錫蒔隆・オブ・ザ・デッド(卅と一夜の短篇第11回)
私は追われている。私が書いては棄て、書いては棄ててきた小説たち……小説とは呼べぬようなレベル、闇に葬ってきた屍たち。中学三年から書きはじめて二十余年、蓄積ではなく消費。データはパソコンの寿命とともに消えた。のこっていたノートに下書きしてあったものだけが、かろうじて生きのこっている。
ドラクエの「ぼうけんのしょ」が消えたときのような、やり場のない怒りと絶望はなかった。「ま、いいか」という諦念だけだ。若書き、羞恥。文章は未熟、構成も杜撰。とても外に出せたような代物ではなかった。けれどそれら累々たる屍の上に、いまの私がある。書いては棄ててきた二十年ちかくは、けっして無駄ではなかった。また二十年くらい経てば、いまの私を恥ずかしく思うのかもしれないが。
蘇るはずがない。なにしろ、データごと消えたのであるから。その一言一句は、私の記憶にすらのこっていない。
『カリガリズム ∞ 夢幻』
『狂人探偵ーMー』
『スピード・スター』
『理想ノ政治』
『ツミ』
『進化文学考』
『隧道に埋まる深淵』
『芭蕉闇行』
……名をおぼえているものだけでなく、名をおぼえていないようなものまで。ぞろぞろぞろと蘇り、私を責めたてるのである。
「どうして生かしてくれなかったんだ」
「なぜ殺したんだ」
やつらは腐臭を纏いながら、私を指弾する。私はなんら、痛痒をおぼえない。私の脳髄からうまれでたものになじられたところで、良心の呵責などあるはずもない。その生殺与奪の権は、私が握っていてしかるべきものである。
ある短篇小説賞のテーマに「幽霊」があって、私もそれに投稿した。『ほんとうにあった呪いのビデオ』のパスティーシュ作品を投稿したのだが、締切のあとで着想の遅蒔きを嘆いた。「いままで書いてきた小説たちの幽霊が出てくる短篇は、どうだったか」と。
いま現実として、過去の作品たちが幽霊と化して私に憑く。幽霊と呼ぶには肉感的で、ゾンビと呼ぶには存在感を欠く。形而上と形而下のあいだのような。やつらの形象については、語らないでおく。ひとつひとつばらばらで、まるで統一感がない。やつらの姿について記すのは、おのが肛門を晒すかのような廉恥がある。その醜さは、私自身のものであるからだ。
私は斧を手に取る。やつらをひとつひとつ、潰していかなければならない。私の黒い歴史を、白日のもとに晒しつづけるわけにはいかない。
私は追われている……いや、私が追う。蘇ってしまったやつらを、つぎからつぎへと葬りさる。私はシリアル・キラー、裁かれることのない。私から離れたやつらを、この身に取りもどさなければならない。やつらを野放しにしておけば、蓄積を喪った私は書きつづけることができない。