210 左利き
「わたしの彼は…」ときたら、次に来るのは「パイロット」? それとも「左利き」? それで年代がわかりそうね。今だと何になるのかしら?
というわけで、今日は「左利き」のお話だよ! とか「まんが はじめて物語」的に強引に始めてみた。
シュガーが歌ってたED曲「たまご」、好きだったなぁ。
それはともかく、左利きね。
昔は「ぎっちょ」って言ってたけど、今は言わないみたい。
差別用語なのかな?
あたしの友達にも何人か左利きの人がいるし、職場にもいる。
テレビとか見てても、若い芸能人には左利きが結構いるなぁという印象。
あたしが子供の頃だと、左利きは「矯正」といって、右手を使えるよう強制されてた。
そういう年代の友人には、「右利きの人も左手を使えるよう矯正してやりたい」とか恨み節全開の人もいる。
彼女は「矯正」って言葉が嫌だったらしい。「左利きは間違ってる」と言われてる気分なんだろうね。
まぁね、気持ちはわからなくもないのよ。
あたしもいろんなとこでマイノリティだから、圧倒的マジョリティな人達から無意識の迫害めいたものを受けることはあるし。
ただねぇ…
マイノリティが苦労するのは、ある程度は仕方ないことではあるのよねぇ。
善し悪しはともかく、リソースを考えれば、なんでもかんでも“平等”にはできないよね。
たとえば、左利きの人が困る例としてよく出てくる自動改札。
構造上、左右どちらの手でもOKってわけにはいかないけど、じゃあ左利き専用レーンを作っても効率悪いよね。
4レーンの改札のうち1か所が左利き専用だったとして、左利きの人はどんなに左利き専用レーンが混んでいても、絶対にそこしか使わない?
たぶん、混んでたら右利き用のレーンも使うよね。
「もっと左利き専用レーンを作ってほしい」とか言いながら、ず~っと左利き専用レーンに並んでたりしないよね。
早く改札を抜けるために、敢えて右利き用のレーンを使う人がかなり出ると思う。
だったら、多少不便でも、右利き用レーンを使う気はあるってことでしょ?
マイノリティが我慢しなきゃならないのは気に入らないって言ったって、リソースには限りがあるんだってば。
絶対数が少ないってことは、作っても利益が見込めないってことだから、資本主義においては軽視されても仕方ないのよ。
あと、学校の教室は、右利きの人が自分の手の影で字が見えにくくならないよう、窓が左側にしかないんだそう。
これも、多数決的に決まってる構造よね。
もちろん、ユニバーサルデザインみたいな“左右どちらでも可”みたいなのはいいビジネスチャンスだと思うし、どんどんやってほしいと思うよ。
あたしは、幼稚園から高校までずっとクラスで一番背が低い子で、中学入学の時は小柄すぎて普通に売ってる制服では手首が全部隠れちゃうので、特別に小さいのを取り寄せた。
人並み外れて大きかったり小さかったりする体格用の服飾関係は、極端に品薄なの。だって、作っても買う人がほとんどいないんだもの。4Lとか専門に扱うお店があるのは、人並み外れて大きい人が増えてきたからだよね。
でも3Sとかって聞かないでしょ? そっちは需要ないんだよ。
マイノリティって、そういうことでしょ?
商売やってる人に、「売れなくていいから作れ」とか言うのは暴論よ。
障害者用の補助設備は、成熟した社会としては必要なものと言えるし、行政が手を入れていくことは必要だと思うけど。
民間企業に、「自腹でマイノリティに奉仕しろ」とは、なかなか言えないよねぇ。
こんなことを言ってると、あたしがマイノリティ切り捨て主義者みたいに見えるかもしれないけど、そんなことはないのよ?
かなり割り切りのいい方だし、極端な人間でもあるってことは自分でも認めるけどね。
あたしは、右利き。幼い頃から、そう。
でも、あたしは左手で普通のはさみを使えるし、箸も使えるし、なんなら字だって書ける。
全部右手より二、三段落ちるけど。
ちなみに、自動改札は、左手で定期券持って通る。
だって、利き手の右手には、傘やバッグを持ってるもの。
あたしは、軽い定期券をわざわざ利き手で持つ意味がわからない。
自動改札にタッチするくらい、利き手である必要ないでしょ?
