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<R15> 15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

桃子ちゃん

作者:恐怖院怨念
 桃子ちゃん。
 私は自分の妻のことをいつもこう呼んでいる。
 自分で言うのも何だが、桃子ちゃんはとてもかわいくてセクシーだ。
 芸能人に例えるなら、若い頃のダブ夫人にそっくりなシャイなガールで、はにかんだときにできる右頬のえくぼがたまらなく愛しい。
 あまりに愛しいので、私はときどき桃子ちゃんの体をぎゅっと抱きしめてしまう。
 今日も私は会社から帰って、玄関まで出迎えてくれたエプロン姿の桃子ちゃんに力強い愛の包容を施した。

「ただいま、桃子ちゃん」
「……」

 彼女は無言だった。
 いつもなら「おかえりなさい、ダーリン」と可愛らしく微笑んで、私の頬に熱い接吻をくれるはずなのに、今日の彼女はなぜか消極的だった。
 奇妙な違和感を感じて、私は桃子ちゃんの体をそっと引きはなした。

「あっ!」

 私は叫んだ。
 叫ばずにはいられなかった。
 彼女の体が奇妙な方向にねじ曲がっているのである。
 上半身が腰のあたりから斜め後ろの方向に、かすかにだが歪んで見える。
 よく見ると、桃子ちゃんは白目をむいて泡を吐いていた。
 私は嫌な予感につき動かされ、彼女の首筋にそっと指を当てた。
 脈はなかった。
 息もしていない。
 どうやら死んでいるらしい。
 私は慌てた。考えたくはないが、彼女が死んだのはおそらく私のせいだろう。
 彼女を抱きしめたとき、ちょっと力を込めすぎてしまった。
 くそっ! どうすれば……。
 そのとき突然、玄関口からインターフォンのベルが鳴り響いてきた。
 ピンポーン。

「はーいっ!」

 私は力いっぱい叫んだ後、「あっ!」と口元を押さえた。
 つい声が出てしまったのだ。
 私は慌てて玄関に向かい、マジックミラーを覗き込んだ。

「おーい、青島ぁ。いるんだろー?」

 外にいるのは同僚の鈴村だった。
 まだ家に帰っていなかったのか、スーツを着たまま右手には酒瓶をぶら下げている。
 まずい、この状態は非常にまずいぞ……。
 私は桃子ちゃんの遺体を奥の間の押入れに運び込み、そしてすぐさま玄関に戻った。
 本当は居留守を使ってやりたかったが、声を聞かれたのでそうもいかない。

「どうしたんだ、こんな夜遅く?」

 私はできるだけ平静を装って玄関のドアを小さく開けた。

「いま疲れてるんだ。用なら明日にしてくれないか?」

 私は鈴村を追い返そうとさも迷惑そうな顔を作ったが、彼は右手の酒瓶を掲げて、ずかずかと家の中に入ってきた。

「そんなこと言うなよ。せっかく上等なワインを持ってきてやったんだぜ?」
「や、やめてくれ、鈴村。今日は本当に調子が悪いんだ。酒なら明日飲もう、な?」
「そりゃないだろう、青島、約束したじゃないか」

 そう言えば……と私は思い出した。
 いつだったか、私は鈴村と酒を飲む約束をしていたのだ。
 その日が今日だったことをすっかり忘れていた。
 仕事が終わって私はさっさと家に帰ってしまったが、鈴村はそのことを覚えていて、残業のあとわざわざ私の家まで押しかけてきたのだ。
 よりによってこんな時に……。

「俺は今日という日を楽しみにしてたんだ。……グラス借りるぜ?」

 鈴村は勝手に棚のワイングラスを取って酒を注ぎはじめた。
 仕方なく私もグラスを取り、キッチンのテーブルに座る。

「いやあ、仕事の後の酒は格別だな、青島よ」
「お、おう……」

 適当に相づちをうちながら、私は内心では奥の間の桃子ちゃんのことが気になって、気が気ではいられなかった。
 もし彼女のことが鈴村にばれたら、私は一生塀の中で臭いメシを食うハメになってしまう。
 なんとしてもそれだけは避けねばならぬ。
 しばらくして鈴村は、キッチンに置いてあったテレビをつけ、酒を飲みながらくだらないバラエティー番組を見始めた。
 厚かましいことに、奴はどうやらここに長居をするつもりらしかった。
 私は酒を飲むペースを上げた。
 一刻も早く酒瓶を空にして、彼を家から追い出そう。
 しばらくして、鈴村が瓶を持ち上げてカラカラと振って見せた。

「なんだ、もう空だよ。青島、新しい酒はないのか?」
「そんなものはないっ!」

 私は即答した。
 本当は奥の間に秘蔵のワインが一瓶置いてあったが、それをくれてやるほど私は馬鹿でもなければお人好しではない。
 鈴村は、仕方がない、といった様子で立ち上がった。

「それじゃ仕方がないな。青島、俺はそろそろ失礼するよ」

 やった!
 私は心の中でガッツポーズをした。
 玄関まで鈴村を送ってやり、二、三言葉を交わしたあと、ようやく彼は家を出て行き……と思ったのだが、

「ちょっとまってくれ」

 鈴村は玄関口で急に立ち止まった。

「ちょっと、もよおしてきた。トイレを貸してくれないか?」

 私は本気でこの男を蹴飛ばしてやろうかと思った。
 しかしその衝動を必死に押さえつけ、私はトイレの方を指さした。

「あ、ああ、いいぜ。トイレはキッチンの向こうの廊下の奥だ」

 鈴村はそそくさとトイレに入っていった。
 はやく帰れ、早く帰れ、早く帰れ……。
 大便なのだろうか、やけに時間が長く感じられる。
 だがようやく鈴村がトイレから出たとき、つけっぱなしだったテレビからこんな話題が飛び出てきた。

『続いてのゲストはダブ夫人です』

「そう言えば、おまえの奥さんって、若い頃のダブ夫人に似てたよな」

 あろうことか鈴村がその話題に食い付き、キッチンに戻って再びテレビの前に腰を下ろしてしまった。
 私は非常にうろたえた。
 よりにもよって、この男の口から桃子ちゃんの名前が出てこようとは思ってもみなかったのだ。

「そう言えば、今日は奥さんはいないのか?」

 ぎくっ!

