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第7話 踊り子の報酬

 意味が分かっていないのは、唯一、ユーリだけであった。


「私売ってないよ?」


 きょとんとした顔で返されると、少年・シンは答えに窮してしまう。

 喘ぐような声をあげ、じっと赤い絨毯を見つめる。重い沈黙が落ちたが、それに耐えかねたようにマイヤが口を開いた。


「シン、あんたの気持ちは分からないでもないよ。けれど、ユーリはそう言うんじゃないんだよ。――と言うかそのお金、どこから持って来たのさ」

「そ、それは……」


 手に握られている金貨袋は、大きく水滴状に膨らみ垂れている。仮にすべてが最も価値の低いくず銅貨であったとしても、子供が働いて得られるような量ではない。

 まさか、とボブは危惧した。

 すると入り口に三度、また慌てて駆け入る者の姿があった。それは一人ではなく、もう一人、遅れてやって来る。


「し、シン!」「思い留まるのよ……!」


 一人は中年の男、もう一人は色白い中年女性だった。

 息も絶え絶えに飛び入って来たが、握り締められた金貨袋を目に、どちらも「あっ」と声をあげた。


「と、父ちゃん、母ちゃん……!」

「お前は、な、何をしたのか分かっているのか!」

「店のお金を持ち出すなんて……!」


 怒りと哀れみのどちらを現してよいのか、分からぬ様子である。

 しかし、ボブは不安が的中した。マイヤもまた同じことを考えていたのか、青ざめ、口を半開きにしたまま固まっている。


「シンッ、あんた何て馬鹿なことを! この街ではね、盗んだ金で遊女を買おうとすれば、厳しい沙汰が下るんだよ!」


 そう叫ぶマイヤに、シンは「え……」と、呆然と大人たちを眺めていた。嘘ではない、そうと悟った瞬間、少年の手から金貨袋が落ち、重く乾いた金属の音が響く。

 知らなかった、では済まされない。それは身内であっても容赦がなく、見逃した場合、店にも重い罰が与えられるものだ。忍びなくとも、衛兵に突き出さねばならない。

 父親が足を踏み鳴らし、今にも泣き出しそうなシンに向かって腕を上げた、まさにその時――


『待たれよ』


 背後から止める声がした。落ち着き払い、よく通る声だった。

 一同、目を向けるとそこに、


「そうと決めつけるには早計であろう」


 先ほど入ってきた白装束の男が、マザー・シンクを伴って立っていたのである。

 厳めしい顔つきであるが、聡明さを感じさせる。しかし先ほど出くわした時とは違い、並々ならぬ空気を発していた。

 黒々とした髭を撫でつけ、強張る少年と、はらはら顔のユーリの両名に目を配る。


「――マザー・シンクよ。童女を店に上げるのは許されておらぬはず」


 顔を横に、遅れてやってきた巨漢の女に訊ねた。


「めっそうもない。あの子はうちで預かっている、下女でありますさ」


 あっ。声をあげたのは、ボブとマイヤであった。

 法にあるのは『娼婦を買った、買おうとした場合』のみ。特にユーリは『売り物じゃない』と返事をしたため、それが適用されないのは明白だった。

 男は納得したように顎を引くと、視線を再びシンに向けた。


「少年よ。金を持ち、あの少女に何を求めた?」

「え、えっと、その……」


 男は答えを待たず、続けてユーリに目を向けた。


「童女よ。そなたは何が出来る?」

「何が――?」


 水を向けられたユーリであるが、威圧感をものとしていなかった。

 可愛らしい仕草で小首を傾げると、


「私、踊りが出来るっ!」

「ほう。――ならばここで踊り、それを証明してみせよ」


 一瞬訊ねる顔をしたが、答えを聞く前に「うんっ」と明るく頷く。

 何を踊るのか考えているのだろう。顎に指をやり考える仕草をしたかと思うと、腰を捻り、さっと両腕を広げた。


「……♪」


 大きく回した腕を前に、伴って腰をくねくねと左右に。

 捻るように絡ませた腕をは再び、大きく横に円を描くと、膝も波打つように滑らかに上下に揺らぐ。


(こ、これが、ユーリなのか……?)


 その場にいる全員が、横顔を見るだけのボブは、愕然としていた。

 普段の幼い顔立ちとはまるで違う。真剣そのものの中に、妖艶な女の顔が見え隠れしているではないか。

 チュニックシャツでは色香がないが、柔らかくくねる踊りだけでも十分すぎるほどの情を与える。


 ――楽しいっ


 上手く踊れているのだろう。

 その感情が、艶めかしさを中和していた。


「なるほど」


 男は右手を挙げ、踊りを止めさせた。

 同時に周りの者たちも、思い出したように大きく息を吐く。

 しかし、ユーリは不満に頬を膨らませ、男は「申し訳ない」と顔を苦くした。


「さて少年よ。君はこの童女の踊りを見て、心を奪われてしまったのだね」

「え……」

「奪われた心を取り戻すべく、その対価を支払いたくなったのだろう。――しかし、その値が分からない」


 意図が分からず、ただじっと見上げるだけのシン。

 すると横から、父親が膝をついた。


「さ、左様でございます! せがれは最近、世間(そと)を知り始めたばかりで、物の価値というものをまるで――!」

「そのようだな。この舞いを前にすれば、ありったけの金を持ち出すのも無理はない」


 ああ、なるほど。

 ボブは納得し、棒立ちのユーリの傍に歩み寄った。その場で腰を落とし、シンに向かって指を差す。


「ユーリ。あの子から、踊りを見せた“お代”をもらっておいで」

「え? “お代”って――」

「おじさんは荷物は運んでお金を貰っているだろう? ユーリも同じで、ここで働いている。店の中で踊りを見せたのなら、その代金を貰わなきゃならない。それが仕事と言うものだ」


 んー、としばらく考えたのち、やがて得心したのか笑みを浮かべて頷いた。

 とてとて、とシンの傍へ。しゃがんで足下の金貨袋を広げると、選った中からくず銅貨を一枚、取りだした。


「何と欲のない子だ」


 男の優しい言葉に、場は安堵に包まれた。


「もっと多く社会を知ってから、ここに来るといい」


 シンの頭を撫でながら脇を抜けると、そのまま真っ直ぐ、娼館の出口に向かう。

 そして、店を出る間際、振り返ってユーリに引き締めた顔を向けた。


「〈舞姫〉の存在。しかと――」

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