え、体の反対側に手を伸ばす程度が苦痛なの? スペシウム光線できないじゃない!
まぁ、そういう意味でも、あたしはマイノリティなのかもしれないわね。
あたしが小4くらいの頃、父さんが右手を怪我して、左手で箸を使ってたことがあった。
なんでも、右手がダメになっても平気なように訓練してたってことで、「なるほど!」と感激したあたしは、練習するようになり、結果、左手で箸を使えるようになった。
豆腐だってつかめるよ。
笑えることに、当時は右手での箸の持ち方は自己流で、後で練習した左手の方がきちんとした持ち方だった。中学の頃、右手の持ち方も矯正したけど。
翼が小さい頃は、箸の訓練を兼ねて、ひよこまめ(豆粒サイズのプラスチック製のひよこ)を箸でつまんで移動させるというゲームをやった。
そういうセットがあったのよ。
ハンデとして、あたしは左手でやったけど、それでも圧勝するんで、手加減する必要があった。
まぁ、左手に力がないのはいかんともしがたく、魚の身をほぐすとか、ちょっと固めのものを箸で切るとかはできないんだけどね。
ハンダごてだって、状況次第では左手で使うし、家の鍵開けるのだって、バッグのファスナーの開け閉めだって、左手でOK。
服のボタンのかけ外しだって、左手だけでできる。
なんでできるかって、昔から普通にやってたから。
パソコンのキーボード叩くのだって、右手も左手も同じレベルで使うでしょ?
左側にあるキーを叩くのに左手を使えるんだから、ほかのことだって、そりゃ大抵できるよ。
人間には、利き手のほかにも利き足とか利き目ってものがある。
意識してないだけで、人は左右どちらかの目を主体にしてものを見るんだってさ。
ジャンプする時は、利き足で踏み切るけど、そういうとき以外に利き足を意識することってないよね。
利き足とそうでない足では明確に能力差があるけど、右足でなきゃジャンプできませんなんていうのは、左足に故障を抱えてる人だけだ。
要するに、多少差が出るにしても、どっちも使えるはずなのよ。
手だって同じ。
ただ、主に力だけを要求される利き足に比べて、手に要求される能力はとっても繊細でレベルが高いから、とても同じにはできないって思い込んでるだけ。
だってさ、右利きの人だって、右手が何かで塞がってる時は、左手でものを掴むよね?
細かいコントロールが利くから利き手を優先して使うだけで、反対の手が全く利かないわけじゃないのよ。
あたしは、洗った包丁を左手で持って、右手に持ったふきんで拭いた後、そのまま左手でストッカーに戻す。
シンクの収納庫の扉裏に付いてるストッカーね。拭いた後、左手でそのまま逆手に持ってストッカーに突っ込む。
左手に持ったペンチで銅線を掴んで、右手に持ったハンダごてでハンダ付けする。普通でしょ?
重ねて言うけど、左利きの人に我慢しろとか右手使えるようにしろとか言いたいわけじゃないのよ。
世の中が生きにくいのなんて、利き手の問題だけじゃないでしょ。
世渡りの上手い下手だって、大きなハンデよ?
人見知りする人に、話せるように「努力しろ」とか、言わない?
「人見知りする人に合わせて、誰もが人と話さない世の中にするべきだ」とか言わないでしょ?
人見知りする人が努力して初対面の人と話すのと、左利きの人が改札抜けるのと、どっちが楽?
別に、左利きの人が右手で定期券持ったっていいのよ?
世の中が右利き向けにできていて、面白くないってのはわかるよ。
でもね、人間は元々平等じゃないから。スタート地点から。
家がお金持ちか、背は高いか、…個体差なんていくらでもあるわ。
努力の量と結果だって、平等には与えられないのよ。頑張ってもダメな人だって、ちょっとやるだけでできる人だっている。それが個性でしょ。
左利きで損してるって言う人は、自分が平均より上回っている部分を平均値まで落とすべきだって言われたら、嫌がるよね?
絶対的な平等を欲して作られた社会主義国家がどうなったか、考えてみてよ。
不当に差別されているなら打破するべきだけど、マジョリティ向けに作った結果マイノリティに不利だっていうなら、マイノリティのまま順応するべきじゃないかなぁ。
もちろん、歩み寄りは否定しないけど。