「も、桃子ちゃんは今日は高校の同窓会に行ってて……」
「そうか」

 鈴村は私の言葉に素直に頷いた。
 どうやら怪しまれずにすんだらしい。
 私は背中に多量の冷や汗を吹き出しながら、表面では愛想のいい作り笑いを浮かべた。
 ようやく鈴村は椅子から立ち上がった。

「それじゃ、奥さんが帰ってきたらよろしく言っておいてくれ」
「もう帰るのか?」

 私は嬉しさを押さえてわざとらしく残念がった。

「ああ、明日も早いからな。まったく、年末は会社も忙しくて困る」

 なら早く帰れ、と思いつつ、私はあくまでも外面は愛想良く振る舞った。
 だがそのとき、奥の間の方からなにやら物音が聞こえてきた。
 がりっ、がりっ……。

「ん?」

 鈴村が不審な表情を浮かべた。
 私は背筋を凍り付かせた。
 がりがりがりがり……。

「奥に、誰かいるのか?」

 私は震えが止まらなかった。
 がりがりがりがりがりがり……。
 何かを引っ掻くような音がしだいに大きくなり、やがて部屋中に響いてくる……私はすぐにピンときた。
 まさか……まさか!
 桃子ちゃんはまだ生きている! 彼女が意識を取り戻して、押し入れの壁を爪で引っ掻いているのだ!
 まずい、これは非常にまずいぞ。
 もし彼女が生きていたら、私の行なった殺人が、すべて露呈してしまうではないか!
 殺人に死体遺棄といえば重罪だ。
 そんなのは絶対に嫌だっ!
 がりがりっがりっがりがりがりがりがりがり……。
 鈴村は引っ掻き音にすっかり興味を引かれたようだった。

「青島、奥の間に――」
「そう言えば鈴村、そろそろ年賀状の季節だな」

 私はなんとか鈴村の興味を逸らそうと、適当な話題を持ちかけた。

「年賀状といえば新年だ。来年はどんな年になるんだろうな」
「さ、さあな。それより青島、奥の間に……」
「実は鈴村、おれ最近思うことがあるんだ! 地球に優しいエコロジーってなんだろう」
「青島っ!」

 さすがに怪しく思ったのか、鈴村は私の誤魔化しを遮って、疑わしげな目つきでこちらを見つめた。

「青島、おまえ何か俺に隠してないか?」
「い、いや別に……」
「奥の間に、誰かいるな?」

 鈴村は私の肩越しから奥の間の方に視線を向けた。
 私は体を広げて彼の視線を遮った。

「だ、誰もいないよ!」
「本当か?」

 鈴村は完全に私を疑っていた。
 もうこれ以上は誤魔化しきれない……!
 私はついに決心をした。

「ちょっと、そこで待っててくれ」

 私は立ち上がり、奥の間に入ってぴしゃりと戸を閉めた。
 これでキッチンからはこちら側が見えなくなる。
 ふるえる手で、私はタンスの上に置いてあったごつい酒瓶を手に持った。

 がりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがり……。

 無機質な音が押し入れの中から沸いてくる。
 胸の悪くなる気分だった。
 私は押し入れに手をかけ、ゆっくりと引き戸を開いた。
 はたしてそこには桃子ちゃんがいた。
 押入れの下の段で四つん這いになり、指で壁を引っ掻いていた。
 きれいな黒髪が幾重にも顔に張り付き、その隙間からぎょろりとした目玉がのぞいていた。あの可愛らしい彼女の面影はもはやどこにもない。
 口を封じてしまおう。

「た、たすけ……」

 ごつっ。
 手に力を込め、愛しい桃子ちゃんの頭に思いっきり瓶の角をぶつける。
 桃子ちゃんはぐったりと床に倒れ、手足をぴくぴくと痙攣させた。
 私は念のためにもう二、三度桃子ちゃんの頭にボトルをぶつけた。
 すると今度は完全に彼女の体は動かなくなった。
 私はさらに彼女の頭をガツンと殴りつけた。
 もう二度と押し入れの壁を爪で引っ掻いたりしないように、何度も何度も瓶を彼女の頭に振り下ろす。

 ごつっごつっごつっごつ……。

「はあ、はあ、はあ……」

 桃子ちゃんは頭からどす黒い血をぼたぼたと流しながら、ぴくりとも動かなくなった。
 もう大丈夫だろう。
 私は肩で息をしながら安堵の息をついた。
 これで鈴村に怪しまれずにすむ。
 何やら重大な過ちを犯したような気がしてならなかったが、私はとりあえず押し入れの戸を閉めて、さっさとキッチンへ戻ろうとした。
 しかし。


「青島……おまえ、なにやってんだ!?」

 後ろを振り向くと、鈴村がキッチンの戸を開き、ものすごい形相でこちらを見つめていた

「青島! その押し入れの中には、いったい誰がいたんだ!?」

 まるで私を、殺人鬼でも見るような目つきで睨み付けてくる。

 もうおしまいだ……。

 そう思いながら、私は何気なく手元を見た。
 そこには血に塗れた酒瓶が握られている。

 私は観念して、今度は鈴村に向かって酒瓶を振りかざしていた。

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