに、たまたま、客であった者たちが忍んだ。
棺の蓋には珍しくガラス張りの窓がついていて、女たちは棺に手をかけ、何年ぶりかに見る同僚、恩師の顔を拝んだ。
死に装束は踊り子の衣装。その思い出深い姿に、誰もが棺の上に大粒の涙を零し、咽び泣き続けた。
事件のあった日、ボブが『ゴミ捨て用』と言われて掘っていた穴は、実は彼女を埋葬するためのものと知る。
身を清めた女たち四名も、その後、後を追うように服毒・殉死したらしい。やけに大きいと思っていたのはそのため――〈舞姫〉周辺を固めるように四つの棺が並ぶ。
「ライラ、セレン、マリアム、ラナ……四人はミラ姐の後ろで踊る、盛り立て役だったんだ」
残された娼婦たちとユーリが火を投げ込み、灰色の煙は天へと舞い上がっていった――。