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第1話 託された荷

 初夏の日差しが振り落ち、青い泉の水面がきらきらと輝く。

 その畔にとてもよく太った男が座り、パンを手にした恰好のまま顔を上げた。

 長く連なる城壁、その向こうがやけに賑やかなのだ。


(夏祭りはまだだよな? マックばーさんの店ではここまで賑わわないし)


 短く切り揃えた黒髪。身長は百八十センチ近く、横幅は人の一・五倍ほどの大きな図体をしているが、丸々とした顔と垂れた目のせいか柔和な印象を与える。手もまた相応に、握られているパンと見分けがつかないほど大きい。

 男はそれをペロリと食べきると、ああそうか、と手を叩いた。


「末の姫様の誕生祭か!」


 確か夏の早月生まれだ。

 そうと思い出せば、こりゃあいかんと慌てて立ち上がった。


「ご馳走を食いっぱぐれちまう!」


 傍らに置いた大きなリュックを背負い、城に向かっていそいそと歩き始めた。

 王は子煩悩で、祝いごとも盛大に行われる。

 こと王女の誕生祭に関しては別格だった。

 振る舞われる料理はすべて無料、庶民では到底味わえないような料理も沢山並び、特に王女が好んでいるらしい、ベリーをふんだんに使ったタルトは最高の口直しだ。

 丸焼き鳥の甘辛ソースから食べようか。牛のスパイシー串から食べようか。いや今年はまず、タルタルソースがたっぷり乗った白身魚のフライにしよう。

 それならば東門の方が近い――男はご馳走の口をしながら、どすどす、太く大きな足を踏み鳴らした。


 やや進むと、立ち並ぶ木々の間から東門が覗く。

 その時であった。遠い道の向こうから、駆け向かってくる人の姿が。銅色(あかがねいろ)ローブで身を包み、胸の前で何かを大事そうに抱えている。更にその後ろから、小さな点が二つ、現れる。


(まさか、賊にでも追われているのか)


 男は、慌てて近くの茂みに身を隠した。

 情けないが、喧嘩や争いごとなどしたことがない。息を潜めて様子を窺う。


「――きゃあああっ」


 逃げていたのは女であった。

 突然、悲鳴とともに地面に転げ、抱えていたものが放り出された。

 それはごろんと一回転、飛び出た四肢に男は瞠目した。なんとフードを目深に被った、まだ幼い女の子だったのである。

 逃げていた女の足には、縄の両端におもりをくくりつけた投擲具・ボーラが絡みついていた。しかし女はそのまま、己の使命だと言いたげに、幼子の下へと這ってゆく。

 追っていたのは、鈍色の鎖帷子に青いサーコート。ここ・グランス国の兵士であった。

 手に長剣を握り、女が幼子に到達したころにはもう、背後まで迫っていた。


(ど、どうしよう……っ)


 太った男は、草むらの中でおろおろと。

 兵士が追うのは罪を犯した者だけ。なのにどうして、己の目には逆に映る。

 女は幼子に覆い被さった。

 しかし兵士は慈悲すら見せず、二人まとめて貫かんと剣を高々と持ち上げる。幼子は気取ったのか、声をあげて泣き出した。

 その瞬間――


「うわああああああ――ッ」


 男はリュックにあったフライパンを握り締め、飛び出していた。

 兵士が、何だと気付いた時はもう遅く。フライパンが思い切り、ぶうんと振り抜かれたあとであった。

 直後。もう一人・背後の兵士が剣を突き入れたものの、背負うリュックがそれを防ぐ。直後、男は身体を勢いよくひねった。


「うわああああッ!」


 振り返りぎわの一撃。

 がぁん、と高い音が道に響く。

 兵士は小さく呻き、そのまま真後ろへ倒れた。


(や、やってしまった……)


 大の字の兵士の前で、男はぜいぜいと肩で大きく息をし続ける。

 幼子の泣き声は驚き止み、覆い被さっていた女も呆然と、太った男の背中を見つめている。

 しかし、女は背負うリュックに刺繍された〈ボブの配達屋〉との文字を認めるや、あっ、と声をあげた。


「――まさか、ボブ・ブラウン様ですか!」

「え?」


 振り返り見ると、ボブと呼ばれた男は驚き声を上げた。


「ま、マーセさん!?」


 ボブは配達屋の仕事をしていた。

 ごくたまに王城への品を頼まれることがあり、その際、応対にあたってくれたメイドが、目の前にいるその者だったのだ。


「ど、どうしてこんな、いえ……」


 ボブは幼子に目を向けた。

 マーセと同じ銅色のローブを着ているが、庶民のそれとは思えない。外れたフードから現れる赤髪、涙で濡れたとび色の瞳は宝石のようである。庶民でも一目で、ただならぬ存在だ、と気付く。

 しかし、マーセは説明する間もなく、


「貴方ならば……ッ! この子を連れ、国を離れてくださいッ!」

「え……?」


 幼子を押しつけるようにボブに託す。

 そしてローブの中から熊のぬいぐるみを取り出し、それを幼子に握らせた。


「ミュレイア様。このぬいぐるみが、いつかきっと貴女の力になってくれます……っ! それまで絶対に、手離さず……ッ!」

「まーせ……」


 まだ上手く喋れないのか、たどたどしくメイドの名を呼ぶ。

 マーセはその言葉に首を振り、小さな手を握りしめた。


「私はここまでです。どうか、どうかご無事で……」


 目には大粒の涙が、今にも零れ落ちようとしている。


「ボブ様、どうかミュレイア様を!」


 その言葉と同時に、マーセは城下町に繋がる大通りの方へと走り始めた。

 行け、との意味である。

 ボブはほぼ反射的に、幼子を胸に抱え、城から離れる道を駆け出した。


(ミュレイア、ミュレイア……)


 耳の中で、どっ、どっ、どっ、と血液が走る音がしている。

 その名前に覚えがあったが、ボブは思い出せない。

 あっ、と思い出せたのは、背後の騒がしさがしなくなった頃のこと。


 ――ミュレイア・キング・グランス


 それは、国王の末娘・第三王女の名だったのである。

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